幼馴染の家のぬくもり
「もしもし?」
『よ、ねーちゃん』
「こんばんは」
夜、宿題が一段落した頃。静まり返った家の中、自室の椅子で伸びを一つしていると、サイレントにしてあった携帯電話がぶるぶると震えて何らかの通知を伝えた。画面をオンにして確認すると、それは幼馴染のあゆくんからだった。
彼が私の後を追うようにスマートフォンを買ってから、私たちは家でもよく連絡を取るようになっていた。以前は二人でよく遊んだ私たちの間柄も、年度が変わって私が受験を控えるようになってから目に見えて減るばかり。だからか、私たちは離れていてもできるやり方で、自然にそれまでと同じ距離感を保とうとしてきた。普段はだいたい二言三言で終わるような短さで、それもしばしば返答に多少の時間を空けたりする気楽さではあったけれど、そのやり取りは私にとってもちょっとした安らぎの時間になっていた。
『そろそろ大丈夫かなって。どう?』
「いつもスゴいよ本当に、あゆくん。何で分かるのかってくらい」
何より驚くのは、この年下の幼馴染がいつも、私の宿題がちょうど一区切りついた時を狙い澄ましたかのように連絡をしてくるタイミングの良さだ。そんな風に良い意味で奇妙な空気の読み方をしてくるあゆくんは、今日はメッセージだけでは物足りない様子で、しばしの間私はシャープペンを机に置いて四方山話に花を咲かせた。
「宿題多くて大変でしょ」と心配されれば、私も自分にしては珍しく「あゆくんこそ苦労してない?」と彼を労る。私が今の彼と同じく小五だった頃は、周りが少しずつ勉強についていくのに難儀し出したのを覚えていた。特に算数は小数や分数で時々躓く子が出てくるし、社会だって私たち子供にはどことなく縁遠い分野である公民へと枝葉を広げていく。私は何となく勉強が好きだったから当時も板書を追えていたものの、あゆくんはもしかしたらそうじゃないかもしれない、と。もっともあゆくんへのそんな不安は、ただの杞憂で終わったが。
気づけば話題はあちらこちらへと迷走を重ね、私たちはかれこれ一時間ほど取り留めのない会話に現を抜かしていた。それでもあゆくんから話の種が絶えることはなく、また私も気持が一度机から離れたおかげか、お互い飽きずにああでもないこうでもないと言葉が飛び出てきた。
『でさ、アキが煩いんだよ最近。毎日毎日テレビなんかで』
「あはは。いるいる、チャンネル戦争でしょっちゅう文句の友達」
『もうめんどいし、つまらないし。あれだけはマジ』
「ねー、笑っちゃうよね――」
惰性で続くそれがついに遮られたのは、不意にスピーカーの向こうでガチャリと音が鳴ったせいだった。
『歩夢! いつまで降りてこないの!』
『うわっ、かーちゃんノック!』
そして、扉が勝手に開いたのだと思われる音よりも遥かに大きな怒号。間髪入れないあゆくんの抗議の一方で、傍から聞いていた私のほうが一瞬にして背すじをピンと伸ばしてしまうほどの圧だった。
『あんたが聞いてないんでしょ。全くもう」
『うっさいなあ、聞こえるようにしてよ」
『しかも電話……まーた歩未ちゃん?』
『お、おい取んなよ!』
あゆくんはそれを境に遠のき、別の声が耳に近づいてくる。
『もしもし?』
「は、はい!」
『歩未ちゃんごめんねえ、歩夢がいつもいつも』
「いえ……! 私も楽しいですから」
『なら良いんだけど――ほら歩夢、いい加減風呂掃除!』
あゆくんの家は、本当に賑やかだ。電話を取られてお手伝いを急かされたあゆくんの不平も、今日の夕ご飯の予告だけであっさり流れ去る。それだけつまらない愛おしさとあたたかさに溢れているのが、彼の家。焼肉なんて、私は最後にいつやったんだったっけ。
『ごめんなねーちゃん、母さんが』
「ううん」
『父さん良い肉貰ったって。じゃあ』
「じゃあ、たくさん食べなくちゃね」
もう少し言い残したかったが、虚しくも通話はそこで途切れた。私の部屋はまた、物音のないしんとした静けさで満たされる。もう良い時間だし、私は私でご飯を作っておかなきゃ。そう言い聞かせても、今は暫く椅子から立ち上がれる気がしない。
話の種がいくらあろうと、相手がいないならその芽は出ないまま。勉強はただ一時的に気を紛らわす手段で、なのにその癖集中力は割合簡単に切れてしまう。そんな私にとってあゆくんとのやり取りは確かな楽しみだし、心をあたためてくれる数少ない光でもあった。よりにもよってその光が欲しい時にこっちを向けなくなるのなら、そんなもの最初からなくて良かったのに――なんて、我ながら見苦しいことを最近思う。