41 傷つけない魔法〜繋〜
お昼を食べ終えてから、俺は咲月とリビングのソファに座っている。
見渡す限り、生活感のない、この家の世界で。
でも俺はこの世界で、咲月が居てくれるおかげで生きている。
「純星、思いに更けてるね」
「……仕方ないだろ」
思いに更ける。今までなら俺はしなかったことだ。
未だに凍りついたままの過去があるようで……立ち止まりたくないから。
ふと気づけば、太ももに乗せていた手の甲に、小さな手のひらが触れている。
隣を見た。すると、咲月は緩やかに笑顔を浮かばせていた。
白色のワイシャツブラウスに、スカートの組み合わせを着ている……咲月の姿が眩しかった。
眩しかったんじゃない。今の俺が、暗闇に落ちかけていただけだ。
重なった手のひらから感じる熱を帯びて、俺は軽く頬を緩ませる。
「咲月」
「純星」
名前を呼んだ。
慣れ親しんだ、お互いの名前を。
命を与えられてから、同じ時間を多く過ごす、その愛しい名前の響き。
リビングに差し込む光は、咲月をより鮮明に輝かせている。
「俺の魔法――傷つけない魔法の最終地点にしたい。だから、また、指に絆創膏を巻いてくれないか」
「怪我をするの前提で?」
「違うよ。最後にするためだ」
咲月はまるで予想していたかのように、胸元から、絆創膏を一枚取り出した。
……あの、どうして胸元から取り出しやがりました?
雰囲気的にシリアスだと思ったが、そうでもないようだ。
とはいえ、ブラウスをはだけさせなかっただけマシだろう。
咲月は温もりのある絆創膏を、俺の右手の人差し指に巻いてくれた。
この傷跡は、傷跡じゃない。
この跡は今までを繋ぐ鎖だ。
「ありがとう」
「感謝されるようなことはしてないよ」
「咲月は大胆だけどな」
「そっちの方が、純星は意識するでしょう」
「言えてる」
きっと、咲月は気づいていない。
この後の全てが終わったら、気持ちを言葉にするなんて。
咲月を意識しなかったことは……一度もないから。
ずっと、優しさで満たされない、足りないものを、咲月は背負ってくれていたから。
「咲月。今、俺の思う、デート場所を用意してもいい?」
独りよがりは、つまらない。
微笑むように言えば、咲月は静かに笑みを浮かべていた。
俺は俺で無くなるようだ。でも、それは俺自身が俺じゃなくそうとするんじゃなくて、俺を生み出すための魔法。
指に巻かれた絆創膏が、魔法を思い出させてくる。
「純星」
「何?」
「……私は傍にいる。だから、純星の好きなように、魔法を使って」
「うん」
「大丈夫。私が回復させてあげるから」
俺は咲月を信じた。
寄り添う咲月に意識を割きつつも、二人で座るソファを中心に、俺は手のひらを上に向けて広げた。
「傷つけない魔法。それは、傷つくことを恐れない、未来へ歩むキセキだ。覚めない夢があっても、捧ぐものは、届くものは、大切な人のために」
俺はただ、送るものへの気持ちを込めた、言霊を口にしたんだ。
体内から血のように湧き上がる魔然は、枯渇することを忘れたように、俺を媒体として波紋を広げる。
手から広がる魔法。
生活感のなかったリビングに、草木を創生し、緩やかに吹く風を暖かく再現。
風に揺れれば、蕾は目を覚まし、花を咲かしている。
窓辺から差し込む日差しを頼りに、ソファの周りは自然の世界へと包まれていた。
生成された草花や、数本の人並みの高さある木々は葉を擦って音を鳴らしている。
生きているようだが、これはあくまで再現だ。
質感に音、挙動は全て、俺が感じてきたもの――今までの繋がり。
ふと咲月を見ると、驚いたように目を丸くしていた。
それでも見惚れるように、柔らかい笑みを浮かべている。
「どうかな? 魔法の消費もなく、持続的に再現した自然なんだけど?」
「デートの最後には素敵だよ、純星。私、純星のこういう発想、好きだよ」
弾むようにそう言って、頬を指で突いてくる咲月は微笑ましいものだ。
「純星、川を再現したりできるの?」
「咲月の望むままに」
目の前に広がるは、丸み帯びた茂みや奥行きに見える木々。
その間を通すように、水の線を空に描く。
水の魔法……前は掃除に使ったけど、こうして川を再現して、人の心を満たすことだってできる。
再現された川は、地面を模した床を沿うように、透明に光を持つ白線を帯び、丸い光の粒を浮かしていた。
透明なのに、耳をすませば聞こえてくるは川のせせらぎ。
「これで完成かな」
「純星の魔法……久しぶりに見たよ」
「……久しぶり?」
俺は咲月の言葉に疑問を覚えた。
それでも今は疑問を覚えるだけで、深く聞く気はない。
咲月とのデートに、水を差したくないから。
「持続的に再現してると、魔然もそうだけど、体力の消費も激しいよね」
「あー、これはあくまで再現だよ。だから、気にしないで自然を感じるといいよ」
とは言え、生成した自然で感じられるのも限界はある。
いくら咲月が無邪気と言っても、そこまで幼くないのだから。
揺れる草花に、流れ続ける川の音。
その自然の音が今は心地よかった。
「ねえー、純星」
「どうしたんだ?」
「純星は、どんな私でも受け止める?」
咲月の質問は愚策だ。
こんな自然を咲月のために作っておいて、受け止めない理由はないのだから。
「うん」
「ふふ、よかった」
「ちょっ!? 咲月!?」
咲月は何を思ったのか、いきなり立ち上がった。
そんな咲月に、俺は何故か声を上げている。
――期待した。そんな自分が居たということだ。
前屈みで俺を見てくる咲月は、後ろに映る木々や川の光も相まって……俺だけの妖精に見える。
仕草が強調するそれは、どうしても膨らみある方に目が落ちてしまい、咲月の虜にされているようだ。
「純星は、やっぱり……触れたいの?」
思わず、頷いてしまった。
咲月に幻滅されるかもしれない、と頭にはよぎっていた。
だけど俺は男だし、ここまで妖艶な瞬間を我慢し続けると、流石に限界だってある。
咲月は少し驚いたように目を丸くしたが、それはすぐに笑みへと変わった。
「今はだめだけどね……早いうちに、触らせてあげる」
「小悪魔め」
「小悪魔じゃないよ、咲月、だよ」
「知ってる。咲月」
咲月は咲月だし、俺の唯一の幼馴染で、想いを馳せる存在だ。
束の間の自然が騒いだ時、俺は目を見開いた。
……どうして!?
咲月と近くなった距離――唇が重なっている。
呑み込む息すら忘れるほどに熱い。
瞳を閉じた咲月に、重ねられた小さな手。
俺はただ、咲月を動揺しながらも受け入れていた。
離れない唇の熱が、今もまだ張り付いている。
「……!?」
「……純星」
唇が離れれば、妖艶な甘く柔い声で俺の名を呼ぶ咲月。
間には透明な線が伝い、先ほどまでの瞬間を焼き付けさせてくる。
視線を辿らせれば、艶のある薄桃色の唇が鮮明になり、俺の鼓動を掻き立てる。
肌を風が撫でると、透き通るような黄緑色の髪が揺れた。
「……どうして……俺なんかに?」
咲月の重なった手に、力が籠った。
「――純星が、ずっと好きだから」
芯のある声で言った咲月に、俺はただ意識を奪われたんだ。




