ぼんやり令嬢の心は曇りのち大雨
あれから数日後、下校時間にブランデンブルク侯爵家専用の送迎車が眼の前に止まり、運転手がドアを開け告げた。
「お乗りくださいベルバニア伯爵令嬢、夫人がお待ちです」
「……はい」
促されるまま車に乗り、少し息苦しさを感じながら目的地へと車は進んでいく。
無言を気まずいと感じたらしい若い運転手が、口を開いた。
「珍しいですね、フルストゥル様が所用でこちらに来るのは」
「迷惑でしたか?」
「いっいえ、フルストゥル様はレヴィエ様の正式な婚約者ですから迷惑だなんてとんでも」
「正式……。まるで正式でない方がいるみたいですね」
なんの気なしに呟くと運転手は一瞬で顔を青ざめさせた。
「あ、えっと」
おそらくこの車は、レヴィエ様が様々な令嬢との逢瀬に沢山使われているのだろう。
私の軽い言葉一つでここまで動揺する様をみれば、手に取るようにわかってしまう。
私に申し訳なさそうにしているが、声を大にして傷ついていないから大丈夫だ。
という気持ちを込めて浅く笑った。
「冗談ですよ。」
「はは……」
以降運転手は、本当に当たり障りのない話しか振ってこなかったが、正直どんな話をしていたかよく覚えていないくらい浅い内容だった。
ようやく、ベルバニア本邸よりかなり贅をこらしてある。
豪華絢爛なブランデンブルク侯爵家に到着した。
「フルストゥルちゃん、うれしいわこうやって来てくれるなんて」
到着してから使用人たちの声を聴くよりも先に、嬉しくて嬉しくてたまらないというのを隠すこともなく熱烈に歓迎するフィリア様の好意を肌でひしひしと感じブランデンブルク侯爵邸へ足を踏み入れる。
「フィリア様、急にすいません」
ペルシュワール法律事務所を訪れてから、すぐに訪問の旨を伝えた手紙を送るとすぐに了承の返事をもらい、普段月に一回しか来ないくせにこんな私用で、しかも婚約破棄をするための証拠を入手するためにきたことが申し訳なるくらいフィリア様は「いいのよいいのよ」
と笑顔で迎え入れ、その上当然のように高級な紅茶と高級なお菓子がでてくる。
それも私が美味しいと一回言っただけの品で、いつもいつも来るたびに私の好きなものがピンポイントで出てくることに驚きつつ、今回ばかりは申し訳なさもありながら出された紅茶にゆっくり口をつけた。
「フルストゥルちゃんならいつでも歓迎よ、お手紙によると何か聞きたいことがあるようだけどどうしたの?」
優しい口調で問いかけられ、少し口ごもるも何とか口から言葉を吐き出す。
「私と、レヴィエ様の婚約について契約上の条件などを確認したくて。」
「あぁ、そう別に構わないわよ」
あっさり了承してくれたことに安心するも、いつのまに手を握られた。
真剣にレヴィエ様と同じ真紅の瞳で見つめられ、思わず体が硬直したのを知らず、フィリア様はじっとこちらを見つめたまま、問いかけた。
「……レヴィエのことが気に入らないの?」
「え?」
唐突に投げかけられた、予期していなかった問いかけに硬直するも、フィリア様はどんどん容赦なく疑問を投げかける。
「それとも社交界が辛い?それとも首都の空気が合わない?」
「……もしそうなら心配しなくていいのよ」
「フィリア様?」
「レヴィエのことが嫌いなら他に恋人を作ってもかまわないし、首都の生活が辛いなら卒業したら私の実家に行ってもいいのよ。」
あそこはベルバニアとも近いし、とこちらの言葉を聞くこともなく、フィリア様は一人でどんどんどんどん普段の穏やかな雰囲気とはかけ離れていく様に違和感と、言い知れない恐怖を感じながら深呼吸をする。
そう、レヴィエ様に言いがかりをつけられた時と同じように、心を落ち着けてフィリア様の瞳を見て言葉を吐き出した。
「深い意味はないんです、ただ幼い頃に結ばれた婚約とはいえ契約の内容を当事者が確認をしていないのは無責任かと思いまして」
「あぁ、そうなの、私ったら早とちりしてしまって恥ずかしいわぁ」
「いえ フィリア様のお気持ちは嬉しいです」
「奥様、こちらです」
そんな話をしているうちに、メイドが足早でフィリア様のそばに来たことに安心しつつ表情を崩さないように自分を律する。
「あぁありがとう、複製して彼女に渡してちょうだい」
「はい」
丁寧に封筒に入れられた契約書を手渡され、任務が終わった傭兵のような気持ちで受け取り頭を下げる。
「ありがとうございます」
「いいのよ、でもねフルストゥルちゃんさっき言ったことは本心なのよ?」
「はい?」
その表情は、まるで笑っているのに獲物を観察する狩人のそれで、私の一挙一動を見逃すものかという圧をかけられてるような錯覚を覚えた。
…なぜかフィリア様から目がそらせない。
「もしレヴィエが気に食わないなら他に恋人を作っても構わないし、社交が苦手なら無理もしなくていいし、帳簿とかそういうのが不安だったりしたら使用人に任せたって構わないのよ?」
甘い、甘い声色で優しく、それこそ母よりも優しく語りかけられているのに、フィリア様が言っていることはとても魅力的なはずなのに、なぜかその誘惑が罠だと錯覚してしまいそうになる。
どういう思惑なのか考えあぐねているうちに、フィリア様は甘い笑顔でささやいた。
「フルストゥルちゃんがうちに嫁いでくれるならなんだってするわよ、私」
なにをそこまで評価してくれているのだろう、と少しだけ期待するもその期待は実ることはなかった。
「そうしたら私とお姉さまは本当の姉妹になれるんですもの」
落胆と同時にようやく違和感の正体に気づいた、今までずっと感じていたのは、フィリア様は私の先にお母様を見ていたからだということにようやく気付いた。
なるほど、私はこの人にとってお母様に近づくための手段でしかなかったのか。だから私が貴族としての義務をはたそうがはたすまいが、醜聞を広めかねない行動をとったとしても、この人は責任も、負い目もないのだ。
この人の目的はお母様と姉妹になることであって、レヴィエ様と私の仲をとりもとうなど、ブランデンブルク侯爵家の発展もきっと眼中にないのだ。
それに気づいたとたん、今まで少しだけあったフィリア様に対する信頼などが、大きく音を立てて跡形もなく崩れ去り、同時にこの婚約を破棄しなければという思いが更に強くなった。
けれどそれ以上に、今まで優しくしてもらったことも嘘のように感じて、早くこの場から逃げてしまいたい衝動にかられた。
「送りはいいです。」
「え?」
「少し歩きたい気分なので」
ここから早く立ち去りたいが、ブランデンブルク侯爵家のものに乗ってしまうと、支配されてしまう気すらして自分の足でブランデンブルク侯爵家を後にした。
ようやく侯爵家が見えなくなったことで、心が少しだけ落ち着いたのか力が抜け、首都のメイン通り広場のベンチに体を預け、空を見上げ虚しさを抱えていると、すこし疲れがにじんだ声で話しかけられた。
「あれ、お嬢ちゃん」
「……ニーチェさん?」
一回しかあったことはないが、私を庇ってくれたことと珍しく緊張しなかったことで、覚えていた名前を口に出した。
「大丈夫か、元気ないみたいだけど。」
「えと……その」
まさか婚約破棄のために相手の家に行って心がえぐれたんですよ、なんて言えるわけもなく言いよどみ困っていると察したのか、それ以上は聞かずに横に座る。
「まぁ色々あるよなぁ」
俺も仕事が多くて嫌になるよ、と気楽に言った後心配そうにこちらの顔を覗き、心から真剣な声色で問いかけた。
「あれから平気だったか?殴られたりとかひどいこと言われたりとかしてないか?」
と、心から心配しているのがわかるほど優しさと、真剣さが伝わる表情で問いかけられ、一瞬泣きそうになるが何とかこらえて首を横に振った。
「そっか、でもしんどいときは無理するなよ?」
「はい」
どうしてこの人は、10年以上も付き合いがある侯爵家よりも、ここまで私自身の心配をしてくれるのか疑問に思いつつ。
ただ泣かないように我慢しているのに、それを隠すためか、あざ笑うためか急な大雨が降りだしたのだった。
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