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危鬼気怪々 ー 嬉々奇譚綺譚、忌みじかるらむ



ーー


起端と成るべく因縁は、古くは飛鳥の時代に遡る。


命辛々。

みやこを落ち延び東へ渡った鬼子の血脈は、浮世が憂き世に戻るのを今か今かと待ち侘びる。


産声上げて、大手を振って、世界を手中に収むれば、積年の怨みも晴れるべし。


ーー




199×年、東京都杉並区。

家賃3万8千円、7畳一間のワンルーム。


一切の家財道具も置かれて居ない真っ新なフローリングを前に、化野 御行は歓喜に打ち震えていた。


「いや〜っ素晴らしなぁ!都会っ!」


線を引いた様な細い目と艶の無いワカメ髪。

長身痩躯を投げ出して、化野はフローリングにダイブをかました。


「ハァほんにほんに。...して若。若ともあろうお方が、ホンマにこないな兎小屋に住むて言わはるんで?」


大の字で寝転がる化野を、溜息混じりで見下ろす大柄な青年が1人。

彼は芹 なずな。

しゃんと立てば化野よりも頭一つ抜け出る程だが、慇懃...と言うより最早卑屈な彼を著すが如くその背は猫の様に丸まっている。


化野と芹は只今、この春より故郷を遠く離れた都会の大学に進学する為のお引っ越し真っ最中であった。

ウキウキフレッシュ新生活1日目。


但し家具も家電も現時点では一切無し、7畳一間に大の男が2人暮らし。

湯殿と厠が別々なだけ上等なもんやろとは化野の弁。


「しゃぁないやん。内緒で受験しとったさかい父上も母上も未だにカンカンやし、仕送りして〜なんて言えへんよ。......義務教育もまともに通わせとらん息子が最高学府にストレート合格しとるんやぞ、世間様なら鼻高々やっちゅうねん。」


化野は不満気な声を漏らし、ごろりと裏返る。


「さいですなぁ。若はホンマにおつむがよろしい。」


「......なぁ芹くん、その“若”言うん止めへん?お里が知れたらアカンのやし、もっとこう〜...田舎モンぽく無い...。あ!ミユキやから“ミッキー”はどない⁉︎ナウない⁉︎」


ボク天才!と海老反る化野を前に、芹は額を抑え本日何度目かの溜息を吐いた。


「勘弁して下さい。ご主人様をネズミみたいにゃ呼べまへんよ。」


化野と芹の腐れ縁は生まれた頃からに遡る。


不世出の名家である化野一族と、代々それに護衛役として仕える芹家。

彼等はお互いその跡取りとして生を受けた。


体格には恵まれたが能力は十人並であった芹と比べ、化野は“初代の再来”“当主に成るべくして生まれた”と一族誰しもに言わしめた才覚を持つ所謂天才であった。


彼の才能は勉学に於いても遺憾無く発揮されてきた物であるが、一族を統べるに当たり重要なのはそこでは無い。


卜占、魘魅、陰陽道。


化野一族は、西暦が3桁だった時代から脈々と受け継がれてきた陰陽師の家系である。


遷都を機に隠れ里へと移り住み、ロケットが月に行く今の世まで政界財界を裏から操ったりなんぞしつつ存続し続けて来た生粋のオカルト一族だ。


「ほんならまぁ、御行くんとかでええわ。......さて!そろそろ行こか!」


「藪から棒に。一体どこに行かはるんで?」


化野はすっくと立ち上がり、人差し指を天に向けた。


「決まっとるやん。......若者の街、ヤーシブや!」


「ヤーシブて...田舎モン丸出しですやん。渋谷でええやないですか...。ちゅうか先に家具やら家電やら揃えなアカンもんがぎょーさんありますでしょうに。」


「硬い事言わんと!折角あん陰気くっさい家出て来たんやさかい、都会生活満喫しようや。......なっ、芹くん!」


我が主様は強引なお人や、と芹はひとりごち、ウキウキと部屋を出た化野を追って一路渋谷を目指したのだった。




ーー


「.........なんっやねん!どないなっとんねん都会の交通網は!芹くん、ここどこぉ⁉︎」

「えーと......下落合やて書いてますわ。」


電信柱の広告を読み、芹が答える。


アパートを出発し、およそ4時間。

意気揚々とバスに乗り込んだ彼等は見事に都会の洗礼を受けていた。


「うう...渋谷て書いてあったやん...絶対書いてあったて...!」


目指した筈のオシャレストリートとは大分イメージのかけ離れた下町の住宅街をとぼとぼと彷徨い歩く。


「そないぼやかんで下さい。わいが道聞いてきますさかい。」


「聞くてぇ......誰に?人っ子ひとり居らへんよ?」


芹は辺りを見回した。

確かに、いくら平日昼間とは言えここまで人の気配すら無いものだろうか?言い様の無い違和感、辺りはしんと静まり返り背筋に冷たいものが走る。


「と、兎に角行きまひょ。大きい道に出れば...」


焦燥を振り切る様に芹は足早に歩き出した。


「それはどやろなぁ。...芹くん、そっちは行ったらあかんよ。」

「え、」


先程までやいのやいのと騒ぎ立てていたとは思えない程神妙な化野の声音に振り返る。


刹那、背後の曲がり角の先からぞわりと纏わりつく様な異様な気配が溢れ出るのを感じた。


足先から駆け上がる悪寒、全身の毛穴から脂汗が滲む。

ドロドロとした悪意の塊が此方を捉えようと触手を伸ばしてくる。

総毛立ち脳は警鐘を鳴らすが、足は縫い留められた様に動かない。


気配はざわざわと盛り上がり、不定形に蠢く闇の塊が形作られて行く。


それは、人間の魂を捕食せんと徘徊する異形の化物であった。


「ヒィ...ッ」

「ほんに君は臆病やねぇ。ええ加減慣れぇ。しっかし、ようけ育っとるわ。...けど、ボクと会うたんが運の尽きやったね。」


化野はコートのポケットを探り、一枚の細長い紙を抜き出した。


「往生せぇ!............アレっ??」


二本指で挟み、腕を横に薙いでスマートに投げ飛ばした紙はペラペラと力無く地に落ちた。『おにぎり98円セール!』と印字されたそれは、今朝寄ったコンビニのレシートであった。


「あかーん!間違うて護符捨ててもうたわ!(笑)」

「ど、どあほー!!!」

「主人に向こてアホとはなんや!」

「言うてる場合ですか!!」


こうしている間にも闇の塊はグネグネと容積を増して行く。


次の一手に取り掛かろうと悠然と手を掲げた化野の脇を、擦り抜けて飛び出す者があった。


「さがってっ!」


紺のセーラー服を着た可愛らしい少女だ。


肩下まである黒髪を靡かせながら、芹を押し除け闇の塊との間に躍り出る。


「フーッ!!!!」


少女が威嚇をする様に立ち塞がると、闇は怯み次第にすごすごと姿を消した。


途端辺りの空気が緊張を解き、鳥の鳴き声や遠くで車が走る音が耳に届く。

日常に戻って来た安堵に腰を抜かした芹をセーラー服の少女が見下ろした。眼前でスカートがはためき白い太腿が眩しい。


「だいじょぶ?あぶなかったね。」

「は、はひ。だいじょおぶです。」


ぽかんと口を開け惚ける芹を横目に化野は少女に近寄る。


「いやぁお嬢ちゃん、ありがとうなぁ。」

「きにしなくていいって。でもはやく帰んなよ。」


少女は素っ気なく髪の先を弄り答えた。


「帰りたいんは山々なんやけどねぇ。そや、迷惑ついでに一つお願いがあるんやけど...」

「なに」

「帰り道......教えてくれへんかな?」


少女は一度面倒そうに口を歪めたものの、ついて来いとばかりにゆったり歩きだした。





ーー


少女の後に付いて行くのは困難を極めた。


もしや揶揄われているのではと疑う程の悪路を案内されたが、夕焼け小焼けをBGMに30分程歩いた所で住宅街を抜け商店やビルの並ぶ駅前へと辿り着いた。


「いやぁ〜、他所ん家の塀の上登るて言わはった時はどうなるかて思たけど、駅まで来られたんやったらもう安心やわぁ!ほんまありがとうなぁ。」

「ほんに。命の恩人ですわ。」


服の端を土で汚し、髪に葉っぱや小枝を絡ませた化野と芹は少女の腕を堅く握りブンブンと上下に振った。


「いいいいいから、はなしてっ。...じゃ、ユキはこれで。」

「ちょぉ待って。お腹空いとるやろ?お礼にご飯でも奢らせてや。...なっ芹くん!」


化野は芹に目配せした。


「へ?えっ、ええ。何でも奢らせて貰いますわ!」


少女は訝し気に2人を見遣りお断りだと口を開きかけたが、正直にも腹の虫の方が先にぐうと意を返した。


ばつが悪そうに顔を背けた彼女の視線がある一点に留まる。


「じゃ、あれがいい。」


すっと指さした先にあったのは、お手頃価格が売りのファーストフード店であった。





「ハイ、君の分。すっかり冷めてもうてるけど。」


ファーストフード店から少し歩いた公園のベンチ。

化野は紙袋からてりやきバーガーの包みを取り出し少女に手渡した。


「そのほうがいい。」

「ええ?あっつい方が美味しない?」

「猫舌言うんですわそう言うんは。」


少女がバリバリと包みを破り取り、一口囓ると溢れたソースが両手を汚した。


「お嬢ちゃん下手やねぇ。ボクが手本を見したるわ。」


化野もチーズバーガーを取り出しかぶりつく。

中身のパティは綺麗な放物線を描き地に落ち、手元にはパンだけが空しく残った。


「ブッフォッ!...ゲホッ!ぐぉほッ!んぁはひッ!」

「きたなっ!芹くん⁉︎笑いすぎちゃう⁉︎」


コーラを吹き出し咽続ける芹と、初めて食べたんやからしゃあないやん、と口を尖らせる化野の様子に、少女も図らずも笑みを溢した。


「ふふ。ユキもはじめて食べたけど、おまえよりじょうずだった。」

「おまえて!ちゃんと自己紹介したやん!ボクは化野御行!こっちは芹なずなくん!て言うか君も初めて食べたん?」


少女は口の端に付いたソースを舐め取り答える。


「ユキは清白 雪。ワカナはよくたべてたっぽいけど、ユキには体にわるいってたべさせてくれなかった。」


「うん??...ほっかぁ...すずしろゆきちゃんやね。綺麗な良えお名前やん。ほんで、初めてのお味はどないやった?」


化野の問いに、雪は神妙な顔でてりやきバーガーを見つめる。


「......しょっぱい。ワカナはなんでこんなのスキだったんだろ。」

「そのゲホッ...ワカナてヴヴン誰ですのん?」


芹は未だ咽ていた。


「ワカナはユキのげぼく。」

「エッまさかのエッチな関係っ⁉︎」

「お黙り芹くんっ!」


化野が芹の後頭部をはたく。

雪はぽかんとした表情で話を続けた。


「エッチ?わかんないけど、ずっといっしょだったのに、いきなりいなくなっちゃった。たぶん、さっきみたいな黒いのにたべられちゃったんだとおもう。」


雪はぽつぽつと語り始めた。


ワカナとは生まれた時からずっと一緒に育ってきた言わば妹の様な存在であり、そんな彼女が突如失踪したのはもう一週間も前になると言う。



一週間前、雪が日課の散歩に出掛た時の話。

逢魔ヶ時の夕闇に紛れて壁を這い回る様に現れたのが、先程一向が出会ったあの闇の塊だった。


但し一週間前は芹たちの身長を越す程大きくは無く、またあの辺りには似たような化物が複数居るのだと雪は語る。


あの日現れた化物は雪に目もくれず、隣を歩くワカナ...清白若菜に襲いかかった。


若菜をズブズブと呑み込もうとする闇に、雪は死に物狂いで立ち向かう。

だが飛びかかり噛みつこうにも引っ掻こうにも手応えは無く、一度霧散するもののたちどころに凝集し今度は雪も標的に加え触手を伸ばしたのだ。


闇が雪の身体に触れると、脳を引き裂かれる様な怨嗟の声がなだれ込んで来る。


これまで闇に取込まれてきた犠牲者達の悲鳴だ。

呑まれて意識が遠退く。


「雪ちゃん!」


若菜は必死に雪をその腕に抱き庇う。


雪が気がついた時には化物も若菜も忽然と姿を消していた。

それから雪はずっと若菜を探し歩いているのだ。



話し終えた雪は食べかけのてりやきバーガーに目を落とす。


若菜はこれが好きで良くソースを口の端にくっ付けて帰ってきたものだ。

思い出して目頭が熱くなるのを感じる度、人間の身体は厄介なものだと雪はその身を抱きしめた。


「......わかった。雪ちゃん、それ、ボクに任せてみぃひん?」

「え...っ?」


化野は咳払いを一つつくと、勢いよく立ち上がりパンダ形の遊具に片足を乗せ芝居がかったポーズを取った。


「えー、生まれは嵯峨の奥の奥、きざはし登った隱れ里。幼少の砌より市井の扶けと成らんべく陰陽五行を修めて参りました、ナチュラルボーンのスーパーヒーロー陰陽師☆化野とはボクの事っ!」


ドドン!


「ヨ〜ッ、ミラクル千両役者〜〜!!」


華麗なターンを決め、芹の間の手も完璧。


「.........?????」

「.........。」

「.........。ウォッホン。えー、つまりボクん家陰陽師やねん。占いとか得意やから若菜ちゃん探すん手伝おか?って事なんやけど...。」


一同に暫しの沈黙が流れる。


化野は(スベってもた...)と袖口を弄り、芹は(スベらはったな...)と遠い目で空を仰いだ。


「......い、いいの?ほんとにワカナみつけてくれる?」


丸い目を更に見開いて雪は化野に縋った。


「話を聞く限りやとボクの領分で間違い無さそうやしね。......ただ、100%君が望む結果になるとは限らへん。それでも、若菜ちゃんを助けたいて言うんやったらボクは出来る限りの事したる。」


「ワカナがかえってくるならなんだっていい!なんだってする!」

「さよけ。......決まりやね。」


化野は棒を拾い上げると、砂場に円や線を描き付けて行く。


程なくして五芒星を据えた陣が出来上がり、中心に立つよう雪を促した。


「この陣で若菜ちゃんを呼び出す。身体と魂の惹き合う力を利用してあの真っ黒い化物にこっちの居場所を教えたる訳やから、当然危ない目ぇに逢うかもわからん。...これが最後の通告や。ほんまに、ええんやね?」


化野はコートを脱ぎ芹に手渡す。


「いい!いいからはやく!」

「そない急かさんで。......いくで。」


腕を捲り上げ、柏手を一つ打つ。


途端、遠くから聴こえていた宵の喧騒は成りを潜め、空気が澄んで行く。

冴え冴えとして、清浄。まるで神域に踏み込んだ様。


それを作り出す化野もまた、まるで人間を超えた神様みたいだと、陰陽師として振舞う彼を目の当たりにするにつけ芹は居心地の悪さを感じていた。


ずるり、と視界の端で何かが蠢く。


「......お出ましやね。」


不定形の闇がゆっくりと持ち上がりかたちを作る。


苛立つ様に全身が騒めき、二筋の尾が地面を叩くと、四つ足で立つ巨大な獣の形へと変貌を遂げた。


「そない大きなるまで、一体なんぼ程人を喰ろうたんやろな。」


呼びつけられ気が立っているのだろうか、獣は毛を逆立て雷の様に唸る。

振り回された尾が化野の近くを叩くが、彼が動じる事は無い。


「ーー臨、兵、闘、者」

人差し指と中指を揃えて立て、獣に向けると一字ずつゆっくりと九字を切った。

「皆、陣、列、在、前。」


獣がまるで押し付けられる様に膝を折り地に伏せる。大した抵抗も出来ず、涎を垂らし呻いている。


「雪ちゃん、こっちきぃ。......呼び掛けたってくれるかな。」

「あ......うん...。」


近寄る化野と雪を獣は空虚な眼孔から睨め付ける。


「......ワカナ、ワカナ、たすけにきたよ。そこにいるんでしょ?」


獣は牙を剥き威嚇した。しかし雪は怯まない。


「返事して。やさしいワカナにもどって。」


額に触れ優しく撫で摩ると、次第に獣は落ち着きを見せる。頬擦りをする様に首を微かに動かし、獣は完全に大人しくなった。

一同に安堵の色が浮かぶ。



「あんまり勝手されると困りんすえ。」



突如。

宵闇を縫う様な女の声が、どこからとも無く辺りにこだました。


獣がギイと悲鳴を上げる。

身を裂く程に暴れ拘束から脱すると飛び退き、暗がりに佇む紅い着物の女に付き従う様に身を屈めた。


「折角ここまで育てた寝子。化野の木瓜茄子におじゃんにされたら堪りませんえ。」


女が姿を見せる。

しゃなりしゃなりと下駄を擦り、きっちり結い上げた長い黒髪、紅地に黒い彼岸花の着物を着込んだ妙齢の美女。


「......あんたはん、なにもんや。」


化野は雪を背に隠し身構えた。


「化野の木偶の坊が、わっちは七種。忘れたとはいわんせんよ。」


女がニィと狐の様に目を眇め、口の端で笑みを作る。

ぞわり、と悪寒が背筋を走る感覚。


「......ッ、芹くん!こっちき!“解”や!」


化野は手を叩き芹の額に指先を当てる。

五芒の陣が浮かび上がりドクンと全身が脈打つと、芹の身体は見る間に膨れ上がり異形の大鼠へと姿を変えた。


芹家が化野一族に仕える理由、それがその鼠の姿にあった。


「芹くん、雪ちゃんを連れて逃げぇ!」

『せやかて若...!』

「ボクは心配あらへん。それより雪ちゃんを頼むで。」


芹は雪を抱え上げ、一目散に公園を離れた。


「あらら。行ってしまいんしたなぁ。ご主人様を置きざりにして。」


「かまへんよ。......あの子ぉには、あんたはんをあんまり会わせたないし。」


女が口元を袖で隠しクスクスと笑う。


「ああ、じゃぁやはりあの溝鼠はお館様の呪いの。懐かしいぇ。ちとせを経てもちっとも変わりんせん。それにしても滑稽でありんすなぁ、化野の呪いを他所に押し付けてのうのうと太鼓持ち扱いとは。」

「.........。」


化野は苛立った様子で頭を掻きながら小声で何事か呟いている。


「今でも色褪せんせん思い出でありんす。延暦は四年、お館様が畜生共を差し向けて、化野の糞餓鬼がまんまと呪われたあの夜のこと。ああ腹が捩れてしまいんす。まさか友人に肩代わりさせて逃れんしたとは、おお、汚い汚い。」


「問うに落ちず語るに落ちるっちゃあこの事やな。ベラベラ喋り腐りよって、姦しいったらあらへんわ。...こっちは詠唱終わってんで!」


化野が足で地面に陣を描く。

二本指を地に着けると辺りを巻き上げる一陣の風が吹き、風はたちどころに蟠を巻く巨大な蛇神を形作って行く。


「ボクはその呪いを解いたる為にド田舎くんだりから出てきたんや。おめおめ手ぶらでは引いたれんから、覚悟しい。」


「ほぉ。その速さでここまでの大物を喚び出せるとは、鳶が鷹を産んだ噂は本当でありんしたか。」


「ウワバミくん、頼むで!」


化野の合図と共に大蛇が女に襲いかかり、控えていた獣と対峙する。


互いに牙を剥き出し空気が漏れる様な威嚇音が響いた。

獣の方には化野の拘束を力尽くで抜けたダメージがある分、蛇が優勢に見える。


「おお、恐ろし。寝子は蛇とは相入れぬもの。...このままでは分が悪うござりんすなぁ。」


女が懐から扇子を取り出しツイと振ると、辺りの暗がりから昼間出会った様な闇の塊がいくつも姿を現した。


紅の引かれた唇の端を孤月形に引き上げて女はにたりと笑う。


「寝子や。たぁんと食べなんし。」


獣は一目散に闇の塊に飛び付き、噛み付き、そして捕食した。


無数に居た塊を食い荒らす度その身体は凶悪さを増して行く。

ボコボコと膨れ上がり、鉤爪や牙が獣自身すら傷付け苦悶の声を上げてなお、捕食する事を止めはしない。


いや、許されていないのだ。


『グギ...ガァァ...ッ!!』

「...ッ!止め!!けったくそ悪い、こない魂を玩ぶ真似...!」


「遅いわ。...もう、出来上がりんしたぇ。」


全て食い散らし、獣はゆっくり振り返る。


二股の尾を揺らす巨大な化け猫。

自我は既に失せ、取込まれた人間の魂達ももう永劫救われる事の無い、理から外れ只々呪いを撒き散らすだけの存在。


若菜と雪はもう、元には戻れない。


「き...っさまァ!!なんて事し腐りよんねん!!!」


「憎むなら自分のご先祖様を憎みなんし。後は野となれ山となれ、寝子や、わっちはもう帰りんすからあの独活の大木片付けておきなんし。」

「!!待ちぃ!」


女はフッと暗がりに消えた。

化野も追いかけようと踏み出すが、化け猫が立ちはだかりそれを阻む。


「シャァァッ!」


振り抜かれた尾が化野を横凪ぎにし、吹き飛ばされて地に伏せた。


「ハッ...糞が...。ボクは肉体派ちゃうねんぞ...。」


化野はシャツの胸元を寛げると切れた口元の血を拭い、心臓の上に刻まれた陣の刺青になすり付ける。


「若菜ちゃん、雪ちゃん。みんな、助けてあげられんで堪忍な。」


神に見捨てられ極楽にも地獄にすらも行けない哀れな魂達が、せめてこれ以上苦しむ事が無い様に。

宛ての無い祈りを込めて、陣を発動させた。


大蛇がスウと溶け、風となって化野に纏わりつく。

通常使役している式神を直接自らの身体に降ろす、化野一族の秘儀だ。


双眸を開き、これから殺す者達をしっかりと見据える。

ここで始末しておかなければ化け猫は更に犠牲者を作るだろう。

やりたく無くてもやるしか無い、最大多数の最大幸福。これが一番報われる道。


一歩一歩進み出る。


触れれば切れる程の圧倒的な妖気を以て、化野は呆気無く化け猫を縊り殺した。




ーー


「はなせーっ!!でかねずみ!ワカナが、ワカナが......っ!」

『いだだだっ!噛みつかんでくださいっ!』


一方、雪を抱えて逃げた芹は激しい抵抗に遭っていた。


ご主人様の一族と何か因縁めいたものを仄めかすあの女は一体何者だったのか。


そもそも、化野は積年の友人が如く振る舞う癖に肝心な事はかたくなに隠す。

今だって護衛の御役目を果たさせて貰えず、厄介払いの様に敵前逃亡させられた。


信頼されて居ないのだと自嘲する芹の隙を突いて、雪が腕を擦り抜ける。


「ワカナぁっ!」

『あ!待ちい!』


来た道を一目散に駆け抜ける雪を必死に追うが、するりするりと躱されて全く捕まらない。


気付けばとうとう元の公園まで戻って来てしまっていた。


『やぁっと捕まえたっ!手間掛けさせよって...』


肩を掴み引き寄せるが、雪は意にも介さず一点を見つめ動かない。


「なに......あれ...?」

『へ?』


彼女の視線の先、公園の真ん中には自らの体長を悠に越える巨大な猫の化物を片腕一本で縊り上げる化野の姿があった。


「わ、ワカ...ナ?......やめてぇ!ワカナが死んじゃう!!」

『やめ...近づいたらあかん!!!』


雪は芹を振り切り駆け出した。


化野を中心に渦を巻くエネルギーの流れに触れると、火花の様な閃光が散る。


振り返った化野が驚き瞳を大きく見開くと、辺りは灼ける様な光に包まれた。



ーーー


『にゃー、にゃぁーん』


一匹の白い猫が、主人を求めて不安気に鳴く。今にも途切れてしまいそうなか細い声。


不意に、前方で1人の少女が猫の名を呼んだ。


『雪ちゃん』

『にゃあ!』


猫は一目散に駆け寄ると、少女の胸で満足気に目を眇めゴロゴロと咽を鳴らした。


『雪ちゃん、ごめんね。さようなら。』


少女もゆっくり目を閉じる。


『...ありがとう。元気でね。』


ーーー




眩い光が次第に収まって行く。


立ち尽くす芹の目に映ったのは、いつも通り糸目でワカメ頭な化野と、蹲る少女の姿だった。


『わ、若......』

「...頼むて、言うたやん。」


低く地を這う様な声に芹は身を竦ませる。

離れていた間に何があったか分からないが、化け猫を捻り殺す化野の姿は見ていて気分の良い光景で無かったのは確かだ。


言付け通り彼女を遠ざけておけなかった自分を化野はきっと言葉の限り詰ってやりたいのだろうし、いっそ口汚く罵った方が互いに幾分マシだっただろうに。

じっと口を黙み耐える化野が居た堪れず、芹は二の句が継げないまま雪を見下ろした。


ポロポロと涙を零し、嗚咽する彼女。

胸に抱いているのはくったりと動かない空っぽの白い猫。


化野がしゃがみ込み、ゆっくりと猫を撫でた。


「まっさらで綺麗な白い毛並みやね。せやから“雪”...か。」

「さわるな!おまえ、助けるっていったのに!」


少女は腕を払い退け、一層強く守るように猫を抱きしめた。


「せやね。......でも、君が望む結果になるとは限らへんともボクは言うたよ。若菜ちゃんの魂はもう助からんとこまで取込まれてしまっとった。」

「...!でも!」


少女は化野を、憎しみを込めて仰ぎ見る。


「......いや、そんなん今更言い訳にしかならんわな。今のは八つ当たりやった。ボクが...力不足やったんや。...ごめんなさい。」


素直に非を認められると、怒りの遣り場が無くなってしまう。


「あ、.........。」


睨む視線を外す代わりに抑えられない涙が溢れて、雪は大声を上げて泣いた。




それから暫く、化野と芹はどうする事も出来ないまま泣きじゃくる雪を見つめていた。


次第に声が萎んで行ってスンスンと鼻を啜るだけになった頃、雪は徐に立ち上がる。


「どこ行くん?」

「......埋める。ユキのからだはもう、つかえないから。」


化野が猫の身体を覗き込む。


一週間前、闇の塊に飲み込まれた時にはもう肉体は事切れていたのだろう。白い毛皮はよくよく見れば所々ずる剥けて爛れた肉が覗いていた。


「君は、どうするん。...もし、」


そして、その肉体を依代に強大化した化け猫を痛めつけ、囚われた魂達を消滅させたのもまた化野なのだ。


もし、もし雪が辛いと言うのなら、全てにカタをつけてやれるのは自分しか居ないと化野は分かっていた。


「いい。ワカナはさいごに元気でねっていった。不便だけど、このからだをくれた。ワカナがユキに生きてほしいって思ってるならユキは死ねない。」


しっかりとした口調。

赤くなった眦を擦り化野達を見据える瞳が、意思は硬いのだと物語っている。


「でも、アダシノ!おまえはワカナをころしたから、ぜったいに許さない!取り憑いてやるからかくごして!」


「...うん、うん!ええよ。それで君が生きてくれるんなら望むところや。千年以上を方々から呪われまくっとる化野一族や、今更かいらし猫又の一匹受け入れられんほどケツの穴の小さい男とちゃうで、ボクは!」


化野はドンと胸を張る。


「へ、変なやつ。ユキもう行くから!......ワカナを助けてくれて、ありがとう...アダシノ、セリ。」


猫を抱いた少女は、ゆっくりと歩き出す。

別れを、悲しみを乗り越えて前に進むその姿は、晴々として見えたーー。




こうして化野御行と芹なずなの波瀾万丈な都会生活は幕を開けた!


スーパーヒーロー陰陽師☆化野は、のさばる悪を打ち倒し、闇夜を切り裂き今日を征く!







『...あのォ...若?』

「ああ堪忍堪忍。今戻したるさかいな。ほい“封”っと。」

「あども。...やなくて!わい置いてけぼりなんですが⁉︎良え話風に終わらそとしとりましたけども!」

「なんや、察しの悪い子ぉやね。ーー猫には魂が9つあるーボクらと一緒に居ったんは最初っから、清白若菜ちゃんの肉体に憑いとった猫の雪ちゃんやった、っちゅうこっちゃ。」

「藪から棒な!そないな話がありますか!」

「あったやんか〜つい今しがた〜。」

「ハァ〜!アンタとはもうやっとれまへんわ!」


ちゃんちゃん。




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