9-客人
ノックの音を聞いてロイデントは机に伏せていた頭をあげる。
「どうぞ」と声をかければ扉が開き客人が入ってくる。
「やあ、どうも。久しぶりだね、元気だったかい?」
とカラッとした様子で訪問した友人にロイデントは疲れた表情を見せた。
「疲労とストレスで困憊だ。全く呑気なものだよ」
と、ロイデントはくだけた様子で前髪を搔き上げる。
目の前の友人はロイデントの言葉に「ハハ」と笑いをこぼす。
「まあまあ、そういう約束だったんだからね。僕としては大満足さ」
「たく、隣国の王太子を秘密裏に訪問させるのにどれだけ骨を折ったことか。こっちの苦労を考えて欲しいもんだよ」
目の前の彼は用意された椅子に腰かけながら満足気に微笑んでいる。
彼の訪問が、今回の催事に置いてロイデントが最も労力を費やした案件だった。
彼こそが隣国のカルファトル王国の王太子である、アルエンス・ベル・スフェライト・カルファトリア殿下だった。
そう、隣国の大使というのが彼の事だったのだ。
彼は短く切りそろえられたマッシュヘアの黒髪に、吊り目のインディゴブルーの瞳を穏やかに細めている。
「さあ、ここまで手を尽くしてやったんだ。それでどうだった?お目当ての祭りの感想は」
「うん、圧巻だったね。これが伝説の魔法使いなんだと圧倒されたよ。魅入られるっていうのはああいうことなんだろうね」
そう言ってアルエンスは感慨深げに目を細める。
思い出すのは水と戯れるように踊る神秘的な少女。
踊る度に悪戯に舞い上がる風が彼女を彩って、それがまるで1枚の絵画のようで一瞬にして引き込まれた。
元々は祭り感覚での見物だった。物珍しさで見ていただけだったが、気づけば息を飲んで見入ってしまっていた。
あの時の張り詰めた、圧迫されるほどの空気感はどことなく戦々恐々としていた。
「今思えばあの張り詰めていた空気感、緊張していたんだね。聞いたよ、彼女倒れたんだって?」
ロイデントは眉を顰める。
一応、シレスタが倒れたことに関して、目撃した関係者には他言無用にしておいた。余計な混乱を避けるためだ。
けれど、それでも届くところには届いてしまう。
とはいえ、その事が漏れるのは予想の範疇だった。シレスタが運ばれている様子は誰かには目撃されているはずだから、それは仕方がない事ではある。
隠しておくべき事は別にあった。
「まぁ、あの場で気づくのは僕ぐらいなもんだよ。よっぽど、敏感な人でない限り分からないぐらい、些細なものだったから」
ああでも1人だけいた、とアルエンスは思い出す。
観戦した場所から右斜めの方にいた白い騎士を服に身を包んだ青年。
彼女が捌けると同時に、直ぐに舞台裏へと向かっていた。
彼も同じように気づいていたのだろうとわかった。
その話を聞きロイデントは溜息をついていた。
「緊張と疲労で疲れたんだろう。今は部屋で休んでもらってるよ」
「魔力も暴走したんだって?」
アルエンスの言葉にロイデントはより眉を顰める。
こいつはどこまで知っているのか。
ロイデントとしてはそこの部分は秘匿に、もしくはもみ消すつもりでいた。シレスタの魔力の暴走化は非常にシビアなところだった。
アルエンスはロイデントの表情を見てにっこりと微笑む。
「別に魔力が暴走した事くらいでそんな慌ただしくならなくてもいいじゃないか。別に彼女を戦争の道具で使うわけじゃないんだから。もっと穏やかに構えたらいいのに」
シレスタはこの国において絶対的な女神だ。
それは揺るぎのない存在。だからこそ、その力を使うことがなくても、理想と幻想で塗り固められた『銀の魔法使い』という存在には欠点があってはいけないのだ。
そのためには、シレスタの魔力の暴走は国民に知られてはいけない。ロイデントは彼女を傷つけたくないからこそ、全て秘密裏に処理していたのだ。
しかし、そのことをアルエンスに、隣国に教えてやるつもりはなかった。
「秘蔵っ子が起こした問題は心配かい?それともまた別の感情か。まぁでも、そうなると彼女。パーティには参加できないのかな?」
ロイデントは訝しげに眉を顰める。
パーティというのはもちろん今回の催事に因んだもので、城下で行われているものとは別の、城内の宮廷で開かれる貴族のための催し物だ。
シレスタが主役のパーティでもある。
「シレスタの容態にもよるけど、今のところは出席してもらうつもりだ。そのための準備も進めてる。でも、なんでそんなこと、君が気にするんだ?まさかパーティにまで参加するつもりじゃないだろうね?」
アルエンスはその通りと言いたげに微笑む。
ロイデントはもはや呆れたような顔でまた前髪を搔き上げる。
「君、今の立場わかってる?隣国の大使として訪問を許してるんだ。あんまり派手に動かれるとこちらとしても困るんだけど。パーティなんか特に目立ちすぎるだろう」
アルエンスは自分の髪を摘んで「ああ、この髪とか?染めようか?金髪にすればいい?」とか楽しげに話している。
「金髪なんて余計目立つ」とロイデントが零しながら、ため息を漏らす。
「もう十分、賭けの分は果たしただろう?これ以上は無理だ」
「そうだね、あの時のチェスの約束は確かに果たしてくれたね」
それは、ずっと前。ロイデントが隣国へ遊学として訪れた時に、遊び半分でチェスで賭けをしたのだ。
それを持ちかけたのはアルエンスだった。
『賭けをしないか?』
『賭け?』
『そう、勝った方が負けた方に何でも頼み事ができるって言う。内容は何でもいい。自分の力でできる範囲なら国を動かすようなことだって良いしね』
ロイデントは思案した。話の内容は悪くなかった。これで勝てば何か一つ頼み事ができるのだ。しかも、国ひとつの、カルファトル王国を動かすようなこともできるという。
実際、2人の中でのゲームのような話だし、強制力もないから負けても有耶無耶にすることだってできる。
相手にも同じことが言えるが、何か困った時に助けを要求できるような口実があることはこちらとしても助かるはずだ。
『賭けの期限は?』
『ないよ』
『いいよ、やろう』
結果としてはロイデントが負けて、アルエンスに約束を取り付けられてしまった訳だが、その約束も無事に果たすことが出来た。
ようやく肩の荷が降りるはずだったのに、こいつはまた問題を増やそうとしている。
「俺、パーティにも参加したいんだけど、ダメなの?」
「ダメだ」
「えー、じゃあチェスでもしよっか」
「絶対にしない!」
ロイデントはテーブルに手を叩きつけながら叫んだ。




