02 炎の魔法その一
結局、咲月との話に進展は無かった。
俺はバイトを終えてから、自宅のベッドで横になっていた。
時間は遅いのに、料理をする気も、食べる気も起きない。
このまま寝ようかと、思っていた時だった。
「外から? いや、ベランダからか?」
俺の部屋には、ベランダに繋がる窓がある。
カーテンに隠れたベランダから、叩くような音が聞こえてきたんだ。
俺は何の戸惑いもなく、ベランダの窓を開けていた。
「……何してんの?」
「純星、ちゃんとご飯食べた?」
「いや、だから、そんな格好で何してんだよ」
ベランダに出ると、隣の家のベランダから……咲月が姿を見せていた。
咲月が居るのは不思議じゃない。
咲月の家とは隣同士で、ベランダが向かい合う形で備えづけられているのだ。
幼い頃と……今もよく、咲月とはベランダに出ては話をしている。
家が隣同士の、幼馴染の特権、と言うものだろう。
――咲月、風邪ひいたらどうするんだよ。
街灯のない、月明かりだけの夜。
お互いのベランダに差し込む月明かりは、キャミソールとショートパンツ姿で出ていた咲月をただ純粋に見せてきた。
咲月は俺に対して、どこか俺を男と思ってない節がある。
てか、ベランダに肩出しのキャミソール姿で出ないでもらってもいいですか?
「なになに? もしかして純星、私の肌を見て欲情しちゃったの?」
「……ダレガ幼馴染のハダを見てよくじょーするんだよ。とっくに忘れた」
「またまたー」
ベランダの縁に腕を置き、クスクスと笑う咲月には困ったものだ。
キャミソール姿なんだから、ちょっとくらいは胸元を隠す努力をしてほしいのだが。
「それで、純星はご飯食べたのー」
「食べてない」
「仕方ないなー、私が作りに行ってあげる! 受け止めてね」
「は? いやに――」
咲月は俺の返事を聞かずに、ベランダの縁から足を踏み出していた。
そして瞬きする間もなく、お互いの家の間……月明かり差し込む空に、黄緑色のポニーテールが透き通るように光を帯びて揺れている。
咲月か飛び込む形でベランダに侵入してきたので、俺は抱きしめる形で咲月を受け止めていた。
腕に吸い付くような女の子らしい柔肉。
女子の中ではある方だと思う咲月の胸は、俺の胸板に当たり無駄に心拍数を上げてくる。また、キャミソール越しなのが変に感覚を研ぎ澄ましてくるようだ。
……咲月とは、ただの幼馴染のはずなのに。
異性として話している、そんな不本意な気持ちは無いはずだ。
俺は受け止めていた咲月をベランダに下ろした。
咲月を下ろしたばかりの腕は温かく、持ち上げていた感覚がないような程に軽かった。
「もう、純星の両親が居ない間……私の目が黒いうちは、不衛生な生活はさせないからね」
「……お前はもうちょい軽くなれよ」
「それ、知らない女の子が聞いたら失礼だからね? あと、お前じゃなくて咲月って呼んでよー。それか、さっちゃんでも良いよ」
「咲月、風邪ひかれても困るから、とりあえず入れよ」
「ふふん、よく出来ました」
咲月は名前を呼んだり、気遣ったりするだけでご機嫌を良くするから、正直理解不能だ。
「咲月はお母さんかよ」
「おせっかいを焼いてる面ではそうかも!」
俺はため息をこぼして、部屋のカーテンを開けた。
咲月に見せなきゃよかった、なんて後の祭りだ。
「……純星、ちゃんと掃除しなよ? 服はちゃんと洗ってるよね?」
「それはちゃんとしてる」
「じゃないと、純星の両親に報告しちゃうよ」
俺は咲月と踏み場が辛うじてある自分の部屋を通って、一階のリビングに降りるのだった。
リビングに降りれば、少し広々とはしているものの、生活感のない空間が広がっている。
俺の両親が訳あって他県で暮らすことになってから、リビングにあった家具は多少無くなってから増えていない。
掃除もできない、料理も出来ない……そんな俺が一人で暮らせているのも、今キッチンで料理を作ってくれている咲月のおかげだ。
「……相変わらず、料理上手だよな」
「ま、まあ……家でも作ってるし、純星が死なないように作ってるからね」
「それは感謝してる」
「えへへ、よろしい」
俺は手伝うことがなく、椅子に座り、咲月が料理する姿をただ見ていた。
キャミソールの上からエプロンを着用している咲月は、卵を割り、フライパンを使ってなんかいい感じに箸でイジメている。
咲月は俺の家にエプロンを置いている。だから、こうして即興でもエプロンを着て料理を作れるのだ。
頬を薄らと赤くする咲月は、本当になにを考えて、おせっかいを焼いてくれるのだろうか?
「はあ……純星って、努力は欠かさないのに、それ以外は見えてないし、気づいてくれないよねー」
「どういう意味だよ?」
「ふふ、どういう意味だろうね?」
咲月はそう言って、料理作りを楽しそうにしていた。
楽しそうにする咲月を見ると、どこか、傷つけない魔法を目指す俺の目標と重なる一面がある。
その時、咲月が俺をじっと見てきた。
「そうそう、純星」
「なに?」
「学校での話なんだけどね……傷つけない魔法、本当に私で試してもいいからね」
咲月の唐突な誘いに、俺は驚くしかなかった。
それでも、学校で一度聞いていなければ、この言葉を口にできなかっただろう。
「……咲月、お前は自分を大切にしろよ」
俺の魔法が傷つけない事に特化したのは、多分誰よりも咲月が知っている。
でも俺は、咲月を傷つけたくない。
――咲月に魔法を向けることはまず無理だ。
たとえ、咲月が回復魔法を自身の体に使えるとしても。
「……なら、こう考えるのはどう?」
「……?」
「私が私を大事にしないから、純星が私を大事にする為に傷つけない魔法を私に使う」
「意味が分からない」
「もー、鈍感だね。だから、純星が私を傷つけなければ、私は無理やり傷つかないし、嬉しくなるの」
なんで嬉しくなるのか、正直俺は理解に困った。
困ったのに、俺は自然と自分の手を見ていた。
咲月に手当てをしてもらった、絆創膏の巻かれた指。
この傷が俺だけなら、咲月が傷つかないでいられるってことか?
俺は少し考えてから、作った料理を手際よくお皿に盛っている咲月を見た。
「咲月に勝手に傷つかれても困るし――」
「今もだいぶ鈍感な純星のせいで傷ついてるよ?」
「鈍感なのはすまない。じゃなくて、もう少し考えさせて」
「仕方ないなー」
「……お腹空いた」
「今できるから、テーブルをちゃんと拭いて、手を洗って待っててね」
俺は返事をしてから、濡らした台布巾を手に取って、テーブルを拭いた。
幼馴染の咲月に料理を作ってもらうのは、どこか気恥ずかしい気持ちがあるのに……一人だと分からない、温かさがある。
「ねえ、純星、私があーんしてあげよっか?」
「ふざけんな」
咲月が居てくれるこのリビングは、無いはずの温かさが包み込んでくれるんだ。




