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第十三話

ラブコメのバーゲンセールはまだまだ続きます。

第十三話


摩天楼。

地上から数百メートルの高さの高層ビルが林立している。

吹きすさぶ風に流されるように黒い羽が舞う。

強く吹き荒れる風に煽られることもなく、レルフィムはビルの屋上に剣を突き立てていた。

「これで100本目……。そろそろしんどくなってきたわね」

額に浮かべた汗が、発光する陣に照らされて明るく輝く。光る陣はすぐにその輝きを失い、また元の屋上の様相を見せる。

「さて、そろそろかしら?」

レルフィムは躊躇することなくビルの屋上から身を躍らせる。背中から大きな羽が広がり、漆黒の空を駆けるように飛ぶ。

「下準備は終わったわ。あとは……その時が来るのを待つだけだわ」

どこまでも飛んでいく。眼下に広がる眠らない街は飛ぶように流れていき、やがて静かに眠る住宅街に到着する。

ばさばさと羽を動かして、レルフィムは公園に降りる。

「ふう」

羽を背中にしまうと、彼女は近くのベンチに腰かけた。

そして目を瞑り、大きく深呼吸する。

「……あら、あなたに用はないわよ?」

彼女は目を瞑ったまま、闇夜に潜むそれへと声をかける。

弾かれるようにレルフィムは立ち上がると、空中に踊り出す。

次の瞬間、彼女が座っていたベンチが吹き飛んだ。



午前五時。

僕は何とも言えない気配を感じ取って目を覚ました。

すぐに直感する。この気配は『ヤツ』だと。

体が重い。何日もこの感覚を感じていなかったがために、判断が鈍ったのだろうか。

すでにもう、『ヤツ』は僕の上、あるいはそばで僕を拘束しているようだ。そして、夢を食らっていたに違いない。

僕が目を覚ました今、きっと『ヤツ』は意識を沈めに殴りかかってくるだろう。だが、こうして体を拘束されてしまっては防ぐことも避けることもできない。

僕は諦めにも似た感情で目を瞑る。すぐに襲いかかってくるであろう衝撃に耐え、少しでも苦痛を減らすために備えることにした。

……そうして体を固めて何秒が経過しただろうか。いつまで経っても何も起こらないことに違和感を感じつつも、僕はゆっくりと目を開いた。

ようやくこの頃頭の感覚が冴えてくる。こうやって感覚を取り戻すと、僕は上から押さえつけられているのではなく、横からだき抱えられているということに気付いた。

僕はゆっくりと視線を上から横へとずらしていった。すると、そこには眼前一杯に広がるアリシアの寝顔があった。

「!?」

思わず大声を出しかけて、それをなんとか飲み込む。僕の隣には、僕を抱えるようにして眠る一人の少女がいた。

混乱する頭でなんとか状況を整理しようとするが、考えがまとまらない。

そうしているうちに、彼女のぷっくらとした桃色の唇が目に入る。それを見た瞬間、僕の思考は真っ白になった。

思わずごくりと生唾を飲み込んだ。ほんの少し首を動かすだけで、僕は彼女の唇に触れることができる。目は閉じられており、小さく開いた口からは穏やかな寝息が聞こえてくる。

昨日の台所での出来事を思い出す。今ならば、ほんの少し顔を動かすだけで彼女と接吻を交わすことができるのだ。

僕は目を瞑り、少し首を動かしたところで思いとどまる。

意識がない相手の唇を奪ってもよいのだろうか。いや、いいわけがない。

こういうことはお互いの同意の上で行うべきなのだ。

状況で頭の中が困惑してしまっていたが、なんとか理性で引きとめる。数センチの距離のところに可愛らしい寝顔があっても、僕はその神域ともいえる空間を侵さないことに成功する。

あとはこのまま視線をずらすだけである。僕は体をもぞもぞと動かしながら顔の向きを変える。

「ん……」

そのとき、彼女の口から小さな声が漏れる。

ここで少し待て、と僕は静止をかける。彼女が僕を抱きしめているということは、パジャマという名の薄い布一枚に隔てられて肌は密着しているということである。

そのことに気付いた瞬間、僕の心臓は高鳴った。

体の一部に感じる温かくて柔らかい感触。ぎゅうぎゅうと押し付けられているのは彼女の小さな双丘。実物は未だ見たことがないが、それは外から見るだけでもまな板と表現するほどではないが、かなり小さいものだということがわかる。それでも、こうして密着するとそれの意外なまでの存在感に僕の脳裏は刺激されていた。

このままではヤバイ。変に動けば彼女を起こしてしまうし、かといってこのままの体制を保てば僕の理性の糸が引きちぎれてしまうのも時間の問題である。

「アリシア……」

僕は彼女を起こさないように小さな声で呼び掛ける。彼女にどうにかしてほしいという思いと、起こしたくないという矛盾した想いが行動となって現れた結果だった。

「ん……」

だが、そんなことでは状況を打開できるわけがなく、それどころか名前を呼ばれたことに反応したのか、腕にこめられていた力が強くなった。

「え、ちょ……!」

ぐいぐいと押し付けられる小さな小さな二つの山。だが、そんなに小さなものであっても、僕を攻撃するには十分な大きさであった。

「ユウタロウ……」

名前を呼ばれてドキッとする。起きたわけではないようだったが、それでも僕の心臓が鐘を打つ速度は倍加する。

正直なところ、息苦しい。全身が酸素不足に襲われ、僕は大きく息を吸い込んだ。そのとき、鼻孔を甘い香りが刺激する。

「これがアリシアの匂い……?」

そんなことを考えた瞬間、息苦しさはさらに増した。ドキドキする、だなんて言葉では言い表せないほどドキドキしている。

「あ、アリシア……?」

僕は再び彼女の名を呼んだ。すると彼女はうっすらと目を開いた。

「ユウ……タロウ?」

焦点の合わない視線を投げかけてくるアリシア。僕はそんな彼女の目を見つめながら、つい息を止めていた。

彼女は体をもぞもぞと動かし、そしてそのまま首を僕の方に伸ばしてくる。

そして、僕の唇に触れるような軽いキスをした。



あれからどれくらいの時間が経ったのだろうか。

僕は覚醒と朦朧の境目をさまよいながら、ぼんやりとした頭で考えていた。

あのキスで、僕の頭の中はメチャクチャになってしまった。だから、こうして僕はワケのわからない状態になっているのだろう。

意識の外から何か少女の声が聞こえてくる。アリシアの声だろうか。

ぼんやりとして聞き取れないほどぼやけているその声は、必死に僕の名前を呼ぶ声のように感じた。

だが僕の意識ははっきりせず、甘いミルクの波で声はかき消されてしまう。

僕はそんな幸せな海に漂いながら、ぼんやりと考える。

アリシアと一緒に過ごせるようになって、僕はとても幸せな気分だ。

今まで日常だったそれを失い、僕はその日常の尊さに気付いた。彼女をどれだけ想っていたかに気付いた。

そして、僕は今その日常を再び取り戻すことに成功した。それどころか、更に二人の距離を縮め、キスまでしてしまったのだ。

こんな日々を幸せと呼ばずになんと呼ぶだろうか。

まるでクリームの海を泳いでいるような甘い日々。こんな幸福を享受できる日が訪れるなんて思ってもいなかった。

あとはレルフィムとの契約を解除し、再びアリシアと契約することができればどんなにいいだろうか。また僕は彼女と同じ土俵に立って戦えるのだ。

レルフィムにはちょっと悪いが、僕はそうなることを強く望んでいる。だが、僕はレルフィムとも契約をしたことを忘れてはいない。

僕が彼女と契約する代わりに彼女は人を襲わなくするという契約。それは今も効果を発揮し、そしてうっすらとした絆で二人を結んでいる。

「……!」

また声が聞こえる。

ごうごうと轟くミルクの波はその声をかき消してしまった。今はどうも周りの声が聞こえ辛いようだ。

こんなにも長い間、彼女からの呼びかけに黙っていては、きっと怒られてしまうだろう。クリームの海を泳ぐことは楽しかったが、そろそろ目を覚まさなければならないようだ。

僕は陸へと目指して泳ぎ始める。急に感覚が研ぎ済まされてくるのを感じる。

そして陸へと上がる瞬間、かき消えそうほど小さな声を波間に聞いた。

「ユウタロウ、助けて!」



目を覚ますと、アリシアが僕の顔を触っていた。

「きゃ! ゆ、ユウタロウ起きちゃった!?」

「アリシア、何してるの?」

彼女は頬を赤く染めて、もじもじとしながら答えた。

「ゆ、ユウタロウの顔を……触ってた」

「正直で大変よろしい」

僕は上半身を起こす。

僕達の上にかけられていた布団がずり落ちる。

アリシアはピンク色のワンピースタイプのパジャマを身にまとっていた。

「可愛いパジャマだね」

「う、うん……ありがと……」

彼女は更に頬を赤らめて視線をそらした。そんな彼女の様子がたまらなく可愛い。

「ねえ、ユウタロウ?」

「ん?」

「……してもいい?」

何かをもごもごと言っていたが、その言葉を聞き取ることはできなかった。

「え、何?」

「き……キス……」

彼女の頬はリンゴのように赤く染まり、目はうるうると潤んでいる。

僕はそんなことはなんでもないように、けれども心の内ではドキドキしながら頷いた。

アリシアは半身を起こすと僕の体を抱きしめて、ゆっくりとキスをした。

「ん……」

長いようで短い一瞬。甘い余韻を残しながら僕達は離れた。

「なんだかすごくドキドキする……」

「ぼ、僕も……」

僕達は顔を見合わせて、笑い合う。

「うふふ、なんだかおかしいわ」

「あはは、そうだね」

アリシアは着替えに一旦部屋に戻ることにした。僕は彼女を見送ると、学校の制服に着替えた。

鏡の前に立って、ネクタイが曲がっていないか確認する。変な格好になっていたらアリシアに笑われてしまうだろう。

それにしても、こんなことを意識するのは初めてだった。そんな自身の変化に思わず笑いがこみあげてくる。

きちんと服装を整えた僕は階下のリビングへと降りていく。すでに準備を終えたアリシアが勝手に出してきたのか、あんぱんをもふもふと食べていた。

「レルフィムは? まだ降りてきてないのかな?」

「さあ? 私は見てないわよ」

時計の方を見る。時間は7時。彼女がいつも起きてくる時間はとっくに過ぎていた。

「ちょっと見てくる」

僕は少し心配になって、二階の彼女の部屋へと向かう。

「レルフィム? ご飯の時間だよ?」

半開きになった扉に違和感を覚えつつも、僕はノックをしてから扉を開く。

「レルフィム……?」

いつもならば、黒薔薇の少女が安息の一時を過ごしているその部屋に、彼女の姿はなかった。



レルフィムがいないことに一抹の不安を覚えた僕だったが、時間になったので家を出る。彼女には家の鍵を渡してあるので、家の戸締まりはきちんと済ませていく。

いつもの場所に到着し、いつものメンバーと合流する。

「あれ、レルフィムちゃんは?」

コウが不思議そうな表情で尋ねてくる。

「なんか出かけちゃったみたい……」

「は? 出かけたって学校は?」

「サボり……なのかなぁ……」

「なんていうか、フリーダムな人なんだな……」

感慨深い表情でコウは頷く。

「きっとあいつのことだからまたよからぬことを考えているに違いないね」

「そう決めつけるのはよくないと思うけど……ちょっと心配ね」

トモミは何か思うことがあるのか、顎に手を当てて考え込む。

「ともかく行きましょ。ここで待ったって来るわけじゃないし」

「そうだな」

僕達はそうして今日も学校に向かう。

元気に登校してくる生徒達。その中のどこかにレルフィムがいないかと僕は目をこらしていたが、その姿を見つけることはできなかった。

教室に到着するとすぐにホームルームが始まった。

いつも通りの一日を過ごし、いつも通りの昼食を済ませ、いつも通り放課後になる。

放課後になって皆と集合すると、この後どうするかを決めることにした。

「今日はどうするね?」

「僕は東條さんが気になるかな……」

「私も気になる」

昨日は大したことを聞き出せなかったが、もしかするとレルフィムについて、さらにはこの戦いについて何か覚えているかもしれない。そうだとすると色々と厄介だ。

「悪い、俺は今日部活行かないといけないんだ」

「え、部活?」

「部活なんか入ってたの?」

「……どうせ俺は影の薄いエースだよ……写真展にだって出品して、銀賞を取ったんだぜ?」

よくよく思い出してみると、写真展に出品したようなことを言っていた気がする。

「って、お前そういえば来るみたいなこと言っていて来なかったろ……」

「あ! そ、そういえばそんなこともあったかなー」

そういえばそんな約束をしたような気がする。その日はアリシアとのデートに振り回されてそれどころではなかったが。

「ったく……。ともかく俺部活だから今日はパス。様子聞いたら報告よろしくな」

「わかった」

そう言ってどこかへと姿を消すコウ。僕達は東條さんの病院へ向けて出発した。



病室に到着する。老婆は検診か何かだろうか、そこにはいなかった。

「調子はどう?」

「大分よくなりました」

ベッドの上で半身を起こした東條さんは元気そうな笑顔を向けてくる。

「あれ、この方は……」

アリシアを不思議そうな目で見る東條さん。半年前の記憶しかない彼女が知らないのも無理はない。

「この子はアリシアっていうんだ。転校生かな」

「そうなんですか! よろしくお願いします」

「よろしく」

東條さんはぺこりと頭を下げた。アリシアもお辞儀をする。

「ところでさ、東條さんにいくつか聞きたいんだけど、いいかな?」

「なんでしょうか?」

僕は一度トモミと顔を見合わせると、頷いた。

「意識を失っていた間のこと、何か覚えてる?」

「意識を失っていた間……ですか?」

彼女はうーんと考え込む。

「この前言ってた黒薔薇の女の子の話、もっと聞きたいんだ。もちろんそれ以外のことも……」

しばらくの間考え込んでいたが、やがて顔を上げて話し始める。

「よく覚えていないんですけど……戦っていました」

「誰と……?」

「いろいろな人です。その中には坂下君や神崎さん……そういえばアリシアさんも見覚えがあります……」

「トモミ、アリシア、リオナ。やっぱり東條さんは覚えてる。どうしよう……」

「どうしようもこうしようもないね。このままこっちに引き込めばいいね」

「そういうわけにもいかないでしょ? 東條さんは元々無関係なのよ?」

「引き込むにしても、人間はリトマスとならなければ戦えないし……誰が彼女と契約するかが問題よね」

「あの……何のお話ですか?」

よくわからない言葉が行き交っているのに不安感を覚えたのか、東條さんが尋ねてくる。僕はどう話せばいいか迷って口をつぐむ。

「東條さん。それが全て事実だとしたらどうする?」

「全て事実……? そんな夢みたいなことがあるんでしょうか……?」

「……それは夢じゃないの。私達が巻き込まれている戦いの一部。ティオナとカードの戦いの一部なの」

「戦い……? ティオナとカード……? よくわからないのですが……」

トモミは僕達が巻き込まれている戦いについて簡単におおまかな話をする。

ユジューと呼ばれる種族、ティオナとカードの闘争、僕達の置かれている現状、そして実在する黒薔薇の女の子……。

「そんな……いきなりそんな話をされても……」

「リオナ。あなたの力を見せてあげて」

「わかったね」

リオナは前に歩み出ると、人差し指を立てた。そして小さく何かを呟くと、まるでライターのように指先から炎が上がる。

「これがさっき話したシグマ。手品なんかじゃない、正真正銘の魔法のようなものなの」

「ど、どういう仕組みで……?」

「私達にはそれはわからない。でも、こうした人間とは違うことができるユジューという種族は確かに存在しているの。ここにいるアリシアもそう。そして私達は彼女達ユジューティオナに協力するリトマスという人間。そして、元はあなたもリトマスだったのよ」

「私が……そんな戦いに巻き込まれていたなんて……」

東條さんは視線を落とす。

「東條さん、私達からお願いがあるの。力を貸してほしい」

「私が……皆さんをお手伝いを……?」

「私達は常に人手不足なの。今も強力な敵が現れて……昨日からレルフィム……黒薔薇の女の子が行方不明なの」

「え!?」

「トモミ、それはさすがに無関係じゃないかな……?」

「可能性は無きにしもあらずよ。カードとの戦いに巻き込まれた可能性だって否定できないもの」

「あ、えっと……その……」

東條さんが何か言いたげにする。

「私、そのレルフィムさんに会ってみたいです! 会えるんですよね?」

「うーん……まあ、帰ってくれば会えるとは思うけど……」

残念ながら、彼女は行方不明だ。今すぐ、というわけにはいかないだろう。

「ともかく、会えたら連絡するよ」

「はい、ありがとうございます」

東條さんはぺこりと頭を下げる。

それにしても、レルフィムはどこに行ってしまったのだろうか。いくらなんでも、声もかけずにいなくなるというのは少しおかしい。

「ん……?」

今、ぼんやりとだが、何かが聞こえたような気がした。

「誰か僕のこと、呼んだ?」

「誰も呼んでないね」

「けど、今確かに……」

『ユウタロウ!』

「誰かが……呼んでる」

「どうしたの?」

アリシアが不思議そうに僕の顔を覗きこむ。

「この声は……朝聞こえた……」

そう、ミルクの海の波の狭間で聞いたあの声。陸に上がる寸前に聞いた助けを呼ぶ声。

今の今までなんで忘れていたのだろうか。あの声は確かに僕に助けを求めていたではないか。

「ユウタロウ?」

僕は声のする方へと歩き出す。遠い距離ではない。彼女はきっとすぐ近くにいる。

「東條さん! 着いてきて!」

僕はそれだけ言うと病室から飛び出した。

「ちょっとユウタロウ!?」

その後を慌てて皆が追いかけてくる。

『助けて……ユウタロウ!』

その声はどんどん近付いてきている。間違いなく、すぐ近くに彼女はいる。

階段を駆け上がり、硬く閉じられた屋上へのドアを体で押し開ける。

屋上には白いシーツが何枚も揺れていた。その白い林の中に彼女はいるに違いない。

「レルフィム!」

僕は大きな声で呼び掛ける。だが、返事はない。

「レルフィム、どこにいるの?」

そのまま白いシーツが揺れる屋上を歩き始める。

しばらく歩いていくと、やがて給水塔にたどり着いた。僕はその裏側の暗い場所に回ってみる。

そこには、血まみれになった黒薔薇の天使が倒れていた。



その数時間前の公園。

ベンチへと放たれた一撃を回避したレルフィムは羽を抜くと、剣に姿を変えて構える。

「目標の暗殺に失敗。第一の命令放棄、第二命令へと移行」

両手に銃を構えた少女は高く飛び上がると、街灯の上に降り立った。

「第二命令、直接戦闘による目標破壊」

そして遠慮することもなく銃の引き金を絞った。

軽い衝撃とは裏腹に凶悪なまでの勢いを持った銃弾が飛び出す。

「くっ!」

レルフィムは剣で弾丸の軌跡をずらしてかわす。剣が弾丸に触れた瞬間、しびれるような衝撃が彼女を襲う。

「せめて名前くらい名乗ったら?」

「……」

銃使いの少女は返答の代わりに弾丸を撃ち出す。レルフィムは横に飛んで回避すると、剣を数本飛ばした。

街灯の上に立っていた少女をまっすぐに狙った剣は、しかし少女は再び大きく飛んで回避し、闇の中へと消えていく。

「センラ!」

蠢く闇が形を成し、槍となって少女へと襲いかかる。

だが、少女はそれを銃を交差させて防ぐと、小さく口を動かした。

「――」

それは風に流されて聞き取ることはできない。だが、確かに効力を発揮したのか、彼女の手足を光るリングが包む。

「加速……ね」

レルフィムは小さく舌打ちすると、剣を放った。

移動速度が数倍にまで加速された少女にその剣が当たることはない。

銃声が一度轟く。レルフィムは剣を構えると、迫り来る一発の弾丸を防ごうと剣を振るった。

彼女の体を襲う“二度”の衝撃。

確かに一発は剣に当たり……そしてもう一発は彼女の肩を貫いた。

「かはっ!」

レルフィムは傷口を押さえると、ふらふらと数歩よろめく。

それはクイックトリックと呼ばれる高速射撃術。

銃の引き金を高速で引くことにより、一回の銃声で二発分の攻撃を与えることができる。

「はぁ、はぁ……くっ! まずいわね……」

弾丸は左肩を貫通したようで、前と後ろに二つ傷口が空いている。

「目標命中。続けて攻撃する」

少女が強く地面を蹴る。その瞬間、まるで飛んだかのように一気に距離を縮める。

「ッ!」

二丁の銃を交差させながら強く打ちつけてくる。レルフィムはそれをなんとか片手で剣を操って防ぐ。

「私が手負いだから、もう弾を撃つ必要はないっていうの? 舐められたものね」

レルフィムは深く踏み込んで相手の銃を弾くと、横向きに薙ぎ払った。

少女は後退して回避する。その隙にレルフィムは翼を広げた。

「でも、悔しいけど私の負けね」

「!」

彼女はそのまま深遠なる闇へと飛び出す。

下方から銃声が響く。そのうちの何発かがレルフィムの体をかすめ、貫いた。

「いつっ!」

ぼたぼたと血の滴が垂れ落ちる。

レルフィムは苦しそうな声を上げながら空を飛んだ。



「レルフィム! レルフィム! 大丈夫!?」

僕は倒れているレルフィムに大きな声で呼び掛けた。

彼女は呼吸は弱かったが、うっすらと目を開いて笑った。

「やっと来てくれたのね」

彼女はそう嬉しそうに言うと体を起こした。

「う……」

だが、傷の痛みにうめいてそのまますぐに倒れてしまう。

「動かないで!」

僕はレルフィムに動かないように言うと、彼女の傷を見た。

全身至る場所にすり傷や銃創があった。いくつかは塞がりつつあったが、重傷なのはすぐにわかる。

「最強、とまで言われたカードがこのザマよ。まったく情けないわ」

彼女は自嘲気味にそう言うと、薄く笑った。

「一体誰が……?」

「アイツよ。ノエルと一緒にいた銃使いの女。エルフィドを使わずに戦ったら負けちゃったわ」

「レルフィム!?」

その頃、ようやくアリシア達が到着する。傷付いたレルフィムを見て、一同は息を飲む。

「酷い怪我……私、お医者様を……」

「待ちなさい。それはちょっと困るわ……ごほっごほっ」

レルフィムはなんとか体を起こすと、医者を呼びに走ろうとした東條さんを止める。

「こんな状態じゃ羽がしまえないわ。このままじゃ私が人間じゃないということがバレてしまう。それは非常にマズイのよ」

「だからってこのまま放っておくってわけには……」

「そうだ! リオナのムーティエンのシグマには回復のシグマはないの?」

僕はリオナの方を見る。だが、彼女は首を横に振った。

「ないね。そもそも再生のシグマは超高級のシグマね。発現できる者は滅多にいないね」

「そうだ! 僕のシグマを使えば……」

しかし、そこまで言って僕は思い出す。僕は確かに回復のシグマを使うことができたが、その使い方がわからない。

「……クソ、使い方がわからない……」

「人間がシグマを使うことができたということがほとんど奇跡のようなものよ。そう何度も簡単にできるようなことじゃないわ」

「なんで……僕はこんなに無力なんだ……」

このままレルフィムは死んでしまうのだろうか。折角仲良くなったのに、それは嫌だった。

「僕、レルフィムが死んだら嫌だよ。最初はカードだったけど、やっとわかりあえたのに……なんで僕はこんなにも無力なんだ!」

僕は思い切り拳を給水塔に叩き付けた。一際大きな音が響き、拳が痛む。

こんなことをしたところで無意味なことはわかっていた。だが、このやり場のない怒りを何かにぶつけないと気が済まなかった。

「一つだけ方法があるわ」

「え……?」

レルフィムがぼそりと呟くように言った。

「私が……またあなたと契約して、レミトネイション・ドルヲスを出せばいいのよ」

そう言って、彼女が指をさしたのは東條さんだった。

「私と……契約……?」

「意識を失っていたとはいえ、確かにあなたは私のリトマスだった。そしてそのときに使えた剣の能力は吸収。相手から力を奪い、そして他の者へ与える能力。ちょこっとあなたの感情の力をもらって、私を回復するのに使えば私の傷はすぐに癒えるわ」

「私の……感情の力……」

しばらくの間東條さんは黙っていたが、やがて決心したのか顔を上げて頷いた。

「私、契約します!」

「じゃあ、すぐに始めるわ」

レルフィムは東條さんの手を取ると、目を瞑った。

「ムーティエン、レミトネイション・ドルヲス……いえ、これは……」

重なった二人の手がより一層強く輝く。

「ソルバブ・ドルヲス、顕現」

光が強く輝き、レルフィムの手に集まる。

そこには見事なまでの宝飾が施された長剣が現れる。

「これが……あなたの心の本当の姿」

レルフィムはその美しい剣をまじまじと見つめる。

「これが……ムーティエンなんですか……?」

東條さんもその神々しい剣に見惚れるように見入る。

レルフィムは目を瞑って深呼吸すると、その剣でためらうことなく自分の胸を貫いた。

一瞬ぴくりと震えたが、やがて深く息を吐いた。

「凄い……今までの剣とは比べ物にならないほどの力が流れ込んでくる……これが真のムーティエンの力……」

みるみるうちにレルフィムの傷が塞がっていく。

「もう大丈夫」

そう言うと、彼女はゆっくり剣を引き抜いた。

剣が刺さっていた傷口はすぐに塞がり、元のように戻る。

レルフィムはもう一度深呼吸すると、ぽんぽんと服の汚れを払って立ち上がった。

「助かったわ。礼を言わせてもらうわね。ありがとう」

レルフィムはそう言うとちょこんと頭を下げる。

そんなレルフィムに恐縮してしまったのか、東條さんは首をぶんぶんと横に振る。

「そんな、私は何も……」

そう言うが否や、彼女の足元が少しふらつく。僕は慌てて東條さんの体を支えた。

「大丈夫?」

「ちょっと力をもらいすぎちゃったみたいね。あなたはゆっくり休みなさい」

そう言って、レルフィムは東條さんの頭を撫でる。東條さんは小さく頷いた。

「やっぱり私にはこっちの方が合うかもしれないわ」

そう言って、レルフィムはムーティエンを構える。

「ユウタロウと契約できないのはちょっと悲しいけど……でも、一緒に住んでいられればそれで問題ないわ」

「それって、つまり……」

「残念だけど、今日にて私とユウタロウの契約は終わり。またアリシアとでも組むといいわ」

「人を襲わないって約束は……」

「それは守るわよ。今までお世話になったわけだし、これからもお世話になるわけだし……そういうわけでよろしくね」

そう言ってレルフィムはにっこりと笑った。


ついにレルフィムとの契約破棄が来ました。これでアリシアはまたユウタロウと契約を交わすことができます、やったねメインヒロイン!

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