桃色タイフーン 6
「じゃあ、改めて、かんぱ、あいた」
紺ちゃんが音頭をとろうとして、思いっきり何かに激突されて前のめりにこけている。転げた紺ちゃんの足元を見ると、尻尾をふった子犬がきらきらした目で見つめ、わん、わんと声をあげている。
真っ白いその子犬をわたしは抱っこして膝の上に置いて、頭を撫でると嬉しそうだ。どこかの宴の子が迷い込んでしまったのだろうか。無碍にもできない。なんだかこの宴の席をわざわざ選んできたようにも見える。
「もうー、さっきからなんかいろいろとお客さん多いなぁー」
出鼻をくじかれた紺ちゃんは頭をぼりぼりとかく。
「まぁいいや、じゃあ、えーと、」
「新聞部の花見として?」
合いの手を雨甲斐先輩がいれる。
「そうそう。それですー! 雨甲斐先輩、音頭とってくださいよっ」
「俺が? 部長を差し置いて?」
「先輩なんだからいいんですよ。ほら、雨甲斐先輩」
紺ちゃんが雨甲斐先輩の腕を掴んで立たせると、面倒ごとを押し付け終わったとばかりに座った。
「あ、憑神も出そうか? くだーん」
だーんと紺ちゃんの横に現れる二頭身の牛なんだか、馬なんだかわからない神様。
「そうね、せっかくのお祝いの席なら、みんな、のほうがいいわよね?」
案ちゃんが小さな声で呼ぶとその横に、周黎様がむすっとしたまま腰かける。
千ちゃんの両脇を狐たちが囲んで、尻尾をふっている。
雨甲斐先輩の横にちゃっかり腰を下ろしている蒼霏天様。
ちらりと伊吹の横を見ると、どこからともなく赤い鳥が飛んできた。雀よりやや大きな小鳥は燃える炎を一瞬纏って人の姿へと変化する。
「楽しそうだな、俺チャンも参加~」
朱雛様がどかりと腰を下ろす。伊吹も朱雛様も何も言わないが、勢いよく飛び込んでいったのは――歌穂だ。
「ひなちゃん、ひなちゃん」
「おう、歌穂」
「あたち、ね、おだんご、にぎったでち、ひなちゃん、たべて、ほしいでち」
「乾杯が終わったら食べさせてくれるか?」
「はいでち!」
歌穂が嬉しそうに笑っている。朱雛様もまんざらでないらしく、歌穂を横に侍らせ、飲み物を受け取っている。
まさか、歌穂の言うひなちゃんとは、朱雛様のことなのか? そういえば歌穂が生まれたとき、伊吹に助けてもらって朱雛様が一緒にいたっけ。
そのせいで歌穂は朱雛様のことを覚えてしまっているのか?
「なんだ、こっちの宴はまだはじまってないのか」
「わぁ、朧月様」
いつの間にか横に座って飲み物を持っている朧月様にわたしは心底驚いた。
神様のこういう神出鬼没なところは慣れない。
「あちらの宴はむさくるしいうえ、狸と狐、蛇の化かしあいゆえ、さっさとあいつだけ置いてきた」
「置いてきた」
わたしは呆然と言葉を繰り返す。李介さん、大丈夫かしら……
「あれではせっかくの酒もまずいばかりだ。ほら、さっさと音頭をとらんのか? 私が」
「しなくていいです。しなくていいです。あ、すいません、知り合いの神様が来てしまって」
しゃしゃり出ようとすると朧月様を全力で押しとどめてわたしは雨甲斐様に声をかける。これは急いで乾杯をして、甘いものでも食べさせて黙らせなくて。
「なんだか、お客さんが増えたな。ははは。じゃあ、新聞部の出発とみんなの親睦のため、これくらいの挨拶で、乾杯!」
全員が声をあげてかんぱーいと口にして缶を当て、冷たい飲み物を口のなかに流し込む。すぐに空腹に負けて千ちゃんがおにぎりをつまむ。
「うっ! なんだ、これ、甘ぇ!」
「あ、千ちゃんあたりね。てか、もうチョコおにぎりひいたのっ! はや」
「紺、お前、まさか……」
「おにぎりは具が全部違うの! んで、あたりがチョコおにぎりね。これ、小日向ちゃん発案だから、アタシだけじゃないもーん」
千ちゃんが甘いおにぎりに困惑しているのに紺ちゃんはもう安心していいとばかりにおにぎりを頬張る。
「あ、からあげだー。案ちゃんも食べなよ」
「そうね。じゃあ、これ……鮭」
「面白いな! 俺は中身はツナマヨだ」
案ちゃんと雨甲斐様もあたりだ。
伊吹が黙って手をのばしておにぎりを頬張る。表情が変わらないので、なにを食べたのかわからない。
「伊吹はなんだったの?」
「梅干し。アンタは?」
わたしもおにぎりを一つとって大口を開けて齧る。
「……こんぶー。このおにぎり、しっかり握ってておいしい」
「俺が握ったやつだ、それ。おにぎりって男のほうがうまく握れるらしい。力が強いからしっかり抑えられるから」
「へぇ」
物知りだな、と伊吹に笑いかけたとき、その背後でジト目で睨んでくる半透明な娘様にわたし言葉を失くす。
どうやら伊吹は気が付いていないようだ。わたしがそっと視線を逸らし、ちらりと見ると不思議そうな顔をしている。
――ずるい、ずるいです。ずるすぎます。
なにがずるいというのだ。もう!
白い犬は――犬って何を食べていいのかわからないが、尻尾をふって伊吹の作ったからあげを食べている。その横では歌穂がかいがいしく朱雛様におかずを食べさせている。あーんを人目もはばからずやるとはやるな。歌穂と朱雛様!
朧月様はみたらし団子の甘味に今のところは大人しい。その横では二頭身の件の横で狐たちがおあげを頬張り、他の神たちも食べるのに夢中だ。
ところどころ食べ物が消えているのは、たぶん旭様が勝手にとっているのだろう。近江様は個性的な神のなかでもあまり主張することはなく、料理をみなに手渡したりと気遣いをしてくださっている。ありがたい。
これでこの睨んでくる娘様がいなければ満足なんだけど。
「なんぞ、面白い珍客が多いな」
くくくっと道満様が笑っている。
「珍客ですか?」
「そうぞ? 朧月はまぁ藤嶺の言うことを聞かないやつだが、あの犬っころも憑神だな。ふーん、どうせ、犬憑きの娘め、こちらのほうが気になってきたんじゃろう」
犬憑きの娘? はて。そんな人いるのだろうか? よくわからないが、道満様はだいたい誰が来ているのかわかっているようだ。
「しかし、あの娘は」
「歌穂のことですか?」
「あ? 歌穂?」
道満様が驚いた顔をする。
「そうですよ。気が付いたら娘になっていたんです」
ここは素直に白状した。まさか、歌穂が人型になるとはわたしも思っていなかった。いや、あの子にあげたお話を思えば、そこまで不思議がることもないのかもしれない。
「気が付いたらって、お前……人型になるような術を付与したのか?」
「いえ……どうも元からそういうので」
「元からって、お前……お前様の術の仕様はわしの考えているものと違うようじゃな。どうも術の形式や動きがはっきりと見れん」
「面目ない、こう、感覚でやっているのでわたしもうまく説明できません」
「かぁー、お前様、そういうところが困るんじゃ。しっかりと説明できるようにならんとわしがわからんだろう」
そんなこと言われても。
「にしても、四神のうち三神まで集まるとはなぁ。壮絶よな」
「四神?」
「ん、ああ。ここにいる朝倉、雨甲斐、防人の憑神はいわく付きだ」
道満様が目を眇めて口にされる言葉にわたしは目を瞬かせた。確かに、言われてみれば、他の神と少しばかりあの三神は纏っている気配が異なるような気がした。うまく言葉に出来ないが、わずかばかりの違和感はある。
「あの三神は少しばかり特殊じゃ。まぁ、大人しくしておるし、いい。で、あの朝倉についておる魂魄はえらくお前様のことを睨んでおるが、喧嘩したのか?」
「見えるんですか、道満様」
つい思考に沈みかけたわたしはその言葉に助けがきたと身を乗り出していた。
「あのな、お前、わしをなんだと思っておる。陰陽師が見れんでどうする。あれはどうも神になる前の純魂じゃな。ものが魂を持つ前、形を得る前のものじゃ。地上に現れた神は基本的に神の霊気を纏っているが、それがないので、ものから生まれたものか」
わたしは、おおーと感心して道満様を見つめてしまった。
「すごい、先生みたい」
「これでも一番偉いんぞ? わし、偉いんぞ?」
「今、そう思いました」
「今かい! まぁ、よいが、あれは消滅しやすいし、悪くすると虚に食われたり、堕ちやすく危険ぞ。しっかし、なんで、娘の姿で伊吹にべったりついておるんだ」
「いろいろとありまして」
「なんぞ、あちらばかり見ておるから、向こうも気が付いたぞ」
道満様が言うのでみれば、なんと目の前まで来ている。びっくりしたー!
――見えるんですか?
――実は見えてるんですよね!
ひぇ。
――無視するなんてひどい、ひどいです。
――お願いです、お願いです、後生ですから
――伊吹様に告白させてくださいませ!
あ、これ、また面倒なことになる。わたしは笑顔のまま悟った。
逃げたいと思ったが、こちらが見えるとわかれば向こうは心得たとばかりに、勢いよく飛ぶ鳥の如くしゃべり散らかしてきた。
――わたくし、ひふみと申します。
礼儀正しく頭をさげられた。が、ここは無視だ。無視に限る。
――存知の通り、手紙を差し向けたのはわたくしでございます。
ああ、伊吹の作ったおかずがおいしい。目の前で髪の毛の長い半透明な娘さんがもじもじしながら何事か話ているが、気のせいだ。気のせい。無視だ。無視。
――だって、あのお二人の手紙がわたくしのなかにございまして。そのまま放置されて、それは悲しくて、悲しくて、あ、はい、わたくしは、文机です。学校の生徒たちが勉学に励むための机です。それがなんと、わたくしめは、学校にいる神様たちからにじみでる神格とほどよく同調してこうして魂魄を得たのです。きっと強い気持ちのはいった手紙を腹のなかに抱えていたせいでしょうが
憂いを秘めた表情でそのようなことを口にして、ちらりとわたしを見る。わたしは今、おにぎりを食べるので忙しいのだが。
――それで、文が届いてわたくしもほっとしたのですが、ああ、伊吹様のお優しいこと。その心に感銘を受けて、わたくし、ぜひともあの方に仕えたいと
熱心に語られる内容にわたしは明後日の方向を見た。
「ものすごい見られてるぞ、お前さん」
道満様、わたし、いま、一生懸命、無視しているので話しかけないでください。
しかし、わたしの努力の甲斐もなく、ひふみはつらつらと語り始める。
――あの方こそ、わたくしの探し求めた主なのです。ぜひぜひ、お願いです
伊吹が?
理想の主?
確かに優しいところはあるが、ぶっきらぼうだし、ちょっと粗野な所だってある伊吹を知るわたしとしては、どこらへんがひふみのお眼鏡に叶ったのかもわからず、うーんと唸ってしまう。
まぁ、人の好みなんてそれぞれだからわたしが何か言うこともないのだけど。
――気が付いてほしくて、毎夜、毎夜枕元に立っているのですがまったく眠っていて気が付かれず
伊吹の寝不足の原因は、これだわ。
原因がひふみの激しい伊吹への愛というのがなんともすごい。
いや、この場合は、男として株をあげたというべきか。
「どちらにしろ、わたしが協力して、なにかいいことってあるんですか」
――そ、そんな取引ですか! ひどいです。いえ、これも愛を成就させるためですね?
なにやらわたしの言葉にあれこれと妄想を逞しくさせている。
――わ、わかりました、わたくしに出来ることでしたら
覚悟を決めた面持ちで言われてわたしはちらりと道満様を見た。
「と言ってますが」
「そうさな、まだ成立していない神格は、どうしようもないな。そら、本人が伝えたいというなら神格をちゃんと得るまで待つしか」
――待てません!
だそうである。
勢いよく噛みついてくるひふみにわたしは唖然とした。
――だって、このままだと、わたくし、あと五十年はかかります
だそうである。
「特殊な条件がそろってのことだからな。本来は、もう五十年して机が存在すれば神になろうよ」
「それ、伊吹もしわしわになるんじゃ?」
――だから若いうちに言いたいんです! それに、わたくし、本当に神様になれる可能性もわからないので……今はたまたまなのです。手紙の心残りが消えて、だいぶ弱くなりましたし
だからといってわたしが協力して得することがあるのか?
――なんなりと致しますから
「なんだか、わたし、極悪人のような扱いに」
「どうするよ。お前さん。待てないというなら依り代を使うしかないぞ、こりゃ」
「依り代、ですか? それは」
「陰陽師の十八番のひとつだ。紙なんぞ人型にそのものの名をつけてかわりとする。悪いがここにはそんな必要なものは持ってないから、……体を貸すぐらいせんといかんぞ」
「え」
わたしは息を飲む。
「お前さんの体を貸してやれば、まぁ伊吹とそのなりそこないが話すぐらいはできるだろう」
道満様に見つめられてわたしは頭を抱えて唸った。
ああ、けど、一つ、知りたいことはあった。
「じゃあ、お願いがあるんですが」
――は、はい。この身を抱きたいとか
「そんな破廉恥なこといいませんっ!」
――本当ですか?
「本当です! わたしにそんな趣味はないです」
――まぁわたくしでは不満というのですか?
真顔で言い返されてわたしは腹を立て始めた。このひふみというのは一体どこからそういう知恵を……そうか、教室に置いてある机なんだから、学生たちか。そういう夢見がちな気持ちも彼女を形作る想いなのだ。などときれいごとを口にするがようは男の子たちの性欲思考まんまじゃないか! やだもう!
「あのねぇ。まぁ、いいです。わたしの知りたいのは、ここ最近……何か違和感といったものがなかったかを知りたいのです」
――違和感ですか? それは、どういった
「日々の生活のなかで、何かいつもと違うことがなかったか、どうかが知りたいのです」
――そんなことでよろしいのでしたら
わたしは深く息を吐いて、ちらりと道満様を見た。
「よろしく、お願いします」
「よし、わかった。とはいえ、あまり用意もしていないので、一時間たらずぐらいしか術は施せないからな。その一時間で見事に朝倉をものにするんだな。ああ、もちろん、この体を使って」
なにをおっしゃるんですか! わたしの貞操の危機なのか、これは!
 




