残されたもの
10年前に父、昨年に母が他界しました。母の時は私の誕生日の前日でした。
なので今年からケーキにお線香を立てて、お墓でケーキを食べようかな…なんて考えたりしています。…実行はまだ(?)しておりませんが(笑)
亡くなった時のことを、なぜか突然思い立って書いてみました。
「その時」は、突然やってきた。
さっきまで目を開いていたんだ。
ついさっきまで息をしていたんだ。
さっきまで声を聞いていたんだ。
さっきまで手を握りあっていたんだ…。
まだ温かいんだ…。
それなのに…
なのに…
あなたは…
目を閉じてしまった…もう開かない…
もう息をしていない…
もう声を聞かせてはくれない…
もう手を握ってはくれない…
…だんだん冷たくなっていく…
…最後の声は
言葉になっていなかったけれど
その表情は
それはとてもやさしくて
すべてを語ってくれていたと思う。
…いろんな思いが駆け巡る。
あなたがいて、楽しかったことはたくさんあった。
なのに、思い出されるのは
あの時の後悔や
申し訳なく思ったことばかり…
なぜだろう…
涙があふれて止まらない。
ごめんね…
ごめんなさい。
ありがとう…。
好きなところもありました。
嫌いなところもありました。
尊敬するところもありました。
尊敬できないところもありました。
でも、あなたは精一杯生きた
素敵なひとでした。
感謝しています。
これからも
愛しています。
ほんとうに
お疲れさまでした。
残された者は、なぜ後悔や謝罪が先にいろいろ立つのでしょうね…。
でも、生きているものとして、そこの時にとどまっていてはならない。立ち止まっていてはならない。
時間を進まなければ、自分を歩まなければ、それが生きるものの定め。そう思うのです。
お読み頂きありがとうございました。