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第3章 断ち切る鎖、選び取る道

 セドリックの意識のない身体を抱きかかえ、エリオットは暴動の渦中に立ち尽くしていた。燃え上がる下層区の炎が、彼女の顔を赤く染める。目の前で繰り広げられるのは、食料庫を奪おうとする民衆と、それを必死で食い止めようとする衛兵隊の衝突。しかし、エリオットの目に映るのは、ただひたすら、飢えと絶望に駆られた人々の姿だった。


「これ以上は…無理だ」


 騎士団長の声が、耳鳴りのように響く。王宮からの命令は「鎮圧」だが、これでは無益な殺戮になるだけだ。民衆の怒りは、もはや剣や魔法で抑え込めるレベルを超えていた。


 エリオットは、セドリックを安全な場所に横たえると、立ち上がった。その琥珀色の瞳は、迷いを捨て、冷たい光を宿していた。

「団長。私は、このままではいけないと思う」

「何を言っている、エリオット! 貴様は王宮騎士だぞ!」


 しかし、エリオットは聞く耳を持たない。彼女は周囲の騎士たち、そして民衆に向けて、高らかに声を張り上げた。

「聞け、アルカディアの民よ! そして、我が騎士団の者たちよ!」


 その声は、魔法で増幅されたかのように、騒乱の中に響き渡った。一瞬、争いが止み、誰もがエリオットに注目した。

「私は、グランヴィル家のエリオット。王宮騎士として、この国の秩序を守るべく剣を取ってきた。だが、今、目の前にあるのは、飢えと苦しみの中で死にゆく民の姿だ! これが、我々が守るべき『秩序』だと、誰が言えようか!」


 ざわめきが広がる。騎士たちは驚愕し、民衆は困惑と期待の混じった眼差しを向けた。

「王宮は、この惨状を見て見ぬふりをしている! 聖樹の巫女の力を謳い、さらなる重税を課し、その富を私腹を肥やすために使う愚行を、これ以上看過することはできない!」


 エリオットは、腰の剣を抜き、それを空に掲げた。クリスタルの柄が、燃え上がる炎を反射して鈍く光る。

「私は、もはや王家の犬ではない! 私は、この国を愛し、民を愛する一人の騎士として、立ち上がる! この剣は、王家のためではなく、真に苦しむ者のために振るわれるべきだ!」


 その言葉に、一部の騎士たちがざわめき、反発の声を上げた。しかし、同時に、彼女の言葉に共感し、剣を握りしめる者もいた。彼らは、下層区の現実を目の当たりにし、上層部の腐敗に疑問を抱いていた騎士たちだった。


「エリオット様…!」


 目覚めたばかりのセドリックが、火傷の痛みに耐えながら、かすれた声でエリオットの名前を呼んだ。彼の瞳には、驚きと、そして彼女の覚悟を理解した上での、深い愛情が宿っていた。


 エリオットは、彼の視線を受け止めると、力強く頷いた。

「セドリック。お前はここに残れ。私は、行く」

「嫌です! どこへでも、あなたと共に!」


 セドリックは立ち上がろうとするが、傷が痛み、再び膝をついた。エリオットは彼の肩にそっと触れ、静かに言った。

「お前は、私の大切な部下だ。そして…私の親友だ。だからこそ、今はお前自身の命を大事にしろ。私は、必ず戻る」


 その言葉は、まるで告白のようにセドリックの胸に響いた。彼は、痛む身体でエリオットを見上げた。彼女の横顔は、もはや性別の区別なく、ただ一人の「騎士」として、新たな道を選び取った者の強さと決意に満ちていた。


 エリオットは、王宮騎士団の制服を脱ぎ捨て、黒い外套を羽織った。それは、彼女が「星の祭典」の夜に身につけていたものと同じだった。彼女は、王宮騎士としてではなく、一人の「男装の騎士」として、真の戦いに身を投じることを決意したのだ。


「私と共に、真の正義のために戦う者は、続け!」


 エリオットの呼びかけに応じ、数人の騎士が剣を鞘から抜き、彼女の背後に並んだ。そして、民衆の中からも、彼女の言葉に希望を見出した者が、次々と立ち上がった。王都の騎士と、下層区の民衆が、今、手を取り合おうとしていた。


 エリオットは、振り向かず、炎と混乱の中へと足を踏み入れた。彼女の心は、もはや過去の忠誠の鎖に縛られてはいない。彼女が選んだのは、真に守るべきもののための、茨の道だった。


 ヴァレリアン公爵邸。


 リリアーヌは、下層区からの怒号と炎の匂いに、恐怖で震えていた。侍女のマリアが、慌てて窓を閉め、耳を塞ぐように促すが、その音は邸宅の中まで響き渡っていた。


「リリアーヌ様、どうかご安心を! 騎士団が必ず鎮圧してくださいます!」


 マリアの言葉は、リリアーヌの耳には届かない。彼女の脳裏には、エリオットが去り際に見せた、あの悲痛な決意の表情が焼き付いていた。


 その時、公爵邸の門が、激しい音を立てて破られた。

「何事だ!?」

 警備の騎士たちが叫ぶ。しかし、邸宅に押し入ってきたのは、血に飢えた暴徒ではなく、王宮から派遣されたと思われる、王家直属の「聖樹の守護騎士団」だった。彼らは通常の騎士団とは異なり、重厚な魔法鎧に身を包み、その瞳には冷たい光が宿っていた。


「聖樹の巫女、リリアーヌ・ド・ヴァレリアン! 至急、王宮へ移送する!」


 守護騎士団の隊長が、冷酷な声で命じた。

「お待ちください! リリアーヌ様は、このような状況では…!」


 マリアが止めようとするが、あっという間に取り押さえられた。リリアーヌは恐怖に固まる。この状況で、なぜ王宮へ?


「これは王命である! 巫女の力をもって、この暴動を鎮め、聖樹の魔力を安定させるのだ!」


 隊長の言葉に、リリアーヌは戦慄した。聖樹の魔力の異変は、彼女の体が一番よく知っている。それが、このような方法で強制的に使われれば、どうなるか。


「嫌よ…! 私の力は、そんな使い方はできない!」

 リリアーヌが叫ぶが、守護騎士団は容赦なく彼女に近づく。彼らの手には、聖樹の巫女の力を強制的に引き出すための、魔法の枷が握られていた。それは、巫女を「力」としてのみ扱う、王家の冷酷な意思の表れだった。


「リリアーヌ様! ご無理はなさいませんよう!」

 抵抗するリリアーヌを、守護騎士たちは半ば強引に抱え上げた。彼女は、もはや自分の意志とは無関係に、王宮へと連行されようとしていた。


 檻は、いつの間にか、最も信頼していたはずの「王家」によって、より強固なものに作り変えられていたのだ。リリアーヌは、連れて行かれる途中、下層区の方向を見た。炎と煙が立ち上る空の下、エリオットが選んだ道が、彼女には見えない。


 だが、リリアーヌの胸には、かすかな希望が灯っていた。エリオットが、自分と同じように、この世界に疑問を抱き、立ち上がった。その事実だけが、彼女を包む絶望の中で、唯一の光だった。


 聖樹の巫女としての「鎖」を断ち切られたリリアーヌと、王宮騎士としての「鎖」を断ち切ったエリオット。それぞれの決断が、今、新たな時代の幕開けを告げていた。

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