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7.シスターポリー

 王国の最北端には、修道院がある。


 訳ありの女たちばかりが暮らすそこは、ほとんど毎日雨が降っている。

 ドーム型の結界を張る魔法使いがいないからだ。


 土地のあちこちがぬかるんでおり、時には突然地面がぐずぐずと崩れて、底なし沼のように人を引きずり込むこともある。


 しかし、気候の厳しさを除けば意外と平和で、修道女たちも訳ありばかりだというのに、それなりに仲が良い。






 その日、二人の修道女たちは、併設された孤児院で、子どもたちの世話をすることになっていた。


 隣にあるとはいえ、敷地は広大で、思ったよりも長い時間歩き、二人はようやくそこへたどり着いた。




「ポリー、いっしょに紙遊びをしない?」


「まあ、アンヌ。ポリー先生でしょう?」



 修道服に身を包んだ年かさの女は、枯れ木のように痩せていて、神経質そうな顔立ちをしている。


 ヴェールの中にすべてしまい込まれた髪の色は見えないが、瞳は修道服と同じ、濃い灰色だ。



 諭されたアンヌは口をつんと尖らせて「だって、ポリーったら全然遊びを知らないのよ?」と言う。


 それから、ころころと笑いながら「先生っていうより、おともだちみたいだわ」と続けた。



「アンヌ!」



 修道女の目が三角に吊り上がった。



 アンヌはまずいというような顔をして、「だって……」とか「でも……」とかくり返している。





 それを止めるように、穏やかな低い声が割って入った。



「シスター・テレジア。わたしは、気軽に接してもらって構いません」



 うら若き修道女であるポリーは、この修道院にやってきて、まだ一年ほどしか経っていない。



 アンヌは「ポリー先生!」と顔をほころばせて彼女に抱きついた。


 ポリーは、ぎこちない笑みを見せる。



 彼女がどこか異質だというのは、幼いアンヌにもわかることだった。


 ベールの隙間からさらりとこぼれる黒髪と、華やかな空色の瞳のせいだろうか。


 彼女が身にまとうと、飾り気のない灰鼠色の修道服でさえ、シックで洒落たふうに見えた。



「シスター・ポリー。礼節を守るのも大切なことなのですよ。

 大人になってから困るのはアンヌなのです。

 甘やかすことだけが愛情ではありません」



 シスター・テレジアは無表情のまま言った。



 ポリーは、老修道女の笑顔を見たことがない。


 そして、彼女の言葉に、胸の奥をちくりと刺された。



 自分はずいぶん甘やかされていた。そして、その結果がーー。




「それにしても、大分、機敏に動けるようになってきましたね」



 ポリーは目をぱちぱちと瞬かせた。


 シスター・テレジアにほめられたのは初めてだったからだ。




「まったく、最初の数ヵ月ときたら、ひどいものでした。

 何枚もお皿は割るし、掃除を任せれば部屋をまあるく掃くだけ。ーーでも、料理ははじめから手慣れていましたね」



 修道女たちは、持ち回りでさまざまな雑務を行なう。


 ポリーはどのようなことでもすすんで自らやっていたが、料理をする時間は好きだった。



 森の奥の屋敷。


 しっかりとしたつくりの厨房で、あの人と肩を並べて食事を作っていたことを思い出し、胸が疼くけれども。




「ああ、ーーいけません、また雨が来ます」


「え?」


「ほら、見てご覧なさい。乙女鳥が低いところを飛んでいるでしょう。

 あれは雨の前兆なのですよ」



 地面すれすれのところを縫うようにして、濃紺の羽毛に包まれた小さな鳥が飛んでいた。


 シスター・テレジアがそう言い終わるか終わらないかというときに、北のほうから黒い雲がもくもくと寄ってきた。




「降ってきましたね……」



 二人は、大きく枝葉を伸ばす木の下に入って、雨宿りをした。



「しゃべるのに夢中になってしまいました。きっと、なにか他にも前触れがあったはずなのに」



 シスター・テレジアは、どこか悔しそうに下を向く。



「わたくしが悔しがるのが不思議だ、そんな顔をしていますね」



 ポリーはばつが悪くなって、へらりと笑った。


 シスター・テレジアは軽く目をみはり、ため息をついた。


 しかし、それは呆れているというのではなく、その目には困った子どもを見たときのような、優しい色が見えた。



「結界を持たぬこの土地では、天気を読むことは生きるために必要な嗜みです。

 生きものたちの行動もそうですが、特に雲の形は大きな標となります。

 知識があればこそ身を守れるのですよ」



 シスター・テレジアは、以前、仲の良かった修道女がぬかるみに飲まれて亡くなったと悔しそうに話した。



「ーーわたくしが若いころに書きつけたものがあったはずです。

 あとで貴女に差し上げましょう」





 木陰に隠れても、濡れないわけではない。


 ぽたりぽたりと、木の葉の隙間を縫って落ちてきた雫が、二人の修道服にまばらにしみを作っていった。



 身体は少し冷えていたし、濡れた服が肌に貼りつくのも不快だったけれど、不思議と心の内は嫌な気分ではなかった。


 ポリーは、その理由に薄々気がついていた。


 自分はこの老修道女と過ごす時間を好ましく思っているのだと。



「おかあさまというのは、ーー本当は、こういう感じなのかしら」



 ぽつりと漏れたその言葉は、誰にも届くことなく消えた。





「そろそろ雨が上がりますよ」



 その言葉通り、しばらくして雨は降り止んだ。


 薄いレースのような雲の隙間から、茜色の空が顔を出した。



「おや、夕虹ですね。ーー明日は晴れるかもしれません」



 シスター・テレジアは、雲の隙間にかかった虹を指差した。


 二人はぬかるんだ道を歩いて修道院へと戻った。




 ポリーは、ぱしゃりと跳ねた泥水が修道服の裾を濡らすのも気にせず、しっかりとした足取りで進んだ。



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