第五話
ファンタジーなのかラブコメなのかわかりません。
他作品のオマージュ(という名のパクリ)も今後出てくると思います。
そのとき僕がハマっていた作品が小説に影響される場合がほとんどです。
そんなオマージュネタを探しながら読むのもまた一興かもしれません。
第五話
翌朝、早朝午前4時。
そのとき、僕は目覚めた。
ほのかに見える朝の太陽。未だ天上に星々が彩られている。
こんな朝早くになぜ目が覚めたかはわからない。
「……!」
やはり、いる。
今日も“ヤツ”が僕のことを狙っている。
“ヤツ”はゆっくりと僕の様子を窺いながら背を屈める。
僕はゆっくりと起き上がると、いつでも動ける体制を取ながら少しずつ距離を取る。
「はぁ……はぁ……」
“ヤツ”は荒い息を吐きながら体を揺らす。その息は空腹の証。獲物を求めて僕を狙っている。
電灯の明かりへと手を伸ばす。だが、電気を付ける紐があるべき場所へと手が届いたとき、“ヤツ”は動いた。
「ッ!」
僕は床を転がって攻撃を回避する。そして、急いで扉の方へと走る。部屋から出さえすればこちらのものだ。
すぐ後ろを爪が空をかく。もう少し走り出すのが遅ければどうなっていたことか。それを想像して僕は背筋が寒くなるのを感じる。
扉のノブへと手が届く。素早く、それでいて確実にドアノブを捻ると扉を押した。ドアは音もなく開く。
部屋から飛び出ると、僕は後ろ手に扉を閉じて台所へと向かう。“ヤツ”を鎮めるためにはそれしかない。
後ろから荒い鼻息が聞こえる。“ヤツ”も僕を追って部屋を飛び出してきた。
あとは時間との勝負。僕が台所へと到着するのが先か、“ヤツ”が僕を叩き伏せるのが先か。
階段を飛ぶように駆け降り、台所への扉を開く。そして戸棚へと手を伸ばし、それを引っ張り出すと後ろに放り投げた。
がちん、という恐ろしい音がする。“ヤツ”がそれを噛み砕いたときの歯の音だろう。一歩間違えれば僕が同じように食われていたのだと思うと、脂汗が額に浮かぶ。
「もういいかい?」
「もぐ……むしゃむしゃ……はぐ……ん?」
僕は落ち着いて電気を付ける。そこにはあんパンを貪り食らうアリシアの姿があった。
「僕の夢を食べに部屋まで押しかけないでもらえるかな?」
「し、仕方ないじゃない! お腹が空くんだから……」
彼女はうつむいてあんパンをしゃぶるように食べる。
アリシアがこうして毎朝のように僕の部屋を訪れるおかげで、朝の運動とエサやりが日課となってしまった。正直、こんなに早い時間に起きても特にすることはない。
「寝る前にあんパン一個あげてるんだから、それで我慢してよ」
「我慢できるわけないじゃない! たった一個じゃないの!」
「あんパン代が日にいくらかかるか知ってる?」
「は、半分は出してるじゃないの」
「全部出してよ! まったくもう……」
僕は大きなため息をつく。
彼女はあんパンを食べ終わったようで、はむはむと指をしゃぶっている。
「もう一個ちょうだい」
「……はぁ」
朝食を食べ終わり、ようやくアリシアも静かになった。
僕は新聞を広げながら、外見上は平静を装いつつ、内面では内なる敵と戦いながら彼女のことを待っていた。
そう、彼女とはトモミのことである。
時計をちらりと見上げる。時刻は10時5分前。予定では10時に来る予定だった。
アリシアは相変わらず夢の美食ツアー(再放送)を見ながらあんドーナツを食べていた。低視聴率なのに、なぜか再放送枠があるという不思議な番組だが、今はそんなことを気にしている暇はなかった。
「あと4分……」
時計の分針がかちりと動く。僕はごくりと唾液を飲み込んだ。
「ねえユウタロウ、もうすぐトモミが来るんでしょ?」
「う、うん」
自分でも上ずった声になっているのがわかる。こんなことでは彼女に笑われてしまう。
「やけに緊張してるじゃない。相手はトモミでしょ?」
「そそ、そんなことはないよ!? は、ははは」
自分で言っておきながら自分で笑ってしまう。彼女の言う通り、相手はトモミだというのに緊張する必要などあるのだろうか。
分針が動く。残り3分。
かちかち、と秒針が時を刻む音と、アリシアの見るテレビだけが音声を発する。
「ねえユウタロウ、寒天ゼリー今度一緒に作らない?」
「う、うん」
彼女の質問の内容もほとんど頭に入ってこない。反射的に返事してるだけだ。
「ホントに? 緊張し過ぎておかしくなってない?」
「そそ、そんなことはないよ!? は、ははは」
落ち着け、落ち着いて素数を数えるんだ。
そうすれば、少しは落ち着くハズだ。
分針が動く。あと2分。
アリシアはつまらなさそうにテレビを見る。
「ねえユウタロウ、あんパン食べたい」
「う、うん」
あんパン? そんなもの自分で買ってきて食べればいいじゃないか。
僕は今それどころではないのだ。
分針が動く。10時まで1分。
アリシアはあくびをしながらソファに寝転ぶ。
「ねえユウタロウ、明日デートに行かない?」
「う、うん」
デートなんて勝手に行けばいいじゃないか。
……でーと?
「ちょっと待って!? 今なんて言った!?」
「デート行かないかって聞いたのよ。ホントにいいの?」
「なななな、いきなり何!?」
「見てこのテレビ。ちょうど今この街のお店のことをやってるんだけど……」
『今巷で流行りつつあるあんこ入りパスタライスをアレンジ! あんこ入りフルーツクリームパスタライスパフェ! 今なら特別セールで980円! 番組を見たと言ってもらえれば抹茶クリームをタダでサービス!』
「これが食べたいのよ。あんこ通としては押さえておきたい一品だわ!」
そのとき、玄関のチャイムが鳴り響く。
僕は反射的に立ち上がる。ついに彼女が来たのだ。
「来た!」
「え、ちょっと? ユウタロウ? 返事まだ聞いてないわよ!」
僕は急いで玄関へと向かう。
「トモミ!?」
扉を開く。そこには私服姿のトモミの姿があった。
桃色のブラウスと若草色のミニスカート。春という季節にはぴったりのものだった。
「こんにちは、ユウタロウ君」
「ここここんにちは!」
彼女はくすくすとおかしそうに笑う。
「ユウタロウ君、おかしいよ」
案の定、彼女は面白そうに笑う。僕はぽりぽりと頭を掻く。
「じゃあ上がって!」
僕は彼女を部屋の中へと案内する。彼女を家に上げたのは何年ぶりだろうか。もはやもう、いつだったか思い出すこともできない。
「お邪魔します」
トモミは靴を脱ぎ、几帳面に揃える。
「今お母さんはいないんだよね。全部掃除とかは自分でしてるの?」
「そうだよ。家事全般は僕が全部やってる。父は仕事で海外だからね」
リビングへと移動する。アリシアは相変わらずテレビを見ながらお汁粉を食べていた。
「アリシアちゃん、こんにちは」
「こんにちは」
適当に挨拶をして済ませる。
「アリシアちゃんって、家だとあのドレスなんだね」
いつもの彼女の格好……ドレスと甲冑を組み合わせたような不思議な服を指して彼女は言う。
「あはは、リオナもそうだったの?」
「リオナもそうだったよ。最初はすごく変な格好で、ずっとそれを着てて……。今はもう普通の服を着ているけどね」
「どんな格好してたの?」
「チャイナ服みたいな格好だったかなぁ。この前のカードは黒薔薇のドレスだったし……なんで向こうの世界のユジュー達って変な格好なんだろうね」
「そのうちとか羽かばんとか、ベレー帽とか虚無僧とか出てくるかもね」
「それなんてTWね」
「いきなりなんだよ!?」
「独り言ね」
その頃、リオナとコウは少し離れたビルの屋上から望遠鏡を操っていた。ユウタロウの家は意外とビル街から近い場所に建っているのだ。
「あいつら仲良さそうに何話してるんだ?」
「読唇術なんて使えないね」
「どこのスパイだよ……」
「いつだったか小説で読んだ未来の特殊部隊は副隊長が隊長に盗聴機仕掛けてたね」
「俺らは高校生だからな?」
「というか、写真展はいいのね?」
「副部長に全部任せてるから問題ナシだ」
コウはキリリとした笑顔で清々しく言った。
「なら問題ないのね」
リオナは双眼鏡を覗き込む。視界の中には一人の少年が慌ただしい様子で小麦粉をこねている姿が窓からよく見える。
「それにしても、よくこんな場所見つけたね」
「ヤフーグルマップ様々だ」
コウはレンズを交換してさらに拡大する。
「うお! アイツらあんなにくっついてるぞ!?」
「私のトモミにこれ以上触ったら焼き殺すね」
「くっそ、羨しいな!」
「な、アリシアが飛び込んできたぞ!」
「これ以上邪魔したら焼き殺すね」
もはやどちらの側についているかわからないリオナ。女の子とイチャイチャできることを単純に羨しがるコウ。
「お前、トモミにどうなってほしいんだよ」
「トモミの思う通りになってほしいね。でも、トモミを取られるのも嫌ね」
「複雑だな……」
僕の家では混沌とした何かが繰り広げられていた。
ゼリーを作ろうとせがむアリシア。クッキー作りでそれどころではない僕。淡々とオーブンの調子を整えるトモミ。
「ユウタロウ! ゼリークッキー作りましょ!」
「いや、それマズそうじゃん」
アリシアは棒寒天を振り回す。
だが、僕はクッキーの生地をこねるのでそれどころではない。なんとか棒寒天の注入を阻止しながら、柔らかい生地をこね回す。
「オーブンの予熱の準備完了。後は生地の準備だけだよ?」
「わかった。って、アリシア、あんこを注入するのは絶対ヤバイって!」
「あなたはあんこの良さをわかっていないわ! ご飯ともパンともパスタとも合うんだもの! 絶対小麦粉にだって合うはずだわ!」
「だ、ダメだって!」
今度はあんこを注入しようと企むアリシア。棒寒天よりもガードするのが難しい。
「ちぇ、美味しくしてあげようと思ったのに……」
ようやく諦めてくれたのか、新しくボウルを取り出して、その中に棒寒天とあんこを突っ込んだ。僕達に対抗してあんこゼリーでも作るつもりなのだろうか。
「寒天はよく煮立てて溶かさないとダメだよ」
トモミはアリシアのゼリー作りにも協力する。アリシアはそれを聞くと、ボウルの中身を鍋にぶちまけて熱し始めた。
「そのままだと焦げちゃうよ?」
「水を入れてお湯で煮れば大丈夫なはずよ!」
その鍋に今度は水を注ぎ入れる。みるみるウチにワケのわからないものの精製を始めるアリシア。
「トモミ、アリシアは放っとこうよ……」
「でも、あのままだと……」
「おお! 寒天が溶けてきたわ!」
魔女が大鍋をかき回すように彼女は鍋の中身をかき混ぜる。
「えーと……クリームは……牛乳ね!」
今度は牛乳を取り出して鍋に注ぎ込む。それも一リットルパック一本分。
「こ、こぼれないのかな……」
「次はお砂糖よ! ゼリーの表示にもなんとか糖って書いてあったわよね!」
トモミはもはや傍観するだけで、もうアリシアに指示を出すことを諦めたようだった。
「うわ……何かよくわからないものが……」
「それから抹茶よ抹茶! 確かここに抹茶カルピルが……」
今度は抹茶味のカルピルを注ぎ込む。
「いや、それはヤバイって……」
「乳酸菌が全てを台無しにするような気がする……」
トモミも不安そうにぼそりと言った。
「それから……あとは隠し味ね! そう言えば美食ツアーで、隠し味になんとかソースを入れるって言ってたわ!」
「確かベリーソースだったような……」
「ないから中濃ソース入れましょう」
僕は思わず目を背ける。
これはモザイクが必要だ。
「あとは冷やして固めるだけっと!」
彼女はどこからか弁当箱を取り出すと、その中へ沸騰する謎の物体Xを注ぎ込む。色からして不気味だ。
「れっいぞっうこっ!」
そう言って、それをアツアツなまま冷蔵庫へとしまう。熱いものをそのまま入れると確かエネルギー効率がよくないとかって聞いたような気がする。
「ユウタロウ君、こっちの方はもう大丈夫みたいだね」
その声で僕はクッキー作りの方へと引き戻される。
見るとなんだかよさそうな感じに生地がまとまっていた。
「あとは型を抜いてオーブンで焼くだけだよ」
彼女が持ってきた紙袋から色々な形のクッキーの型が現れる。ハート型、クローバー型、ヒトデ型など実に多彩だ。
「まず、こうやって広げて……」
テーブルの上に紙を敷いて、そこに生地をまんべんなく伸ばす。そして、それを次々型を抜いていく。
「抜いたやつはこっち」
型を抜かれた生地はオーブンの天板へと並べる。型を抜き終わった生地はもう一度こねて大きな塊にした後、同じように再び伸ばして型を抜く。
「こんな感じかな」
トモミと二人で型を抜き終わると、オーブンへ天板を戻す。あとは時間をセットして焼くだけだ。
「うふふ、楽しみだね」
「そうだね」
僕とトモミはリビングのソファの方へと移動する。既にゼリー(?)作りを終えたアリシアが横になって録画した夢の美食ツアーを見ていた。
「ぶー、ユウタロウ、ゼリー一緒に作ってくれなかった」
「何も僕がクッキー作ってるときにやることないじゃない」
「だってだって……」
アリシアはクッションをぎゅうと抱え込む。
「ユウタロウのどあほう!」
クッションを僕めがけて投げつけると、彼女はどこかへと走り去ってしまう。
「あ、アリシア!?」
僕はアリシアを追いかけようとしたが、僕の手をトモミが掴んだ。
「トモミ?」
彼女は首を横にふるふると振る。今はそっとしておいてやれ、ということなのだろうか。
僕は一度ソファに腰を下すと、付けっ放しになっていたテレビの方へと視線を移す。
『今巷で流行りつつあるあんこ入りパスタライスをアレンジ! あんこ入りフルーツクリームパスタライスパフェ! 今なら特別セールで980円! 番組を見たと言ってもらえれば抹茶クリームをタダでサービス!』
そう言えば、アリシアはこれを食べに行きたいと言っていたのを思い出した。明日は何か用事があっただろうか。もし、何もなければお詫びに連れていってあげようと僕は思った。
「ユウタロウ君、アリシアちゃんのこと、どう思ってる?」
「え、いきなりどうしたの?」
「普段は落ち着いていてクールだけれど、時々子供みたいに手が付けられなっちゃうでしょ? リオナはここまで感情の起伏は激しくないけど、リオナでも一緒にいると時々疲れちゃうこともあるの。こんなに元気なアリシアちゃんと一緒にいて、ユウタロウ君は疲れてないかな?」
どこらへんがクールなのか小一時間ほどじっくり話し合いたいと思ったが、確かに彼女の言う通りである。
毎朝早朝に命を狙われ、学校でも自販機を破壊しないように目を光らせ、放課後は放課後であんパンを買えとうるさいアリシア。一緒にいると正直疲れてくる。
「リオナから聞いたんだけど、リトマスとなった人間が望めば、ティオナとの契約を解き、ティオナを強制的に元の世界に返すことができるらしいの」
「それ、本当!?」
そんなことはアリシアから一言も聞いてはいなかった。
「ティオナになるまでに色々な試験があって、性格的や能力的に問題があるユジューはティオナ候補から外されるんだけど、ティオナになった後もきちんと任務を執行できなかったり、人間に迷惑ばかりかけているようなティオナは資格を失うってリオナが言っていたよ。きっとユウタロウ君が本気でアリシアちゃんのことを疎ましいと思えば、元の生活に戻ることができるかもしれない」
「元の……生活……」
平穏な生活。あんパン代がかからない生活。自販機の監視をしなくてもいい生活。それはとても魅力的な生活である。毎日疲れることもなく、ゆっくりのんびり生活することができるのだ。
「アリシアが……いない生活……」
確かに少しは仲良くなったが、正直なところ迷惑している部分も多々ある。彼女のせいで何度映画を見逃したことだろうか。彼女のあんパン代さえなければ何本映画を見ることができただろうか。
「アリシアさえいなければ……」
「ユウタロウ君、なんだか無理してるように見えたから……ちょっと心配だなって思ってたの」
彼女は不安そうに僕のことを見つめる。本当に彼女は心配してくれているのだろう。
「どうしよう……」
僕は本気で悩んでいた。最初は彼女のことを疎ましいと思っていた。そして、今も若干思っている。もう、彼女に振り回される生活は正直なところうんざりだった。
「あ、クッキー焼けたみたい」
チーン、というオーブンの焼き時間が終了した音が鳴る。トモミは立ち上がると、台所の方へと様子を見に行った。
僕はすぐには立ち上がることができなかった。
「なんだか凄くいい雰囲気だったのね」
「なんか深刻そうな顔してたな。何があったんだ?」
コウとリオナはほとんど真逆の意見を述べる。
彼は一度望遠鏡から目を放すと、体の凝りをほぐすために大きく背伸びした。
「リオナはトモミとユウタロウが付き合うようになったらどうする?」
「表では祝福しながらトモミの目の届かないところでユウタロウを暗殺するね。あ、でもそれだとトモミが悲しむね……どうすればいいのね……」
彼女は彼女なりに悩んでいるようだった。正直なところ、コウももしそうなれば祝福したいのは山々だが、なんとなく気に食わないというような気もしていた。
「友達、って関係だったのがアイツらだけ急接近すると、なんだか俺だけ置いて行かれるような気がしてな……」
「トモミともユウタロウとも友達でいたいね。トモミには悪いけど、今のままがいいのね」
リオナは悲しそうにそう言う。
「というか、まだアイツらが付き合うって決まってないしな」
「アリシアがいい感じに妨害してくれて助かるのね。そう考えると、アリシアはいい仕事してるね」
「俺達、ずっと友達のままだよな?」
コウは不安そうにそう呟く。
リオナは腕を組んで複雑そうな表情を浮かべた。
「そうじゃないと嫌なのね」
リオナは小さなため息をついて双眼鏡をケースにしまった。それを見てコウも望遠鏡を片付け始める。
「……俺達、何してたんだろう。こんな風にこそこそこそこそアイツらの様子隠れて窺うようなことして……くっついてほしくないなら俺達が割り込めばいいんじゃねえか」
「まったくもってその通りだったね」
ぺしん、とリオナは拳を叩いた。
コウは望遠鏡を担ぎ上げると、出口の方へと向かう。
「行くか」
「行くね」
二人は決意を固めると、ゆっくりと階段を踏みしめながら彼の家へと向かった。
僕はクッキーの生地をこねるのに使ったボウルを洗っていた。出来上がったクッキーは今冷ましているところだ。アツアツのうちに試食してみたが、いい感じに焼けていて、とても美味しかった。
「大成功だね」
「うん。うまくできてよかったよ」
だが、それ以上に僕の頭の中はアリシアでいっぱいだった。
彼女と生活を共にしてそろそろ二週間が経つが、いいことなどあっただろうか。
ワケのわからない戦いに巻き込まれたり、痛い目に合ったり、怖い目に合ったり、ロクなことが起こっていない。
確かに同居人ができて生活が楽しくなった面もあったが、それを差し引いても彼女が存在することによって発生するデメリットが大きすぎる。
僕は考える。彼女がここに存在することは僕にとってプラスになる面はあるのだろうか。そして、彼女が存在することによってどれだけマイナスとなるだろうか。
……アリシアの存在が疎ましい。
はっとして僕は洗っていたボウルを見る。
そこにはあんこのこびり付いたボウルも並んでいた。
片付けをしないアリシアに苛付きながら、僕はボウルを片付ける。
「ふぅ……」
ようやく使った機材の片付けが終わった。あとはクッキーを食べながらお茶を飲むだけだ。
「紅茶、私やるね」
トモミが手際よく紅茶の茶葉を扱うと、すぐに二杯分の紅茶が用意される。香りもばっちし、葉も開いている。
「紅茶煎れるの、上手いね」
「慣れてるからね」
彼女は僕の向かい側に座ると、できたてのクッキーを食べながら紅茶を飲む。
僕もそれに倣ってクッキーを摘まみ、紅茶を一口飲んだ。暖かく柔らかい味が口の中を満たしていく。
「美味しいね」
「うん。とても上手くできたと思うよ」
彼女はそう言うと、クッキーをかじった。
時間はもうお昼。これをお昼ご飯にしてしまってもいいだろう。
「パンケーキならあるけど、出そうか?」
「うん、これだけじゃちょっとお腹空いちゃうしね」
僕は買い置きしていたパンケーキを取り出した。それを包丁で二つに切って、片方をトモミに渡す。
「甘くて美味しいね」
「川崎パンのだけどね」
そうして僕達は昼食を済ませる。
「そういえばアリシアちゃんは……?」
彼女はまだいじけているのだろうか。僕はあんパンを持って階段の方へと向かう。
「アリシアー! ご飯いいの?」
声が返ってこない。僕は肩をすくめると、トモミの方へと視線を送った。彼女はこくんと頷いた。
僕は階段に足をかける。わざと足音が聞こえるように少し強めに床を踏む。
「アリシアー! 入るよ?」
客室のドアを開く。ベッドの上では寝そべりながらはむはむとおはぎを食べるアリシアがいた。
「アリシア、さっきはごめんね」
僕はあんパンを差し出す。彼女は奪い取るようにあんパンを掴むと、封を開いてむしゃむしゃ食べ始めた。
「明日のデート」
彼女はそう、小さな声で、それでいてしっかりと呟いた。
それは確かに僕の耳にまで届いた。
「わかったよ。明日はあんこ入りフルーツクリームパスタライスパフェを食べに行こう。ね、機嫌直してよ」
僕がなぜ彼女の機嫌をとってやらなければいけないのかわからなかったが、ともかく声をかける。
「明日、絶対の絶対だからね」
「わかったよ。絶対の絶対だ」
それで少し落ち着いたのか、むしゃむしゃとあんパンを食べながらおはぎを食べ始める。
「どっちかにしたら?」
「どっちも美味しいもん」
そのとき、ピンポーンと来客を知らせるチャイムが鳴る。
「ちょっと行って来るね」
僕は彼女をその場に残して玄関へと向かう。
「はい、どちら様ですが?」
「リオナ様ね」
「それとコウ様だぜ」
二人は横に並んで胸を張る。そんな様子に思わずあっけに取られる僕。
「写真展は……?」
「副部長に任せた。そうしたら暇になってな。クッキー食いに来たぜ」
そう言ってコウは勝手に上がり込む。その後にリオナも続く。僕は大きなため息をついた。これではいつもの展開と同じである。
「あれ、コウ君もリオナも来られないんじゃなかったの?」
「用事なくなってな。俺にも紅茶煎れてくれよ」
「私もほしいね」
トモミは二人分の紅茶を用意する。
「お、クッキー美味そうだな」
さっそくクッキーに手を伸ばすコウ。
「うーん、サクサク感はベストだし、甘味もいいんだが……なんか足りないな……」
「あと何を足したらいいと思う?」
「うーん……風味だ! レモン風味とかにすればいいじゃねえか?」
「レモンクッキーですか……。いいですね。今度やってみます」
そう頷くと、トモミはクッキーを食べた。
「結局皆集まっちゃったね」
僕は椅子に腰を下すと紅茶をすすった。
「そうだな……って、アリシアは?」
「すねちゃってるの」
「まあ、少し機嫌よくなったみたいだけどね」
僕はクッキーを口に含み、紅茶を飲む。紅茶をクッキーに染み込ませて、少しずつ砕きながら食べるのが以外と美味しいことに気付いた。
「ま、しばらくすれば降りてくるだろう」
「あんだけ図太いんだから、よほどのことがない限り大丈夫ね」
アリシアでさえ堪えるよほどのこととはなんだろうか。やはり、レルフィムのような強いカードと戦うことだろうか。だが、むしろあれはこっちの方の寿命が縮みかねない。
「ともかく今はクッキーに集中するね」
「あ! あれだけあったクッキーがもう半分しかない!」
こうしてクッキー争奪戦が始まった。
アリシアのことは心の片隅に置いておくことにしよう。彼女が僕にとって不要な存在か、それを決めるのは今すぐである必要はない。
僕もクッキー争奪戦に参加する。僕達が作ったクッキーだ。僕が食べないわけにはいかない。
……アリシアは結局、最後まで階下へと降りてくることはなかった。
どっかで読んだ小説、というのはやっぱり僕が書いた小説です。
が、こちらは未公開のため知っている人はいないかと思います。
機会があったら投稿していきたいと思います。