常夜の焦りと常日の思い
リオーチェは常夜の纏う陰の気が恐ろしくて声も出せない。リオーチェの中にいる常日がかわりに答えたが、声としては発せられない。リオーチェの中で響くだけだ。だが、常夜には聞こえたようだった。
<常夜・・私はまだこの人の身体から抜け出せない。‥力が充分ではないの>
<常日‥>
再び常夜はしっかりとリオーチェの身体を抱きしめる。恐ろしさに身体は硬直しているが、嫌悪感がざわざわと身体を這いのぼってくる。
また、ロレアントではない男に抱きしめられている。
また、抵抗もできずこの状態から抜け出せない。
リオーチェの胸はギリギリと絞られるように痛んだ。覚えず涙がぽろぽろと溢れてくる。恐ろしさで強ばる腕を何とかそろそろと動かす。常夜の腕に手をかけ、おそるおそるぐっと力を入れる。
常夜の身体はびくともしない。ランスに抱きすくめられた時よりも圧倒的な力を感じる。‥無力感はあの時の比ではなかった。それでもリオーチェはぐいぐいと腕を突っ張った。
常夜は顔を顰めてリオーチェを眺めた。
<常日、この人はまだ人の意識を保っているではないか。そんなことをしているから力が溜まらぬのだ。一気に魂を喰ってしまえ。そうすればお前の肉もすぐに生成される>
そういって昏く金色に輝く瞳でじいっとリオーチェの瞳を覗き込んだ。恐怖で再び身体が強ばる。本能的に目の前のモノが、自分にとって途轍もなく怖ろしく途轍もなく力を持っていることがわかる。
こわい。
死ぬ、のかも。
その怯えを感じとったのか、常日が常夜に言い返した。
<何の罪もない無垢な人の魂を勝手に食い荒らしていいわけがないわ。‥それでなくてもリオは私のせいでたくさん大切なものを失ったのに‥>
常夜はぞっとするような冷たい笑いを浮かべてリオーチェを‥その中にいる常日を睨みつけた。
<何の罪もない?お前の泉を穢し、お前を危うく消滅させる羽目に落とし込んだのは人ではないか。それは罪でなくて何なのだ>
<それはリオがやったことではないわ>
常夜はふいっと顔を反らして言った。
<人のしたことは人が償うべきだ>
リオーチェは、自分の中の常日が震えているような気がした。‥泣いているように思えたのだ。大丈夫だろうか、と涙を零しながらも気遣っていると頭の中で小さくありがとう、と聞こえてきた。そしてその後、大きな声がリオーチェの頭の中に響いてきた。
<‥じゃあ、私も償うべきね。リオの‥この人の大切なものを長きにわたって勝手に奪ってきた>
苛々した様子を隠しもせず、常夜は乱暴にリオーチェの身体を揺すぶった。がくがくと身体が震える。どうしようもできない自分が悔しくて涙が止まらない。
<常日!何を言っている、お前は悪くない、お前の身体を四散させた人が悪いのだ!>
<だからそれはこの子じゃない!この子がいなければ、私はとっくの昔に消滅していたのよ!>
<知るか!私はお前さえ戻ってくればいい!常日、常日、私をもう一人にするな‥>
常夜から黒い靄がどんどん広がっていき、リオーチェの身体を包み込んでいく。もう指一本たりとも動かせない。涙を流しながらうう、とリオーチェは呻いた。
<常日、お前を取り戻す。百年以上、私は待った。お前が戻ってきた以上、私はもう待たない>
身体の中に常夜の靄が入り込んでくるのがわかる。リオーチェの身体の中でもやは暴れまわり、身体を灼けつくような痛みを襲う。
<やめて!やめて常夜!何をするの、嫌よ!>
リオーチェの頭の中で必死に常日が叫ぶ。その時リオーチェの身体が白く輝きだした。そしてリオーチェの意識は薄れていく。
(あ‥気を、失う、かも‥)
リオーチェの身体はどんどん変化する。髪も白くふわふわと漂い、肌も余計に抜けるように白くなる。
<だめ、リオ!しっかりして、嫌!そんな、そんなつもりじゃなかったの、リオ!リオ!>
<余計なことを言うな!常日‥‥この百年あまり、お前は私と会いたくなかったのか?私ととこしえに生きてくれるのではなかったのか‥?>
<待って、待ってよ常夜、だめ、この子にこんなことしたくないの!>
リオーチェの身体の変化が止まり、再び髪が赤毛に戻ろうとする。それを見た常夜はぎりりと歯噛みした。
<嫌だ!私は、もう待たない!常日!>
ぐわっ!と一気に常夜の身体から漆黒の靄が広がり、大きくリオーチェの身体を包み込んだ。靄の繭のようなもので包まれ、その中で再び身体はどんどん白く輝いていく。
<リオ!リオ!>
ざざざざ、と空気を震わせていた常夜の陰の気が、ふっと途切れた。黒い繭がゆっくりとほどけていく。
その中に立っていたのは、リオーチェではなく真っ白な髪と肌、そして薄翅を備え青い瞳を輝かせる常日の姿だった。
常夜は微笑んで常日の身体をふわりと抱きしめた。常日は、リオーチェが流した涙をそのままにホロホロと涙を流している。
<と、常夜・・ダメって、嫌だって、あんなに、言ったの、に‥>
美しく澄んだ青い瞳から途切れなく涙がほろほろと落ちる。常夜はその頬を両手でそっと包んだ。
<常日‥永かった、ようやく会えた‥>
そして口づけようとしたが、常日がぐっと腕を伸ばした。そして常夜の身体を押して自分から遠ざける。驚いた常夜が茫然として常日の顔を見つめる。
<‥常日‥>
常夜は不満そうな様子を隠しもせず、やや乱暴に常日の身体を引き寄せ抱きしめた。
<なぜ人の心配ばかりする>
常日は常夜の不機嫌さに負けぬほどの不機嫌さで言い返した。
<人の生は短い。なのにこんな無茶をして、リオの身体に負担を強いるなんて、常夜でも許せないわ>
不満げな顔を常日の額にこすり付けながら常夜は呟いた。
<‥‥常日、なぜ百年ぶりに会った私のことより、この人の事ばかり気にするのだ>
常日ははっとして、うつむいた。涙はまだ止まらない。リオの心の表れのような気がしてつらかった。
<‥生まれてすぐの頃から、私はこの子からたくさん奪ってきてしまったの。‥この子は、とてもいい子だから周りの人にも好かれていて‥でもそれに自信が持てなかったの、私のせいで>
そんなことは自分には全く関係ない、と言わんばかりの不機嫌な顔をして常夜は常日の顔を見ている。常日は、少しだけ優しく微笑んで常夜の手を握った。
<‥常夜。会えて嬉しい。‥でも、私を欲しいならもう少し待ってほしい。この子‥リオの身体と心を奪うことは、私にはできない>
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