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8.秋の夕暮れ、再会と別れ

 修道院の前には、見かけない、しっかりとした造りの馬車が止まっていた。


 テレジアとポリーは、互いに顔を見合わせ、怪訝な表情で扉をくぐった。





「マリィ……! やっと見つけた……!」



 困惑する修道女たちの中から、一人の男が飛び出してきた。


 その人はポリーを見つけると駆け寄ってきて、抱きしめた。




 澄んだ森の空気のような、懐かしいにおい。


 ポリーは目頭が熱く潤むのを感じたが、ぐっとこらえて、その人を突き放した。


 リヴェールはひどく傷ついた顔をして、それからはっとしたように目を見開き、顔の左側を弱々しく押さえた。



「勝手に押しかけてきて、すまなかった」



 リヴェールは、──懐かしいその人は、苦しげに顔を歪めて笑った。



「違う……!」



 決して、そのような理由ではない。


 そんなことで彼を拒絶したいわけじゃない。



 でも、それしか口に出せなかった。


 目が見えるようになったあのとき、彼の顔を見て怯えてしまったことは事実だ。


 けれどもそれは、リヴェールへの感情ではない。




 あのとき、彼の姿が、ーー顔の半分が鱗に覆われていた姉と重なって見えてしまったのだ。


 そして、すべてを思い出した。




 自分がかつてしてきたことが一気に脳内に流れ込んできて、混乱した。


 どうしてあんな計画に加担してしまったのか、いくら考えてもわからず、落ちていく人々を思い出し、恐怖で頭が真っ白になった。




 でも、そんなことなど説明できるはずもない。


 なにか言葉を発したら、また身勝手なことをぽろりとこぼしてしまいそうで、ポリーは言葉を出せずにいた。



 ーーだって、ポリーにはそんな資格などないのだから。



「この子は、あなたの火傷痕に怯えているわけではないと思いますよ」



 そう声をかけてきたのは、シスター・テレジアだった。


 彼女は二人を面会室へ連れて行き、温かいハーブティーを淹れると、ひっそりと部屋を出て行った。





 二人の間には、気まずい沈黙が落ちた。


 ポリーは、湯気を立てるお茶にふう、と息を吹きかけると、ちびちびと口に含んだ。



 リヴェールがふ、と笑いを漏らす。


 ポリーが怪訝な顔をすると、彼は顔を背けて「すまない」と言った。



「ーー君は、気まずいときに、いつもなにかを飲んでいたと、……そう思い出して」



 ポリーは恥ずかしくなって、思わず表情を崩した。


 リヴェールもハーブティーを口に含み、それから少し驚いたような顔をした。



「これは、玲蜜花……?」



 ポリーはうなずいた。



 二人で暮らしていた森の屋敷で、一人では眠れぬポリーのためにいつも彼が入れてくれたハーブティー。


 ポリーはどうしてもそれが飲みたくて、この修道院にたどり着いてから、いろいろ探したところ、定期的に訪れる行商の老人が、玲蜜花の甘茶を仕入れてきてくれたのだ。





「これは僕の……」



 リヴェールはそうつぶやくと、ぐっと押し黙った。


 それからしばらくして顔を上げた彼の瞳は、なぜだか潤んでいるように思えて、ーーポリーの胸になにかざわざわとした感情が迫った。



「君が姿を消したのには理由があるのだと、わかっていた。

 でも、それでも僕は、マリィ自身の言葉で教えてほしかった」




 リヴェールはやや早口で、まくし立てるように言った。



 一緒に生活しているときの彼とは違い、どこか、切羽詰まった感じがあった。


 たくさん世話になったのに恩知らずなことをしたからだろうとポリーは考え、謝った。


 しかし、リヴェールはもっと苦しそうな顔を見せただけだった。



「わたしが故郷で何をしてしまったのか。

 ──すでに知っているのではありませんか?」


 雲の王国の生き残り、なぜか憎んでいたはずの自分を逃がしてくれた、あの大柄な男を思い出した。


 ポリーが尋ねると、リヴェールはふっと視線をそらして「ごめん」と言った。



「まず、マリィが僕の知っている君とはずいぶん様子が違ったから驚いている。

 ──それと、あなたの居ないところで、勝手に事情を聞いてしまい、すまなかったと……」


「幻滅したでしょう? わたしは、──国を……」



 くちびるに硬い手が触れた。


 シスター・ポリー、──マリポーサは目を見開いた。



「言わなくていい。

 ……自分でも残酷だと思うのだけれど、僕は、あなたがどんな人間であっても、誰を貶めていようと構わないと思っている。

 僕にとっては、共に過ごしたあなたがすべてだ。罪なんか忘れてしまえばいい」



 マリポーサは、驚いて彼を見つめた。


 その目には嘘はないように見える。


 けれども信じがたかった。彼女にとってリヴェールという青年は、優しい男だったからだ。



 苛烈で残酷な発言は、どうにも彼らしくなかった。しかしリヴェールは続けた。



「マリィ、どうか戻ってきてほしい。……僕には君が必要なんだ」



 リヴェールは懇願するように告げた。



「マリィ、いや、ーーマリポーサ。僕と結婚してくれないか」



 その言葉は、神に身を捧げて罪を償おうと決めたはずの心をひどく揺さぶった。


 今すぐにでも、彼の手を取ってしまいたかった。




「……わたしは一度、結婚しています」



 マリポーサの声がぽつりと落ちる。


 その後はただ沈黙が広がっており、彼女がふと顔を上げると、目の前の男は、何かを耐えるように口を引き結んでいた。



「それは、……」



 彼はすでに知っていたのかもしれない。しかし、マリポーサは続けて畳み掛けるように言った。



「白い結婚というわけではありません。

 相手は、姉の婚約者だった貴族です。彼は雲の王国でも一番に強く、見目も良かったの。だから愛していたのよ。

 ーーわたくし、過去の記憶が戻って、あなたと一緒に過ごしたのをとても後悔したわ。平凡な男なんて興味がないもの」



 かつての自分を思い出しながら、マリポーサはなるべく傲慢に見えるように言った。



「ーーそれでも」



 リヴェールは、しばらく固まっていたが、絞り出すような声で切り出した。



「それでも、僕は君がいい」



 マリポーサは胸のうちに言いようのない喜びを感じた。


 流されてしまいそうだった。けれども、つんとくちびるを尖らせて、首を振った。



「ーーだから言ったでしょう? わたくしは、普通の男では物足りないの。

 そうね、どうしてもわたくしと結婚したいというなら、魔王を倒してくださる? わたくし、魔王には並々ならぬ恨みがあるの。それに、わたくしの元夫も魔王の前では手も足も出なかったのだもの。強さの証明になると思わない?」



 リヴェールは怒るだろうか。それとも、悲しむだろうか。


 マリポーサは、今すぐ彼に帰ってほしかった。そうしないと泣いてしまいそうだったのだ。



「わかった」



 リヴェールはまっすぐに顔を上げた。



「五年、待ってもらえないか。必ずその間に魔王を倒して戻ってくると誓おう」


 リヴェールという男は、手先が器用で、どこかたおやかで優しく、けれども運動神経があまりよくなくて、頼りない男だった。


 けれども、今、目の前にいるのは一体誰なのだろう。


 そう思うほどに、彼の瞳には強い光がきらめいていた。


 マリポーサははっと我に返り、ふたたび胸を反らせた。



「五年だなんて悠長すぎるわね。三年で倒せたら考えてあげてもいいわ」



 リヴェールはそのとき、まるで冬から春になったときのようにきらきらとした笑みを浮かべた。


 それから彼女を軽く抱きしめると、少しでも時間が惜しいというように教会を飛び出していった。





 マリポーサは呆然と彼を見送ることしかできなかった。


 鼓動はいつまでもどきどきと速く、胸には甘い痛みがあった。


 しばらくの間、雑用が手につかなくなって、何度もシスター・テレジアに叱られるはめになった。




 そんなふうに浮かれては、自分が罪人であることを思い出し後悔の念に駆られた。


 しかも、無理難題を押し付けるつもりで告げたことを、彼が本気にしてしまったことに慌てもした。


 ーーもし本当に魔王を探しに行ってしまったら……。



 そう思うと居ても立ってもいられなくなって、マリポーサは、あれは冗談だったのだと、森の屋敷へ急ぎ手紙を出した。



 しかし、返事が来ないままひと月、ふた月と過ぎ、ーー気がつくと一年が過ぎていた。



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