37 時間の魔法
「純星、私が心配する必要ないくらいに、氷は溶けたみたいだね」
咲月は開口一番に、心を読んできた。
心を読んでいないのかもしれない。だが、意識をした俺からすれば体が震える。
「そんなにわかるものか?」
「わかるよ。純星は顔に出るし、何よりわかりやすいからね」
咲月はそう言って、俺が座っていたベッドに腰をかけてきた。
相変わらず、咲月はラフなキャミソール姿。
咲月はさりげなく部屋にいるが、どうやらベランダから侵入してきたようだ。
ベランダの鍵を閉めたはずだが、いつの間にか開けられていたらしい。
まあ、咲月が合鍵で家に入った際に開けたのだろう。
咲月は隣に座るなり、体を俺の方に寄せてきている。
……どこか具合でも悪いのか?
「純星の体温を知りたかっただけだよ」
「さりげなく心を読むなよ」
「不安そうな顔をしたのが悪いよ」
咲月は変わらないな。
変わっていないって言うよりかは、咲月が咲月のままで……俺はそれを望んでいるだけだ。
そっと吐いた息が、鮮明だった。
どこか熱いのに、白く冷たくないのに。
気づけば、俺は自然と咲月に寄り添っていた。
完全に当たる、咲月の柔肌とも言える腕はとても心地いい。
「純星、溶けた氷の中で見つけたものはあったの?」
「そう言う咲月は?」
咲月は驚いたように目を丸くしていた。
俺が気づいていない、とでも思っていたのだろう。
前に咲月は俺が迷っていると言った時、純星も、って言っていたんだ。
例え言葉のあやだとしても、咲月が間違えるはずがない。
それほどまでに、咲月を信頼している。
咲月は悩んだ様子を少し見せてから、軽く息を吐いていた。
「純星に気づかれちゃうとか、私も落ちたもんだね」
「まるで俺が気づかない人間みたいな言い方だな」
「現にそうだよね」
「異論はありません」
鈍くなければ、咲月を好きになっている、って感情も理解していただろうな……。
そっと肩を落とした俺を、咲月はくすくすと笑っている。
腕から伝わる些細な振動が、心に響いてきた。だから、見なくても、近くにいるだけで感じられるんだ。
「私は別に、迷ってないよ。ただ、いつにしようかな、って考えていただけ」
「何気にあっさりしてるんだな」
「失礼だよ」
「ほ、ほふぇんなさい」
咲月は頬を膨らませて、俺の両頬を指で引っ張ってきた。
完全に咲月を煽った俺が悪いので、甘んじて受け入れるしかない。
少しいじいじしてから、咲月は満足したようで指を離してくれた。
とはいえ、腕を胸の下で組みながら寄り添ってくるものだから、俺の視線が宙を舞いそうだ。
困ったところで、欲情している、とか言われるんだろうな。
「それで、鼻の下をのばしている純星はどうなの?」
「まさかのそのパターンかよ」
「はあ、一つのことに気をとられすぎだよ」
咲月に言われて、俺はハッとした。
確かに咲月を意識しすぎていて、ある意味一つのことに気を取り過ぎている。
まあ、角度ある視線は仕方ないにしろ……咲月を好き、って気持ちを露わにするのはよくないよな。
「……えっとさ、溶けた氷からは、大切なものを見つけたよ」
「大切なもの?」
「ああ。……それは大事な時間で、手放したくないもので……咲月で言う、解釈を拡大した魔法みたいな、大切な時間」
「そっか。純星らしいね」
てっきり、咲月が深く聞いてくる、とばかり思っていたから意外だ。
ふと気づけば、咲月はベッドに背を預け、仰向けになっていた。
何気に揺れる胸は、静かに俺の心をくすぐってくる。
「ふふ、どうしたのー? もしかして、触りたいとか?」
「……触りたい、って言ったらどうするつもりだよ」
「不埒な真似は私以外に許さない、って言っちゃったから責任はとるよ?」
「ごめん、忘れてくれ」
触りたい、って発言を忘れてもらうだけだ。
咲月との約束を破る、という意味で言ったわけではない。
くすくすと笑う咲月の振動を受けて揺れるそれは、心臓への負荷が、目に対する毒が大きいものだ。
苦笑した、その時だった。
「おわっと!?」
「純星も横になりなよ」
「……軽々しく、男を横にさせるな。少しは痩せたらどうだ」
「それ、私以外が聞いたら勘違いするからね」
どのように勘違いするのか聞きたいが、今は遠慮しておいた。
半ば強引に横にされた影響で、咲月との顔の距離が近い。
横を向けば、咲月の顔は間近だ。
一緒に寝ることはあったが、ほとんどは仰向けだし、咲月に手を出さないように見ていなかった。
……男の決めた心なんて、一時の吹く風に弱いんだ。
「ねえ、純星」
「なんだよ」
じっと見てくる咲月は、明らかに真剣だ。
「今度の休日、約束通りデートしよっか」
「ああ、そういう話してたな」
「もー、一度きりしか出来ないんだから、忘れないでよ」
「生きてれば、デートくらい、いくらでもできるだろ」
「その時間、その時のデートは、きっかけ一つで後世まで残るものなんだよ」
「どこまで考えてんだよ、お前は」
「ずっと先の未来かな」
咲月の理解には苦しむものだ。
それでも、咲月が楽しそうだと、俺も楽しみになる。
「それじゃあ、この後の時間、純星が忘れられないものにしちゃおっかな」
「――何をする気だ!?」
咲月はわざとらしく、キャミソールの肩紐に触れていた。
見えていたとはいえ、露わになっていく白い肩。
俺は思わず、ごくりと熱い息を飲み込んだ。
まじまじと見てしまう、その視線の待っていた答えに。
「デートのルートを決めよー」
「期待した俺が馬鹿だったよ」
「えっちな純星、素直で嫌いじゃないよ」
「それはどうもー」
咲月はただキャミソールのズレを直したかっただけのようだ。
そんな邪な期待をもった俺は、首を静かに振った。
この後、俺は咲月に半殺しにされながら、デートの行き先を決めるのだった。
お互いに一つの枕で、至近距離で話をしながら。
その際、何気に咲月が目を瞑って許してくれた……のが嬉しかったのは内緒だ。




