15 時間の魔法その二
数時間後、咲月は目を覚ました。
俺の太ももの上で、ぼんやりとした様子で、小さな手で目を擦っている。
「おはよう、咲月。よく眠れたか?」
「純星……おはよう。まだ眠いかも」
「なら、もう少しだけ眠っておくか?」
「大丈夫。純星が寝かせてくれたから、だいぶ楽になったし」
咲月は本音をこぼした。
きっと、無理をしていたのだろう。
朝から掃除の手伝いをしてもらった俺が言える立場ではないが、咲月は無理をしていたはずだ。
俺が、気づけていれば……。
握りしめた拳は血が滲みそうになるほど、痛かった。
「純星、自分を責めないで」
小さな手が俺の頬を撫でるように、優しく触れる。
どうしてか、痛くないのに、胸が締め付けられるような感覚が彷徨う。
視界に、透き通るような黄緑色の髪が揺れる。
白い手で俺の頬に触れたまま、咲月は体を起こしていた。
薄らと光を帯びた黒い瞳は未だに焦点はあっていないようだが、俺の姿を捉えているのはわかる。
「純星は本当に、顔に出やすいよね」
「……咲月の前だからだよ」
「嘘つきだね。でも、嬉しいよ」
咲月は笑ってくれた。
寝ぼけているからなのかもしれないが、頬を緩ませて、可愛い笑みを俺に見せてくれたんだ。
いつ以来だろうか、咲月が笑ったのを見たのは。
まあ、そんな咲月の笑みをぼやかすほどに、開いたワイシャツの隙間から見えている白い肌のほうが刺激は強いけどな……。
「目がえっちだよ」
「仕方ないだろ。咲月がそんな格好してるんだからよ」
咲月から目を逸らして、窓辺を見た。
窓辺からは、夕方であることを伝える日差しが入り込んできている。
そういや、お昼も食べずに、咲月が眠ったのを見届けたままだったな。
咲月がはだけかけていたワイシャツを手で押さえている際、俺は息を吐いた。
「咲月、今日は一緒に外食しよう」
「……え? 純星と、外食?」
「俺以外に誰がいるんだよ……もしかして、今日は家族と食べる予定でもあったか?」
「うぅうん。今日は私の両親出かけていて帰りは遅いから、純星と食べるつもりだったよ」
「ならよかった。作るのも疲れるだろうしさ、出前か外食で済まそうぜ」
「純星は、優しいね」
俺が優しいのは、咲月にだけだ。
咲月は外食をしてみたいようなので、咲月が服を着替えてから、俺たちは歩いて向かうことにした。
お店についてから、俺は咲月と向き合うように座り、頼んだ料理が届くのを待っていた。
咲月と外食するのはいつぶりか、てなくらいに久しさがある。
咲月は白いブラウスに、ジーンズ、そして羽織るように白い透明な服を纏っていた。
これじゃあ、まるで彼氏と彼女みたいじゃないか……。
お互いに無言の間、目線を合わせては逸らしていれば、テーブルに頼んだ料理が並んだ。
「美味しそうだね」
「黙ってると思ったら、開口一番それかよ」
「もー、しょうがないでしょう。純星と二人きりで来るの久しぶりだし、緊張してたんだよ」
ぷくりと頬を膨らませる咲月は、無邪気にも幼さがある。
幼馴染の咲月に子どもっぽさを思うって、俺は何を考えてるんだよ……。
俺はため息を吐き出した。
テーブルを見ると、俺の前には目玉焼きがのったハンバーグランチ。
咲月の前には、ミートソーススパゲッティにサラダ、おまけ感覚でドリンクやフライドポテトが並んでいる。
「食べすぎると太るぞ」
「純星、女の子にその言葉は失礼だよ。……別に、太らないし」
「そうかよ」
咲月が太らない、っていうのなら俺が口出しすることじゃないか。
なぜかムスッとした様子で咲月が見てくるが、俺は無視してハンバーグを食べやすいサイズに切る。
ふと咲月を見ると、咲月は器用にスパゲッティをフォークで巻いて、パクリと口に頬張っている。
あまり女の子の……咲月の食べている姿を見たことはなかったけど、案外可愛いところあるんだな。
回復魔法を俺の前では見せない、はちゃめちゃな格好でうろつく、ただの野蛮な幼馴染ではないみたいだ。
咲月が食べているところを見ていると、不意に目が合った。
咲月の頬は沸騰するように赤くなっている。
「た、食べてるところをジロジロ見ないでよ……」
「すまない。咲月が意外と可愛く食べるもんだから、つい」
「……!? 可愛く食べるってなによ!」
「なんで怒るんだよ」
「お、怒ってないよ。……可愛くたべる、ってどういう意味……意外と、って失礼な……」
咲月は恥ずかしそうに、持っていたフォークは動きが止まり、上目遣いで俺を見てきている。
あれか、女の子って可愛いて言われるのは嫌な感じですか?
俺は咲月の幼馴染だが、正直彼女の考えていることは逐一読めない。
「いや、美味しそうに食べるから、咲月が可愛く見えただけ」
「ば、馬鹿。直接にも程があるよ……」
咲月は目を逸らし、横から見える頬をさらに赤く染めている。
女の子は食べている姿を見られるのが嫌なのか、それとも可愛いと言われるのが嫌なのか……。
俺は悩んだ、が悩んだところで考える知能を持ち合わせていなかった。
傷つけない魔法なら考えられるが、咲月の気持ちはどうにも理解できないからな。
……でもまあ、理由がわからないにしろ、悪いことをしたよな。
俺は持っていたナイフを置き、フォークに持ち替えた。
そして食べやすいサイズに切ったハンバーグを刺し、咲月の方に向ける。
「ほい、咲月」
「えっ、今度はなに……え……?」
「さっきは悪かった。だから、これで許してくれないか?」
咲月にハンバーグを分けようとしたのだが、嫌だったのだろうか?
咲月は向けられたハンバーグを見ては、俺の方を見てくる。
「……純星の方から、あーんをしてくるの……」
小声すぎてなんて言ったのかは不明だ。
上目遣いでちらちらと見ては、薄らと嬉しそうな笑みを浮かべている。
「じゃ、じゃあ、遠慮なく」
「ほらよ」
「……あーん」
咲月、自分で食べる気がないのか?
咲月の小皿に渡そうとしたのだが、咲月はなぜか口を開けている。
この従順な目を閉じた咲月の気持ち……無碍にできるわけがないだろう。
俺は持っていたフォークを、自然と咲月の口に向けていた。
パクリ、と咲月が口を閉じると、フォークはシュルリと口元から離れている。
咲月はゆっくりと咀嚼し、目を閉じたまま頬を抑えている。
それほどハンバーグが美味しいのだろうか?
ここのハンバーグは何度か食べているが、咲月の作ってくれるハンバーグの方が美味しいはずだ。
……咲月が美味しそうに食べているし、別にいいか。
俺は思考を放棄していた。
彼女が、咲月が美味しそうなら、見ている俺も嬉しいものだから。
「咲月、美味しいか?」
「うん。……純星って、見かけによらず、大胆なことするよね」
「だ、大胆ってなにがだよ」
「む、無意識でやってたとか、恐ろしい子」
なんで咲月が驚いた様子を見せるのかは不明だ。
でも、美味しく食べられたのならよかった。
俺も自分のを食べようとした時、目の前にスパゲッティが巻かれたフォークが差し出された。
「……なんだよ」
「純星が分けてくれたし、私も分けないと気が済まないの」
「別に、俺は俺がやりたいようにやっただけだし、咲月が気にすることじゃないだろ?」
「つ、つべこべいわず、純星も食べてよ」
咲月が引く様子を見せないので、俺は口を開けた。
……口を、開けた?
俺は自分でそんな行動をとって、疑問を覚えたんだ。
口の中に放り込まれるスパゲッティ。
咲月からあーんさせられる、ミートソースの味わいを持ったスパゲッティだ。
……咲月から、あーんを……させられる?
俺は初めて、俺がした行動と、咲月にされた行動を、公の場で行なっていたのだと理解した。
迂闊だった、なんて話じゃない!
「どう、純星? おいしい?」
「え、ああ、美味しい。美味しいんだけどさ……俺、お前にあーんをさせたのか?」
「い、今気づいたの?」
「……ああ」
咲月の落ち着いていた白い頬は、またみるみるうちに赤く染まっていく。
「てっきり気づいてると思ったじゃん! うぅ……純星、他の子に騙されたり、他の子にしないでよね……」
「咲月がなにを言っているのかわかんないけど、わかった」
「それ、本当にわかっているの?」
わかっているのか、と聞かれれば、なんとなくだな。
咲月からむけられる呆れた視線。
俺は居心地の悪さに、そっと目を逸らした。
その時、咲月からため息が聞こえてくる。
「これじゃあ、純星から目を離す時間が危ないや。純星、今日、純星の家に泊まるからね」
「な、おまえ、いきなりなに言ってんだよ」
「お前じゃなくて、咲月か、さっちゃん、って呼んでほしいな〜」
わざとらしく、知らぬ顔をして見てくる咲月は小悪魔なんじゃないか?
「……咲月、いきなりすぎだろ?」
「仕方ないな。今宵、純星の家に行きます、気持ちと覚悟の準備をしておいてください」
どうやら、咲月は引く気がないようです、はい。
本当に深く考えるタイプなのか、と疑いたくなってしまう。
知らぬ顔して美味しそうにスパゲッティやサラダを食べる咲月は、譲る気がないんだろうな。
「咲月が覚悟しとけよ」
「え、純星にえっちなことされるの……!?」
「誰がするか!! あっ、こほん。まあ、幼馴染でも、咲月は自分の時間を大事にしろってことだよ」
してるよ、と言いたげに見てくる咲月は、俺の言葉の意味を理解してないだろうな。
成り行きとはいえ、咲月のお泊まりが決まった以上――咲月との時間はまだまだ終わらないようだ。
その後、ちゃっかりとフライドポテトを自身の手で食べさせようとしてくる咲月に、俺は苦笑いするのだった。




