6.胡蝶姫の過去(2)
反乱軍が城に押し寄せてきたのは、姉・リュシオラの前で婚約破棄を告げたすぐ後のこと。
シガーラとの打ち合わせ通りのタイミングだった。
彼女は姉をうまく図書室へ誘導したらしい。
そこに反乱軍が押し寄せる手はずだった。
ところが、なにか手違いがあったのだろう。
姉の姿はどこにもなく、窓から落ちていくのを見た者がいるということだった。
敵が攻めてくるのに気がつき、身を投げたのかもしれないが、城は混乱を極めており、姉の遺体はついに見つからなかった。
マリポーサはと言えば、シガーラとの打ち合わせ通りに、反乱軍の目の前で泣き落としをかけていた。
そうして手をかざすと、魔法など使えたことがないし、適性もないはずなのに、まばゆい光があたりを包んだ。
誰よりも驚いたのは、マリポーサ自身であった。
反乱軍たちは、マリポーサを聖女だと崇め、てのひらを返したようにちやほやしだし、そのまま女王へと担ぎ上げられたのであった。
父王は、反乱軍によって始末されていた。
ほとんど話したこともない相手だったので、胸が痛むこともなかった。
目まぐるしく日々が過ぎていき、姉の婚約者であったファングが王配となった。
その頃のことは、まるで体の内側から夢を見ているかのようにぼんやりとしている。
しかし、退屈で平和な日常は、長くは続かなかった。
ほどなくして、国が滅びたのである。
きっかけは、この世のものとは思えないほど美しく冷酷で、強大な力を持つ魔王。
彼は、新王家の者たちを断罪した。
雲の王国は少しずつ崩れ落ち、人々は皆、汚らわしい大地へと堕ちたのである。
だが、直接的に国を滅ぼしたのは魔王ではない。正当な後継者であった姉王女を失ったから、国土がばらばらと瓦解していったのだと、ーーそう話していたのは誰だっただろう。
* * * * * *
「悪事を働いてないと認められた奴らは、オレもそうだが、どうやら魔法で落下速度を下げてもらったらしい。
だから皆、生き延びることができたのだろう」
長い長い、現実味のない話のあとに、男はそう続けた。
とても信じられるような内容ではなかったが、リヴェールにとって認めたくないことに、すとんと落ちることばかりであった。
空から落ちてきたマリィ。
目覚めてすぐの高飛車な雰囲気ーー。
「あの男は、面白いことに自分で魔王だと名乗った。
だが、俺からしてみると、むしろ救世主だったな。
ーーもっと早く来てくれたら」
男は泣きそうな顔で笑う。
「そう思わずにはいられないんだ。
失った家族は帰ってこないのだから」
男は視線を落とし、しばらく俯いていたが、目元をごしごしと拭って顔を上げた。
赤い目をしている。
「まとめると、単純明快な話だ。
雲の王国が滅びた。その元凶はあの女だ」
「マリィは、そんなことをしない」
言い切ったリヴェールは、左頬に鈍い痛みを感じ、息をつく間もなく後方に飛ばされていた。
屈強な男は、その目に涙を浮かべ、リヴェールを見据えていた。
「反乱軍が最初にしたことはなんだと思う?
略奪と殺戮だ。皆殺され、奪われた。
俺の家族もな。昨日までそばで笑っていた家族が、ーーあんな姿になるなんて思いもしなかった。
今でもあれはなにかの間違いだ。
あれは妻じゃない、娘じゃないと、……そう信じたい自分がいるんだよ」
震える声で男は言った。
「ーーそんな事態を招いたことが罪でないとどうして言える?」
リヴェールは何も答えられなくなり、その場に立ち尽くしていた。
いつの間にか日は高く登っており、男の顔にしゃらしゃらと木漏れ日が揺れている。
「マリポーサは、夜明け前にここにやってきた。
そしてどうして俺がいるとわかったのか不思議だが、殺されにきたんだよ」
リヴェールはひゅっと息を飲んだ。
手足の先から冷たくなって、立っていられなくなった。
「おいおい、ーー俺は殺しなんかしねえよ。……あの女にも言ったのだが」
男は、呆れた顔で頭をぽりぽりとかいた。
「そうしたら、どこか罪を償える場所へいきたいと泣き出した。
あんなにも憎んでいたすべての元凶なんだが、どうしてだろうな、毒気を抜かれてしまった。
俺が世話になっていた場所をまずは紹介したんだ。
この森を抜けたところにある小さな街。そこの宿屋だ」
リヴェールはぱっと顔を上げた。
「安心するのはまだ早いぞ。女の一人旅だ。
何が起こるかわからねえからな」
もたつく足で駆けていくリヴェールを見送りながら、男は、誰に言うでもなくつぶやいた。
「善人と認められたものは結界に包まれてゆるやかに、悪人と判じられた者たちは生身の身体で堕ちていったはずだ。
ーーどうしてあの女は生きているんだ?」
リヴェールが教えられた通りに森向こうの街にたどり着いたのは、西の空が橙色に染まりはじめたころだった。
宿屋に泊まっていると思われたマリィの姿はなかった。
「そういえば、北のほうへいく辻馬車に、やけに綺麗な男の子が乗っていたな」
居合わせた旅人がつぶやいた。
馬車はどこにも見えない。
街の向こうには、ただ夜が迫っているだけだった。