ぼんやり令嬢と渦巻く噂
新学期が始まってからなにかと騒がしいなぁ、珍しくコーヒーを飲みながら本をゆっくり読んでいるとオルハが心配そうに呟いた。
「新学期そうそう何かありましたお嬢」
「ありすぎて一周回って何もないかもしれない」
「……どういうことです?」
私の一周回って変な発言に、オルハが首を傾げるのを見て私は更に呟いた。
「知ってたオルハ、私、魔女らしいよ」
「魔女って呼ばれるようなことしました?」
「してないんだよなぁ……なんか私が嫉妬に狂ってブランデンブルクを没落させたーとか、アイン様の悪口を言った家門を追放したとか、そんな噂があるんだってさ」
アイリナ様から聞いた話をそのまま希釈せずにさらさらと伝えると、オルハは一瞬目を点にして、口をぽかんと開けた後に、すこし考えこんでからようやく呟いた。
「お嬢が嫉妬とか、想像すらつかないんですけど……というか、誰っすかそんな噂流したの」
口に出さずとも、拳でどうにかしそうなオルハをまぁまぁとなだめ、気にしていないことを伝えると少しだけ冷たくなった場の空気が元に戻った。
……オルハ、普段はぼんやりしているんだけど私に害があると思うと、顔つきが険しくなるんだよなぁ……。
「まぁ、お嬢がいいならいいっすけど……そういえばどうです?交流生は」
「あー、まぁ……うん……そうね」
「…………すいません。」
あまりにも歯切れが悪く、遠い目をしている私にオルハは何か察したらしく、しゅんとした表情で頭を下げた。
「いや、気を使わせてごめんね」
「別に俺はいいっすけど……なんかされたら言ってくださいね」
ぐっと拳を握るオルハは頼もしいのだけれど、どこか可愛らしくもあって思わず、心にあったはずのちょっとしたもやもやが霧散した。
「うん、ありがとうオルハ」
「はい、さてそろそろ寝たほうがいいっすよ?」
「そうだねぇ……」
思ったより時間が経っていたらしく、外を見ると外灯もそれぞれの家屋の明かりも減っていることに気づき読みかけていた本をゆっくり閉じた後に部屋に戻り……の前に歯磨きをしてから、おそらくリノンが整えてくれたであろうベッドに身を預けた。
ごろごろごろと何度かまるで陸にあげられた魚のように転がりながら、ふと自分でもなんでかわからないが漠然とした不安、それもレヴィエ様とかお母様とかと関わるときの凍るような思いではなく、ふんわりとした靄のような不安に包まれたまま、眠りに落ちたのだった。
結局、漠然とした不安の正体は分からずじまいのまま登校すると、なんだか人だかりができておりなんだなんだとやや目を細めてみていると中心にいるのはラフレーズ様だった。
おそらく、タイの色からして彼女の周囲にいるのはほぼ新興貴族か、平民出身の方々だろう。
アイリナ様同様、赤髪の聖女様にあこがれをもつ生徒は少なくないんだなぁ、と他人事のように眺めていると見知った猫耳がひょこっと隣で揺れた。
「いやぁ人気ですね、赤髪の聖女様とやらは」
私同様、他人事と言わんばかりにその様を見て呟いたのは、ラグ・クレスト……ニーチェさんと行った植物園で偶然出会った獣人の血を引く少女で、植物などに興味があるということで、レウデールの植物に詳しいジゼルを交えて何度か交流するうちに気軽に話すことができる関係になったのだった。
……と、誰にするでもない
「ラグさん、久しぶり」
「おひさです。フルストゥルさん」
可愛らしい耳をひょこひょこしながら頭を下げるラグさんをみて思わず触りたくなる気持ちを抑えて挨拶しながら疑問が口から出た。
「ラフレーズ様ってやっぱり人気なの?」
私の言葉を聞いた後に、一瞬目を丸くした後に私の顔を見た後に何か納得したのか一度頷いてから答えてくれた。
「人気ですよ?だって聞いてくださいよ。元々貴族でも何でもない平民として修道院で育った少女が、実は貴族でしかも神官としての素質を認められてなんていかにもじゃないですか?」
「確かに……しかも超絶美少女だし……これははかどるやつですね」
これ、少女小説だったらかなり王道ですよね。
平民出身の健気な少女が実は貴族で、聖女の素質もあって……そして貴族が多く通う学院に通って、色んな男性からアプローチを受けて、なんかこういろんなピンチを乗り越えて、最終的には幸せなキスして終了的な?と勝手に最終回まで妄想していると、ラグさんはきょとんとした表情を浮かべていた。
「……はかどる?何が?」
「あぁなんでもない、ごめん」
また勝手に妄想の世界に行ってしまっていた、と自分に言い聞かせていると、ラグさんがうんうんと頷き答えた。
「最近はやりの小説だったら、王太子に騎士団長の息子に担任に……あとは気難しい先輩くらいいれば完璧ですね」
「……わかってらっしゃる」
思ったよりも解像度が高いなぁと感心していると、ラグさんは少し不思議そうに首を傾げた。
……と同時に、愛らしいお耳がひょこひょこ動いていて、思わず触りたくなりたくなったが何とか抑えた私、偉くないですか?と自分で自分を褒めていると淡々とラグさんが口を開いた。
「案外そういうの好きですよね、フルストゥルさん」
案外って、私普段周りからどんな本を読んでいると思われているのか少しだけ気になったが、そんなことより同士を増やそうと思い即座にラグさんに振り返った。
「愛読書よそういうの、今度オススメ貸すね」
「あ、興味ないんで」
「そっかぁ……」
あぁ、切ない……と思いながら、そのままラグさんと別々の校舎に入ろうとすると、突如後ろからそっと手を握られ驚いて振り返ると、そこには昨日は絶対に向けられなかった愛らしい表情を浮かべたラフレーズ様がいた。
「おい、大丈夫なのか?ラフレーズ様……あのレウデールの魔女のところに行ったぞ」
「相手は自分の気に触ればたちまち相手を破滅させるって有名なのに……」
「何かあったら俺らで守らないと……」
背後で狂信者と言わんばかりにめらめらと闘志を燃やす男子生徒と、少し心配そうな表情を浮かべている女生徒とが目に入り、少しの恐怖感をぐっと抑え込みながらラフレーズ様の出方を待った。
「おはようございます。フルルさん」
「……おはようございます。」
突然の愛称呼びに戸惑って少し返答が遅くなってしまったが、なんとかにこやかに答えると、ラフレーズ様が蕩けそうな笑顔を浮かべた。
「よかったぁ。私フルルさんと仲良くなりたいと思ってて……これからフルルさんと呼んでも……」
そこまで言いかけているところに、ふわりとジャスミンのようなさわやかな香りと、涼やかな風と共に長く美しい黒髪をなびかせたその人は、ゆっくりと口を開いた。
「……あら、ずるいわ」
「レベッカ様」
いつの間に私の後ろにいたのか、レベッカ様は私の肩を抱きながら続けた。
「私だってまだ愛称で呼べていないのに……妬けてしまいますね?」
「その……えっと……」
「どういう意図があってフルストゥルさんに近づこうとしてるのかは知りませんけど、本当に仲良くなりたいのなら段階を踏むべきではなくて?」
にっこりとでも、少しの冷たさを含ませたままレベッカ様はラフレーズ様に言った後にくるりと、先ほどまで私をどうしてやろうといった彼らに振り返った。
「それと、変な噂を鵜呑みにすると破滅しますよ?……さぁ、行きましょうか」
「ひゃい……」
あまりのレベッカ様のかっこよさに私はおろかその場にいた全員が膝から崩れ落ちそうになるのだった。
が、その背中をラフレーズ様がじっと睨みつけていたのに全くこちらは気が付かなかった。
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