第十話
書き忘れてましたが、九話またパロディネタ出てましたね。
第十話
放課後、僕は東條さんが入院している病院を訪れていた。
彼女が学校を休んでから半年が経過しようとしていた。
面会バッチを胸に付けると、エレベーターに乗って入院病棟へと向かう。
HASにかかった患者は最初ICUに入っていたが、世界規模で一気に増加したため、一般病棟へ入れさせることが多かった。ICUのベッドが足りなくなったのだ。
彼女の名前が書かれたプレートを探す。一度だけ見舞いに来たことがあったが、場所をよくは覚えていなかった。
「ここか……」
東條ユイ。相部屋なのか、プレートには他に何人かの名前が書かれてあった。
僕はゆっくりと引き戸を開いた。中には四つのベッドが並べられ、そのうち三つのベッドに患者が入っていた。
「おや、お見舞いかね?」
部屋に入っていた老婆が声をかけてくる。
「あ、はい。東條さんのお見舞いに……」
「ふむ……私はここに来たばかりでよく知らないのだけれど、ずっと眠りっぱなしだっていうじゃないか」
「まだ目覚めないんですか?」
「私は東條さんが起きているのを見たことがないよ」
僕は部屋の中に入っていくと、東條さんのベッドの隣に折りたたみ式のパイプ椅子を持っていって座った。
彼女のベッドの横には点滴台が置かれていて、大きなボトルに繋がれてあった。おそらく栄養剤だろう。そして、脈拍を図る心電計が規則正しいリズムで音を鳴らしていた。
しばらく彼女の隣に座っていたが、一向に起きる様子はない。
レルフィムによると、心を戻された人間が再び意識を取り戻すためにはそこそこ時間がかかるらしい。それが実際に何時間なのか、何日なのか、彼女は語ってくれなかった。
「東條さん……」
彼女の胸が呼吸に合わせて小さく上下する。しっかりと命を刻み続けている証だ。
窓の外には沈む行く太陽が輝いていた。僕は窓から外の景色を眺める。
このまま彼女が起きるまで、僕にできることはないのだろうか。ただ、起きるのを待つしかないのだろうか。
しばらくの間、彼女の隣に座って回復を待っていたが、やがて時間も遅くなってきたので帰ることにした。
既に日は沈み、あたりは真っ暗になっていた。
そういえば、アリシアはどうしているのだろうか。レルフィムが来たせいで探しに行けなかったが、もう彼女が家を出ていってから二日が経過している。
「アリシア、どこにいるんだろう……」
僕は公園にさしかかる。もうここまで来れば家まで後少しである。
ふと、公園に人影が見える。
「やっと帰ってきた」
そこで僕を待っていたのはアリシアではなく、レルフィムだった。
「ああ、レルフィム」
「おかえりなさい」
僕は彼女と並んで歩き始める。
「ねえレルフィム。アリシア見てない?」
「何よ。まだあの子の心配してるの?」
彼女は不服そうに口を尖らせる。
「私があなたのリトマスになったんだから、あんな子のことは忘れちゃいなさいよ」
「そういうわけにはいかないよ」
僕のせいで彼女を追い出すことになってしまった。確かに彼女は迷惑な存在だったが、いなくなればやはり寂しい。
「そんなに探したいのなら、あのリオナって子に頼めばいいじゃない。メセブリィを通じて探し出せるかもしれないわよ?」
「わかった」
僕は携帯電話を取り出すと、トモミに向けてメールを打つ。
アリシアを探すのをメセブリィに手伝ってもらいたい。そういう内容だ。
しばらくするとすぐに返事が返ってきた。
『差出人:神崎トモミ
宛先:坂下ユウタロウ
送信日時: XX/04/28 21:17
件名: Re:お願い
わかった。リオナに伝えておくね。
ところで、ユウタロウ君大丈夫?
レルフィムに変なことされてない?
それがとても心配なの』
僕は心配されている、ということがとても嬉しかった。
『差出人:坂下ユウタロウ
宛先:神崎トモミ
送信日時: XX/04/28 21:20
件名: Re:お願い
心配しないで。大丈夫だよ。』
それだけ打つと返信する。
「そんなにあの子のことが心配?」
「当然だよ。アリシア、一人で生きていくなんてできなそうだし……今ごろどこかでお腹空かせて倒れてるかも……」
自分で一瞬想像して笑いそうになってしまったが、実際あり得そうなことなので困る。誰か見ず知らずの人に襲いかかってたりしないといいのだけれども……。
「アリシア、お腹空くと何するかわからないからなぁ……」
「あら、獣みたいね」
「いや、まあそのたとえは間違ってないけど……」
それで何度組み伏せられたことか。その度に気絶させられ強制的に夢を見させられては食べられた。あの小さな体のどこにそんな力が眠っているのかわからない。
やがて家が見えてくる。僕はレルフィムと一緒に家の中に入った。
「ご飯作るよ」
「私が作るわよ」
「いや、レルフィムに任せるとまた毒混ぜられそうだから……」
確かに不味くはなかったが、あんな料理をまた食べさせられても困る。
僕は一人台所に立つと、冷蔵庫から牛肉とピーマンを取り出してフライパンで炒める。
レルフィムは僕が相手できないことを知ると、一人でテレビを見ていた。アリシアが録り溜めた夢の美食ツアーのDVDである。
フライパンでじゅうじゅうと音を立てる肉とピーマンをかき混ぜながら、僕は一人アリシアのことを思う。
彼女は元気にしているだろうか。きちんとご飯を食べているだろうか。空腹で泣いていないだろうか。誰かを襲ってはいないだろうか。
「あっ!?」
考え事をしながら手を動かしていたら、いつの間にか肉が焦げついていた。僕は慌てて火を止めると、皿の上に盛り付ける。
「レルフィムに悪いなぁ……」
冷蔵庫の中を漁ってみる。冷凍室に冷凍のエビシューマイが入っていた。それを電子レンジで温めればとりあえず食べるものはできる。
夕食を用意すると、僕はテレビを見ていたレルフィムを呼んだ。レルフィムはすぐにテレビを消すと、うきうきしたような足取りでやってきた。
「あんな番組見てたらお腹空いちゃったわぁ」
そんなに美味しそうなものを紹介しているのだろうか。低視聴率というのは伝え聞いた話なので、もしかするとそうではないのかもしれない。
「あら、ずいぶんコゲコゲね」
「考え事しながら作ってたらさ……こうなっちゃったよ……」
「だから私に任せればよかったのに……」
レルフィムは椅子に座ると、いただきますをしてから焦げた肉に手を付ける。
「うん、でも美味しいわ」
「そう?」
僕も食べてみる。確かに悪くはない。
だが、そう考えるとうまくできたときはどれだけ美味しくなったのだろうか。それが残念だ。
「ユウタロウ、料理上手なのね」
「そうかな……?」
レルフィムはかなり早いペースで箸を進めていく。やはりユジューというものは皆大食いなのだろうか。
「エビシューマイは冷凍?」
「うん、まあ焦げた肉だけじゃよくないと思ってさ」
「いい配慮ね」
時折羽をぱたぱたと動かしながらレルフィムはエビシューマイを食べる。……この羽は犬でいうところの尻尾のようなものなのだろうか。
「東條さん、今日は目を覚まさなかったよ」
僕はふと、東條さんのことを思い出す。今日見舞いに行ってきたが、彼女は日が暮れるまで目を覚ますことはなかった。
「まあ、心を取り戻してもすぐに目を覚ますとは限らないわね。人によるけど、数日から数週間はかかると思うわ」
「そんなにかかるものなの……?」
「ええ。心が体に定着しても、きちんとリンクされなければ人は目を覚まさない。そのあたりの微調整に時間がかかるのよ」
「そうなんだ……」
それならば、明日は見舞いに行ってもあまり意味がないかもしれない。となると、明日の放課後はアリシアを探した方がよいのだろうか。
「とても美味しかったわ。ごちそうさま」
そう言うと、レルフィムは箸を置いた。見ると、すでに彼女の分は空っぽになっていた。
「まだ食べる? 僕の分もあげるよ」
「いいの? それならいただこうかしら」
やはりユジューというものは大食いなものらしい。
夕食を終え、時間も過ぎてやがて寝る時間となった。
レルフィムは昨日ほとんど寝ていないようで、早々に部屋へと引き上げてしまった。ちなみに部屋はアリシアに貸していた部屋とは別の客間である。アリシアが帰ってきたときに、せめて居場所くらいは残しておいてあげたかった。
僕は一人ベッドに横たわると、一人真っ白な天井を見上げながら考える。
今、アリシアはどうしているのだろうか。それがとても心配だった。
「ん……?」
こつこつ、と窓の方から音がする。風で何か飛んできたものでも当たったのだろうか。
もう一度、こつん、という音がした。僕はベッドから起き上がると窓の方へと歩み寄った。
「ッ!」
家のすぐそばを通る道路。そこにアリシアが立っていた。
僕は急いで部屋を出ると、階段をかけ降りて家の外に飛び出した。
「アリシアっ!」
僕は彼女の名を呼ぶ。彼女は一瞬びくりと身を縮ませたが、おずおずと視線を合わせてくる。
「ユウタロウ……」
弱々しく僕の名を呼ぶ彼女は、数日前に家を飛び出したときに比べていくらか薄汚れていた。
「アリシア……」
僕はふらふらと一歩ずつ彼女のもとへと歩み寄る。
「ごめん、アリシア……」
「ユウタロウ……」
彼女も僕の方へと歩いてくる。僕は彼女の手を取った。
以前に触ったときはあんなにも滑らかだった肌が、今ではかさかさになっていた。
「ごめん……アリシア……ごめん……」
「私こそ……ごめん……」
僕はアリシアのことを抱きしめた。彼女も僕に体重を預けて腕の中へと飛び込んでくる。
「アリシア……僕は君に謝らなきゃいけないんだ」
「何……?」
「話せば長くなるんだけどね……」
僕はノエルのことやレルフィムと交わした契約について話した。
僕の心変わりはノエルという少年が原因であること。レルフィムが今後人を襲わない代わりに、レルフィムと契約したこと。そのために無断でアリシアとの契約を破棄したこと。一緒に住むことになったこと……。
そういったことをすべて説明した。彼女は乾いた笑みを浮かべながらその話を聞いていた。
「ごめん……」
僕はもう一度謝った。彼女は首をふるふると横に振る。
「ユウタロウが謝ることじゃないよ……」
「アリシア?」
「悪いのはノエルってカードよ。あなたは何にも悪くない」
「でも……僕は勝手にアリシアとの契約を破棄した。それは……アリシアに相談しないといけないことだよ」
「だって、あのレルフィムを押さえつけられたんでしょ? 一人の人間を救えたんでしょ? なら十分じゃない」
口ではそう言っていたが、やはり勝手に他人と契約したことが堪えたのだろう。彼女の表情には明らかに苦渋が浮かんでいた。
「ねえアリシア……戻ってきてよ。レルフィムがいるけど……でも、僕はアリシアに戻ってきてほしいんだ」
「それは……」
彼女は悲しそうな表情を浮かべる。
「できないわ」
「え……」
「もう、ユウタロウは私のリトマスじゃない。私達ティオナにはリトマスがいなければならない。だから、私は新しいリトマスを探さないといけない。だから……ユウタロウとは一緒にいられない」
「そんな……」
僕の身勝手が招いた結果とはいえ、それは僕にとってあまりにも酷な答えだった。
「でも……私はユウタロウのこと……好き……だから……」
彼女は頬を赤く染めて、うつむきながらぼそりと言った。
「え、ええ!?」
突然の告白に僕は慌てふためく。
「そ、そういう意味じゃないわよ! ユウタロウのこと、友達として好きだってことよ!」
「あ、ああ……ごめん、変な勘違いして……」
「ううん、私の言い方が悪かったわ」
彼女は頭をぽりぽりと掻きながら言った。
「ユウタロウと仲直りできてよかった。じゃあ、もう行くね」
「本当に……戻ってこれないの?」
「うん……」
彼女はこくりと頷いた。
「ユウタロウ……これ持っててくれる?」
そう言ってアリシアが差し出してきたのは一つの宝石のような石だった。
「これは……?」
「お守り……かな」
「お守り……?」
「ピンチのときは必ず助けるから……だから、ずっと持ってて」
そう言って彼女は僕に石を握らせる。ごつごつとした触感とは裏腹に温かい。
「わかった」
僕はその石をポケットの中にしまった。彼女は嬉しそうに頷く。
「じゃあ……またね」
「リトマスができたら……また会いに来てくれるよね?」
彼女はこくりと頷いた。それを見て僕は安心する。
アリシアは一人闇の中に消えていく。彼女の姿が見えなくなってから、せめてあんパンの一個くらい持たせてあげればよかったと思った。
僕はいつも通り学校へ行く。今日もレルフィムは学校にやってきた。彼女には好きなようにさせておく。
「はぁ……」
僕はアリシアから預かった石を見つめながらため息をつく。
「どうしたんだ?」
そのとき、コウがやってきた。まだ彼とは仲直りしていなかった。
「コウ……」
「何かあったなら相談しろよな? 話、聞くぜ?」
あれだけ冷たい言葉を放ってなお、彼は自分に相談しろと言ってくれる。僕は石をポケットにしまうと彼の方を向いて座り直した。
「き、昨日はごめん」
「ん、ああ。たまには一人になりたいときもあるさ」
彼はそう言って、近くの椅子を引っ張り出してきて座った。
「そういうときはそっとしといてやるよ。でも、心の問題が片付いたら相談しろよ。できることならなんでもやるぜ?」
彼とは長い付き合いである。そんな親友の彼の言葉をここまで嬉しく思ったことはあっただろうか。
「ありがとう……」
「おう!」
そのとき、トモミとリオナがやってくる。
「あ、トモミ……」
「こんにちは、ユウタロウ君」
「レルフィムはいないのね……?」
「うん、今はいないよ」
コウだけが話の展開を読めていなかったが、気にせずに話を進める。
「え、れるふぃむ? なんだそれ?」
「ちょっと僕の知り合いだよ」
「お前、外国人の知り合い増えたな……」
語感から外国人だと思ったらしい。半分はそれで当たっているからよしとする。
「それはさておき、アリシアの居場所のことね」
「え、アリシアちゃん見つかったのか!?」
「ばっちりね」
トモミは地図を広げる。そこの中の一点をリオナは指さした。
「このアパートに今は一人で住んでるね」
「笹瀬荘……?」
この学校からそう遠くない場所に立っているアパートのようだった。敷地面積の広さからいって、そう大きな場所でもないのだろう。
「でも、もう大丈夫かも。昨日、実はアリシアと会ったんだ」
「そうなのね?」
「うん。だから大丈夫」
「アリシアちゃん、お前のトコに戻ってこないのか?」
「うん。今はちょっとワケありでね……」
コウは少し悲しそうな表情を浮かべた。
「ちぇ、せっかく友達になれたのにな……」
「学校、来れないのかな……」
トモミとコウは残念そうに呟いた。
「あのアリシアなら大丈夫ね。そのうちすぐに顔でも出すね」
「あら、私の噂?」
「うわ!?」
気付くと、アリシアがすぐそばに立っていた。
「なななな、なんでここに!?」
「居ちゃ悪い? ここ、一応私も在籍してるんだけど」
そう彼女は頬を膨らませて不満そうに言う。
「ちょっと今朝は荷物の整理で時間食っちゃってね。ブランチを取ってから出てきたらお昼休みになっちゃったのよ」
「なるほどな……いやでもよかった。アリシアちゃんが戻ってきてくれて、俺嬉しいよ!」
そうコウが本当に嬉しそうに言う。トモミも表情を綻ばせて笑う。
「アリシアがいなくて昨日は退屈だったね」
リオナも口を尖らせて文句を言う。
「悪いわね。でも、ちゃんと今日から学校行くわよ」
「よかった……。本当によかったよ」
僕も正直なところ、とても嬉しかった。彼女と再び会えたこと、そしてこの学校に来れば彼女に会うことができるとわかったことが嬉しかった。
「まったく、ユウタロウは昨日会ったばかりでしょ? 涙なんか浮かべちゃって……男らしくないわよ?」
「な、涙なんか出てないよ!」
そういいつつ、僕はごしごしと目許を拭う。
「あはは、やっぱりユウタロウは見てて飽きないわ」
それが彼女のひっかけだったということに気付き、僕はぽりぽりと頭を掻く。
「あはははは」
「そんだけユウタロウは心配だったんだろ?」
三人も笑う。それにつられるようにして僕も笑った。
皆と別れた僕はレルフィムと一緒に病院へと向かっていた。
もうアリシアを探す必要もない。それならば、一日でも早く東條さんが復帰することが望ましかった。
「まあ、私が行っても大したことはできないでしょうけどね」
そう言いながらも、レルフィムは付いてきてくれる。なんだかんだいって責任を感じているのだろうか。
面会バッチを受け取って、エレベーターで病室がある階まで上がる。
「いらっしゃい」
昨日の老婆が声をかけてくる。僕はそれに軽く会釈した。
二人分の椅子を用意し、レルフィムと僕は腰かけた。
「リンク切れね。まあ、このまま復帰するまで待つしかないでしょう」
彼女の目から見てもそういうことらしい。このまま待つしかないのだろう。
レルフィムは椅子の向きを変えて外を眺める。ここからの景色は確かにいい。
「ねえユウタロウ」
「ん?」
「あなた、アリシアのこと好きなの?」
僕は思わず噴き出した。
「ななななな、いきなり何!?」
「だって、昨日抱き合ってたじゃない」
「み、見てたの!?」
彼女はつまらなそうにこくこくと頷く。
「私のリトマスって自覚あるの?」
「う……それは……」
しかし、彼女は小さくため息を吐くとすぐに清々しい表情を浮かべる。
「ま、私がすぐに忘れさせてあげるわ」
彼女はそう言うと、椅子から立ち上がった。
「ちょっと空を見てくるわ」
「空……?」
「ええ。気晴らしよ。すぐに戻るからここにいてね」
そう言うと彼女はさっさと部屋から出て行ってしまう。
「ほほ、女の子を二人もとは、君も隅に置けないわね」
気付くと、同室の老婆がいやらしい目つきで僕のことを見ていた。
「え、あ、いや、その……」
「何も言わなくともわかっておるよ。それに、今度はその子まで……大胆すぎじゃな」
老婆の視線の先を見ると、そこにはベッドで眠る東條さんの姿があった。
「な、そんなんじゃないです! 彼女は……その……」
「何も言わなくともわかっておるよ」
先ほどと同じセリフを老婆は繰り返す。思い切り誤解されているようだ。
「確かに可愛らしい子じゃな。笑ったらさぞ可愛いじゃろうて」
僕は東條さんの顔をちらりと窺う。確かに東條さんの顔つきはとても端正で整っている。笑ったら可愛いだろう。
(何を考えているんだ僕はっ!)
そんな邪念が浮かんできて、僕は首をぶんぶんと振る。
「ほほ、若いというのはいいものじゃのう。私も若いころはねぇ……」
老婆の昔話が始まる。僕は小さなため息をつきながら老婆の言葉に耳を傾ける。
「わしがまだ14の頃じゃった。その頃は遊ぶところなんてほとんどなくてのぉ。いやはや便利な時代になったものじゃ」
「……はぁ」
かなり長そうである。僕は仕方なしに老婆の方へと向き直る。
東條さんは今どんな夢を見ているのだろうか。それとも夢を見ていないのだろうか。
起きたら半年が経過していたと知ればどんな反応をするのだろうか。悲しむのだろうか。嘆くのだろうか。
僕だったらどうだろうか。一度眠って、再び起きたときには半年が経過していた。
何よりもまず驚くだろう。そして、やはり悲しむのだろうと思った。
「……あ」
そんなことを言ったら、自分の母親はどうなってしまうのだろうか。
動いてる姿を一度も見たことのない母。ざっと計算すれば15年近く眠っている計算になる。
父親の話によれば、乳離れとほぼ同時くらいに眠りについたとのことだ。自分の息子が一度寝て起きたとき、こんなにも成長していたら何を思うだろうか。
成長の様子を見ることができなかった悲しみか。それとも自立している息子の姿を見ることができる喜びか。それともそもそも関心などないのだろうか。
もはや他人となりつつなる母にこんな思いを抱いたのは初めてだった。
(でも……母は戻ってこないだろうな……)
東條さんの心は食べられずにムーティエンに使われていたから平気だっただけで、もし食べられていたらもう、意識が戻ることはないのだろう。
きっと、一度も母の声を聞くこともなく母は逝ってしまうのだろう。
HASの末路は全身衰弱による筋肉の衰えからくる心臓の停止だ。筋ジストロフィーと同じである。使われない筋肉は衰えていく。
平均して眠りについてから20年程度でそれは訪れるという。免疫力の低下によって感染症を発症することもあるという。
あと遅くても5年で自分の母はこの世から去るのである。そう考えると、少し悲しいような気もしてきた。
今まで考えたこともなかったことをなぜ考えているのだろうか。それは目の前に東條さんがいるからだろうか。
もし、母が帰ってくると言われたら僕はどう思うだろうか。
一般的な母というものと触れ合ったことのない僕。
もし、母がいれば僕はどんな生活を送っていたのだろうか。
父親の話では模範的な賢母だったそうだ。
もし、母が……。
そこまで考えて、気付くと目許に涙が溜まっていたことに気付いた。
「いや、三人同時に手玉にとったときはいい気分じゃったよ」
老婆の声も耳には入ってこない。
僕は……母がいなくて寂しかったのだろうか。
ぽたり、ぽたりと涙があふれては落ちていく。それは止まるところを知らない。
話をしたこともない母親。今までいないものとして過ごしてきた母親。そんな母親を今ごろになって求めている僕。
一体何がどうしたというのだろうか。
僕は眠っている東條さんを見つめる。
彼女が戻ってくるという話を聞いて、今まで諦めていたことに希望が見えたからだろうか。
「む、どうしたんだい?」
ふと、老婆は心配そうな口調で僕に声をかけてくる。
「なんでもないです」
僕はごしごしと目許を拭う。
「ユウタロウ」
そのとき、レルフィムが戻ってきた。
「帰ろう」
「そうね」
「おや、残念だねぇ」
老婆は残念そうな表情を浮かべた。
「また今度来ます」
「そのときはまた話を聞いてくれるかえ?」
ほとんど話を聞いていなかったが、僕はこくりと頷いた。
帰り道、僕は暗い夜道をレルフィムと並んで歩いていた。
「ねえ、レルフィム」
僕はレルフィムに声をかける。
「なあに?」
「HASの患者が心をどうしたか……つまり、食べられたか、それとも誰かが持っているだけなのかってわかる?」
「そうね……ちょっと難しいけど、わからないことはないわ」
「本当!?」
僕はレルフィムの手を取る。彼女は驚いたような表情を浮かべてぽかんとしていた。
「え、ええ」
彼女はゆっくり頷く。
「思い出があれば、ある程度までは探すことができるわ。その人に関する思い出、情報があれば一応探すことはできる。もし見つけることができれば……その心の持ち主を倒して奪い取ることもできる」
「もし、食べられちゃってたら……?」
「そのときはわからないわ。存在しないものを存在しないと証明するのは不可能。あなたたち人間の常識に乗っ取って考えれば、ユジューなんて存在は存在するはずがない。でも、私達は存在している。つまりはそういうことよ」
探すことはできる。見つけることもできる。でも、ないものをないと断言することができない、という意味だろう。
「手伝ってもらえる……?」
「あの子の心?」
「ううん。僕の母なんだ。もう15年も目を覚まさないんだ」
「それは……お気の毒だと思うけど……」
彼女は辛そうに顔を伏せる。
やはり、自分でもほとんど可能性のないことを言っているのだろう。
「まあ、やれる限りやってみるわ。あなたのお母さんの思い出の品とかはあるかしら?」
「うん。写真とかなら何枚か……直接会った方がいい?」
「それなら十分ね。別に会わなくても大丈夫よ」
母はここから離れた、母の故郷の病院で静養している。わざわざ会いに行くとなると大変だったが、その必要がないことを知って少しほっとする。
それと同時に、久しぶりに母に会う機会も失ってしまったのは少し残念な気もした。
「そんな顔しないでちょうだい」
僕が残念そうな表情を浮かべているのを見てか、元気付けるように彼女は言った。
「きっと見つけてみせるわ」
「ありがとう、レルフィム……」
長いこと歩いて公園にさしかかる。ここまで来れば家まで後少しだ。
「ッ!」
そのとき、レルフィムが立ち止まった。
「……いる」
「え?」
レルフィムが突然僕の方へと飛びついてきた。
「うわっ!?」
彼女に押し倒される形となって僕達は地面を転がる。
そのとき、何か火薬の爆ぜるような音が響いた。
「……失敗」
ジャングルジムの上に人影が見える。
長い銀髪。二本に分けられたツインテールは腰まで届くほど長い。
漆黒の衣装に身をまとった少女。見かけは僕とそんなに歳は変わらないように見えた。
両手には……煙を上げる二丁の銃。それを構え直すと、彼女は小さな声で呟いた。
「ターゲット、感知。指示を」
『そのまま倒しちゃっていいよ。心は持ってきてね』
どこから聞こえてくるのかわからないが、公園の中に少年の声が響く。
「了解」
レルフィムは強く舌打ちする。
「ノエル……ッ!」
「ターゲットの殺害申請承認。これより狙撃から直接戦闘による破壊へ移行」
彼女は両手の銃を構えると、エルフィドも展開せずに銃を乱射する。
「ッ!?」
とっさレルフィムは剣を抜いた。二発の弾丸を弾く。弾丸は激しい土埃を上げながら公園の遊具を破壊する。
「ちッ! エルフィドを展開する余裕もない……っ!」
エルフィドは自分の力をその場に満たすシグマである。展開すれば力を自由に行使できる。だが、それを展開せずに戦うということは、その必要もないほど弱い相手と戦うか、それともそれを展開できない理由があるのか、あるいはその手間すら惜しいということである。
「ユウタロウ! 走りなさい! こいつは私が抑える!」
「ど、どこに行けば!?」
「あの子のところに行って保護してもらいなさい! エルフィドが展開される前なら逃げ切れるわ!」
「わ、わかった」
僕は公園から走り出す。だが、銀髪の少女はそれを阻止しようと後を追う。
「待ちなさい、私の相手はあなたよ!」
レルフィムは何本もの剣を飛ばす。銀髪の少女は一度物影に身を隠すと、隙を見計らって銃で攻撃する。
レルフィムが作ってくれたわずかな隙を生かして僕は逃げる。レルフィムも僕を抱えたままでは戦いにくいハズだ。
「ターゲットの逃走阻止失敗。指示を」
『そのカード……今はティオナかな。彼女から倒していいよ』
「了解」
僕はレルフィムを信じることにした。
彼女ならきっとやってくれるはず。
きっと……生き残ってくれるにちがいない。
アリシアやっと出てきました。頑張れメインヒロイン!
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