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終章

 魔王と別れ、兄と入れ替わったあとのこと。


 リヴェールは、兄の代わりに公務をこなす傍ら、毎日のように転移魔法を使ってマリィの様子を見に出かけていた。


 北の修道院では、雪混じりの長雨が続き、ますます気候が厳しくなっている。


 気づかれないように姿隠しの魔法も念入りにかけ、たまにこっそりと魔法で彼女の手助けをして過ごした。




 マリィの姿が、眩しかった。


 彼女にはいったいいくつの顔があるのだろう。



 リヴェールがよく知っている、いとけない純粋な笑顔。


 記憶を失う前の、わがままで傲慢な、ーーでもおそらく本当はただ孤独だったのであろう姿。


 罪の意識と向き合いながら、リヴェールを突き放そうとしていた凛とした表情。


 それだけではない。

 年配のシスターに教わったことを思い出しながら、懸命に日々の天気を読む練習をしている真剣なまなざし。


 子どもたちにからかわれて照れている顔や、うまく叱れなくて落ち込んでいる顔……。




 本当はすぐにでも迎えに行きたかった。


 でも、彼女と再会してから、まだ半年も経っていない。


 きっと、彼女には時間が必要なのだ。自分の心を整理するための時間が。


 ーーだから、きっと今いかないほうがいい。





 春になった。マリィと別れてから、半年だ。


 母親のように慕っていた老修道女を亡くし、さめざめと涙を流しているのを見たとき、そのままマントの中に包んで連れて帰ってしまいたいと胸が痛んだ。


 けれども、リヴェールは今にも彼女に伸ばしてしまいそうなその手を、もう片方の手で抑え込んだ。






 夏。マリィは日に日に憔悴している。


 食が細くなったのだろう、ずいぶん痩せた。集中力も途切れがちだったし、目の下には深いくまもある。




 そして、ある秋の夕暮れ。彼女と別れてから、一年が経っていた。


 マリィが底なしのぬかるみに沈んでいくのを見て、もう居ても立ってもいられなくなり、リヴェールは駆け出した。


 フォルミーとの旅のおかげか、すっかり身体が鍛えられていたリヴェールは、風魔法を使わなくても間に合った。


 抱き上げたマリィは、びっくりするほど軽く、──もう絶対に離さないと、リヴェールは誓った。









 森の奥には、貴族が暮らすにはやや小さな、けれどもしっかりした造りの立派な屋敷が隠されている。


 リヴェールとマリィは、懐かしいその家に戻ってきていた。


 それこそが、マリィが出した条件のうちの一つだった。




 この家でリヴェールの代わりに自由を謳歌していた兄のロヴェールは、マリィをひと目見るなり、その顔を真っ赤にして、次の瞬間には彼女を口説きはじめた。


 リヴェールは遠慮なく兄を屋敷から蹴り出した。


 それでも彼は諦めず、扉をどんどんと叩いてうるさかったので、魔王を倒したあとになぜか契約できるようになった使い魔を呼び出して、王城まで運ばせた。




 王太子の、後に父王を隠居させ王のふりをしてみて、リヴェールは自分の適性のなさをよく理解したので、それで良かったのだと思っている。


 彼は書類しごとや魔法は得意だったが、兄王子と比べると頭が硬いのだ。


 しかも、人と関わってこなかった弊害で、人との接し方がわからない。ーーきっと、あのままではいつか、政に問題が生じていただろうと思うのだった。


 思いつく限りの新魔法と政策案をまとめた書類を執務室に残してきた。


 あとは、人望が厚かったロヴェールのほうが適任だろう。






 そして、マリィの出したあと二つの条件。



 一つは、子を持たぬこと。


 彼女の罪の意識から来ているのだろうと思った。


 王城に滞在している間、リヴェールは、禁書を調べたり、高齢の魔道士に会ったりして、雲の王国についていろいろと調べていた。


 また、魔王が殺した女がマリィの侍女だったことを知り、自ら、フォルミー以外に落ちてきた雲の王国の人々をも訪ねて回った。




 その結果、マリィは幼いころから洗脳されていたのだろうという推測が生まれた。


 きっと、記憶を失ったことで現れた幼いマリィの人格こそが、彼女の本来の気質なのだろう。


 また、傲慢でわがままではあったものの、残虐な性質ではない彼女が、謀反などに協力をしたのはおそらく、あの女、シガーラの魔法だと考えている。




 けれども、そうした話をしても、彼女の気休めにもならないと思った。


 侍女の洗脳が解け、罪の意識が生まれ、さまざまな人と関わる中で生まれたポリーという女性は、気高く清廉だからだ。




 本当は、マリィと自分との子どもが生まれたらどれだけうれしいだろうと考えていたけれど、ーーリヴェールは、その夢を諦めた。





 それから最後の条件。


 彼女はこの条件を、魔王討伐などという無茶な話と同じように、リヴェールを諦めさせるために言ったのだろう。


 けれどもそれは、リヴェール自身の願いでもあった。









 あれから長い時間が過ぎた。


 約束通り、二人は子を持たなかったが、その分、各地の孤児院を回り、子どもたちの援助をして過ごした。


 森の屋敷には、いつも世話をした子らからの手紙が届き、マリィはその返事を書くのをなによりも楽しみにしていた。


 日々森の恵みに感謝して、二人で家のことをし、フォルミーに手作りのものを販売してもらい、夜には玲蜜花の甘茶ミルクを飲み……、なにげない毎日を愛おしんで過ごした。


 



 兄のロヴェールに孫が生まれたのはつい先日のこと。


 ここのところ、マリィは寝台から起き上がれなくなっていた。




「リヴィ。……わたしと一緒にいてくれてありがとう」


 マリィの声は弱々しい。


 リヴェールは涙がこぼれないようにぐっと目に力を入れながら、すっかり細く、枯れ木のようになった彼女の手を握った。




「三つ目の約束を覚えている?」


「ああ」


「ーーあれは、……あなたを困らせるためだけに言ったの」


「知っているよ」



 マリィは、首をゆっくりと動かして、窓の向こうに広がる森に目をやった。



「わたし、土も、緑の森も好きだわ」


「ああ」


「ーーここに落ちてきてよかった」




 それが最期の言葉だった。


 リヴェールはひとしきり涙を流すと、深く長い息を吐いて、よろよろと立ち上がった。


 庭へと彼女を運び、魂送りの儀のための準備をした。



 それから屋敷をすみずみまで磨いた。


 書庫の本のうち、雲の王国にまつわるものは隠した。


 本当にその情報を必要とする人が現れたとき、自然と目につくような魔法をかけておいた。



 それから書斎にこもり、今はもうほとんど残っていない、親しい人たちに手紙を書いて、それを鳥の形にして飛ばした。


 最後に、赤い小花に包まれた古井戸のところへやってきて、庭の花を手向けた。







 リヴェールは、庭の花々に囲まれて眠るマリィの横に寝そべった。


 その顔色はひどく悪い。ーー本当は、リヴェールの寿命はとうに尽きていたはずなのだ。


 約束を守るため、魔法で保たせていただけにすぎない。


 命をなんとか繋いでいた魔法を、しゅるしゅるとほどいた。






「三つ目の約束。わたし、一人はいやなの。

 わたしが死ぬときは、いっしょに死んでくれる?」



 彼女の目には、きっと断られるだろうという自信と、悲しさと、その両方が見え隠れしていた。









 奇しくもその日は天気雨だった。


 晴れた空から落ちてくる雨が、視界をぽつりぽつりと滲ませていく。


 あの日と同じ空だ。天使のような少女が、罪を背負って堕ちてきたあの日と。


 まるでその瞬間に戻ったかのように、ひらひらとドレスのはためく残影が見える。


 マリィとの淡々とした日々が思い起こされ、それがかけがえのないものに感じられて、リヴェールは幸福な気持ちで目を閉じた。




『胡蝶姫は、罪と堕ちる』 -完-



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