14-薔薇の庭園
“赤と白で彩られた花の女王の庭園で、魔法が解ける前までに、一等輝く白い星があなたを待っています“
赤と白、そして花の女王の庭園でシレスタが連想したのはバラの庭園だった。
花の女王といえば薔薇のことで、あそこには赤と白のバラしか存在せず、ちょうど今の時期が見頃なのだ。
魔法が解ける前とは恐らく、パーティが終わるまでに、つまり日付を超える前にという事。
そして、一等輝く白い星と聞いてシレスタがが想像したのは1人だけだった。
そちらへ向かいながら、自然と足早になっていた。
ただ、会いたいという気持ちで溢れる。疲れたことも忘れるくらいに体がそちらへと向かった。
上がる息を気にすることも無くそこへ向かえば、バラの庭園の中に白い人影が見えてきた。
その人影はこちらに気がつくと、少し驚いたように身動ぎした。そしてこちらが飛びつきそうなほど勢いよく来ることに驚いたのか両腕を広げた。けれど、逆にシレスタの方が驚いてしまい、彼のそばに着いた途端ピタリと止まってしまうと、行き場のない彼の手はそっとシレスタの肩に乗せられた。
「どうして、シレスタがここに」
月明かりの下、彼の驚いた顔が見えた。
その胸元では、一等騎士階級を表す八芒星が輝いていた。
シレスタは喋ろうとしたが、上がった息では言葉にならなかった。ようやく落ち着いた時に口を開く。
「伝言を…、ここに来るようにって。待っているようにって」
シレスタは落ち着かせるために胸元に手を置いて上目遣いに見上げる。
月明かりの下、走って上気したシレスタの、潤んだ瞳と赤い頬が照らし出される。
レイはそっと目を逸らした。
暗がりで良く見えないが、彼の頬が赤らんでいるように見えた。
「なるほど、大体誰が仕組んだかはわかった」
そう言って、彼は呆れ気味に頭に手を置いた。
シレスタはそんな仕草にさえ胸がドキドキしてしまう。
そのドキドキが走ってきたせいなのか分からないが、見惚れてしまった事には変わりなかった。
「どうかしたのか?」
と惚けているシレスタの様子に、心配げにレイがこちらを見ていた。
普段なら恥ずかしくなって、目を逸らして何でもないと言うのだろう。けれど、今のシレスタは目を逸らそうとは思わなかった。
夢見心地の空間がきっとシレスタをそうさせたのだろう。
「レイに会いたかったの」
気づけばそうポツリと呟いていた。
彼の赤らめた顔を見た時に自分がとんでもない事を口にしたのだと気がついた。
シレスタもレイに負けないくらい赤い顔で勢いよく俯いた。
2人して無言になってしまう。
静まり返った空間は草木の音と、宮廷のホールから漏れる音楽の音だけになった。
そうして、耳をすませばラストダンスの曲が流れていた。
もうパーティーも終わりなのだと実感する。あんなに大変だったはずなのに、いざ終わるとなると寂しくなるものだなぁと感じていた。
「シレスタ」
と唐突に名前を呼ばれてドキリとする。
そのままゆっくりと彼を見上げれば真剣な瞳を向けられていた。シレスタもじっと彼を見返す。
「良ければ…」と言って口をつぐみ、改まった様子でシレスタの前に跪いた。そうして左手を胸の上に置き、右手をシレスタの方へ差し出す。
「良ければ私と一緒に踊ってくださいませんか?my fair lady」
シレスタは熱に浮かされたようにレイへと手を伸ばした。
そっと重ねたシレスタの手を強引に引くことなく、そっと上へと持ち上げながら立ち上がった。
ふんわりと微笑んだレイを見つめながら最初の1歩を踏み出した。
集中の欠けていたシレスタのダンスは、きっと上手くはなかった。何度もレイの足を踏んでしまったはずである。
それでもレイは怒らないし、むしろ楽しげに笑うためシレスタは気を使わずに踊ることが出来た。
むしろ足は羽が生えたように軽いし、気持ちはフワフワとして高揚している。
ダンスホールのように輝くシャンデリアも、彩られた飾りも整えられた足場もなんにも無い。
それでも、シレスタはこちらの方がずっと踊りやすかった。
夜風に運ばれるバラの香りと、ほんのりと月明かりで照らされた景色。そして、何より相手がレイだからこそ心が高ぶるのだと。
ダンスを踊りながら、ずっとレイに言いたくても言えていなかったことを思い出した。
こんな時に出す話題ではないけれど、このままなし崩しにしてはいけないことだと、ずっと心の中で引っかかっていた事だった。
口元の糸が緩んでいる今なら言えると思い、口を開く。
「レイ、ごめんなさい。あの時怪我をさせてしまって」
そう伝えれば、レイは目をぱちぱちさせてこちらを見返していた。
そして、「あぁ」と思い出したように口を開いて、困ったように微笑んでいた。
「俺は君の、騎士だから。例え困難なことだって、君を守る為だったらどんなことだろうとしてみせる。君を守るためにできた傷なら、必要な傷なんだ」
シレスタは、レイならば許してくれるだろうと分かっていて謝った。予想通りの返答に、結局自己満足のために謝ったのだと思った。
それでもレイの返答は嬉しかった。何よりも彼が、シレスタのナイトだと言い張ってくれたことも嬉しかった。
彼は、正式にはシレスタの騎士と言うよりも護衛の立場だ。本来、レイはシレスタの正式な騎士になるにはまだ若く、才能とシレスタの強い希望で騎士の称号を与えられた。
けれど、正式に騎士と名乗れるのは王の勅命があった場合のみ。そのため、身分は近衛兵だった。
彼が正式なナイトでないことに悩んでいることは知っていだからこそ、はっきりとシレスタのナイトだと言い切ってくれたことが嬉しかった。
「私、ね。夢を見たの。多分お母さんの夢。どこにいても、愛してるって言ってくれたの」
「シスカさんの事か」
脈絡も無く話し始めたシレスタの話をレイは聞こうとしてくれた。
レイはシレスタの母と深く関わり会いはないが、何となく顔は覚えていた。
「魔法が暴走したあの時も、頬をね、何かが撫でた気がしたの。もしかしたらお母さんだったんじゃないかなって。心配して、助けてくれたんじゃないかなって…」
気づくとダンスする足が止まっていた。
俯くシレスタの様子に、泣いていると思ったレイは「シレスタ」と呟いて頭を撫でた。
けれど、シレスタは別に泣いているわけではなかった。
悲しかった訳ではなかった。
きっと、母が変わらず愛してくれてるのだと思い、
「嬉しかったの」
シレスタは上を向いて微笑む。
「会いに来てくれたんだって」
レイも、「そうか」と言って微笑む。
そうして母を懐かしむように思い出せば、昔のことも記憶で蘇る。
「ねぇ、レイ」とシレスタは言葉を零す。
レイは、「なに?」と返す。
シレスタはフワフワした心地のままに口を開く。
「ねぇ、私の騎士様。どうか、いつか私を広い空の下に連れて行ってください」
レイは驚いたように目を見開く。
それは、『金糸雀の鳥』の1幕の姫君のセリフだ。
シレスタが一等好きなセリフだった。
「分かった。約束するよ」
物語を覚えているレイは自然と返す言葉を口にする。
そうして彼は迷うようにしながら次の言葉を口にする。
「…シレスタ、その時がきたら君に伝えたいことがあるんだ」
もちろん、これも物語のセリフだ。本来なら、騎士が姫君に思いを伝えるためのシーン。そして2人が幸せになるためのセリフ。
「…うん。その時になったら聞かせて」
けれど、その時は私たちには一生来ない。
だから、その約束が叶うことがないのだとシレスタは分かっていた。
気がつくと辺りが静寂に包まれていることに気がついた。
ラストダンスの曲が終われば、パーティもこれで終わりとなる。
「これで、魔法も解けちゃうね」
と、少し落ち込むように呟いた。
「今日のパーティは楽しかったか?」
とレイに聞かれ、シレスタは満面の笑みで答える。
「ええ、とっても!」




