クリスマスイブのふたり
「お花はいかがですか?クリスマスに綺麗な花はいかがですか?」
客が足を止める気配がない。もう時刻も遅い。花かごを抱えて、白いエプロン姿の雪菜は、もう今夜は、諦めようかしらと思った。でも、彼女の生活は貧しい。今夜を諦めたら、絶好のチャンスを逃してしまう。雪菜は、歯を食いしばって、花を売り続けた。今夜は、ホワイトクリスマスかしら。夜空からは、チラホラと白い雪が降り始めている。彼女には、入院中の母親がいる。重病ではないが、月々の入院費もかさむだろう。彼女も必死である。
「お花はいかがですか?綺麗な、綺麗なお花を飾ってみませんか?」
しかし、現実は厳しい。客足が止まることはない。
そんな時だ。ひとりの青年が、トボトボとした様子でやって来ると、何気なく雪菜に話しかけた。
「お花、売れますか?」
それで、勢い込んで雪菜が、
「買って頂けますか?お花?」
と、尋ねると、青年は、慌てて、
「いえいえ、売れてるのかなと思って」
見れば、みすぼらしい青年である。ボロボロに汚れた作業着のような服を着て、片手にレジ袋を下げている。
これじゃあ、駄目か、と雪菜が落胆していると、青年が、
「じゃあ、薔薇を何本か下さい。アトリエに飾ろうと思って」
途端に、雪菜は元気を取り戻して、
「ありがとうございます。じゃあ、これをどうぞ」
「ありがとう。代金はこれでいいのかな?」
青年は、代金を支払って去っていこうとした。それを雪菜はとどめて、
「あのう、また来ていただけませんか?」
と、頼んでみた。すると、青年は、振り向いて、
「君、仕事が終わるの、何時かな?」
「9時頃かしら。ここにいますわ」
「そうか、分かったよ」
そう言い残して、去ってしまった.....................。
粗末なアトリエであった。窓から、隙間風が吹き込んでいる。部屋へ戻った青年は、手に抱えた薔薇の花束を、部屋の花瓶に生けると、パッと部屋が華やいだような感じだ。これでいい。青年は、絵の具だらけの机に置いた冷めたコーヒーを飲み干すと、しばらくキャンバスに描かれたリンゴの絵を眺めていたが、どうやら気に入らないらしい。そのキャンバスを、投げ捨てると、また真っ白な画面に向かって、軽快に筆を運んでいく。何だか腹が減ってきたようだ。青年は、冷蔵庫から、カチカチの食パンを取り出して口にすると、コーヒーポットのコーヒーを注いで飲んだ。ちょっと元気が出てきたようだ。しかし、どうも、部屋が寒い。青年は、ベッドから毛布を取ると、それを肩から掛けて、寒さを凌いだ..................。
「お花はいかがですか?綺麗なお花はいかがですか?」
もう限界かしら。指まで、かじかんできた。寒い。凍えるような寒さだ。さっき客が二人来た。それぞれが、申し訳程度に花を買ってくれたが、それだけでも心は落ち着いた。しばらく雪菜は、花を売っていたが、少し休もうと、そばのベンチに腰かけて、ふうと溜息をついた。雪は本降りだ。燦々と白い粉雪が降り注いできた。雪菜は、花籠に残った花束の残りを数えていた。そろそろ時間も遅い。
その時だった。前を歩いていた中年の酔っ払いの男が、座っている雪菜に気づくと、絡んできた。
「おい、姉ちゃんよ、何してんだい?」
実に酒臭い。プンプンする。男は、ジロリと娘を眺めて、
「ええっ、花売り娘かい?今時、こんなもの、売れるかよ!」
と、花籠の花束をつかみ取ると、地面に投げ捨てて、靴で踏みにじった。
「ひ、ひどい...................」
そこへ、例の青年が現れた。彼は、様子を見て取ると、男に向かって、
「酔ってらっしゃるんですね?」
と、尋ねた。男は、
「ああ、しこたま飲んでるよ。悪いかい?」
「しかし、人様の花束を乱暴に扱うのは、どうも..................」
男が、酔ったせいでよろけた。そこを、青年が片足を前へ出すと、男は見事にその場で転んだ。
「いてててて。よくもやったな、覚えてろよ!」
そう叫んで、逃げるように去っていった。
「大丈夫ですか、お怪我はありませんか?」
「ええ、おかげさまで。ありがとうございます。....................、でも時間まで、まだしばらくありますのに?」
「ちょっと君のことが心配になってね。また来るよ、どうだろう?今夜は、クリスマスイブだぜ。一緒に過ごさないかい?」
「あら嬉しいわ。ホワイトクリスマスよね。素敵ね!」
「じゃあ、9時になったら、ここへ来るよ。楽しみにしてる。あと少し、頑張って!」
「ありがとう。それじゃ」
残された雪菜は、花を拾い集めて、また売り始めた。時折、客が買ってくれたが、そんなに儲けにはならない。娘は、雪の落ちる空を見上げて、溜息をまたついた...................。
部屋に帰った青年は、窓のカーテンを閉めた。これで、隙間風も入らないだろう。そして、筆やキャンバスの類いを片付けると、上着の絵の具だらけの作業着を脱いだ。下は、パリッと糊のきいた白いカッターシャツだ。そのまま、スタスタと部屋を横切り、奥の扉を開く。すると、そこは、一変して、豪華に飾り付けられた廊下だ。床一面に赤絨毯が敷き詰められて、扉の脇には、執事の岡村が立っていた。
「お坊ちゃま、もう創作のお仕事は、お済みですか?」
「ああ、岡村、そこにいたのか?なかなか筆が進まなくてね。それよりも、今日は素敵な女の子に会ったんだ。ちょっとデートしようと思ってね。そうだ、この前、フランスへ旅行に行ったとき、カルティエのダイヤ買ったろう?あれ、頼むよ?」
「かしこまりました」
すぐに岡村は、帰ってくると、彼に、小さな黒い小箱を渡した。
「これからでございますか?では、運転手に申しつけて車の用意を?」
「いいよ、歩いていくから」
青年は、大きな屋敷を後にして、広大な英国式庭園の夜道を歩いて行った..................。
青年は、パリッとしたスーツを着こなしていた。雪菜は、ビックリして、
「見違えたわね。素敵よ。一緒に歩きましょう」
ふたりは、港まで来ていた。潮風の匂いがする。二人そろって、港の堤防の先に腰かけた。すぐしたは、海だ。
「雪の降る海って素敵ね。暗い海に白い粉雪。とってもロマンチックだわ」
「そうだね。雪の降る海か、何だかポエムでも書けそうだね?」
ふたりは、しばらく黙って海を見ていた。そのあとで、青年が言った。
「これ、君にどうかなと思って。開けてごらん」
青年に手渡された小箱を雪菜が開いた。燦然と輝くダイヤの指輪が出てきた。
「まあ、ダイヤそっくりね。模造品でしょう?高かったの?」
「いいや、安物さ。嵌めてみて」
娘は、ダイヤをつけた。キラキラと輝いている。
「嬉しい。今夜は、これ、つけたまま眠るわね」
「嬉しいね、僕のプレゼントが役に立って」
「これは、あたしから」
そう言って、雪菜は紙袋を手渡した。青年が、中をまさぐる。
「さっき、マクドナルドでバーガーとポテト買ったの。良かったら、食べてみて?」
青年は、喜んで、ムシャムシャと食べた。お腹が空いていたのだ。
「明日、雪、積もるかしら?ねえ?」
「そうだ、今度、一緒に旅行へ行かないかい?世界一周ってのはどうだい?」
「うふふふ。あなたって、冗談がうまいのね?面白い?」
「冗談だと思うのかい?参ったな?」
雪は降り続く。ふたりの心も、降る雪のように純白であった...................。




