血の池
ホラーってむずかしいね
午後十一時を過ぎた曇天の下で男は歩いていた。
「今日も残業だった……」
まだ会社員二年目の彼にとって社畜には染まりきれていないことは幸せなのだろうか。心を無にして仕事をし、電車に揺られ、歩いて帰路につく。決まりきったルーティーン。そして明日も、明後日も、明明後日も、来週も、来月だって同じように過ごすのだろう。
ただ。
変化はいつだって唐突に訪れるものである。
「あれ、道間違えたかな……」
彼はいつもの道を通っていると思っていたが、いつの間にか記憶にない場所にいた。いつもならこの時間帯でもいくつかコンビニがやっていたはずである。それがなく、街灯の明かりしかない。
ジジジジジ……
「ん?」
どこからか蝉の声のような音が聞こえる。さっきまでは普通に聞こえていたが、新しく、そしてなぜか妙に聞こえた。彼はなぜか引き寄せられるように腕時計を見て……
「うわっ……故障か……?」
異常にグルグルと回る時計の針を見た。
「まったく、金あんまりねえんだ……ぞ?」
そこで異常に気づく。時計の針が逆向きに回りだしたのだ。いや、刻一刻と速さも、向きも変わり続ける。
「ええ……?」
彼の困惑した思いに反応したのか、今度はキッパリ止まった。
「電池切れ……いや、「パリーン!」うわっ!?」
彼をおちょくるかのように今度は時計の硝子が割れた。結構高かった時計。しかし、悲しむよりも先に、ここまで来ればなにか尋常ではないことが起きているだろうことは用意に想像できた。
「……いや、普通硝子がなにもしてないのに割れるわけない、よな……?」
と、そこで背筋に冷たいものが走る。後ろにナニかいる気がする、振り向いてはいけない気がする。だが、振り向かなければなにが起きているのかはわからない。そこでゆっくり顔を後ろに動かし……
目の前にはなにもいなかった。
「はぁぁぁぁぁぁ、そうだよな、なにもいるわけな……」
そういいながら顔をもとに戻したとき、目の前には人形が落ちていた。
「怖ぁ……なんで人形……?」
それに近づいてまじまじと見つめ、気づいた。その人形は髪が引きちぎられていた。右腕がなかった。左目がなかった。そして……血がついていた。
「血……?」
それに気づき拾い上げた彼はすぐさま後ろを振り返った。しかしなにもいない。ただ、持った瞬間誰かの視線を感じた。普段なら多少怖がるだけで済んでいただろう。ただ、時計がおかしく回りだし、硝子が割れたことも相まって心臓の鼓動はすでに速くなっていた。どうしようもない不安に襲われる。そして思い出す。そうだ、そもそも場所がわからなかったのだ。スマホで確認しなければ……。
そうして鞄から取り出し、電源のボタンを押し、地図アプリを開いて現在地を確認する。
「ああー、これは迷ったんだな?いつもの道とかなりずれてる……」
はあ、ついてないなと溜め息をする彼。時計どうしようかなと思いながら来た道を引き返しだした。
十分くらいしただろうか。そこでおかしいことに気づく。地図のアプリではもういつもの道のはずなのに、なぜか見覚えがない。
「ええ……?さて、どうしたものか……」
とそこでヌルヌルとした感触が手に走る。
「んえっ?」
スマホを持つ右手ではなく、捨てたはずの人形を持つ右手。その人形の口から赤い液体が出ていた。
「うわっ、キモ……あー勘違いか、捨てたと思ってたけどずっと持ってたのか、じゃあ捨てよ」
ポイッと。道の真ん中に放り投げた。
「気持ち悪いなぁ……ハンカチ、ハンカチっと……」
ごぽり。
「ああ、あった……うえっ、ネバネバしてる……帰ったら洗わなきゃな……」
ごぽり。ごぽり。
「さて、地図、地図っと……んー?やっぱりもういつもの道のはず……なんでぇ?」
ごぽりごぽり、ゴポゴポ、グジュグジュ……
「なんだこの音?」
そうして人形を捨てたほうを見るとそこには赤い液体が広がって、泡立っていた。どう見ても人形から出た量とは思えないほどの量。あまりの不気味さに思わず後退りをして……
赤い水溜まりが形を作り始めた。
「う、う、うわあああああっ!?」
思わず彼は全力で走り出す。どうしても生理的嫌悪感が無くならない。気持ち悪い、早く逃げなければ。
ふと、走りながら後ろを振り替える。
そこには、ニンゲンの出来損ないのような塊がこちらに向かって走り出していた。
(なにあれ!?キモいキモいキモいキモいキモいッ!)
必死に走る彼。捕まったら死ぬ、なぜだかそう思い、そしてそれが真実であるように感じた。身の危険を感じたとき、人は潜在能力を引き出せる。幸い、そこまで速くなかったので、すぐにそれは見えなくなった。それでもずっと見られている気がし続ける。だから、走る、走る、走る……そして。
いつの間にか見慣れた道に戻っていた。
「はあ、はあ、まいたか……?」
もう化け物はいない。その事が彼を安堵させる。これならあと少しで家に着く。
「なんだったんだよ……」
そしていつものように家に着く。それはいつものことだが、寝たときだけは違った。
「アハハハハハ!アハハハハハ!」
「なんなんだよもう!さっきからなんなんだお前は!」
地獄のような景色の中、血のように赤い液体でいっぱいの池から何体も何体も人形のどろどろしたものが這い出てくる。そしていつまでも彼を追いかける。そして彼に纏わりつき、彼は息ができなくなり……
ピピ、ピピ、ピピ
アラームがなった。悪夢は終わった。ただ、怪物に襲われる悪夢だけは終わらない。それからずっと彼は人形の液体に追いかけられることになる。
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