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第一話 ニワトリにする


「トシぃ。アオがさぁ、死んじゃったんだぁ。一緒に、お墓、作ってぇ」

 

 古い二DKのアパート。その一階。

 沼川俊康(ぬまかわとしやす)は、ひとりで留守番をしていた。


 目の前には、友達の坂下雄馬(さかしたゆうま)がいる。


 俊康の自宅アパートの玄関先。


 インターホンが鳴ったので玄関を開けたら、雄馬がいた。彼の小さな手には、青い色のひよこ。薄目で、彼の手の中で横たわっている。もう二度と動かない、小さなひよこ。


 俊康と雄馬は、小学校二年。互いに片親で、二人とも貧しい家庭で生きていた。


 貧乏だと馬鹿にしてくる同級生がいた。互いに庇い合っているうちに、仲良くなった。


 昭和六十年の九月。そろそろ秋がくる季節。そんな平日の、午後五時。


 俊康の母親は、今は仕事に行っている。介護、という仕事をしているらしい。それがどんな仕事なのか、俊康は詳しく知らない。分かっているのは、母親が毎朝八時頃には出かけ、帰ってくるのは夜の七時頃だということ。


 雄馬の父親は、いつも家にいた。いつも酒を呑んでいた。乱暴で、すぐに叩いてくる。だから俊康は、滅多に雄馬の家には行かない。彼と遊ぶときは、いつも俊康の家か、もしくは外で遊んでいた。


 雄馬がこの青いひよこを飼い始めたのは、今から一ヶ月ほど前のことだった。その日、珍しく機嫌のよかった父親が、夏祭りに連れて行ってくれたという。夏祭の出店で売られていたひよこ。


 大きな枠組みの中に、色とりどりのひよこがいたそうだ。枠組みの中で、所狭しと動き回っていた、と。


 どのひよこも可愛かった。そう、雄馬は言っていた。


「でも、こいつが一番可愛かったんだぁ」


 そのひよこ──アオを買った翌日に、雄馬は嬉しそうに言っていた。


「父ちゃんに、初めて買ってもらったんだぁ。だから、目一杯可愛がるんだぁ。こいつはもう、俺の友達だからさぁ」


 ボロボロのランニングシャツを着て、穴の空いた靴を履きながら、雄馬は歯を見せてニッと笑った。


「だから、トシもさぁ、アオの友達だ。トシは、俺の友達だからなぁ」


 俊康は、青いひよこなんて見たことがなかった。元気に動き回る姿が可愛い。こんな可愛いひよこの友達だと言ってもらえて、嬉しかった。


 それは、たった一ヶ月前の出来事。


 今、雄馬は泣いている。アオの亡骸を手にして。一ヶ月前とは違って、もう二度と動くことはない。


「わかった。お墓、作りに行こう。一条公園の木をお墓にしよう。あそこなら、掘り返されることなんてないだろうし」


 一条公園は、俊康が住んでいるアパートから歩いて五分ほどのところにある。住宅地の付近にある公園にしては大きく、遊具や池、木もたくさんあった。


「うん」


 涙を拭きもせずに、雄馬は頷いた。


 雄馬は、アオを大切そうに手に持って。

 俊康は、土を掘る小さなスコップを手に持って。


 二人は一条公園に足を運んだ。


 空はもう暗くなり始めている。けれど、二人には、帰りが遅くなっても咎める親はいない。俊康の母親はあと一時間は帰ってこないし、雄馬の父親は、酒を呑みながらテレビを見ているだけだ。


 一条公園について、一番大きな木を探した。その根元をスコップで掘り起こした。できるだけ深く掘るつもりだった。


 泣きながら穴を掘る雄馬を見て、俊康は心が痛んだ。実は、知っていた。アオが、それほど長くは生きられないことを。すぐに死んでしまうことを。


 初めてアオを見た日の夜。俊康は、仕事から帰ってきた母親にねだった。ひよこがほしい、と。アオみたいな変わった色のひよこがほしい、と。


「一緒に留守番するひよこがいたら、きっと、寂しくないから」


 変わった色のひよこ、と伝えた瞬間に、母親は分かったらしい。アオが、どこで買ったひよこなのかを。


「雄馬君のひよこって、お祭りで買ったんじゃないの?」

「うん。そうだよ」


 母親は膝をついて俊康を見つめると、頭を撫でてきた。


「可愛そうだけどね、そのひよこ、たぶん長くは生きられない。きっと、ニワトリになる前に死んじゃうと思う」

「嘘。どうして?」

「ひよこってね、本当は黄色いの。変わった色をしてるのは、人間が着色──色を着けたからなの。そういうコは、長くは生きられないんだよ」

「じゃあ、アオは、すぐに死んじゃうの?」


 どこか悲しそうに、母親は頷いた。


「そうだね。可哀想だけどね。でも、どうしようもないの」


 その話を聞いた翌日から、俊康は、雄馬の顔を見るのが辛くなった。アオを可愛がり、友達だと言った雄馬。初めて父親に買ってもらえたと、喜んでいた雄馬。


 でも、アオがすぐに死んじゃうってことは、雄馬はすぐに友達を失うってことだ。アオを買ってもらえたことを、あんなに喜んでいるのに。すぐに悲しくなるんだ。


 母親が言っていたことを、俊康は、どうしても雄馬に言えなかった。言えば、彼を傷つけてしまう。それが分かっていたから。


 アオの墓を掘っている最中で、独り言のように、雄馬が話し始めた。


「……少し前からさぁ、アオ、元気がなかったんだぁ」


 雄馬は、まだ泣いていた。涙が落ちた土を掘り起こしている。


「餌も食べなくなってさぁ。ウチに来たときはあんなに動き回っていたのに、全然動かなくなってさぁ」


 ズズッ、と鼻水をすすった。枯れるような涙声で、雄馬は話し続けた。


「俺の面倒の見方が悪かったのかなぁ。大事にしてたのになぁ。可愛がってたのになぁ」


 一緒に穴を掘りながら、俊康は、言いようのない感情に囚われた。胸がざわつく。この感情を、どう言ったらいいのか分からない。


 ──大人になってから、俊康は気付く。このとき抱えていた気持ちは、罪悪感なのだ、と。


 胸をざわつかせる感情に押されるように、俊康は正直に話した。


「ごめん、雄馬。俺、知ってたんだ。アオが、たぶん、長生きできないって」


 スコップの動きを止めて、雄馬は俊康を見た。驚きで見開かれた目からは、相変わらず涙が流れ続けている。


「なんでだよぉ」


 泣き続ける雄馬に共感してしまったのか。それとも、胸を締め付ける気持ちのせいか。もしくは、その両方か。気がつくと、俊康も泣いていた。


「……ごめん、俺、母さんに聞いて、知ってた」


 俊康は、母親に聞いたことを全て正直に話した。雄馬を傷つけたくなかったから言えなかったことも。


 二人して泣いて。大粒の涙を流して。涙が染み込んだ土を掘り起こして。


 木の根元に、アオを埋めた。不自然な、青い色のひよこ。土をかぶせて、弔った。


 アオを埋め終えると、雄馬は、土だらけの手で涙を拭いた。鼻をすすっている。まだ流れ続ける涙を、何度も何度も土だらけの手で拭いていた。ごしごしと目を擦る。真っ赤になった目で、じっと俊康を見た。


「アオはさぁ、青いから──変な色のひよこだから、死んじゃったんだよなぁ?」

「うん。母さんが言ってた。色を着けられたからすぐ死んじゃうんだ、って」

「じゃあ、俺はさぁ、死なないひよこを育てて、売るやつになるんだぁ。変な色にしないで、ちゃんと、ニワトリになれるひよこを売るんだぁ」


 言っている間に、また、雄馬の目から涙が溢れた。鼻水が出てきていた。


 鼻をすすって、汚れた手で涙を拭いて、決意のように繰り返した。


「ニワトリになっても、ずっと友達でいられるようにするんだぁ」



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