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 夜の教会の中で、一人の娘が祭壇に座っていた。

 

 娘の銀髪は炎に照らされ、ゆらめく光を弾く。

 翡翠のような緑の瞳に浮かぶ笑みは、幼さを残しながらも、破滅を誘うほど妖艶だった。

 彼女の目に映るのは二人の男だった。

 男たちは手に刃物をもち、互いを睨みつけて一歩も退かない。


「ふざけるな、ジゼルは僕のものだっ!」


 男の声が弾け、喉を裂くような響きが周りを震わせる。


「何を言う、お前のものではない」


 もう一人は低く吐き捨て、血が滲むほど拳を握りしめる。

 彼女は何も答えなかった。

 祭壇に腰かけ、退屈した子どものように、両足をぶらぶらとさせる。唇の端を上げ、男たちの憎悪と渇望を映す鏡のように微笑んでいた。


「黙れ! お前などに渡すものか!」

「ならば証明してみろ!」


 男たちは互いに刃を振りかざし、力任せに打ち合わせた。

 鋼がぶつかるたび甲高い響きが夜気を裂き、散る火花と踏み鳴らす靴音、荒い呼吸が静けさを押し流していった。

 やがてほんの僅かな隙を突いた一撃が、鋭く相手の腹へと突き立った。

 一方の男は驚愕に目を見開いたまま血を吐き、力尽きるようにその場へ崩れ落ちた。

 娘は唇を弓なりに持ち上げて、くすくすと笑う。

 刃を振るった男は、崩れ落ちた相手の上に立ちながら、我を忘れたように、フラフラと彼女へと滲み寄った。激情に濁った瞳が、娘に縋りつく。


「見ててくれたか? ジゼル……」


 ジゼルと呼ばれた娘は答えない。

 唇に静かな笑みを漂わせたまま、受け入れるでも拒むでもなく、祭壇に座っている。


「……君のために、僕はこの手を血で染めたんだ。……ジゼル、わかるだろう?」


 熱に浮かされた声は狂気に震え、理性の影すら残していなかった。

 ジゼル、と娘の名を呼びながら男は彼女の前に辿り着き、膝を折って地に崩れ落ちた。

 血に濡れた指先で、彼女の足に恭しく触れてから、唇を寄せる。


「……ジゼル…ジゼルッ……!」


 かすかな汗と血の匂いが滲む中で、彼は白磁のような足首に口を押し当てる。

 唇はジゼルの足の甲を辿り、薄紅に染まった爪先へと向かう。

 男の荒い吐息が白い肌に吹きかかり、震えるほどの熱を帯びさせる。まるで赦しを請うかのように、彼女の足に執拗な口づけを繰り返した。

 ジゼルはただ、愉しげにその光景を見下ろしていた。

 緑の瞳にきらめくのは遊戯を眺める子どものような無邪気さだった。だが唇に浮かぶ笑みは、女王めいた艶やかさを帯びている。


「……いい子ね」


 銀の鈴が転がるような、甘い声が溶ける。

 男の顎に、ジゼルは足の爪先をあてがう。男は抗うことなく顎を仰け、熱に濡れた吐息を洩らした。


「……はっ……ジゼル……」


 声は懇願のように震え、彼の瞳は我を失ったまま、緑の瞳を追い続ける。

 ジゼルは祭壇の上で身を少し傾け、銀の髪を揺らして男を覗き込む。

 唇には愉快げな笑みが浮かんでいた。


「ねえ……」


 小首をかしげる仕草は、あどけなくも艶を帯びている。


「あなた、私の足に欲情してるの?」


 刹那、男の喉から濁った声が漏れた。


「……ああ……そうだ……。そうだよ、ジゼル、君が欲しくてたまらないんだっ!」


 男の掠れた声は熱に震え、頬は涙で濡れていた。荒い呼吸のまま、ジゼルの足を両手で包み込み、唇を何度も押し付け、口に含む。


 そのときだった。


 教会の扉が軋みをあげて開かれた。

 冷えた夜気が流れ込み、暗がりに一つの影が差した。教会の中に入ってきたのは、男の妻だった。

 彼女の視線が祭壇へと吸い寄せられた瞬間、足がピタリと止まる。

 蝋燭の炎は風もないのに揺れ、赤い光と影が重なり合い、異様な光景を浮かび上がらせていた。

 そこには、自分の夫が地に這いつくばり、娘の足に縋りつく姿があった。そして、その傍らには、血に染まり絶命したもう一人の男。

 倒れた身体の周囲には、床を濡らす赤黒い血がじわじわと広がっていた。


 娘を中心に捧げられたかのように、男たちは足元へひれ伏し、屍すらも供物のように横たわっている。

 それは人の営みではなく、夜陰に紛れて行われる異形の儀式そのもののように思えた。

 妻は息を呑んだ。


「……なにを……してるの?」


 震える声は、ひどく小さく響いた。

 しかし、夫は振り返らない。血に濡れた顔を、ジゼルの足に押しつけたまま、獣のように荒い息を零すばかりだ。ジゼルの視線は足元の男から、妻へとゆっくりと移る。彼女の唇を彩るのは、毒の花のような、艶やかな笑みだった。

 その笑みに妻の胸の奥で何かが、ふつり、と切れる。胸の奥からこみ上げてきたものは、言葉ではなく、裂けるような声だった。


「――ああああああああっ!!!」


 絶叫が石造りの聖堂を突き破り、夜の闇へと反響していく。

 炎が揺れ、空気が震え、祈りの場は悲鳴に支配された。妻は顔を覆いもせず、ただ目を見開いたまま、声の限りに叫び続けた。


 ジゼルは笑みを崩さない。


 彼女の笑いは、惨状に驚愕する妻をあざ笑うのでもなく、ただ愉しげに、夜そのものを祝福するかのようだった。

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