第0双《初空月》 Side:氷室 宙
お目通し感謝致します❦
氷室 宙の視点で語られる《 Tellus 》の前日譚。
プロフ用の書き下ろしです。
本編が始まる少し前のお話。
時期は、高校1年生の1月。
得意なことはなんですか?
そんな問いにパッと答えられなくなったのは。そしてそんな自分のことを心底嫌いになったのは一体いつ頃からだっただろう。
自分に自信が持てていた時期もあったはずなのに気づけば失望だけが残っていた。
どうして自分はこんなことすらもできないのか。
そんな問いだけがどんどん自分の中で膨れていって、いつしか痛みを伴うようになった。
それが自分だからだ。
そうゆう人間なのだから仕方がない。
体裁を保つ為になんとか答えを絞り出しても少しも心は満たされなかった。
それでも生きていかなければならないから。せめて好きなことには正直に生きようと心に決めた。
「週番からの連絡は以上です。何か他に連絡のある人はいますか?」
帰りのHRの途中、そんなくだらないことを考えながら明日の予習に必要な教材をリュックに詰めていた。傍らには少し大きめのギターケースが立てかけられている。
「それ、キーホルダー?猫ちゃん可愛いじゃん」
唐突に隣の席の女子が話しかけてきた。指でギターケースに付いている大きめのぬいぐるみを指している。
「可愛いでしょ。貰いもんなんだ。気に入ってる」
「ふ〜ん」
当たり障りのない返事をしたつもりだったけど相手は少し暗い顔をして前を向いてしまう。またやっちまった。人間16年目。今日も会話の難しさに打ちひしがれた。
*
放課のあいさつが終わるやいなやダッシュで部室へと向かう。自分が一番早いと思っていたのに、部室のドアを開けると既に同じバンドのメンバー2人が楽器の準備を始めていた。
加藤が顔を上げ、声をかけてくれる。
「おっす、氷室」
「おっす、加藤。前田は?」
「今日熱出して休みだってさー」
「ふ〜ん、お大事に」
「それ、おれに言ってもしゃーねーだろ」
「確かに?」
いつものように当たり障りのない会話をしながら、其々の作業に入っていく。今日の活動は春の新入生歓迎会で演奏する曲の音取りが中心だった。
楽器をケースから出し、イヤホンを耳に着け、スマホの再生ボタンを押す。1人音の世界へと沈んていった。
*
――――コンコンコン
不意に部室のドアが叩かれる。思わず顔を上げるとガチャリとドアが開いて利発そうな男子生徒が顔を見せた。胸に生徒会役員のバッチを付けている。
「活動中すみません。生徒会の者です。急遽、新入生歓迎会のプログラムが変更になりまして。フォーク部の方に確認して頂きたい事柄があるんですけど」
3人で顔を見合わせる。
入口の近くにいた加藤が対応してくれた。
「では、今週末までに生徒会室前のボックスにそちらの紙を提出願います」
そう言って生徒会の人は去っていった。黒澤が資料に視線を落としている加藤に問いかける。
「何だって?」
「おれらの新歓の出番、第1部のトリだっただろ?それが第2部の始めに変わったらしい」
「第2部初っ端って花形じゃん。いつも吹奏楽部とかやってる」
「その吹部が上の大会決まって新歓出れなくなったんだと」
「成る程、ぼた餅か」
加藤が俺に資料を渡してくれた。訂正箇所に赤ペンが入っている。フォーク部全員に通達したら、顧問の判子を貰ってから生徒会に提出する流れみたいだった。
俺はふと思ったことを口にしながら、資料を黒澤にリレーする。
「トリだったから心配してなかったけど、俺達楽器の移動とかあるよね。次の順番の部活にその辺のこと確認しとかなきゃじゃない?」
「確かに。次の部活どこ?」
「………オーケストラ」
黒澤が資料のプログラムを確認しながら答える。
加藤が眉間にシワを寄せた。
「オケ部か……南校舎3階の方の音楽室だっけか?」
「遠。オレまだこれ終わってねーからパス」
黒澤が億劫そうな声を上げながら資料を加藤に返した。今回はギターが難しい曲だから黒澤はいつも以上に音取りに苦労してる。少し苛ついているのはそのせいだろう。
「いやぁ、ここは平等にジャン負けだろ」
加藤が右拳を空に突き出す。
黒澤が見るからに嫌そうな顔をした。
あー、不味いな。
俺は反射的に声を上げる。
「俺が行くよ」
「え?氷室、音取りは?」
「自分のパートは一応終わらせたから問題ない」
加藤が変な顔をする。黒澤も手を止めて真顔でこちらを見ていた。
また余計なことを言ってしまっただろうか。
不安になる俺の前に加藤がズイッと資料を差し出してきた。いつの間にか2人の様子は普段通りに戻っている。良かった。
「んじゃ、悪いけど頼むわ」
「ん」
「あんがと、ひむろ。マジ助かるわ」
「おう」
イヤホンを外しケースにしまう。楽器はしまおうか迷ったけど床にそのまま置いていくことにした。
「黒澤、オマエ進捗どのくらい?」
「半分いかないくらい」
「マジか。オレ後15分くらいしたらそっち手伝えると思う。それまでちょっと頑張って」
「りょーかい、かとう。助かる」
2人の会話を背中に聞きながら俺は部室を出る。思わず寒さに身を縮めた俺の耳に、北風がラグビー部の野太い声を届けてくれた。
実を言うと音取りが終わっていた訳じゃなかった。
曲全体はさらい終わっていたが正直もう何回か通しで聴いて音の確認をしておきたかったのだ。
耳が音から離れると、また慣らすのに時間がかかるから中断はあまりしたくない。
だけど俺は、あの部屋の雰囲気が崩れることの方がずっとずっと嫌だった。
何処かモヤモヤとする感情にいつも通り気づかないふりをして俺は南校舎へと足を向けた。
*
あまり馴染みのない薄暗い廊下を1人進んでいく。南校舎の3階は特別教室が多く集まる場所だ。
オーケストラ部の活動場所である第2音楽室は書道室や美術室なんかと並んで位置していた。ドアの前にたどり着くと中から微かに楽器の音が聞こえてくる。
ノックをしてからずっしりと重いドアを少しだけ開けてみた。室内には弦楽器の存在感ある音色が沢山溢れている。流石は音楽室。防音機能はかなり高いらしい。
半ばどうでもいいことに感動しながら近くにいる生徒に「練習中、すみません」と声を掛ける。
「フォーク部の氷室です。新歓の発表について確認したい事があるので、部長さん……もしくは幹部の方を呼んで頂けますか」
「わかりました!少々お待ち下さい」
言うが速いかオケ部の部員は奥の部屋へ颯爽と消えていった。練習を中断させてしまいとても申し訳なく思う。
「あれ、そういえば、ひまりは?」
手持ち無沙汰なため入口近くでぼーっと突っ立っていると、近くでヴァイオリンの練習している女子生徒達の声が聞こえてきた。
「印刷室だと思う。今日新しい曲の楽譜が届いたって言ってたから」
「なるほど。……うちの部活って曲数多いから大変だよね。いつも有り難いわ〜」
チラリと声の方角へ視線を向けてみる。おさげの女子生徒がしみじみと頷きながら楽譜に手を伸ばしている所だった。
おさげ女子は楽譜をめくる動きを不自然に止めて「あれ?……もしかして」と声を上げる。
「印刷係って、今ひまり1人だけだったりする?」
「そうなのよ!」
隣のポニーテール女子がよくぞ気がついたとばかりに食い気味に答える。
「咲桜ちゃんが部活辞めちゃった時から、印刷、ひまり1人なの」
「やっぱそうだよね!?……うちら今からでも手伝いに行ったほうがいいんじゃ」
立ち上がりかけたおさげの彼女をポニテ女子が「待って、花暖」と引き止める。
「私もやるよって言ったのよ。言ったんだけどね」
「うん」
「『緑ちゃんHR委員もやってて大変でしょう?私は大丈夫。気遣ってくれてありがとう』って言われちゃった。大切な時間なんだから練習に使ってねって」
ポニテ女子の言葉におさげ女子が「ほわぁ」と息をつく。
「ほんと、ひまりって、天使だよね〜」
「ほんとにそう。あんなにいい子他に居ないよ」
2人組がほんわかとした雰囲気で練習に戻っていく。部外者の俺はというと、驚愕のあまり縫い付けられたかのように固まっていた。さっきの言葉が木霊する。
気遣ってくれてありがとう。
気遣ってくれて、ありがとう……?!?!そんな事をそんな風にポンと言える人間がいるのか。
気遣ってもらった時にはいつも申し訳ないなと思ってしまう。だから俺はごめんと謝る。
だが、天使さんは違うらしい。
ありがとうと相手に感謝を伝えるらしい。
そんな身の振り方があるなんて。
「すみません。お待たせしました」
「え、あ、いえ」
いつの間にか近くまで来てくれていたオケ部の部長に突然声をかけられた。俺は半ば上の空で書類の事項を確認してもらい、気づけばフォーク部の部室前に戻ってきていた。
会ったこともない人の行動1つにここまで衝撃を受ける奴がいるか……?
ここ数年感じた中で1番の衝撃、そして自分に対しての呆れの気持ちだった。
*
練習が終わり、楽器をケースに片しているとメンバーが声をかけてきてくれた。
「黒澤が飯行きてぇってさ、氷室もどうよ?」
「悪い。俺、早く帰らなきゃなんだ」
「またバイトか?」
「そんなとこ。ごめんだけど鍵よろしくな、加藤」
「おう」
部室を出ると丁度5時半のチャイムが鳴った。思ったよりも時間が無い。足早に下駄箱に向かう。
あ、加藤に誘ってくれてありがとうって言い忘れた。小さな後悔が胸に降り積もる。やっぱ、俺人間向いてないかもなぁ。
無意識に夕空に向かってため息をつくと、白い霞がふわりと舞って橙に溶けた。遠くで鴉のなく声がした。
*
いつもと変わらず、バイトに行って、帰ってきて、多忙な母さんの代わりに夕飯を作った。
なんだか手の込んだものを作る気にはなれなかったので無難にカレーにした。大鍋で作ったので明日の夕飯は今日の残りで凌げそうだ。
「宙〜!」
夕食後、皿を洗っている俺のもとにドタバタと妹がやって来た。手には何故かスマホを持っている。俺のスマホを。
「どーしたの、遥」
「あの〜、お願いがあるんだけど」
「なに」
「宙もさテルース始めてくれない?」
「てるーす……?」
「いつも私が話してるゲームだよ!!」
遥の言葉にあぁ、そう言えばそんな名前だったかとすぐ思い当たる。妹は中学の友達とともに始めた《 Tellus 》というオンラインゲームにハマっていた。
「今ピックアップされてるガチャが、ちょ〜可愛いの!」
ゲーム内ではガチャという制度があり低確率でレアなアイテムを入手できるそうだ。そしてガチャを引くには《Te》という鉱石アイテムが必要。
《 Te 》はコツコツプレイすれば貯められるらしいが1番手軽なのは現金と引き換えに入手する方法らしい。
つくづくとんでもねぇ商売だ。
ソシャゲとは本当に恐ろしい。
「今日が最終日でね。今日まで結構頑張ったんだけど欲しいS品が全然出なくて……」
妹が言うには今、ゲーム内のギルドに初心者を招待すると《 Te 》と現行ガチャのSレア品の交換券が貰えるというキャンペーンをやっているらしい。
要するに、俺に石とS品の贄になれと。
「宙、お願い〜。どうしてもこのガチャのアイテム欲しいの〜!今しかないの!!!」
ソシャゲに手を出すと聞いた時、俺は妹に家計が厳しいので課金は絶対しないという約束をさせた。ちゃんと遥はそれを守ってくれている。何度か泣く泣く欲しいアイテムのガチャを見送る姿も見て来ていた。
こうやって頼んでくるのは今回が初めてだ。相当そのアイテムとやらが欲しいのだろう。
「………わかった。洗い物終わったらな」
ため息混じりにそういうと、遥はパァッと顔を輝かせた。良いだろう。妹の笑顔の為なら贄にでも鴨にでもなってやろうではないか。
「宙、ありがと〜!先にインストールしとくから!」
兄として覚悟を決めた俺の横で妹は聞き捨てならないことを言い放った。そしてスキップ混じりにキッチンを出ていこうとする。
「ねぇ遥?」
「ん?」
「インストールしとくっ言ったって俺のスマホのパスワード分かんないでしょ?」
「え、分かるよ」
「なんで」
「宙の生まれた時の体重でしょ?」
いやだからなんで知ってんだよ……。プライベートも何もあったもんじゃない。家族とはいえ怖すぎる。
俺の絶望の沈黙をどう受け取ったのかは知らないけれど妹は笑みを更に深めて去っていった。
そして、何より怖いのは。遥なら良いかと思う自分が居ることだ。我ながら妹に甘すぎるなとつくづく思った。
*
洗い物を終え、布巾で手を拭きながらソファに居る妹の隣に座る。遥は慣れた手つきでインストールされたばかりのアプリを立ち上げた。
そして「はい!」っと笑顔でスマホを手渡してくる。
「私お風呂入ってくるから!」
「え?」
「その間に最初の方のチュートリアル進めといてよね〜」
「あぁ。そうゆう感じ」
ルンルンで洗面所へ消えていく妹を冷めた目で見送る。いつも通り扱いが雑だ。
《〜〜♪》
唐突に手元のスマホから音楽が流れはじめた。ケルト風でエキゾチックな旋律だ。うん、嫌いじゃない。
《 Tellus へ ようこそ 》
《 画面をタップして下さい 》
ホーム画面のようだった。スマホをタップすると長いロードが始まった。俺は、画面上に表示されている%表記の進行速度を確認し眉をひそめる。
妹よ、容量の多いゲームをインストールをするというのならここまでやっておいてくれ。
暫くスマホは使えなそうだった。俺はソファから立ち上がり、スマホとペットボトルを手に持つと自分の部屋へと歩き出す。
何を隠そう、我が家のお姫様の御入浴は恐ろしいほどに長いのだ。チュートリアルを終わらせて、更に課題をやる時間までたっぷりあることだろう。
*
「ふぅ」
化学のセミナーを区切りの良い所まで終わらせて一息つく。この調子でいけば次のテストは心配なさそうだ。
ふと思い出しスマホに手を伸ばす。ロック画面に22:28と表示された。まずい。まだチュートリアルをクリアしていない。妹に怒られてしまう。
慌ててアプリを起動する。
《 Tellus へ ようこそ 》
《 画面をタップして下さい 》
BGMと共にいつぞやぶりのタイトル画面が表示される。やっぱり音楽いいよなぁ。
《 プレイヤー名を入力して下さい 》
画面をタップすると設定画面に移行した。
プレイヤー名か。
決めあぐねて一度天井を仰ぐ。ゲームでいつも使う名前でいっか。そう結論づけて視線を手元に戻すと不意に化学の資料集のコラムが目に入った。
原子番号34番《 Se 》
―― セレンはギリシャ神話の月の女神《 Selene 》から命名されている。周期表上でひとつ下に位置する Te (地球を意味するTellusより命名) より後に発見され、性質がよく似ていたためである。――
何が凄いのかよく分からないけど、すげぇと思った。そういえば原子の名前にはラテン語が多く使われているんだったと今更のように思う。
月、自らでは輝けず太陽の光を反射して光る衛星。この地球上から月の裏側を見ることが出来る人はいない。本当の姿はこちらからは見えない。
なんとなくしっくりときた。
上手くは言えないけれど。
俺はなにかに導かれるように迷いなくその言葉を入力する。見慣れぬはずの三文字にこの上ない程の親しみを感じていた。
《 セレン で よろしいですか? 》
▶ はい
いいえ
お目通し感謝致します❦




