第八話
展開が微妙です。
オマージュネタは減りましたが、またしばらくすると調子に乗って書きまくるようになります。
第八話
『君は自分の意見を決めるべきだ』
僕は心の中の“僕”に問い掛けられる。
僕の周りにたくさんの“僕”がいた。彼らは全部が全部“僕”。色々な思考回路の“僕”。
僕は皆に非難される。僕が意見を一つにまとめないから、こんなにも沢山の“僕”に責められる。
『君はどうしたいの?』
“僕”が僕に尋ねてくる。そう、それは彼女のことだ。
「僕は……」
『彼女のことを遠ざけたり、認めたり……君は自分の中でころころすぐに意見を変えて、こんなにも沢山の“僕”を生み出してしまった』
『こんなにたくさんいたら、どうすればいいか迷ってしまうよ!』
『収拾がつかないじゃないか!』
“僕”達はそう一斉に非難する。
僕が思った考えの数だけ“僕”が存在する。すぐに意見を変えることは“僕”を無駄に生み出してしまうことを意味する。それはそれだけ心を分裂させ、心の力を弱めてしまうことに繋がる。
「だって、彼女は……」
『だって? 君は一度彼女のことを否定したはずだ。なのになんでまた突然認めるなんて言い出したんだい?』
『過去と照らし合わせたって、そこに彼女はいない。だからもしいたらなんて考えたって意味がないよ』
「それは……そうだけど……。でも彼女は僕を助けてくれた。だから僕は今ここにいるんじゃないか!」
そう、もし彼女がいなかったら僕は最初のカードに出会った時点でHASを発症して人間としての一生を終えていたはずである。
『そうれがどうしたんだい? 彼女は人間を助ける使命を帯びていて、その使命に従って人間を助けただけで、『僕』を助けたわけじゃない』
「それは……」
『それは人間であれば誰でも同じだったんだ』
『僕である必要はないよ』
『僕じゃなくてコウが襲われていたら、今ごろ彼女はコウの家に居候してたかもね』
あはははは、と僕を嘲笑う声が響く。
“僕”達が言っていることは間違っていない。そう、彼女は別に僕である必要はなかったのだ。
人間であれば誰でもいい。住処と心さえ提供すれば誰だっていいのだ。
「それはそうだけど……!」
『だけど? 心を閉ざしてしまえば今すぐにも彼女は僕の家を出ていくんじゃないかな? 要領のいいアリシアだもの。すぐに代わりの相手を見つけると思うよ』
「だけど……だけどだけどだけど……!」
言葉が見つからなかった。
アリシアは別に誰だってよかった。それは僕である必要はないのだ。
そんなことは少し考えれば誰にでもわかることだ。思い出せ。最初、彼女は人間である僕を頼ることを嫌がってカード退治に必須なムーティエンを使うことすらしなかったではないか。
「でも、あの時彼女は言ったじゃないか! アリシアにとっての僕は何なのか……答えは出たって!」
『そんなの簡単でしょ?』
“僕”達は優しく、そして残酷にその“答”を言う。
『アリシアにとっての僕は……ただの武器だよ』
「ぶ……き……?」
『そう。モノと同じ扱い。どうせそんなふうにしか思っていない。だから彼女のことを認める必要なんてないんだよ』
「そんな……」
僕のことをただの武器としか思っていない。それはとてつもなくやるせない考えだった。
『決別するんだ。もう、馴れ合いなんか必要ない』
この一言は僕の心の奥深くに突き刺さった。そして、傷口を広げるかのようにぐりぐりとねじ込まれていく。
『ほっといてよ』
『どうせただの武器だ』
『友達としてなんか見ていない』
『人なんて彼女にとっては道具だ』
『道具、そう道具』
『僕はモノなんかじゃない』
『使い捨ての道具なんかじゃないんだ』
心の中をいくつもの言葉が埋め尽くしていく。
『さあ、目覚めよう』
“僕”達の意識が薄れていく。
そう、それは目覚め。現実世界への帰還。
心との対話は終わった。もう、これ以上考える必要なんかない。
僕は流されるままに意識を任せた。薄れつつある感覚を感じ、そして言葉の刺を受け続けながら……。
ゆっくりと目を開く。
見覚えのある天井。白い光。
そこは僕の部屋だった。
体を少し動かしてみる。まだ若干体の節々が痛むが、なんとか動かせそうだった。
起き上がってみると、すぐ隣の椅子に誰かが座っていることに気づいた。
そこにいたのはアリシア。彼女には珍しく、目を閉じて眠っている。
僕は彼女を起こさないように起き上がる。そして、黙って部屋を後にした。
台所に向かい、冷蔵庫を開いた。中に入っていたインスタントコーヒーを取り出し、牛乳と一緒にコップへと注ぎこむ。
「ん……」
口の中に苦味が広がる。それは少しだけ、甘味を残して薄れていく。
ようやく頭がはっきりしてくる。この家まで誰が運んでくれたのだろうか。
「お、起きたのか?」
聞き覚えのある声。いつの間に上がりこんだのか、リビングにはコウがいた。
「びっくりしたぜ? 散歩してたらいきなりアリシアちゃんが泣きながら走ってきてな。話を聞いたら、お前が倒れたっていうじゃねえか。ここまで運んでくるのは結構骨だったぜ?」
彼の話によると、コウがこの家まで運んでくれたようだ。冷蔵庫にコーヒーと牛乳をしまうと、彼の隣に腰かける。
「アリシアちゃんは?」
「今寝てるよ」
「後で礼言っておけよ? 付きっきりでずっとお前の側にいたんだぜ?」
時計を見上げる。時刻は午後10時。かなりの時間が経過していた。
「さて、俺は帰るかな。お前が起きたのを見届けたし、大丈夫そうだからな」
「ありがと、コウ」
「俺じゃねえ、アリシアちゃんに礼を言っとけ。じゃあ、また明日学校でな」
彼はそれだけ言い残すと、僕の家から出ていった。
こんなに遅い時間までいたのだ。心配していてくれたのだろう。
口ではぶっきらぼうな言い方だったが、そんな気遣いに心が温まる。
「ユウタロウ!? ユウタロウ! どこ行ったの!」
ふと、部屋の方からアリシアの声が聞こえてくる。起きたのだろう。
勢いよくドアが開き、アリシアが駆け込んでくる。
「ユウタロウ……よかった、無事だったのね……」
彼女は涙をこぼしながら僕に抱きついてくる。小さな腕で無理やり僕を抱きしめると、そのまま小さく震えながら声を漏らして泣いていた。
そんなアリシアに、彼女のことを否定する言葉をどうしてかけられるだろうか。“僕”達が言っていた言葉が少しずつ影を薄くしていく。
「もう起きないかと思った……。凄く……心配した」
「アリシア……」
でも、言わなければならない。そう、これはただモノに対する愛着のようなもの。壊れたらまた新しいモノを見つければいいだけ。壊れたら壊れたで一通り嘆いた後、すぐに僕のことを忘れて新しい相手を探すのだろう。
「出ていってくれ」
「……え?」
彼女はすっ頓狂な声を出して僕の顔を見上げる。
「今……なんて……?」
「だから、出ていってほしいんだ」
「な、なんで!?」
彼女の顔が悲しそうに歪む。そんな表情で見つめられることが辛かった。
「邪魔……だからだよ」
「わ、私のことが嫌いなの!?」
「そうだよ。そんなに何度も言いたくない。出ていってほしいんだ」
アリシアはゆっくり手を離すと、そのまま数歩後ろに下がった。
「なんで……わ、私、何かしちゃったかな!? あ、今日いっぱい荷物持たせちゃったね……。ごめん……」
「そんなことじゃない。もう、疲れたんだよ。君との生活にね……」
「……そんな」
表情が絶望へと変わっていく。自分のモノに拒否の言葉を突き付けられたのだ。だが、所詮はモノ扱い。すぐに納得するような表情へと変わる。
「わかった……出ていく」
それだけ言うと、彼女は背中を向けた。そして、コウと同じように玄関から出ていく。
後には僕が一人だけ残された。僕はソファに身を沈めると、コップに半分残ったコーヒーを口に含む。
それは苦味と甘味、そしてさっきは感じなかったわずかな酸味を僕に感じさせた。それは後悔の念だろうか。
「これで……これでいいんだ……」
僕は呪文のように繰り返す。
心に従ったというのに、不思議と感じる不快感。これは一体なんなのだろうか。
そんなすっぱいコーヒーを飲みながら、僕はゆっくりと意識を閉ざしていく。僕はソファに体を預けたまま、眠ってしまった。
次の日、体の痛みはほとんどなかった。
久しぶりに一人で登校する。すぐ隣を冷たい風が吹き抜けていった。
「いよう」
コウが十字路で現れる。最初は親愛の情を込めた表情を浮かべていたが、すぐに疑問へと表情が変わる。
「あれ、アリシアちゃんは?」
「今日は……いや、今日からいない。出ていった」
正確には追い出した、だ。こうとしか言えない自分に腹が立つ。
「はぁ? 昨日何があったんだよ?」
「もういいでしょ。僕はなんだか疲れてるんだ。もうほっといてよ」
そう言って僕は一人また歩き出す。彼はあっけに取られたような表情を浮かべてそこに立ちつくす。
「お、おい!?」
「ごめん。トモミ達には謝っといて。先に行く」
唖然とするコウを残して僕は歩みを進める。
「何が……何があったんだ?」
コウは一人呟いていた。だがコウなんかに構っていられるほど僕は精神的に余裕がなかった。
また一人になった。
再びすぐ横を冷たい風が吹き抜ける。
その風は、まるで一人で歩いてる僕を責めるように、骨身を凍えさせていった。
どこまでも青空が広がる。雲一つないそれはとても空虚で、どこまでいっても視界を遮るものはなかった。まるで、今の僕の心のように虚ろだ。
そう、僕の心は今氷のように冷え切っている。それはそう簡単には融かすことはできないのだろう。
友達だと思って接してきたアリシア。だが、彼女の僕に対する意識はそれとは違っていた。
その裏切りに、僕の心は限界まで冷たくなった。今はもう、誰かに裏切られることが怖い。だから、誰とも話したくない。
すぐに学校が見えてくる。昇降口から上がり、靴を上履きに履きかえる。
階段を上がり、教室へと向かう。当然のことながら、アリシアの姿はなかった。
僕は自分の席につくと、ぼんやりとしたまま何も書かれていない黒板を見つめる。
しばらくすると、コウがトモミ達と一緒に教室に入ってきた。トモミは僕に声をかけようとしたが、どう声をかければいいのかわからないようで、しばらく僕の席の前に立ちつくしていた。
「お、おはよう」
彼女は少し遠慮がちに言った。僕はそれに、うんとだけ答えた。
「あ、アリシアちゃん、いなくなっちゃったんだってね。何かあったの……?」
「別に……」
今はその話を聞きたくなかった。その様子を察したのか、彼女の方から話を逸らしてくれる。
「いい天気だね」
「うん……」
春だと思えないほど冷え切った空。まるで氷のように透き通り、どこまでも広がっている。
窓から冷たい風が入り込んでくる。それは僕達を隔てるようにトモミと僕の間を抜けて行った。
「先生、来ちゃうから戻るね」
そう短く言うと、彼女は席へと戻る。そんなトモミにリオナは何か話し掛けていたが、すぐに表情を曇らせると席に座った。
やがて担任の先生が教室に入ってくる。無味簡素な連絡事項を伝えると、アリシアがいないことに気付いたのか、少し不思議そうな声をあげた。
「アリシア君はいないのか」
それはちょっとだけ嬉しそうな声だった。確かに勉強はできるが、かなり手のかかる相手だ。いなければそれだけ先生達も楽なのだろう。
持っていた帳簿にチェックをつけると、そのまま先生は教室を後にした。すぐに喧騒が教室を包み込む。だが、そんな喧騒から切り離されたように僕は一人席に座っていた。
昼休みになった。僕は購買でパンを買うと、一人で屋上へと向かった。
今日は春とは思えないほど風が冷たく、強い。他の生徒は誰一人いなかった。
ベンチに腰をかけると、サンドイッチを頬張る。ドレッシングの強い酸味と塩味が口の中いっぱいに広がる。
「はぁ……」
今日は確かに疲れない。だって、いつも騒ぎ回って僕を困らせる彼女がいないからだ。
だが、それと同時に少しだけ寂しさもあった。
「間違っていない。僕はこれでよかったんだ」
呪文のようにまた唱える。それで少しは不快感も収まった。
サンドイッチを食べ終わると、僕はベンチにあおむけになって倒れこんだ。
目の前に青空が広がっている。
強い風が吹き抜ける。心まで冷え込んだ僕にとっては、そんな風でも心地がよかった。
「ユウタロウ、いるね?」
そのとき、僕のすぐそばで声がかかる。僕は視線をドアの方へと向けた。
そこにはリオナが一人で立っていた。彼女は少し遠慮がちに視線を伏せながら、僕の方へと歩いてくる。
「アリシアとの間に何があったね」
彼女は戸惑うこともなく僕に尋ねた。それは強い口調。ごまかすこともできそうになかったので、僕は正直に言った。
「疲れたんだ。常識外れのアリシアを相手にしながら暮らしていくのがね……」
「そうなのね……」
彼女はそうとだけ小さく言うと、僕の隣に座った。
「いい気味なのね。アリシアも人に迷惑をかけるとどうなるかわかったのね」
リオナはカラカラと笑う。だが、それは上辺だけの笑い声。表情を見ればそれはわかる。暗く沈み込んだ顔。本気ではそう思っていないのだろう。
「でも、ちょっと寂しいのね」
彼女はすぐに本音を漏らす。僕はそんな彼女の言葉を聞きながら黙っていた。
「いい競争相手だったね。でも、所詮私の敵じゃないね」
その声はとても得意気だった。だが、表情はやはり暗く沈んでいる。
「ウォーミングアップにはちょうどよかったね」
虚空に溶け込むように彼女の声は消えていく。
しばらくの間彼女は黙っていたが、やがて立ち上がると僕の前に立った。
「先に謝っておくね。ごめんなのね」
「……え?」
彼女の手の中で光が輝く。それはすぐに魔導書を形成する。
リオナの周囲に文字を浮かび上がる。
僕の寝ていたベンチが吹き飛ぶ。爆発と振動に煽られ一度僕の体は宙を舞った後、固い屋上へと叩きつけられる。
「いたた……」
「馬鹿ユウタロウ、なんでアリシアを追い出したね」
「い、言ったでしょ。疲れたからだって」
僕は起き上がって煤を払う。威力を抑えたのか、爆発の方はほとんど痛くなく、むしろ体を叩きつけられて痛い。
「自分勝手ね」
「自分勝手なのはどっちさ。いきなりやってきて、いきなり住みついて……」
「でも、ユウタロウは自分勝手ね。まるでユウタロウじゃないみたいなのね」
容赦なく次の攻撃が続く。爆風に吹き飛ばされた僕の体は壁に叩きつけられる。
「迷惑なんだよ。僕が日に日に疲れていったの、すぐにわかったでしょ?」
「でも、トモミは大丈夫だったね。私が迷惑をかけてもすぐに笑って許したね」
「僕はトモミじゃない」
再び爆風に包まれる。ごろごろと床を転がっていき、再び壁へと叩きつけられる。
「リオナ!」
そのとき、トモミが現れる。トモミはリオナに飛びつくと、魔導書を奪い取ろうともがいた。
「何してるの!?」
「トモミ、離すね。ユウタロウに一発お見舞いしないと落ち着かないね」
「もう十分でしょ!? やめて!」
リオナの手から魔導書が引きはがされる。それはトモミの手の中に収まると、光へと還っていった。
「確かに私達は迷惑かもしれないね! でも、私達にも感情ってものはあるね! いきなり追い出されれば傷付くね!」
「じゃあ、僕は疲れなきゃいけないの? そんな君達に振り回されて、どれだけ僕達人間が苦労したと思ってるの?」
「それは……」
リオナの強い語気が失われていく。そう、どうせ自分のことしか考えていない。人間は自分達以下。彼女もその程度にしか考えていないのだ。だから、平気でこんなことが言える。
僕はふらふらと体を揺らしながら立ち上がる。
「もう付きまとわないでよ。あれだけ僕をふっ飛ばして気が済んだでしょ?」
「ユウタロウは……ユウタロウはそんな人間じゃなかったね! 何があったのね!?」
「僕はそんなに心の広い人間じゃない。生活領域をここまで侵されれば僕だって怒る」
それだけ言うと、僕は二人に背中を向ける。
「ユウタロウなんて大っ嫌いね!」
その言葉は僕の体を突き抜けていく。だが、すでに自分自身の言葉で穴だらけになった僕の心に、もう刺が刺さる余地はない。
僕は屋上を後にする。その後を追ってくる者は誰もいなかった。
僕は一人で帰宅の途についていた。
僕の周りにはもう誰もいない。これでもう、裏切られることもない。
「また一人なのね、くすくす」
そのとき、上の方から声がかかる。
僕は首を上に向けた。空には黒い羽をたたえたレルフィムがいた。
彼女はゆっくりと降りてくる。そして、僕の首に手を回した。
「今日こそあなたをいただいちゃおうかしら」
「……」
僕はそのまま彼女を置いて歩き続ける。もう、ユジューには関わりたくなかった。
彼女はあっけに取られたような表情を浮かべる。
「怖くないのかしら?」
「別に。でも、うっとおしい」
「あらあら、怖いわね」
彼女は妖艶な笑みを浮かべて僕の隣を歩く。
「今のあなたの心は穴だらけ。そんなあなたに苦痛を与えても、それを苦痛とすら感じることはなさそうね」
彼女は残念そうにそう言うと、僕の隣を歩いた。
「それじゃあ面白くないわ。そもそも、今のあなたの心は冷たくなって、もう何の味もしない。そんなあなたを食べても美味しくないわ」
「ふーん。それで君はどうするの?」
「そうね。あなたをそんな風にした相手をちょっと痛い目に合わせてこようかしら。せっかくの私の新しい楽しみを台無しにした子にはちょっとお仕置きが必要ね」
彼女は羽を羽ばたかせると、空中へと浮かび上がる。
「またね。心が温かくなったら、また遊びましょう」
そう言い残して彼女はどこかへと飛んでいく。僕はまた独りぼっちになった。だが、今はその方が心地いい。
やがて僕は家に到着する。鍵を開けて中に入った。
鞄を置いて、僕はため息をつく。ようやく一人だけの時間を得ることができた。もう、この時間を邪魔されることはない。
ふと、僕はアリシアが使っていた部屋がどうなっていたか気になった。僕は荷物を置いて彼女が使っていた客室へと向かう。
扉の前に立って、思わず昨日の朝のことを思い出す。
彼女が起きてこなかった朝。彼女の寝ていたベッド。真っ暗な部屋。触れようと思えば触れることのできた肢体……。
「何考えてるんだ、僕は……。彼女は人間じゃないじゃないか。どんなに可愛くたって……そんなの関係ない。それに、彼女は僕のことを同等に扱ってないじゃないか」
僕は臆することなくドアを開く。
「うわっ!?」
部屋の中に入ってすぐ、僕は何かにひっかかって倒れる。足元に感じる絡まった布のような何か。そして、倒れこんだ床の上の柔らかい感触。
「……?」
部屋はカーテンが閉まっていて暗い。僕は部屋の電気をつけた。
「うわ……な、なんだ?」
僕は客室を見て唖然とした。
散らばった何着ものドレス、ワンピース、ブラウス、スカートなどの衣服……。脱ぎ散らされた、という表現が正しいのだろうか。
古今東西、実に様々な種類の服が散らばっている。いつの間に用意したのか、大きな姿見まであった。
「一体何がどうして……」
彼女はこんなにもたくさんの服を持っていたのだろうか。いや、今までいつものドレス以外見たことがない。となると、これは全て今日の朝取り寄せたものなのだろうか。
「ん……?」
ふと、僕はサイドテーブルに何か書き置きのようなものを見つける。
服の合間を縫って歩き、なんとかサイドテーブルにたどり着くと、その紙を拾い上げてみる。
「これは……?」
不思議な文字と、可愛らしいケーキやお菓子の絵がたくさん書き込まれていた。文字の方は読めそうにないが、絵の方はかなり写実的に描かれているためすぐにわかる。これはユジューの文字だろうか。
中には僕とアリシアらしき人物が手を繋いで歩いている絵もあった。これは一体何なんだろうか。
「アリシアは……今日のことを楽しみにしていた?」
他に何枚も散らばっている紙を拾い上げる。そこにはたくさんの絵が描き込まれてあった。
美味しそうなお菓子を食べる僕とアリシア。景色を眺める僕とアリシア。座って話をする僕とアリシア。他にもリオナやトモミがいる絵もあった。だが、絵の中の僕は常にアリシアと一緒だった。
この絵は一体何なのだろうか。僕のことをただの武器と思っていたなら、ここまでたくさんの絵が生まれる理由がわからない。アリシアの考えていることが……わからない。
『これは……』
心の中の“僕”達も動揺し始める。
こんなことは想定外のことだ。意味がわからない。
『やっぱり僕はただの武器じゃなかったんだ!』
“僕”の中の一人が声を上げる。それは徐々に波紋を広げていき、まるで池に一石を投じたかのようになっていた。
『僕は……僕は一人の友達として見られていたんだ!』
彼は大声を張り上げる。次々に武器派だった“僕”達に衝撃が走り、そして影を潜めていく。僕の心の穴を彼らは自らが土壌となることで埋まっていく。これは、アリシアに酷いことを言ってしまった贖罪のつもりだろうか。
気付くと、“僕”は一人になっていた。今まで反対派だった僕達は当にいない。それどころか、どういうわけか心の中がぽかぽかと温かい感じがする。
「この気持ちは……一体何?」
『これは……人の温もり、だよ』
心の中の僕が答える。それに僕は聞き返した。
「誰の……」
『決まってるじゃないか。アリシアの、だよ』
「アリシアの……?」
たくさんの絵に描き込まれた彼女の感情。それは絵から流れ込むように伝わってくる。
『今、やっとアリシアのことが僕にもわかったよ。彼女は……きっと寂しかったんだよ』
「寂しい……?」
『今まできっと一人だったんじゃないかな。だからあんなにも高潔で、それでいて幼くて……。人間の世界に来て、人の温かさを知って、初めて自分が孤独だったことに気付いたんじゃないかな?』
「それで……僕に構ってほしくてあんなことを……?」
“僕”はゆっくりと頷いた。
さっきまでの僕には理解できないだろう。あんなにもたくさんの心の闇が僕の心を支配していたのだから。でも、今それはこのたくさんの絵という光によって打ち消された。
「僕、とても酷いことを言ってしまった……」
『迎えにいってあげようよ。きっと、彼女も待っているはずだよ?』
僕はその言葉に答えることもなく家を飛び出した。
認めたり、疑ったり、忙しい主人公です。
やっぱりコメントは付きませんでした。