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箸休め・あなたを抱いた日 1

朝、だいぶ暖かくなってきたと感じる。お布団から出ても寒さに震えることが少なくなった。

 布団を押入れに仕舞いながら寄り付く寒さに震えた。

 しとしとと、雨音がして訝し気に雨戸を開けると、重い灰色の雲が立ち込めて雨粒を落としている。寒い風が吹き込んできたのにわたしは慌てて雨戸を閉めた。

 いつもの朝だ。

 ただし、少しだけ憂鬱。

 昨日の伊吹とのことを考えると、学校に行くのが少しだけいやだ。

 けど、子供みたいにいやいやとも言っていられない。わたしはすぐに制服に袖を通し、台所で朝ごはんの支度をして、お弁当を詰める。ほぼ日課になったこの作業も手慣れてもので、迷いなくわたしの体は動く。

 昨日、伊吹からもらったおかずが残っているのでそれを詰めてしまう。

 伊吹の作ったおにしめ、とってもおいしいんだもん。

 昨日、いつもとは違う味に李介さんが少しだけ眉を寄せていた。美味しくないかと聞けば、うまいと口にしてくれたから平気だろう。

 一日経って味がしみ込んでいてますますおいしい。お弁当でだいたい使い切ってしまった。

 そうこうしていると李介さんが起きてきた。二人の食事に朧月様が出没するのはいつものことだが

「おい、李介」

 朧月様がぶっきらぼうに声をかける。

「なんだ」

「これからしばらく私のことは呼ぶな」

「……なにを仕出かした」

「貴様は私が常に騒動を起こさねば気が済まないと思っているのか!」

 沈黙を守る李介さんに朧月様が白い歯をむき出して唸り声をあげる。

「まぁ、よい! 私はこれから仕事だ。執筆に専念するためにも雑務はせんぞ」

「仕事?」

 わたしがきょとんとする。神様が?

「ん? お前は知らなかったか? 私は趣味で本を書いているのだ」

 ぜんぜん知らなかった。

「そろそろ原稿を寄越せと出版社からつついてくるのだ」

「お前はまだそんなことをしていたのか」

「良いではないか! その稼ぎはちゃんとお前に渡して金平糖購入代金にしているのだから文句はあるまい! 私は正体を隠した覆面作家としてそこそこ売れているのだぞ」

 まぁ言葉の神様なのだから、その方が書いた本は売れるんだろうなぁと思う。しかし、一体どういう本なのだろう。

 わたしが興味深く視線をむけると、ふふんと朧月様は自慢げに笑った。

「なんだ。私の本が気になるか? まぁ、あれだ。風景などについての本をつらつらとな。月刊雑誌に原稿を寄せているのだが、そろそろストックが尽きるというので寄越せという。神域でしばらく執筆に精を出そうと思ってな」

「どれくらいかかるんですか、それ」

「そうだな。ある程度書いて出版社に渡すから……五日は引きこもりたい」

「五日もか」

「仕方ないだろう。集中して書かねばならないのだ。まぁ、昼間の巡回時くらいは気分転換に付き合ってやるが、それ以外は応じんからな。断固として拒否する」

「箸で人をさすな」

 朧月様がお箸で指してくると李介さんがむすっとした顔で言い返す。

「飯は作っておけよ。食べに出るぞ」

「飯だけはたかる気か」

「当たり前だ。食べることは楽しみだ」

「そもそもお前に飯作る予定はない」

 李介さんが低い声で叱咤した。いや、李介さん、それが……最近は朧月様が食事に来ることがわかっているのでいつも多め、多めに作っているのだ。それについては黙っていよう。

 腹を満たした猫よろしく、朧月様は

「では、私は執筆に専念する。昼以外は呼ぶなよ、李介!」

 と口にして消えてしまった。

 いつもながら春一番のような方だ。

 李介さんもそれについては慣れている――慣れたくて慣れたわけではないだろうが、深いため息をついて頭を抱えていらっしゃる。

 わたしが片付けを終るころ合いで、李介さんがそろそろ出ると口にするので慌てて玄関に送りに行く。

 どうせ、その十分ほどのあとにわたしも出るのだけども。

 どこで人が見ているかわからないので未だに学校に向かうときわたしたちは別々だ。伊吹にばれちゃったんだけど。

「いってらっしゃい、李介さん」

 わたしはいつものように顔をあげて目を閉じる。夫婦らしく口吸いをしてほしいと思うのだが、李介さんは手袋をした指で、わたしのほっぺをむにむにしてぜんぜんちっとも夫婦らしくないのだが、それはそれでもう諦めている。

 今日も手袋越しに指先がほっぺたをつつく。

 撫でて、そして

 唇に何か当たった。

 わたしは驚いて目を見開いた。

 李介さんの唇がわたしの唇に重なっている。あまりのことにわたしは驚いて硬直していると、ゆっくりと唇が離された。

 視線が合った。

「いってきます」

「い、いってらっしゃい」

 李介さんが背を向けて出ていく。それを見届けてわたしはその場にずるずると崩れた。

 ほっぺたが熱いのに両手で包む。

 ちび妖怪たちが寄ってきて風邪か、大丈夫かと聞いてくる。

 大丈夫。大丈夫よ。

 ただ不意打ちに口吸いをされて、どうしたらいいのかわからないだけだ。

 どうして、いきなり? ううん、違う。昨夜、わたしたちははじめての口吸いを交わしている。

 それがわたしと李介さんの関係を微妙にも変えた、のだろうか。

 それは良い方向に? それとも悪い方向に?


 遅刻してはいけないと学校に向かうと門の前で足を止めた。

 伊吹が、待っていた。わたしのことを認めると、鋭い視線を向けてくる。ごくり、と息を飲む。

「……」

「……」

 なんとなく気まずさはあった。

 わたしが李介さんの奥さんだと告げたことは伊吹にとってはあまり歓迎できない真実であったらしい。

 意図しない形とはいえ、伊吹たちを謀ったことになるのだろうか?

 それに対する恨み言は甘んじて受けるつもりでわたしは胸を張って伊吹と見つめあった。

「おはよう」

「ん」

「挨拶ぐらいしたら?」

「おはよう」

「うん。あと、これ、昨日のお弁当、とってもおいしかったわ。伊吹のお料理、やっぱりおいしいわ」

 わたしは洗って持ってきた弁当箱を差し出した。それを伊吹が受け取ると、口元を微かに笑わせた。

 そうすると歳相応の幼さが見える。

「本当に夫婦なんだな」

「そう言ったじゃない」

 わたしは笑い飛ばした。

「それで、何か言いたいことはあるの?」

「いや、アンタはなんにしても変わらないな」

「当たり前じゃない」

「……ちょっと昨日はまずったなって思った」

 わたしは小首を傾げた。

「俺、それでなくても藤嶺教官に目をつけられてるから」

「目をつけられているのは鬼のように怖い藤嶺教官なんじゃないの?」

「それがあの人なんだよ」

 わたしは目をぱちぱちと瞬かせた。

「うそ」

 あんなにも優しい李介さんが鬼なのか。いや、勉強を教えてくださるとき、わりと容赦がない。教鞭を振るっているときはびしびししているのか?

「たぶん、アンタの想像の倍は怖いからな」

「そんなに?」

「……そんなに」

 真剣に言い切られた。けれどわたしはちっとも想像できなくて困惑してしまう。

「……アンタたちいつから夫婦なんだ」

「いろいろとあるの。聞かないで」

 わたしは言葉を封じた。これ以上は聞いてほしくないと言いたげな視線を向ける。それは的確に伊吹の心に届いたらしい。

「わかった」

「他の子たちにも言う?」

 そうしたら確実にわたしは一緒にいられなくなる。

 紺ちゃんも、千ちゃんも、藤嶺教官は恐ろしい人だと口にしていた。そんな恐ろしい人の奥さんと思ったら恐縮するだろう。伊吹だって、そうだろうし。

「言ったら紺たちがびびって、アンタはいられないだろう。そしたら人数が足りなくて部活が潰れる」

「うん?」

「だから言わない」

「……ありがとう」

 わたしはほっと息を吐いた。

「紺ちゃん、がんばっていたから、だから、部活、潰したくなかったの」

「アンタはアンタだろう」

 伊吹の言葉にわたしは目を瞬かせたあと、ふっと肩から力が抜けていくのがわかった。

「うん。そう。わたしはわたし、だから、伊吹は変わらないままでわたしと接してほしいの」

「わかった。ただし条件がある」

「なに」

「俺らが藤嶺教官についてあれこれと言ってることは、本人には言わないでほしい」

 真剣な訴えにわたしはつい噴き出しそうになった。

「言わないわ」

「助かる」

「怖いのね」

「怖い」

 顔が真剣なぶん、本当に恐れているのだとよくわかる。

 わたしは申し訳ないがくすくすと笑ってしまった。なんだか笑えてしまったのだ。

「うん、言わない。ほら、授業はじまるから行こう」

 伊吹とはこのまま、つつかなく、過ごせると嬉しい。

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