表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/22

第三話

特に広く公開しようと思っていなかったので、後悔したくなるような二次ネタが入っております。

わからない方は軽くスルーしてください。

第三話


「ここが顕界……」

深夜2時。草木も眠る丑三つ時、摩天楼の頂上にて一人の少女がくすりと笑う。

烈風が吹きつける。彼女は揺らぐことなくビルの上にて微笑んだ。

「やっと……やっと来れた」

彼女はとても嬉しそうににっこり笑った。

少女の周囲に暗い闇色の光が集まる。それはユジューであることの証、シグマの姿。

それは幾何学的な模様を描き出し、街全域へと広がっていく。

街そのものを覆いつくす巨大なシグマ。そのとき、街は顕界から隔離された。

「あとは食べ放題……くすくす」

次の瞬間、闇色のシグマは形跡を残さずに消え去る。後には元のように静かにたたずむ街だけが残される。

彼女の姿はない。暗黒に溶け込むように、彼女の姿はかき消えていた。

不気味なほど静かな街がゆっくりと震える。それは自身の中に不純物を溶かし込まれたことに対する不快感か、それとも受け入れた満足感か。

ともかく、その姿は数日前とわずかに変わっていた。影は強まり、光は薄く……。

後には黒色の霧だけが残されていた。



アリシアが僕の家に来て一週間が経過した。

彼女の食事のタイミングさえ把握してしまえば、問題らしいことは特に起きることはなかった。

面倒なことといえば、僕がエサやりと呼んでいる食事時間が地味に授業時間に重なることくらいだろうか。そういう場合は少し時間を早めてエサを与える。

ここ数日のお気に入りはあんパンのようで、数個ほど与えると数分で平らげる。それだけで一時間は保つので最近は常にあんパンを常備している。

教師達もアリシアという存在にいくらか慣れたのか、初期の頃のように追い返される回数は減った。相変わらずアリシアの指導は厳しいが、それに負けじと授業のレベルも上がる。今回の期末試験の平均点が大変なことになりそうだった。

「nが3以上であるときaのn乗プラスbのn乗イコールcのn乗という等式が成り立つことを証明せよ。アリシア君、これならできまい」

「ちょっと時間がかかるけどいいかしら」

そう言って、彼女はノートにせっせと何かを書き始める。こうやって、何かしら時間のかかる課題を与えておき、その間に普通の生徒に対する授業を進めるというスタイルでなんとかやっている。これでも時折アリシアの指導が入るため、教師達も大変なようだ。

「なあユウタロウ……アリシアちゃんって何者なんだよ」

コウがそっと囁く。この問題を解くことができたらもはや高校生であると言い張ることは無茶である。いやそれ以前に見かけが小学生な時点で高校生には見えないが。

「わ、わかんないよ……。突然海外からやってきたんだもの」

最近は彼女のことで、答えられないことを聞かれたとき、こう答えるようにしている。これならほとんどの人が納得してくれる。

「大定理だぞ? 解けたらもはや人類じゃないだろ」

「それは言い過ぎだと思うけど……」

彼女は時折何か考え込むような様子を見せながらノートに延々と書き続けている。聞いた感じは簡単そうな問題だが、一体何枚のノートのページを使っているのだろうか。

そのときチャイムが鳴る。教師はとんとんと教科書の類を整理しながら言った。

「アリシア君、その問題の続きは次の授業のときにやりたまえ。わざわざ自分に時間を使ってやる必要はない。途中経過を確認したいので、ノートを預かってもかまわないかね」

もちろんこれは方便だろう。次の授業時間の暇潰しをわざわざ用意しなくても済むようにするために違いない。アリシアはやや不服そうにノートを提出する。

「それでは授業を終える。日直、礼」

「ありがとうございました」



昼休みになった。僕とアリシア、リオナにトモミ、そしてコウの五人は日当たりのいい屋上へと集まる。そこで昼食を突っつきながら昼休みを過ごすのが恒例となっていた。

「うげ、相変わらずアリシアちゃん、凄い量のパンだな……」

「うん、最近はあんパンがお気に入りなの。でも、メロンパンとチョココロネもなかなかいいわ。それと、この前見つけた古川パンっていうパン屋のヒトデパンがなかなかいいのよ!」

そう言って、どう見ても星型に見えるパンを取り出す。それのカリカリのところとモフモフのところを交互に食べるのが彼女のマイブームらしい。

「やっぱりトモミのお弁当が一番ね」

「ありがとう」

リオナはトモミのところにホームステイしている(という設定)なので、弁当は同じものだ。聞いた話によると毎朝トモミが作っているらしい。

「で、俺とユウタロウは仲良くコンビニ弁当……と」

「個人的にはサークルキューのあんこ入りパスタライスが美味しいと思うな」

「……お前よく食えるな、んなに甘いの……。ってかあそこの食い物の企画開発はバカだろ。どろどろ濃厚ジュースとか、吸っても出てこないゲル状ジュースとか……人間が食えるもんじゃねぇ」

彼はいつも別のコンビニで弁当を買っている。今日の昼食はハンバーグ弁当のようだ。

「そんなことないよ。どろり濃厚もゲルルンジュースも味は普通に美味しいよ」

「ってか、あんまり人様のネタばっかり使ってると訴えられるぞ……」

「そう? 商用じゃないし、それにこのくらいしか思いつかないもん」

そう言って、僕は悪びれた様子もなくパスタをすする。いわゆる、反省の様子なし、情状酌量の余地なしというヤツである。

「あんまり混ぜすぎると混乱するからよくないと思うな……」

「そっか。まあ少しは自重した方がいいね」

「それより、今日学校終わったらまた映画行きたい!」

リオナがウサギ型にカットされたリンゴを箸で串刺しにしながら要求する。

僕は映画と言われて現在公開されている映画リストを頭の中に思い浮かべる。

「この前はファイナルブシドウを観たから……今度は何を観よっか?」

「クリムゾプレシピスもなかなか評価高いよ?」

「だからパロネタをそろそろやめないとアメリカの丸耳ネズミの部下に消されるぞ……」

「大丈夫、〇゛。〇゛〇ー系のネタは命が怖いから引っ張る気はないからさ」

「そこまで伏せると読者にもわからない気が……」

「なら問題ないと思うよ」

「ところで、映画ってどこが面白いの?」

ふと、アリシアがとんでもない質問をする。それは僕に対する宣戦布告と受け取ってもいいのだろうか。

「アリシア、喧嘩売ってる?」

「だって観たことないし、テレビと一緒じゃないの?」

これだから映画初心者は困る。劇場はお茶の間と一緒だと考えている時点で根底から映画に対する認識が間違っている。

「何言ってるんだよ! 映画は一つの作品をたくさんの人と共有できるスペースなんだよ? ああ素晴らしきかな、全員のエモーションが最高まで高まり、スピリッツが限界までバーンアウトする瞬間……いや、リミットブレイクして超究神……」

「まあこいつの言ってることはメチャクチャだが、臨場感があってテレビとは違う感動が味わえることは確かだな。地元ではやってないのか?」

「ふーん……まあ、試しに行ってみる価値はあるかもね」

そう言って彼女はヒトデパンをかじる。何個買ったのだろうか。おそらくメセブリィからお小遣いのようなものが支給されているのだろうが、それにしては買い過ぎである。もしかすると、紙幣についてる通し番号が全部同じだったりしないだろうか。そうでないことを祈るのみである。

「で、映画館には美味しいものがあるの?」

「結局そっちかよ!」

「うん、ポップコーンとかナチョスとか冷凍英吉牛とか……」

「だからそういうネタ振りはやめような」



放課後、僕達は映画館を訪れる。

学生なので料金はわずか800円。かなりお得である。

五人で多数決をとった結果、今日も雨に打たれてという映画を見ることとなった。元々作者が細々とホームページで公開していた小説だったが、後に書籍化されて爆発的な人気を得て、ついに映画化された作品だ。双子の姉妹と主人公の間に描かれる血みどろで微笑ましい愛の物語である。

『あなたが……好きなんだよ?』

『れ、レウ……? 一体どういうつもりなんだ?』

『お姉ちゃんには渡さない……私のキョウタロウ君は絶対に渡さない……!』

ナイフを持った妹がゆらゆらと揺れながら主人公と、彼女の姉へと迫る。盛られた催眠薬が引き起こす眠りから目を覚ますために、その左手は真っ赤な血で彩られていた。

『レウ! ダメだ!』

『お姉ちゃんなんか……死んじゃえ!』

その瞬間、ナイフが突き出される。

それはまっすぐに彼女の姉へと飛び出て……そして主人公の少年を貫いた。

『え……?』

『そんなことしたら……ダメだ……』

主人公は蛮行を止めるために二人の間に割って入ったのだ。

そのまま膝をついて崩れ落ちる主人公。妹の手からぽろりとナイフがこぼれ落ちる。

『いや……イヤだよ……キョウタロウ君……キョウタロウ君!』

姉は必死に彼の体を揺さぶる。だが、彼は目を瞑ったまま答えることはなかった。

『なんで……なんで……?』

妹もその場に膝をつく。そして、自らの愚行を悔やみ、切歯扼腕する。

『イヤよ……イヤあああぁぁぁぁぁぁ!』



「凄かったわ……」

未だ映画の興奮が冷めないのか、アリシアは胸を押さえてふらふらしながら通路を歩く。

「でしょ。映画館の臨場感は他のものとは比べものにならないよ!」

「ポップコーンがこんなに美味しいなんて……映画の方はまあまあだったけど」

「……」

僕は大きくため息をつく。彼女には映画の素晴らしさを理解することはできないようだ。

「まさか妹のレウさんがあそこまでやるとは思いませんでした……」

「ヤンデレ映画と銘打つだけあって実に病んだヒロイン達だったな……」

「特に、姉妹と主人公、そして友人の女の子を交えた四角関係には舌を巻くな……」

「友人が姉妹のことを好きだったっていう百合展開ってのが超展開過ぎて俺には思考がついていけなかったぜ……」

僕達は一度併設されたデパートに設置された喫茶店に入る。スターフロンツという全国展開のチェーン喫茶店だ。下手なコーヒーショップよりもコーヒーが美味しいことで非常に有名だ。

「ここのサテライトアイスコーヒーが美味しい」

「ネーミングセンスは疑うけどな」

仲良く皆でサテライトアイスコーヒーを注文する。なんでも、宇宙空間のように真空状態で沸騰させながら凍らせることによって味により深みが増すらしい。

「あ、私チーズサンドも」

そう言ってチーズサンドを注文するアリシア。まったく、映画を見ながらポップコーンのXLサイズを一人で消化したというのに、まだ食べるつもりなのだろうか。

「まったく、アリシアは食欲魔人ね。その胃の許容容量こそ宇宙空間ね」

「あら、頭のスカスカさが宇宙空間並のリオナには言われたくないわね」

「何か言ったね?」

こうして二人はいつも通り喧嘩を始める。そんな様子に僕とコウ、トモミは乾いた笑いを浮かべる。

「ねえ」

そう言って、アリシアは喧嘩の真っ最中に突然僕に声をかける。

「さっきとても美味しそうなパンを見かけたんだけど、ちょっと見てきてもいいかしら」

「パン? パン屋さんなんかあったっけ?」

「ええ、あったわ。サクサクメロンパンっていうのが美味しそうだったの。ちょっと買ってきてもいいかしら」

「え、まあ自分のお金を使う分にはいいけど……」

「どうも」

そう言って彼女は立ち上がる。どことなくソワソワしているのは、お腹が空いてたまらないからだろう。

彼女は急いで立ち去っていく。そんなに急ぐことはないだろう。

「いきなりどこ行くね」

「ちょっと野暮用よ」

アリシアは足早に退出していく。リオナは仕方ないというような様子でため息をつく。

「よほどパンが好きなんだな」

「そうみたいね」

トモミはずずず、とコーヒーをすする。

「パンといえば、トモミがこの前焼いてくれたパンはとても美味しかったね!」

「あれはケーキ。パウンドケーキって言うの」

「ばんど……けーき? ロック音楽とかを演奏する……」

「それはバンド。パウンド、つまりいろいろな材料を1ポンドずつの割合で混ぜて焼いたケーキなの。最近のものはふわっとさせたりするのに1ポンドぴったりってわけじゃないけど……でも、大体1ポンドくらいかな」

「へぇ、トモミちゃんはケーキも焼けるんだな」

「これでも料理検定準1級持ってるの」

準1級ともなれば、かなり凄いことができるのだろう。準1級という数字は資格試験で獲得するにはかなりの高難易度を要するのだ。

「準1級!? 凄いね……」

僕はそのことにただただ驚く。英語検定の準2級を受けたことがあるから、準1級ともなればどれだけ大変かはすぐにわかる。

「料理はね、とても簡単なんだよ。そんな特別な技術なんていらない。それは一部の料理人さんだけが必要とするんだよ。ただ美味しいものを作って、人に食べてもらうのはそんな難しいことじゃない。その気になれば、誰だってできることなんだよ?」

「僕も普段から料理をしてるけど、さすがにケーキなんかは作れないよ」

「教えてあげようか? パウンドケーキ、シフォンケーキ、フルーツケーキ……やり始めればそんなに難しいことなんかじゃない。まずは簡単なクッキーから始めよ? 今度の土曜日空いてるかな……?」

彼女は上目遣いで尋ねる。その様子に少しドキっとする。

「ど、土曜日? えーと……だ、大丈夫だよ」

そのとき、けほんけほんとコウが咳払いする。

「あー、二人で親しく会話するのはいいんだが、俺も混ぜてくれないか?」

「コウ君とリオナも来る?」

しばらく彼は悩んでいたようだったが、やがて首を横に振る。

「いや、俺はその日用事があるな。市の写真展があるんだよ」

「あいやー、残念ね。私もちょっと私用があるね」

「じゃ、じゃあ二人っきり……」

僕はトモミと二人でクッキーを焼く様を思い浮かべる。

トモミは女性的魅力がないといえば嘘になる。長い髪、適度に発達した細い肢体、整った顔立ち……特別可愛いというわけではないが、十分高ランクだといえる容姿を持っている。

(な、なに僕はそんな意識してるんだ! トモミとはただの幼馴染みで……)

「アリシアちゃんって確か今ユウタロウ君のところに住んでるんだよね? 三人一緒だよ?」

「……あ、そうか」

僕はちょっとだけ落胆する。女の子と二人っきりでクッキーを焼くというシチュエーションは確かに萌えるものがある。

(何萌えるとか言ってるんだ! 相手はトモミだよ!?)

今まで何をするにも皆と一緒だったためか、突然彼女と距離が縮まることを想像してからよからぬ妄想が浮かんでは消えていく。少しはそういうことを考えたことはあったが、ここまで現実的に起き得ることだとは思っていなかった。

「……ユウタロウ君」

「……え、あ、何?」

先ほどまでちょっと艶っぽく見えた彼女だったが、突然真剣な様子で僕を見つめる。

「ちょっと本を見に行きたいんだけど、付き合ってもらってもいいかな?」

「……あ、え、なに、本?」

「うん、この前話した小説が入荷したらしいの。ちょっとだけでいいからお願い」

突然の話題のチェンジ、そしていつになく強引な様子。何か裏があると思った僕は立ち上がる。

「おいおい、二人っきりでどこ行くんだよ? そうやって俺達は置いてけぼりか?」

「ちょっとそこまで」

そう言って彼女は足早に歩いていく。僕も慌てて彼女の後を追いかけた。

トモミは黙ってエレベーターの方へと歩いていく。その足は普段の彼女よりも幾分か速い。

「ちょっと、トモミ、どうしたの?」

「ユウタロウ君……」

彼女は突然立ち止まると、人気のない非常階段の方へと僕の手を引いていく。

屋外に設置された非常階段は少し肌寒い。まだ季節は春。少し夜は冷えてくる。

しきりに注意に気を配り、誰もいないことを確認した彼女は僕の目をじっと見つめる。

「え、な、何……?」

「……カードがいる」

「いや、いきなりそんなこと言われても……え、カード?」

てっきり愛の告白かと思った僕は肩透かしを食らったかのように尋ねる。

彼女はこくこくと頷いた。

「それって、ユジューの犯罪者の……?」

「うん。リオナがそう言ってた。リオナもすぐに来る」

彼女が突然立ち上がった理由に納得する。別に、突発的に心の内を打ち明けようと思ったわけではないようだった。

「それも、誰かユジューティオナが戦っているみたい」

「ユジューティオナって……まさかアリシア!?」

「そこまではわからないって言ってた。ともかく行ってみないことには……」

二人で話していると、ようやくリオナがやってくる。

「コウがやけにしつこかったね。一人になるのが寂しかったみたいね」

「リオナ、カードは?」

「上ね。このまま階段で上がるね」

リオナを先頭に僕達は階段を上っていく。このまま行くと、一般は入ることのできない屋上にまで出ることとなる。

「屋上?」

「うん、そこで今、カードと誰かが戦ってる。……多分ティオナの誰かだと思う。人間だったらこんな風にぶつかり合うことはないだろうから……」

上へと登っていくにつれて何かがぶつかり合うような音が聞こえてくる。

立ち入り禁止の柵をよじ登って超え、普段は入ることができない屋上へと進む。

「がっ!」

そのとき、僕らの方に誰かが吹き飛ばされて転がってくる。……それは予想通りアリシアだった。

「アリシア!」

「何よ……人間が何しに来たのよ」

「あら、お仲間? くすくす……」

給水塔の上に立っていたのは真っ黒な女性。いや、正確には彼女がまとっている気配が黒色をしているからそう見えるのだろう。

「ティオナみたいだけど、ムーティエンを使わないものだから、ボロ雑巾にしちゃったわ」

「アリシア! なんでムーティエンを使わないね!」

「……」

彼女は体を押さえながらフラフラと立ち上がる。

「そこの……そこの人間のムーティエンがまったく使いものにならないからよ!」

「だからって、ムーティエンもなしにカードと戦うなんて無茶ね!」

「あなたは強いの? 私を楽しませてくれるの?」

彼女は楽しそうに両手を広げる。すると、そこを中心に真っ黒な霧が広がっていく。

「……来るわよ!」

徐々に闇色の霧が広がっていく。それは少しずつ人間の世界を侵食し、異色の異空間へと変えていく。

黒い薔薇が蠢く、闇の荊が揺れる荒れ果てた花畑。それは庭師を失った庭園だろうか。いや、彼女という庭師が美しい花園をここまで恐ろしい世界に変えてしまったのだろう。

「ムーティエン、フィニテイン・モグリレイ、顕現!」

リオナの手の中に光が集まり、一冊の魔導書を喚び出す。

それは複数の光を描きながら幾重にも真円を映し出す。それはまるで月。死の神苑を照らす一筋の光輪。

「月光の小夜曲、ヌーム・アデセレン!」

描き出されるは幾重にも重ねられた月光の刃。軽い響きを持った29.5枚の刃は甘い旋律を奏でながらカードへと襲いかかる。

「あら、自己紹介する前に攻撃するなんて無粋ね」

黒い光の環が彼女の周りをぐるぐると回る。それは小夜曲とは異なった響きを持つ音楽を奏でる。

「遊んであげましょう」

彼女が演じるはディベルティメント。言葉通り遊ぶようにゆらゆらと揺れる不思議な旋律を持つ。リオナが奏でた音楽に絡まるようにまといつくと、相殺するように刃を殺していく。

「なっ!?」

「新月の登る空に無節操な明かりはいらなくてよ?」

再びあたりは闇色の輝きに支配される。月光を食らい尽くした嬉遊曲は余韻を残しながら消えていく。

「まあまあ、まずは自己紹介くらいさせてもらってもいいじゃない」

そう言うと彼女はゆっくりと優雅な動きでお辞儀する。

「私の名前はレルフィム。闇に生きる吸血鬼。情を食うことを忘れた、生き血をすするユジューの中の変わり者。以後、お見知りおきを」

そのとき、彼女をまとっていた闇色の霧が晴れる。

そこに現れるは一人の少女。アリシアとさほど背の丈は変わらない、それでいて死神のような雰囲気を持つ漆黒の少女だった。

「そこのあなたの心を少し覗かせてもらったの」

「え、僕!?」

「そう、名前を伺ってもいいかしら?」

突然彼女に話し掛けられ、僕はうろたえる。

「え、えっと……坂下……ユウタロウ」

「そう、ユウタロウ……いい名前ね」

彼女は妖艶な笑みを浮かべると、再び闇の円を描き出す。

「でも残念ね。すぐに私の庭の肥やしになるんだから」

そう言うと同時に、幾重にも黒い輪が広がる。

「光の前奏曲! ミアブ・レプルード!」

光の盾が出現する。それは闇の波動を受け止め、ぎしぎしと唸りながらもなんとか耐え凌ぐ。

「うふふ、いいわよいいわよ。楽しくなってきたわ!」

レルフィムはそう嬉しそうに微笑むと、黒い光弾を幾百も呼び出す。波動に加えてそれらをさらに飛来させ、光の盾に更なる負荷を加える。

「く、限界……ね……」

みしみしと唸りながら光の盾に亀裂が入る。

「アリシア!」

「わかってるわよ!」

アリシアの周囲にシグマの光が浮かび上がる。それは風を集め、光の盾を補強する。

拮抗するように光と闇がぶつかり合うが、アリシア達の表情には苦悶が浮かび、対するレルフィムには余裕さえも窺える。

「あははは、二人がかりでかかってらっしゃい! それでも私は負けないわよ!」

光の盾が砕けると同時に波動も光弾も消失する。それは相殺して消えたというより、レルフィムが意図して消したようにすら思える。

「さあさあいくわよ!」

レルフィムは給水塔から飛び降りると、闇の鞭を唸らせらながら一気に距離を縮める。

「剣の舞踊! ドルヲス・ナセッド!」

くるくると踊るように何本もの剣が舞う。それは闇の鞭を数で圧倒する。

「あら、ちょっと不利かしら?」

「負けないね!」

徐々にレルフィムを追い詰める。それは一見リオナが有利に見える。

「なーんてね」

瞬間、クラゲの触手のような鞭が数百本出現する。それは数においても、大きさにおいてもリオナに勝る。

「嘘……なのね」

「本当よん」

全ての剣に数十本の触手のような鞭が絡み付く。もはや剣は舞うこともできず、がっちりと固定されてしまう。

「リオナ!」

「く、心が……相手の力に比べて強すぎるのね!」

「ごめんなさい、私なんかがリトマスだから……」

アリシアが風の刃を放つ。だが鞭を数本切断するのみで、剣を解き放つには威力が足りない。

「アリシア! ムーティエンを使うね!」

「そんなものに頼らなくたって……」

「無理ね! 人のことを食べたユジューカードにはムーティエンがなければ対抗できないね! そんな意地張らないで素直に使うね!」

「リオナなんて使ったって勝てないじゃない!」

「私のことはいいね! 余計なお世話ね!」

「アリシア!」

僕は思わず叫んでいた。邪魔くさいと思っていたアリシアをまるで励ますかのように。

「僕の心を使ってよ!」

「使いにくいあなたのムーティエンなんて……」

「あのときは僕、怖かったから……。でも、もう負けないから! 怖がらないから!」

彼女は僕のことを見下している。たかが人間と、格下の存在だと思って力を借りようとは思っていないのだろう。

「だから僕を信じて!」

「あなたなんか……人間なんか……ッ!」

アリシアは風をまとってレルフィムの方へと走り出す。それはもはや、自暴自棄の捨て身の攻撃だった。

「ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

爆風が発生し、リオナとアリシア、そして離れてみていた僕やトモミまでもが吹き飛ばされる。

「うわああぁぁっ!」

「きゃああぁぁっ!」

僕の体が激しく壁に激突する。トモミは頭をぶつけたのか、そのまま気を失ってしまった。

「トモ……ミ……」

リオナの手にあった魔導書が消失する。トモミの心を元にしたものだから、トモミが気を失うと消えてしまうのだろうか。

「不様ねぇ、あっはっはっはっは」

レルフィムは高らかに笑うと、黒い光環を描き出す。

「残念だけど、もうおしまいのようね。それじゃあユウタロウ、あなたの命からいただこうかしら……!」

彼女は笑いながら僕の方へと一歩一歩歩み寄る。そして、万力のような力で絞め上げると、僕の体を宙吊りにして持ち上げる。

「楽しかったわ。せっかくだからあなたは心もいただこうかしら。こうして姿を与えてもらったことだしね」

僕の中に黒い何かが侵入してくる。それが僕の中に入ってきたとき、背中を寒気が駆け上がった。

「く……」

突如炎がレルフィムへと襲いかかる。レルフィムは僕を放り投げて、その方を振り向いた。

「うわああぁぁっ!」

再び激しく体をぶつける。すぐ手の届くところにアリシアが倒れていた。

「あなた……まだやる気……?」

「人間を……友達を目の前で食べられるわけにはいかないね!」

リオナは大きな声で吠え猛る。レルフィムは汚いものでも見下すような表情でリオナを見つめた。

「たかが人間を友達とは笑えるわね。あなたはユジュー。人間より格上の存在、人間を肥やしにする高等生物なのよ?」

「格上も格下もないね! 意思の疎通ができる時点で友達になれるね! そんなの、人間が白人と黒人を区別すること並に愚かね!」

「とも……だち……?」

アリシアの口から言葉が漏れる。

彼女は今日の今日まで僕達のことをどのように思っていたのだろうか。

「人間の愚行と一緒にされるとは気分が悪いわ。あなたから先に消されたいようだから、お望み通り私の糧にしてあげる」

そう言うと、彼女は僕からリオナへと標的を変える。

「アリシア! アリシア!」

僕はアリシアを強く揺さぶる。アリシアは目を開いたまま、再び小さな声で友達、と呟いた。

「僕は……アリシアの友達じゃないの?」

「あなた……人間が……私の友達……?」

「そうだよ! 僕達こんなに楽しく過ごしてきたじゃないか! 今日だって楽しかったじゃないか! それはただ惰性で付き合ってただけなの!?」

アリシアは黙ったまま僕を見つめる。

彼女は今、僕という存在をどのように思っているのだろうか。同格の友達として見てくれているのだろうか。

「僕のことを信じてよ! 僕も……僕も一緒に戦う!」

「人間……いえ、ユウタロウ……」

アリシアは僕の瞳を見つめている。彼女は……僕のことを信じてくれるのだろうか。

彼女の手の中で七色の光が輝く。それはまさに先週、一瞬だけ見ることができた心の輝き。

「私は……人間を……友達を……信じる! ムーティエン、ゲンチャ・ドルヲス……顕現!」

七色の光が集まり、それは一振りの剣と変化した。

アリシアは体を起こすと、大剣を両手にレルフィムへと構えた。

「やあああああぁぁぁぁぁぁぁ!」

「ボロ雑巾が……無駄だというのに……」

レルフィムはリオナの首に片手をかけながら、左手に黒い光を集める。それは先ほどの鞭と同じもの。いくらか本数は少ないが、その力強さは健在だった。

「私は……ユウタロウを信じる!」

剣の輝きが一層増す。僕の心が……信頼という絆によって一際強く輝く。

「な……」

それは数十本の鞭を断ち切り、レルフィムの体を横断する。

「あああああぁぁぁぁぁッ!」

赤黒い鮮血が噴き出す。それは黒い花園を一瞬で赤く染めた。

瞬間、庭園が一点に集中する。それはすべてを飲み込み、やがて僕達を元の世界へと引き戻した。

「や、やったの……?」

「まだ……まだ倒せない!」

レルフィムは胸を押さえながら荒い息を吐く。

「この私を……傷付けるなんて……」

彼女はふらふらと歩きながら給水塔に寄りかかる。かなりの痛手を与えたのだろう。傷はかなり深そうだった。

「私は……こんな簡単に滅びるわけにはいかない……! まだ死ぬわけにいかないの……!」

彼女は大きな漆黒の翼をはためかせると、墨を流したような空へと飛び去った。

「待ちなさい!」

アリシアは風をまとって飛び立とうとするが、ふらふらと揺れて剣を杖代わりにしてなんとか立つ。

「く……」

「アリシア! 大丈夫!?」

僕はアリシアへと駆け寄った。彼女も満身創痍の体で僕に体を預ける。

「ユウタロウ……」

「無茶をしちゃダメだ。全員助かったんだから、それを喜ぼうよ」

僕はアリシアの体を抱き寄せる。彼女はそれを不快そうにせず、そのまま身を任せた。

「悔しい……自分の力が及ばなかったことが……」

「アリシア……誰もが一人だけで全てを成し遂げるなんて無理なんだよ。だから……疲れたときは僕を頼ってよ、ね?」

アリシアの手から剣がこぼれ落ちる。僕は力の抜けた彼女の体を支えた。

「私一人で……なんでもやらなくていいの?」

「うん。もう、そんな大変なことはしなくていいんだよ」

彼女は優等生だった。何事も一人で解決してきた彼女だからこそ、意地でも自分の力だけで倒したかったのだろう。

だが、それは決して最善手ではない。

時には人の手を借りることも大切なことなのだ。

「私は常に正解を選び続けてきたと思ってた。でも……それは間違いだったのね」

「間違いじゃないけど、一番の方法じゃなかったことは確かだよ」

彼女のことを疎ましく思っていたはずなのに、僕はいつの間にか彼女を励ますようなことを口走っていた。

「僕、ヘタレだけどさ。ここまでやってこれたのは色々な人の力を借りたからなんだよ?」

「私は……私は……」

彼女の中にあったアイデンティティーが崩れると同時に、新たな価値観が現れる。

それは彼女にとって新しい、そして僕達は当たり前だと思っていたこと。

友達の力を借りるということ。それは決して恥ずかしいことなんかではないということ。

「ユウタロウ……ありがとう」

僕は彼女の一言によって、彼女に対する見方がまるで変わったことを追認したのだった。

遥か昔に書いた小説ネタが少し出てきています。

と、いっても当時作ったHPの認知度自体がかなり低かったので、知っている方は恐らくいないと思われますが。

現在、そのHPも消滅していますし、データ自体が残っているか定かではないので、投下できるかもわかりません。

データを発見して、読み直していけそうだと思ったら投下するかもしれないので、そのときはよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ