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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編

口裂け女と苺のマカロン

作者: 牧田紗矢乃

 住宅街の一角にクマの形をした小さな看板を掲げたパティスリーが建っている。

Teddy's(テディーズ)」。それがこの店の名前だ。

 私はパティスリーの裏口へ向かい、深呼吸を一つ。チャイムを鳴らすとエプロンにバンダナ、マスク姿の女の人が現れた。


「おはようございます。本日からお世話になります。香野かの柚依ゆいと申します」


 声が上ずりそうになるのを抑えながら頭を下げた。

 店長さんに会うのはこれが二回目。優しそうだけれど、マスクをしているからあまり表情が読めない人だ。


「あぁ、アルバイトの子ね。どうぞ入って」


 店長さんに続いて事務所へ入った。その瞬間にバターの甘い香りに包まれ、思わず頬がほころぶ。


「さっそくだけどエプロンとバンダナをつけてね」


 お店のロゴが入ったお揃いのエプロンとバンダナを手渡された。

 私は忙しくなる週末だけバイトに出るけれど、平日は店長さんが一人で切り盛りしているみたい。


「この前『ジモnavi』にも載ってましたし、大変じゃないんですか?」


 私が問いかけると店長さんは平気よ、と小さく笑った。

『ジモnavi』は新聞の地方欄にある特集コーナーで、飲食店や雑貨屋さん、小さな劇団の情報なんかが載っている。そこでTeddy'sを知り、足を運んでアルバイト募集の張り紙を見つけた。

 ケーキ屋さんで働くのが夢だったけれど、こういう形で夢がかなうとは思わなかった


「香野さんにはレジをお願いするわね。あたしは奥でケーキの仕上げをするから、わからないことがあったら呼んでちょうだい」


 一通りの説明を受け、厨房へ向かう店長さんを見送る。

 ドキドキのアルバイトが始まった。




 店長さんは私のことを気にかけてちょこちょこレジを手伝いに来てくれた。

 おかげで大きなミスもなく、無事に初日終了。


「おつかれさま」


 店長さんが小さな包みを手渡してくれる。


「これは……?」

「今日一日頑張ってくれたから、お礼よ」


 開けてみるとピンクのマカロンが二つ入っていた。

 マカロンはケーキをも凌ぐTeddy's一番の人気商品だ。

 私はお礼を言い、マカロンをもらって帰った。




 店長は私が出勤した日、帰る前に必ず苺のマカロンを二つ包んで手渡してくれる。

 しかし、このマカロンは「苺のマカロン」という名前のくせにほんの少しストロベリーの香りがするくらいで苺っぽさがほとんどない。

 店長はお気に入りのようだが私としてはあまり納得がいかなかった。


「どうしていつもこのマカロンをくれるんですか?」


 不思議に思って問いかけると、店長は少し困ったように眉を下げた。


「マカロン、嫌い?」

「いいえ、大好きです。ここのケーキとマカロンがすごく美味しくて、それでアルバイトに応募したくらいなので!」


 私は少し嘘をついてしまった。

 ケーキに惚れ込んで応募を決意したのは本当。でも、マカロンを初めて食べたのは最初のバイトが終わった帰り道だった。


「そう。それならよかったわ。今日のぶんも用意してあるからね」


 店長はそう言ってマカロンの包みをくれた。




 ある日、私が出勤すると店長の顔が赤かった。

 見るからに体調が悪そうで、立っているだけでつらそうだ。


「店長、大丈夫ですか?」

「えぇ。ゲホッ、ちょっと風邪をひいちゃったみたいで……。ゲホゲホッ」

「今日はお店休みにして、ちゃんと病院に行ってください」


 調理台に寄りかかり咳き込む店長に思わず進言してしまった。

 お客さんに病気を移したら困るし、何より店長の体が心配だ。


「ありがとう。じゃあ、今日は半日だけにしておきましょうか」


 せっかく焼いたケーキがもったいないと言う店長に押し切られ、私はレジに立つことを決めた。


「店長は事務所で横になっていてください。時間になったら私が店を閉めますから」


 どうしても帰らないという店長を、事務所にある来客用の長椅子に横たわらせる。

 毛布がないから代わりに上着で代用。これでもないよりはマシなはず!




 いつもの1/4の量しか焼いていないケーキは、開店から二時間でほぼ完売した。

 マカロンやクッキーは残っていても悪くなるものではないし、少し早いけれどお店を閉めてしまっても大丈夫だろう。

 私が片付けに撮りかかろうとした時、事務所から大きな物音が聞こえた。


「店長? 何かありました?」


 心配になって事務所を覗くと、店長が床に倒れている。

 倒れた衝撃で怪我をしたのか額から血が流れていた。


「きゃっ……救急車!」


 私は思わず悲鳴を上げ、鞄からスマホを取り出した。




 店長が目を覚ましたのは病院に運ばれてから一時間後のことだった。

 ただの風邪で、高熱の影響でめまいを引き起こして転倒したのだろうという診断だった。

 額の傷も浅く、一、二週間もあれば綺麗に治ると聞いて安心した。


「店長、入りますね?」


 お医者さんの説明を聞き終わって病室に入ると、店長は頭まですっぽりと布団をかぶってしまっていた。


「店長! 点滴してるんですから普通にしていてくださいよ」

「み……見たの?」

「見たって、何をですか」


 私が問いかけると、店長は布団を少しだけめくって顔を半分覗かせた。


「あたしの顔よ」


 店長は私を睨み付けながら言う。

 私がミスした時も朗らかに笑って許してくれた人が、こんな風に私を睨むのは初めてだ。


「見ました。店長ってすごく美人なんですね」

「馬鹿にしないで!!」


 ぴしゃりと拒絶された私は言葉に詰まる。

 店長は再び布団を被ってしまい、重い沈黙が流れた。


「……た、たしかに、少しは驚きました。でも、私は気にしないですよ。その……――」

「いいわよ、同情なんて。気持ち悪いって言えばいいじゃない」

「気持ち悪くなんてないです! すごく綺麗ですよ」

「これを見てよくそんなことが言えたわね」


 バッと布団がめくられる。

 ようやく露わになった店長の顔。口の右端から頬の中ほどにかけて大きく裂けたような傷跡があった。


「ほら、気持ち悪いでしょう? もっとよく見なさいよ」


 怒号にも近い声を上げる。


「店長っ、まだ熱があるんですから落ち着いて……」


 私は起き上がろうとした店長の肩を押さえ込む。

 気が付けば目と鼻の先に店長の顔があった。


「綺麗ですよ。私は店長の……いえ、いちごさんのことが好きです!」


 耳元で囁いて、自分のしてしまったことに気付く。

 なんてことしてしまったんだろう。

 顔が真っ赤になるのを見られたくなくて私は病室を飛び出した。


 店長の名前が「苺」さんだと知ったのはついさっき、病院に運ばれた後だった。

 身分証を探して財布を開けた時、免許証に刻まれた「小原苺」の文字が目に入ったのだ。


 急に名前で呼んだから店長も驚いただろうな。

 怒ってなきゃいいけど……。


 後悔に苛まれながら、扉に手を掛けては開ける勇気が出ずため息をつく。

 どれほどそうしていただろう。

 不意に店長に呼びかけられた。


「香野さん、まだいるの?」

「……はい」


 恐る恐る返事をする。

 すると、中へ入るように促された。


「ごめんなさいね、さっきは取り乱しちゃって」


 店長はもう顔を隠すことなく、普通にベッドに横になっていた。

 恥ずかしくて目を合わせられないまま枕元に置かれた椅子に座る。


「香野さん、いくら何でも大人をからかっちゃダメよ?」

「からかうなんて……。私は本当に店長のことが綺麗だって思ってて」


 答えながら顔から火が出そうになった。

 このままじゃもうバイトにも出られないかも。

 思わず顔を覆ってうずくまった私の耳元に、店長が顔を寄せる気配がした。


「大人をからかうとね、こういうことになるのよ。……柚依ちゃん」


 艶やかな声が耳元で囁いたかと思うと頬に柔らかい感覚が触れる。

 キスされたのだ、と気付いた時には頭が真っ白になっていた。

この日の帰りも店長はマカロンをくれましたとさ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 思ったこと正直に言っちゃうのが可愛い [一言] 後日談的なの欲しいです、、
[良い点] 可愛いです。 劣等感のある女性が、それを受け入れてくれた人に心をほぐされ、華やかに開く様子が素敵です。
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