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5.胡蝶姫の過去(1)

 リヴェールは走った。


 もつれるように遅い足がわずらわしく、気がつくと無詠唱のまま風魔法をかけていた。



 瞬間、羽が生えたように体が軽くなり、彼は跳ぶように森の中をすみずみまで駆け回り、マリィの名を呼んだ。


 その声は森の木々をむなしく揺らすだけ。


 あの可憐な人はどこにも居なかった。




 そうしてついには、結界の端までたどり着いた。


 まるで幼子が遊ぶという泡鉄砲のように、虹色にゆらめくその境界。


 そこには、男がもたれるようにして眠っている。



 それは昨日、マリィに暴言を吐き、襲いかかってきたあの男だった。


 男はこちらに気づく様子もなく、のんきにあくびをしている。



 リヴェールは、男のせいだと直感的に思った。


 だから、するりと結界を抜け、ーー来る者は拒むが、出るのは容易だーー寝ぼけまなこの男に殴りかかった。





「うわっ」



 何もない場所から突然現れたように見えたのだろう。


 男は間抜けな声を出し、ふらりとその体が傾いだ。


 リヴェールは爆発的な感情のままに、彼に殴りかかった。



 しかし、気がつくと世界が反転して、強かに腰を打ち、空を見上げていた。


 なにが起こったかわからずに、リヴェールは呆然と横たわっている。





「あんた、ずいぶんと弱いんだな」



 男の言葉にカッとなる。



「マリィはどこだ?」


「おいおい、凄むなよ。それを伝えるためにここで待っていたんだ」


「なんだと?」




 リヴェールが構えると、男はさっと顔色を悪くし、身を守るように両手を前に出した。


 ーー背けられた横顔に怯えの色を見たリヴェールは、水を浴びせられたように意識がはっきりし、さまざまな感情に苛まれた。





「女王マリポーサなら、ーーあの人なら、もうここには居ない」



 男は、明け方に屋敷から出てきたマリィを遠方へ逃したと言う。


 男の口から語られたのは、信じられないような悲劇であった。






 * * * * * *





 ーー歴史のどこにも語られていない、誰も知らぬ、真実の物語がある。


 それは、蛍姫と胡蝶姫の話だ。




 胡蝶姫と呼ばれる美しい王女がいた。


 マリポーサ・フリンダラ・ヴル・ヌージュモルンは、雲の上にある忘れられた王国で生を受けた。




 父は国王、母は側妃。


 正妃の娘を姉として持つ彼女の肩書は、第二王女である。




「あ、おねえさま」



 渡り廊下を姉が歩いていくのが見えた。


 マリポーサは嬉しくなって、駆け寄ろうとする。


 しかし、次の瞬間、床に倒れ込んでいた。




「あの娘とは関わってはなりませんよ」


 そう告げたのは、母であるという人。


 体の線を露わにするようなドレスは、裾に膨らみがなくすとんと落ちるような形をしている。


 そこには腿のあたりまでざっくりと切れ目が入り、真っ白な足が艶めかしくのぞいていた。


 

 母は、踵の高い靴で、マリポーサのドレスの裾を縫いとめるように踏みつけていたのである。




「どうして? マリィは、おねえさまと遊びたいの」



 母の顔が醜く歪んだ。



 マリィは何も言えず、ぎゅっと目をつむる。


 今日は痛みはやってこなかった。姉の後ろ姿をただ見送ることしかできなかった。




 その時、彼女は学んだ。


 姉に関わるのは、悪いことである、と。






 いつからだろう。


 気づくと母は居なくなっており、マリポーサのそばにいるのは、専属侍女であるシガーラだけになっていた。



 シガーラは、珈琲のように暗い茶色の髪に、ヘーゼルの瞳を持つ、地味な印象の年若い女だった。


 ぱさついた髪の毛は両側でゆるく編まれており、頬にはそばかすが散っている。


 化粧っ気のほとんどない真っ白な顔に、血のように赤い紅をひかれたくちびるがアンバランスに思えた。




 しかしながら、シガーラはいつでもマリポーサを讃え、ーー導いた。



「マリポーサ姫は、お姉さまとはまったく違いますね。

 華やかで可愛らしい。

 それに比べてあのお方は……」



「いくら頭が良くても、可愛げがなくては。

 女性にとって大切なことは愛嬌です。

 頭が悪く見えるくらいがちょうど良いのですよ」



「お姉さまは、ご自分の立場がわかっていらっしゃらないようだわ。

 あのように醜いお顔では、誰にも愛されないでしょうね……」



 微量の毒が少しずつ身体を蝕んでいくように、シガーラの言葉は、少しずつ、しかし確実に、マリポーサの心を育てていった。






 シガーラは、とりわけ姉の容姿が気に入らないようだった。




 遠目に見れば、女神と紛うほど美しい。


 すらりとした背の高さはマリポーサが持ち得ぬものであったし、つややかな白肌には太陽のような金髪が映える。


 翡翠のような淡いグリーンの瞳は知的で慈愛に満ちた印象だ。



 だが、その美しさを拝もうとそばに寄った者たちは、もれなく悲鳴を飲み込む。


 彼女は、顔の半分に、まばらに銀色の鱗が生えているのだ。




 雲の王国は、もともと竜たちが作った国だ。


 神話の時代の話なので、今は竜を見かけることすら稀なのだが、時折、先祖返りをした者が現れる。


 姉姫のリュシオラもその一人だった。




 いつからか、彼女は、遠目に見ると美しいのに、近くで見ると気持ちが悪いと、蛍にたとえられるようになっていた。


 シガーラに連れられてはじめて見た蛍に興奮し、その話を詳らかに食堂でしてしまったのがきっかけだったのだということを、ーー幼いマリポーサは知らない。





 一方マリポーサは胡蝶姫と呼ばれ、皆に愛された。



 そして、二人が成人するころには、無邪気で純粋だった妹姫は居なくなり、我儘で計算高く、ほしがりで愚かな第二王女が残ったのである。


 姉王女のものは、何でもねだって取り上げた。そのたびにシガーラに褒められた。唯一もらえなかったのは、彼女の婚約者である、ファングだけ。






 しかし、悪魔の囁きは、とどまるところを知らなかった。



「ねえ、マリポーサ王女。ファング様と結ばれるのはあなたをおいて居ないと思うのです」



 シガーラは、心酔したような目をしてそう言った。



「ーー蛍姫の醜いこと。

 あれで王族だなんて恥ずかしい。王族の求心力は容姿にかかっています。あの方ではだめなのです」


「そうは言っても、お父さまがどうしてか、ファングとの結婚だけは許可してくれないのよ。

 あたしのお願いは何でも聞いてくれるのにね」


「それは、迷信を信じておいでなのですよ」


「迷信ですって?」



 シガーラが声をひそめる。



「ええ。古い言い伝えにこのようなものがあります。

 雲の王国から竜が消えたとき、国は落ちるだろう、と」



 マリポーサは可笑しくなってころころと笑い出した。



「あの人は、明らかに竜の末裔という見た目をしているものね。

 そんな迷信を信じているなんて迷惑だわ」



 呆れてそう言うと、ーーシガーラの目が妖しく光った。



「実は、反乱の動きがあるのをご存知ですか。

 人族の末裔だけで構成された者たちです」


「そんなもの、あたしだって標的にされてしまうじゃないの」


「あら、姫さまは大丈夫ですよ」



 シガーラはころころと笑った。



 マリポーサの母である側妃は子爵家から召し上げられた令嬢だったのでもちろんのこと、本当は、王自身も王家の血を引いていない。

 

 王は、生まれたばかりのころ、下女の子どもとすり替えられていたのだ。



 それを知るのは、さまざまなものを見通す「目」を持っているシガーラのほか、その一件に関わっていた一部の重鎮だけ。


 王自身でさえ知らぬことであった。



 本来の王族の血が入っているのは、姉姫の母親である公爵令嬢。

 つまり、マリポーサは王族ではなかったのである。




 それから計画の概要を聞かされた。


 血生臭いその話は、すっかり我儘になっていたマリポーサでさえ躊躇するようなものであった。



 さすがにそんな事はできない。


 マリポーサは、どくどくと鳴る鼓動を抑えようとと、出されたハーブティーを口に含んだ。



 しかし、次の瞬間、マリポーサはなぜだかすべてがどうでもよくなってしまい、計画への参加を了承していた。





 それからしばらく経ち、父から婚約結び直しの許可が出た。


 シガーラのすすめで、もともと姉をひどく嫌っていたファングと連れ立って、わざわざ婚約破棄を宣言してやった。



 姉は苦しげに顔をゆがめていて、痛快だったが、胸のずっと奥、しっかりと蓋をした場所に、なぜだか痛みを感じた。


 そして、それが姉を見た最期だった。







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