何とか対策を
もう一限目の授業は終わってしまっただろう。実は学院はかなり自由度の高いところなので出欠自体にとやかくは言われない。結局定期試験で求められる水準に達していればいい、という風潮があった。なのになぜ、リオーチェがロレアントを無理にも授業に放り込んでいるかと言えば、学院の講師たちに頼まれているからである。‥ロレアントがいれば受講率は上がるのだ。
リオーチェは身体に付いた葉っぱなどを払い落として自分の教室へと向かった。友人がノートを取ってくれていることを願う。リオーチェは天才でも秀才でもないので、一回授業を受けられなければその分理解は遅くなる。
自分の教室の前まで来た時、異様な雰囲気を察した。‥来ている。
「リオ」
ロレアントが手を上げた。にへら、と笑って近寄ってくる。あちらこちらからキリキリと苛立った視線がまとわりつくのがわかった。リオーチェは小さくため息をつきながらロレアントの近くまで行った。
「ロレアント様、どうされました?」
「ロレン」
愛称で呼んでいいのは婚約者か身内だけだと、あれだけ口を酸っぱくして説明しているのにロレアントは毎回愛称で呼べと訂正を要求してくる。この攻防はもう百回以上しているが、愛称なんて呼んだら最後、どのような嫌がらせが来るか想像もできないので千回でも説明する。
「私はロレアント様の家族でもなければ婚約者でもないので愛称でお呼びすることはできません」
「ロ・レ・ン!‥だから婚約しようってずっと言ってるのに」
出来るわけないでしょ莫迦。頭湧いてるのかしら。
絶対に口に出せない言葉を頭の中で叫びながら、懸命にリオーチェは微笑んだ。
「またご冗談ばかり。‥いかがされましたか」
「ハンカチ」
「‥は?」
「ハンカチ、なかったんだよね」
知らないよ。朝お前が導体車乗る時に私はポケットに入れてやったからね。
ロレアントにはファンが多いのでよく小物はなくなる。基本ぼんやりしているからロレアントから何かを盗むのは簡単だ。こっそり盗む‥というとかなり聞こえは悪いが拝借する輩が多いのだ。恐らくは今日のハンカチもその憂き目にあってしまったのだろう。
「そうですか。‥ご学友の方にお借りしたらいかがですか」
まあ、あの言い方!という囁きというには大きい声が聞こえる。何だよここで私がハンカチ貸したって、まあ図々しいとか言うくせに。
「リオの、借りたい」
はーーと息をついて、リオはポケットからハンカチを取り出した。よく転んだり汚れたりするロレアントのために二、三枚常備する癖がついているのだ。
「どうぞ。‥ではお戻りください」
「帰り道わかんないよ」
じゃあどうやってここまで来たのよ。‥解っている、二年生の教室行きたいんだけど、って言えばだれでも案内してくれたことだろう、不本意であっても。
「ここまでご一緒くださった方とお帰りになられたらいかがでしょう」
「リオと行きたい。‥ていうか帰りたい。僕もう授業出なくてもいいんだよね本当は」
知ってる。でも学院の講師陣が頼むから形だけでもいいから授業に出てほしいって土下座せんばかりの勢いでロレアントに頼み込んでいるのも、リオーチェにその片棒を担がせようとしているのも全部知っている。
「‥学院でしか得られない経験もあると思いますよ。‥ほら、もう時間になります。私は授業に出ないといけませんので」
「リオの勉強くらい僕が見てやれるのに」
今をときめく優秀な侯爵令息に家庭教師なんてしてもらえるわけがないだろう。頭の中でそう思いながらリオーチェは唇を吊り上げた。
「お気持ちだけいただいておきます。‥では失礼します」
「リオ」
呼ばれる声に聞こえないふりをして教室へ入る。友人が大変ね、と口パクで言ってきたのでありがとう、と返す。
この半年、リオーチェの学院生活はこんな感じでめちゃくちゃだった。
昼食時間になると、またひと騒ぎある。リオーチェは本当は家からお弁当を持参したいのだが、ロレアントが入学してからお弁当の無事が確保されなくなったので諦めている。仕方なく学院の食堂に行くのだが、そうするとどうしてもロレアントに遭遇する。ロレアントはそれがごく当然であるかのようにリオーチェを見つけると必ず隣に座る。リオーチェの意思などお構いなしだ。
「リオ、何食べるの」
「‥日替わりランチです」
「僕も」
そう言って一緒に並ぼうとするが、なぜかロレアントは生活面でかなり鈍くさい。魔法や実験、剣術などで扱う道具は危なげなく華麗に扱っているのに、カップ、皿、カトラリーなどを持って移動しようものなら高確率でひっくり返す。そういうロレアントの性質を知っているから、リオーチェは並ぼうとするロレアントを制して仕方なく自分一人で並ぶ。
だがそうすると、嫌がらせがやってくる。後ろから横から前から、無数の手や足が伸びてくる。ぶつかられたり踏まれたり引っかかれたり。食事自体はロレアントが食べることが確定しているからそこに手を出す者はいない。
ただ、執拗にリオーチェを狙ってくるのだ。
ボロボロになりながら二人分をトレーにのせてもらい、ロレアントのところへ持っていく。そして自分の分をもって去ろうとすれば、くんと袖を引かれる。
「どこ行くの、リオ。一緒に食べよう」
なぜこのようにロレアントがリオーチェに懐いているのか、リオーチェにもわからない。恐らくは小さい頃からの擦りこみなのだろう。さすがに学院に入って貴族子女に多く関わればそんなことはないだろうと踏んでいたのだが、このぼんやり令息の極度の面倒くさがりを失念していた。
新しい人間関係を築くことがどうやらかなり苦手らしいのだ。それは学院に入ってからわかったことだったので、リオーチェにとっては計算外だった。
相変わらず食事マナーそのものは素晴らしいのに、口の端に何かついていたり派手にものを落っことしたり水の入ったコップをひっくり返したりしているロレアントの傍で仕方なく世話をする。
周囲は少し遠巻きにしながら、それでもリオーチェの耳に入るくらいの大きさでひそひそと悪口を言っている。
「まあ、何様のつもりなのかしら」
「あんなにロレアント様のお側に近づいて‥馴れ馴れしい」
「図々しいんですわよ、ほら作法も知らない田舎貴族ですし」
「クラン家なんて聞いた事もありませんでしたわ」
えーそうですー、作法なんて知らなくても生きていける珍しいタイプの貴族ですー。
心の中でそう相槌を打ちながら、もはや無心で世話のみに集中する。自分の食事はその合間に口に放り込むという作業になっている。
「侍従に任せればいいものを、なぜあんな田舎者がしゃしゃり出てくるのかしら」
「侍従の存在をご存じないのではなくて?」
「お優しいロレアント様の心情に付け込んでいるんだわ」
侍従。
‥‥‥侍従!
そうだ、ロレアントには優秀な侍従がいるではないか。なぜか学院にだけはついてこないが、ロレアントに勝るとも劣らないほどの美貌を持った優秀な侍従が!
思わず作業の手を止めてリオーチェは考えた。なぜあの侍従は学院にだけついてこないのだろう。辺境伯以上の貴族には侍従がついていることは当たり前だ。侍従用の控室が設置されているくらいである。しかもロレアントの立場ならどんな無理でも学院に聞いてもらえるはずだ!
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