16-新たな風
トントントンとテーブルを叩く音が執務室に響く。
そうしている彼は苦しげに息をこぼして項垂れた。
「水をくれ」
そう言って右手を出せば、既に用意されていたコップが手渡される。
本当にできた側近だ。
それをぐいっと喉に流し込んでからウーと呻き声を出してまた項垂れる。
「気持ち悪い」
そう言ってロイデントは顰めた眉に手を置いた。
「今日はもう休まれますか?」
と無愛想な側近は表情を変えずに淡々と話す。
「いや、今日はやるよ。ここ数日分が溜まってるんだ。これで休んだらもっと具合が悪くなるようなことになる」
テーブルの上には、この数日で溜まりに溜まった書類の山ができていた。
祭りの準備で忙しく、書類は全くの手付かずの状態だったためにどれだけ手を動かしても一向に減る気配がない上、昨日は酔いつぶれるまで飲みすぎたせいで完全な二日酔いにより気分が悪かった。
昨日の記憶は曖昧だが、何を喋ったのかは覚えていたため余計な事を口にしたと、なお気分が悪かった。
はぁとため息をこぼし、少し酒は控えようと小さく誓った。
頭がズキズキと痛みながらも何とか手だけは動かす。
だが、直ぐにウウと呻き声をこぼす。
そうしてぱったりとへたりこんだ。
「少し休まれてはいかがでしょうか」
普段の彼にしては気遣うような声音だった。
ロイデントは素直に頷く。
「そうだね、少し休憩しよう」
そう言って椅子を後ろに引いてぐったりと背もたれにもたれ掛かる。
しばらくそうしてだらけていたロイデントは視線だけテーブルに寄こした。
今の具合の悪さは9割が二日酔いだが、もうひとつ、具合を悪化させている原因があった。
「さて、どうするかな」
そう言ってテーブルにある紙を、人差し指で引き寄せる。
実に悩ましい。
それは早急に解決させなければいけない問題だった。
またトントンとテーブルを響かせる。
「信頼出来る、優秀な部下に行かせたいんだけど誰がいいと思う?」
と目の前の側近に問いかける。
無愛想な彼はロイデントの言葉に表情を動かさず淡々と答える。
「殿下の御心のままに」
「よし、じゃあ決めた」
そうしてロイデントはひとりの部下を呼んだ。
「ブッシュンテルツ侯爵の領土で、ここ数日。貨物の紛失に加え人が行方不明になっているそうだ。あそこはカルファトル王国とを繋ぐ交易路だ。何か問題を起こすわけにはいかない」
バーデン・ブッシュンテルツ侯爵が管理する領土が物流においてメイン行路として使われている。
問題が発覚して報告に至ったのはつい最近だったが、件の自体はかなり前から起きていたようだ。
しかも報告を受けたのはバーデン氏からではなく、店側からだった。
商品が搬送されないと店側が気づきその訴えがあったが、運搬側からは物はしっかり届けたと伝えられ、結局街の憲兵がそれで処理をしてしまい、その話はこちらまで届くことが無かった。
しかしその後もそんな状態が立て続けに起こり、最終的には人も行方不明となったことでようやく報告を受けたのだ。
主として使われる交易路での問題は多国間での摩擦を生み、大きな問題にも発展しかねない。
今まで問題を起こさずに居られたのは、バーデン氏の管理が行き届いていたからこそだろう。その手腕を認めて、侯爵領での全てを一任してきたのだから。
けれど、今回問題が発生したバーデン氏の領土からは何の報告もない。事態を把握出来ていないのならそれも問題ではあるが、もうひとつ懸念があった。
厳格で生真面目な彼がこの問題を把握しきれていないとは考えにくい。もしも、把握している上で黙認しているのならば今回の事件の主犯の可能性も拭いきれなかった。
バーデン氏は温厚で忠実に忠義を全うする信頼する家臣だ。
今までの彼ならばその可能性は全く考えもしなかったが、最近の彼の仕事はお粗末だった。不必要に領民に課税を強いたり、だからといって領土を豊かにする訳でもなく橋や道路の整備に関しては中途半端だったりと明らかにまともな仕事ではなかった。
とにかく、事態の把握が必要となる状態だった。
「そこで俺に調査に向かえということですか?」
呼び出されたレイは首を傾げながら聞き返す。
「まぁ、そう。ちょっと、報告だけじゃ内情がよく分からないから詳しく調査と早急な解決を頼むよ」
大体の問題と任務の内容は把握出来た。
けれど、レイがいまひとつ腑に落ちないのが人選だった。
秘密裏の調査ならルアンや他にも優秀な部下が沢山いる。
その中でなぜレイなのか。
しかも、調査だけではなく解決もしろという。
実際のところレイにはかなり重荷なのだ。解決というのは、バーデン領土と王宮間での摩擦を起こさずに穏便に丸く納めろと言っているのだ。
まぁ、彼が法を犯していればその限りではないだろうが。
とはいえ、あまりレイはこういった仕事はこなして来なかった。
「ちなみにまだこの件は国王陛下に話していない。君の返答を聞いてから報告するつもりだ」
という事はロイデントの独断で計画を進めているということだ。
そして、最終的にそれを決めるのはレイだという。
「つまり俺の覚悟次第ってことですか」
「別に断ってもらったっていいよ。その場合は俺の信頼する部下を行かせるだけだ」
そういうとちらりと隣に控えている側近に視線をやった。
レイはため息を着く。
「殿下の守り刀を行かせる訳には行かないでしょう」
呆れ顔のレイに対して、ロイデントは両腕をテーブルに立てて眇めるようにこちらを見る。
「正直これはチャンスを与えてやってるつもりだ。今の君には1つでも実績を積み重ねて、自分の立場を確かなものにした方がいいだろう?身軽なうちに動けるなら動いた方がいいと思った。けれど、君が別に私の力が必要ないと言うなら断ってくれていい。今後も余計なことはしないよ」
レイは今は護衛騎士の任を解かれて、王宮近衛兵という立場にある。今の身分は一兵士の立場に過ぎないため、ある意味命令さえあれば自由に動くことが出来る。
ロイデントは1つでも成果を上げて、レイが正式な騎士へと認めて貰うためにも必要だとこの件を斡旋しているのだろう。
そして、ここで断ればもう二度と手はかせないと釘を刺されている。もう、ここで覚悟を決める必要があるのだと、レイは俯いた視線を上げ、ロイデントへと向き直る。
「俺の事情があろうと無かろうと、殿下の命令とあらば何だってします」
フッとロイデントは可笑しそうに笑って、レイへと口を開いた。
「そう、じゃあ命令だ。この件は全て一任する。早急な状況の把握と問題の解決を」
「yes,you're Highness」
そう言ってレイは跪いた。




