常日と常夜
常日はつかえながらも訥々と話し始めた。
ここは、ヘイデン領の森の奥深くであり昔はここに常日が住んでいた泉があったようだ。鏡のように澄み渡った美しい泉だったらしい。
ところが百年ほど前、ヘイデン家の者がこの森で狩りをしてその獲物をこの泉の水で洗ったという。この泉には触れるなと古来から地域では言い伝えられてきたが、そのものは耳を貸さなかった。
そのせいで清冽であった泉は穢され、常日は精霊体を保っていられなくなり一度その魂は四散した。
四散した魂は本来であればそのまま大気に溶けて消えてしまうはずだったが、常日の伴侶である常夜の精霊が四散した魂のかけらにとっさに力を込めた。そのおかげでかけらは形を保ったまま漂うことができた。
陽の気を好む精霊に守られながら、長い間常日は四散したかけらの状態で大気の中をさまよっていた。
このままでは消えてしまうかもしれない、となった時にリオーチェを見つけたのだという。
「‥そして私の中に入ったということ?」
<‥そう。リオの中は温かくて優しくて、眠るにはうってつけだったの‥>
「‥そう‥」
そしてリオーチェの中で眠ること五年余り、少しずつ意識を取り戻し始めた。陽の気を好む精霊たちは、いたずらにヘイデン家の者にリオーチェを大切にすれば呪いが解けると言ったそうだ。
「呪い?」
<常夜がとても怒っていたらしくて‥ヘイデン家に関わる人に身体の機能が欠落していくという呪いをかけていたみたい>
「ええ!?」
<でも、リオのおかげで私も少しずつ力をつけられたから‥リオがお世話になっているし恩返しだと思って一生懸命呪いを解いたの、時間はかかったけど‥>
「それはありがとうございます、よかった‥」
ほっとした表情を浮かべたリオーチェに、常日は少し微笑んだように感じた。
<やっぱりリオーチェは優しい。‥なのに私は‥>
また悲しそうな声になって泣き出しそうになる常日の気配を感じ、慌ててリオーチェは話の続きを促した。
「何をそんなに悲しんでいるの?」
ためらっている雰囲気はあったが、常日は決意を固めたようにして再び話し出した。
<リオの中にいるだけでは私は元に戻れない。元に戻るためには力を貯める必要があったの。‥‥だから、私は食べたの>
「何を?」
<‥‥リオの中にある、自分への自信を‥>
自信?自信を食べた?どういうことなのだろう?疑問ばかり頭の中に浮かぶリオーチェの様子に言葉を詰まらせた常日だったが、何とか話を続ける。
<リオ、自分にあまり自信を持っていなかったでしょう?‥多分、自分ではおかしいと思っていなかったと思うけど‥陽の気はそういういい感情を食べれば補充されるの。‥‥私は、リオが六歳くらいの頃から‥‥ずっとリオの自信を食べていたの>
自分に価値を見いだせない。
自分は特に誰かのために役に立ったことはない。
自分は特にこれといって秀でたものは持っていない。
ずっとそう思っていたのは、常日に自信を食べられていたからだというのか。
リオーチェはあまりの衝撃でしばらく何も考えられなかった。意識の空白を常日も感じたのか、申し訳なさそうに言葉を続けてくる。
<ごめんね‥色々、リオにはつらい気持ちにさせていたと思っているの。‥ごめんなさい>
そう言われて、ふっと気を取り直した。
今さら謝られてもリオーチェにはどうすることもできない。これまでの事はもはや仕方がないとするしかない。だが、これからの人生も自信を奪われていくのだろうか。
ロレアントの隣に立てない自分だと思って暮らしていくのだろうか。
「常日さん、‥これからも私の自信を食べるんですか」
<‥‥それは‥>
常日は口ごもって答えない。その答えこそが今一番リオーチェが欲しいものだというのに。リオーチェの苛立ちを体内で感じとったのか、常日は細い声で囁いてきた。
<‥‥私は、まだ完全には力を取り戻していないの‥リオの身体から抜けたらもう精霊体を維持できないと思う。今、リオと私は強く繋がっているから‥>
「‥‥どうすれば、常日さんは私から出ていけるんですか?」
<力がたまったら、出ていける>
「あとどのくらいの期間が必要なんですか?」
常日は急に黙った。リオーチェは強い口調で言った。
「常日さん!私にとっても大事なことなんです!」
<‥‥ごめん、リオ。‥私にもわからないの、あと三日か、三か月か、三年か、三十年か‥>
リオーチェは水の玉の中で思わず力を抜いた。平地であったなら足下から頽れていただろう。水の玉は柔らかく脱力したリオーチェの身体を包み込む。
「‥なんで‥」
なぜ、自分だったのだろう。自分以外の他の人ではだめだったのか。
‥いや、それではこの事態を他人に押しつけることになる。そんな考えはよくないことだ。これは私の生まれ持った運命だったのかもしれない。そう思ったとき、また常日が話しかけてきた。
<そうやって人を思いやるリオの中だったから‥これでも私は早く力を貯められたの>
「そうですか‥」
リオーチェは考えた。
人のいい感情を食べれば、力は溜まる。他の感情ではだめなのだろうか?その考えが伝わったらしく再び常日の声がする。
<確かに他の感情でもいいの。一番いいのは愛情ね。‥でも人の愛情を奪ってしまっては本当にその人を狂わせてしまうから‥>
確かに、色々な人への愛情を奪われてしまったら人生はとても味気ないものになってしまうだろう。
そこまで考えた時、森全体がざわざわとざわめき始めた。空気が重く大きく振動してきているような感じがする。水の玉の中でさえこうなのだから実際に外で触れていればもっと強く感じるのだろう。‥そう言えばなぜこの水の玉が出てきたのか。
「常日さんがこの水の玉を出したんですか?」
<‥ええ、リオが転移の衝撃で身体を傷めていたし‥元の住処の水が清冽な状態で少し残っていたからその分の力を使ってリオを包んでいるの。もう少しで傷はよくなるはずだけど‥この感じは‥>
それでなくとも鬱蒼と茂った木立に囲まれて薄暗かったのが、より暗さを増してきた。ざあああっと風が辺りを吹き薙いで行く。リオーチェを包んでいる水の玉の表面にもざわわっと波紋が揺れる。
そして目の前に旋風とともに何者かが出現した。
丈高く漆黒の衣に身を包んだ偉丈夫だ。身の周りはゆらゆらと揺らめく黒い靄で覆われている。その肌も浅黒く長い髪は漆黒で身体の周りを覆いゆらゆらと立ちのぼるようだった。身長は2メートルほどもあるだろうか。丈高さに加えこの者が纏っている空気は、辺りをびりびりと震わせ威圧するものをはらんでいた。
顔立ちは精悍な中にも美しさがあるがどこか人間離れしていて酷く冷たい印象を与える。その中でぎらぎらと輝く金の瞳だけが、この者の感情を表していた。
リオーチェの中で常日が呟いた。
<常夜‥‥>
漆黒の生き物は、リオーチェに目をやって金の目を瞬かせた。
<常日‥ようやく帰ってきたのか‥永かった、この百年あまり‥>
常夜と呼ばれた精霊はすーっとリオーチェに近寄ってきて水の玉ごと抱きしめようとした。その瞬間、ぱん、と水の玉が割れる。急に体を襲った重力にリオーチェは身体をぐらりとよろめかせたが、常夜はしっかりとリオーチェの身体を抱きしめた。
<常日、常日‥お前がいない日々は空虚だった‥ああ、なぜまだ人間の皮を纏っている?早く脱いでしまえ>
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