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悪役令嬢テレジアの回顧録

シスター・テレジア視点の物語。


◆短編として単体で読めます。

が、『憑かれ聖女は国を消す』『蛍姫は、雨と墜ちる』を読んでいただくとより謎が解けやすいと思います。


◆新作『ラベンダー! ~森の妖精魔道士が捨てたもの~』が完結しました。

リヴェールたちが暮らした森の屋敷が舞台です。上部の『異世界恋愛』シリーズリンクから飛べます。


◆もし番外編や後日談のリクエストがあれば、Twitter(@Rinca_366)で教えて貰えると喜びます……!

 殿下の妻になれない。

 それは当時のわたくしにとって、破滅であり、すべての終わりを意味していました。


 だからこそ、あのような……。

 下劣な行ないに手を染めてしまった。今でも、ひどく後悔しています。


 わたくしの名前はテレジア。ただのテレジアです。


 けれども、あの頃は侯爵家の娘として、きらきらしい装いに、手入れの行き届いた肌や髪を持ち、周りから賞賛を浴びていた。そんな時代もありました。





 わたくしの生まれた国、雨の王国プリュイレーンは、他国とは変わった特徴を持ちます。それは、一年中ほとんど晴れの日がないこと。


「これは、王族と一部の貴族しか知らないことです。この国は、魔族の末裔たちが興した国なのですよ」


 教えてくださったのは王妃様です。


 神と戦い、破れた魔族たちの国。だから見捨てられた土地とも呼ばれている。


 まるでおとぎ話のようですが、この国には実際、人間離れした魔力を持つ者がたくさん生まれます。逆に、はるか遠く離れた大陸では、魔力を持たない人間ばかりが生まれる国もあると伝え聞きます。


 陰鬱な気候のせいでしょうか。

 国民性としてはやや陰気で、マイナス思考。思い込みが強く、執着の強い者が多く生まれるように思います。


 わたくしなど、まさにその典型でした。





「テレジア。どうして君は、マーニー嬢につらく当たるんだ」


 婚約者であるハーヴィス王子は、眉を下げ、たしなめるように穏やかに言いました。


 その腕にはマーニーが巻きついて、怯えたような目をこちらに向けています。


 全身の血がぶわりと沸騰するような怒りを覚えました。


「どうして、ですって? 殿下の婚約者はこのわたくしでしょう? どうしてそのような者をおそばに置いておられるのですか?」


 マーニーは、行儀見習いのためにやってきた伯爵家の令嬢です。


 ピンクブロンドの髪に野いちごのような瞳をした、可憐な女性。いつの間にかハーヴィス殿下のそばに侍るようになっていました。


「……? なにが問題なのだ?」


 ハーヴィス王子は、心底意味がわからないといったように、きょとんとして聞きました。


「僕たちの関係は義務的なものだろう? 愛する者をほかに持つのは、貴族ならよくあることではないか」


 その途端、彼の腕に巻きついていたマーニーがにんまりと笑いました。





 そのあと二人は、いつものようにどこかへ消えました。


 わたくしたちの関係は確かに政略結婚です。

 でも、それでも信頼出来る夫婦になりたいと思ったのは間違いなのでしょうか? 彼を支えるために、妃教育にも精を出してきました。それなのに。


 そのまま庭園に立ち尽くして、どれくらい経ったのでしょう。鼻先を濡らす雫の冷たさに我にかえりました。


 ふと、傘が差し出されます。


 振り返ると、めがねと厚い前髪で顔の隠れた青年が立っていました。文官の制服を着ています。何度か見かけたことがあるからでしょうか、彼を見るとなぜだか懐かしい気持ちになるのです。

 縁取り飾りが一本なので、平民出身なのでしょう。


「--結界がゆるんでいるようですね」


 彼はそう言うと、わたくしの頭上にあるらしい亀裂に手を向けました。てのひらから青白い光が放たれて、空へ向かって飛んでいきます。


 わたくしはただぼんやりとその様子を眺めていました。


 そういえば、困っているとき、落ち込んでいるときに、この人の顔をよく見るような気がします。


「差し出がましいかもしれませんが」


 彼はそう前置きをして言いました。


「貴女の努力を、高潔さを、尊敬しています。どうか、そのままの貴女で……」


 わたくしは最後まで聞かずにその場を後にしました。


 あの方はきっと死神のようなもの。彼に会う日はろくなことがないのだもの。





「--テレジア? ……身が入っていませんね」


 王妃様がため息をつきます。妃教育はほとんど終わり、今は最終段階。王妃様の元で学んでいます。


「ハーヴィスのこと?」


 わたくしは、なんと答えていいかわからず、曖昧な笑みを浮かべました。


 王妃様は、きゅっと辛そうな顔をして「あと少しです」と言った。


「--悪役令嬢になってはいけませんよ」

「あくやく……?」

「いいえ。なんでもありません」






 城を後にしようとしたときのことでした。廊下の奥から声が聞こえます。


 頭の中でなにか警鐘がなっていたのです。でも、わたくしはふらふらとそちらへ向かいました。


 ひそひそと声がしました。


「彼女は顔立ちは悪くないのだが、どうにも華やかさに欠けるな。きみとは大違いだ」

「ふふ、ハーヴィス様ったら。テレジアさんって、なんだか陰気ですよねぇ。あのくすんだ金髪とか、ねずみみたいな色の目だとか」

「そうだな……」

「婚約を破棄したらどうですか?」


 くすくすと笑うのは、マーニーの声。


「--それもいいかもしれないな」


 殿下はそう言うと、マーニーの顎をすくうように触れて、口づけをしました。


 どうやって城から戻ったのか、よく覚えていません。






 その夜のことです。

 わたくしは、父に酷く叱責されました。


「殿下のお心を繋ぎ止めること。それだけがお前の存在価値だ。それが出来ぬ役立たずではあるまいな?」


 母は憐れむように言いました。


「幸せな結婚こそ女の全てです。

 あなたには殿下と結婚するほか道は無いのですから精進なさいな」




 父に言われるがまま、影の者たちにマーニーを襲わせることになりました。

 無理やりわたくしもその場に同行しました。


 けれども、いざその時になって恐ろしくなり、彼女を庇い前に出ます。マーニーはわたくしを口汚く罵っていました。


 影のものたちは、方針を変えたようです。わたくしごとマーニーを始末することにしたようでした。


 高潔さを尊敬している。--そんなふうに話してくれた文官の姿がふと脳裏に浮かび、わたくしはもしかして、殿下を愛しているわけではないのかもしれないと思い至ります。


 そして、刃がわたくしののど元に届きそうになって。死を覚悟しました。

 愚かなことをしてしまったけれど、……あのままマーニーを死なせなくてよかった。




 ところがその瞬間、騎士たちが駆け込んできました。影のものたちはあっという間に捕らえられてしまいます。


 影のものなんて名ばかりね、と、わたくしは冷静に考えていました。


 兵たちの中から、威厳のある男性が前に出てきました。わたくしは驚きました。それは、ハーヴィス殿下だったからです。


「ハーヴィスさまぁ」


 マーニーが弾かれたように顔を上げます。目をうるうるとさせながら、殿下に抱きつきました。

 殿下はなぜかその手を振り払います。




 そのままわたくしは城に連れていかれ、裁きを受けることとなりました。


 父や母は、わたくしを切り捨てたようです。


 王妃様の瞳から涙がひとすじ、ほろりと落ちたのをわたくしは見逃しませんでした。

 彼女はそのまま奥に下がってしまい、わたくしは、自らの選択の誤りを、改めて実感しました。




「貴女には、この国の北端にある修道院へと行ってもらいます」


 殿下が言います。

 なにか、違和感を覚えました。


「不毛な地です。命の危険もあり、誰も行きたがらないような場所だ。あなたにはそこでほかのシスターを育てる役目をお願いしたい。--皆、問題児ばかりだが」


「追放は承知いたしました。ですが、わたくしのような人間が人を育てるなんて」


 殿下は何も言わず、けれども、悲しげに微笑みました。


「あなたの努力も、高潔さもよく知っている」


 それはどこかで聞いた言葉でした。







 辺境の地へとやってきました。


 それからは目が回るような日々です。シスターたちは皆、問題児ばかり。けれども話してみると、環境がそうさせていたのだとわかりました。


 わたくしと同じように、選択肢を誤った者ばかりです。これまではすべてを飲み込んできましたが、彼女たちと全力でぶつかる日々でした。


 また、わたくしも学ぶべきことがたくさんありました。おもに、貴族令嬢の生活では必要がなかった、自分で身の回りのことをしたり、片付けや掃除、料理をしたりすることなどです。


 皆が皆、交代に教師の役割をしながら、問題児だらけの修道院での日々がすぎていきます。


 ここに来て次の春には、ハーヴィス殿下の結婚の知らせを耳にしました。相手はマーニーではなく、別な侯爵家の令嬢です。





 何度目の春が巡ったでしょうか。

 忘れていたさまざまな感情を思い出すようになりました。


 わたくしは、殿下と結婚できないことを世界の終わりだと思っていました。けれども、その時を迎えても世界は終わらず、このように辺境の地で暮らしていても、何も変わらずに朝が来ます。


 そして、自分で自分のことを決められる生活は、声を出して笑っても咎められない環境は、意外と楽しくて……。


 生き物を観察したり、野菜を育てたりする時間は、生きがいといってもいいほどわたくしを幸せにしてくれました。







「ちょっとお時間よろしいですか?」


 それは、ある秋のことでした。


 不審な若い男が修道院を訪れたのです。肩口で切りそろえられた胡桃色の髪に、細い銀縁の眼鏡をした、細い目の男でした。


 一見すると軟派で温和そうな雰囲気です。けれどもなぜでしょう。抜け目のない印象を受けます。


「ピエール・サリム・モンデューと申します。お見知りおきを」


 ピエールと名乗った男は、世界の歴史を研究しているのだといいます。


 同行者は地味なモンデュー氏とは異なり、人間離れした美貌を持つ、どこか蛇のような雰囲気の男です。


「本日は、シスター・ポリーについてお伺いしたくて参りました」


「シスター・ポリーですか?」


「ええ」


 モンデュー氏はにこにこしています。わたくしは困惑しました。


「そのような者はこちらにはおりませんが……」

「えっ?」


 彼は目に見えて焦り出します。


「あぁ、時間軸を間違えた……いやでも待てよ、テレジア、テレジア……悪役令嬢か?」


 そしてなにやら意味のわからないことをつぶやき始めました。

 以前どこかで聞いたような言葉です。




「--大変失礼いたしました、シスター・テレジア。ときに、ハーヴィス殿下の現状はご存知ですか?」


 わたくしは怪訝に思いました。


「ハーヴィス陛下には、お孫さんが生まれたのでしょう?」


 わたくしが言うと、モンデュー氏はなんとも言えない笑みを浮かべます。


「いえ。本当のハーヴィス殿下はね、あの事件のあとから森の奥深くの屋敷に軟禁されていたんですよ。愛する女性と一緒にね」

「軟禁……?」


 まあ、二人とも長くは持たなかったようですがね、とモンデュー氏は続けました。


 それから少しとりとめもない話をして、モンデュー氏は寄付だとたくさんの食べものを運び込みました。


「そういえば」


 彼は、去り際にそう切り出しました。


「この国もですよね? 男の双子が忌み子だというのは」


 それから憐れむような曖昧な笑みを浮かべます。


 彼が扉を閉めるとき、モンデュー氏の立っているより向こう側を、乙女鳥が低く飛んでいるのが見えました。

 ああ、天気が崩れるサインです。


 わたくしは閉まりかけた扉を急いで開けました。けれども、そこには誰もいません。地平線が見えるほど開けた土地で、馬車も歩く人も、なにも。




 彼が去ったあと、わたくしはふと思い出しました。


 いつだったか、文官の方を見てなつかしいと思ったこと。あの薄いくちびる、すっと通った鼻筋。ずっと婚約していたあの方と同じだったのではないか。


 もしも、双子の忌み子が殺されずにスペアとして生き残っていたとしたら--?


 ふるふると首を振ります。


 わたくしは罪を犯しました。けれども、破滅したあとのこの暮らしは幸せだったのではないかと思うのです。


 殿方と結婚できないまま、この歳になりました。恋だと思っていたのは執着で、愛された経験はありません。子をうみ育てたことも。


 けれども、同年代のシスターたちとするなにげない話。年下のシスターたちの成長を感じた時。

 いいえ、それだけではありません。


 窓がぴかぴかに磨けたとき。新しい料理を覚えたとき。シスターたちに読み書きを教えるとき。

 そのような日々のささやかなことでさえ、小さくとも幸せを感じています。





 このごろ、胸が痛むことがあります。わたくしもずいぶん歳をとりました。


「--すみません」


 扉を叩く者がありました。つやつやとした黒髪に、青い瞳が印象的な美しい少女です。


 その瞳には後悔と祈るような気持ちがほとばしっていて、昔の自分を見ているような気持ちになりました。


「あなたを受け入れましょう」


 わたくしが言うと、少女ははっと目を見開きました。


「で、でも、まだなにもお話していません」

「ええ。いいのですよ。--あなたのお名前は?」

「マ……」


 少女は悲しげに視線を落とします。それから泣きそうに笑って、顔を上げました。


「ポリー。わたしの名前は、ポリーです」



 わたくしは、最後の仕事を決めました。


 彼女に、シスター・ポリーに、わたくしが持つ知識を伝えること。王妃様にしてもらったように、彼女を慈しむこと。時に厳しく、時に優しく。


 一つの罪を除いて高潔でいられたと、ひとりの人生でも幸せだったと。

 自信を持って生き抜きたいのです。命が尽きる、そのときまで。






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