第四話 違う道を歩む高校生
俊康が久し振りに雄馬と会ったのは、平成七年の八月だった。
夏祭りの季節。そんな日の、夜。
「今日の夜、暇かぁ? 久し振りに会わねぇかぁ? ちょっと報告もあるしさぁ」
電話口で、雄馬はそんなことを言っていた。
待ち合わせ場所は、一条公園だった。
夏休みの夜。
アオが眠る木の下での、待ち合わせ。
深夜に、俊康は家を抜け出した。母親は夜勤だったので、コソコソする必要もなかった。
午前二時。一条公園の木の下に行くと、雄馬が、バイクを傍らに待っていた。
「トシぃ。久し振りだなぁ」
雄馬は特攻服を着ていた。刺繍が施された特攻服。彼はこの三年ほど、ずっと、狂走会の特攻隊長を務めていた。総長にはならなかったという。
「俺、馬鹿だからさぁ。トップにゃ立てねえよぉ」
そう言って笑っていた。
「久し振りだな、雄馬」
「そうだなぁ。ああ、こんな時間に悪かったなぁ。新聞配達、大丈夫かぁ?」
「徹夜で行けばいいよ。どうせ夏休み中だし」
「高校かぁ。俺、ほとんど行かなかったなぁ」
中学卒業後、俊康は、市内でも有数の進学校に入学した。そこでも、成績は優秀だった。四〇〇人ほどの学年の中で、テストの順位は概ね四十番前後。当然のように、教師や母親は進学を勧めてきた。
けれど俊康は、就職の道を選んだ。大学に進学した方が、将来の給料や待遇がいいのは分かっている。それでも、少しでも早く働いて、自立したかった。母親に苦労をかけたくなかった。
雄馬は、中学卒業後、「名前を書けば入れる」と揶揄されるような高校に進学していた。学校はかなりサボりがちだが、暴走族の集会は皆勤賞だったという。高校の教師達は手慣れた様子で手を回し、彼を卒業可能な状態まで持っていったそうだ。
「それで、今日はどうしたんだよ?」
雄馬が俊康を呼び出すのは、それほど珍しいことではない。どんなに住む世界が変わってしまっても、彼は変わらず、俊康を友達だと思ってくれている。
それが、俊康にとっては嬉しかった。
「トシはさぁ、高校卒業したら、どうするんだぁ?」
公園内の自動販売機で買ったコーラを、雄馬は俊康に差し出してきた。まだ冷たくて、缶には水滴が付いていた。
「就職するよ。大学進学も勧められたんだけどさ。でも、少しでも早く働き始めて、自立したいし。お袋に楽させてやりたいし」
「そうかぁ。トシらいしいなぁ」
雄馬はしゃがみ込んで、自分の分のコーラを開けた。プシュッ、と小気味いい音がした。
俊康も、雄馬に貰ったコーラを開けた。口をつける。コーラは冷えていて、旨かった。
「雄馬はどうするんだよ? 就職か?」
「んー……まぁ、就職って言っていいのかなぁ」
雄馬は、どこか寂しそうな苦笑を浮かべていた。
「ウチの先代の総長に誘われてさぁ。俺、檜山組に入るわぁ」
檜山組。市内にある暴力団のひとつだ。それほど大きな組ではない。しかし、指定暴力団の傘下の組だ。俊康はその道の事情に詳しくないが、雄馬と付き合っていると、それなりに情報を耳にすることがあった。
「そうか……」
それ以上、俊康は何も言えなかった。
正直なところを言えば、反対したかった。決して人の賛同を得られる道ではない。その上、命の危険すら伴うこともあるだろう。友達としては、止めるべきなのも分かっている。
けれど、言えなかった。止められなかった。
「親父さんはどうしてる?」
意図的に、俊康は話題を変えた。
「親父は、なぁ──」
コーラを一口飲んで、雄馬は会話を途切れさせた。その表情が沈んで見えたのは、辺りが暗いせいではない。
「──今、入院してるんだぁ。末期のガンなんだってよぉ」
「……」
雄馬の父親は、酒浸りの生活をしていた。仕事もせずに、酒を呑んでは暴れていた。いつも不機嫌で、短気で、俊康が子供の頃は何度か叩かれたことがあった。他人の俊康でさえ叩かれたことがあるんだから、実の息子の雄馬は、数え切れないほど殴られていたはずだ。
それなのに雄馬からは、親父に対する恨みや憎しみが感じられない。
「親父はさぁ、もう、永くないんだぁ。考えてみたら、俺、親父にほとんど何も貰えなかったんだよなぁ。たぶん、親父がくれたのって、アオが最初で最後だったんじゃないかなぁ」
すぐ側の木の下で眠る、アオ。雄馬が、親父から貰えた数少ないもの。雄馬の友達。長く生きられなかった──ニワトリになれなかった、ひよこ。
「ニワトリって、格好いいよなぁ」
どこか遠くを見つめて、雄馬が呟いた。
「立派なトサカがあってさぁ。でっかい声で自己主張してさぁ。いざとなったら、嘴と爪で戦ってさぁ」
今なら、俊康にも分かる。雄馬の父親は、生活保護を受けて生きていたのだ。だから、まったく働いていなかった。働こうともしなかった。本来なら困窮した人が生活を立て直し、もしくは、どうしようもない事情で生活が苦しい人のための制度を、ただ怠けるためだけに使っていたのだ。
オスなのにトサカもなく、声も出さないニワトリ。戦うこともできないニワトリ。偉そうにできるのは、家の中でだけ。雄馬の父親は、そんな人間だった。
「俺さぁ。ニワトリみたいになりたいなぁ。でっかいトサカがあってさぁ。でっかい声を出してさぁ。戦ってさぁ。卵いっぱい産んで、ひよこをたくさん連れて。ひよこを守ってやってさぁ」
雄馬の父親がなれなかった、ニワトリ。
アオがなれなかった、ニワトリ。
「あんなふうに、俺も、格好よくなりてぇなぁ」