桃色タイフーン 5
翌朝。わたしははりきって起きた。
みんなで学校に集合しておにぎりやおかずを弁当に詰めて花見に行く予定だ。学校にいる近江様が学校の鍵は開けてくれるし、ご飯もセットしている。
十時に集合なので、急ぐ必要はないが李介さんはいつもと同じ時間に出るのでそのご予定にあわせてわたしもばたばたしてしまう。
二人とも朝は味噌汁と白ご飯のみ。
なんでも昼に振る舞われる弁当はなかなかに豪華なのだという。羨ましい。
「豪華といっても、そうですね……確か、カニも出ますよ」
「カニ!」
「甲羅のなかに味噌や具をいれて焼いたものですね」
「……ずるい、李介さんだけ」
思わず本音が漏れてしまった。
「食べずに持って帰りましょうか?」
「そんなこと出来るんですか」
「わりと量があるうえ、酒目当ての者が持って帰ったり、残すことが多いので……俺の弁当、それに食べないやつのをいくつか失敬して帰ります。今日の夜は豪華ですよ」
「おおお、カニですね。カニですね!」
わたしは大興奮である。そんなわたしを微笑ましげに李介さんが見ている。食い意地がはいっていると言われても反論できない、しかし、カニだ。カニ!
「では、わたしのほうも、李介さんには劣りますが、残ったものをいっぱい持って帰りますね」
「本当ですか」
「はい。伊吹がいっぱいおかずを……り、李介さん」
「朝倉の、ですか」
伊吹と名前をあげただけで、不穏な雰囲気が李介さんの周囲に漂っている。たとえるなら天敵を見つけた蛇のような剣呑さだ。
眉間に皺が三つほど刻まれている。
どうも李介さんは伊吹があまり好きではないらしい。わたしが学校のことを話すとき、いつも伊吹の話題でひっかかっている。
「李介さん?」
「すいません。朝倉の作った飯は結構です。それ以外で、あなたの作ったものでしたら食べたいですね? おにぎり、楽しみにしてます」
「……伊吹、そんなにも嫌いですか」
「嫌いというより苦手なだけです」
あからさまに怒っている。
「それに、どうして伊吹は、呼び捨てなんですか」
まさか、そんなことを聞かれると思わなかったわたしは驚いた。それは伊吹にも指摘されて適当にごまかしているが……本当に意味はない。ただ、呼びやすいのだ。
「そ、それは」
「年頃の女性が、異性を呼び捨てにするのはいかがなものかと思いますが」
正論である。
わたしは答えに窮してしまった。
「そ、そろそろお出かけになる時間ですよ、李介さん」
李介さん相手にごまかせると思わないわたしは、背中を押してはやく出ていくように促した。この話からさっさと逃げたい。
が。
「俺との話がまだですよ」
「伊吹のことは気を付けます」
「ほら、また」
「もう、李介さん、小姑みたいですよ! わたしが誰のことをどう呼ぼうと気にしないでください」
「……あなたは俺の妻でしょう。でしたら、その態度も俺の評価となるんですよ」
「では、李介さんの評価を下げぬように気を付けます」
ああいえばこういう合戦である。
わたしはひたすらに李介さんの背中を押して早々に玄関から出したいのだが、言い足りない李介さんが踏ん張ってくる。むむむ。
「そういうことではなくて……帰ったらこの件については話し合いましょう」
「わかりました。では、いってらっしゃい、あ、そうだ」
わたしは目を閉じてみる。
一応、ここ連日、これをしているの――いってらっしゃいの口吸いである。夫婦というものはこれを当たり前のようにするというのでがんばっているのだが、今の所李介さんが応じてくれたことはいっぺんもない。たまに唇に手袋越しの指が触れてきたりするので、そろそろかと思っているのだが
今日は両頬を思いっきりつままれた。
「ふにゃあ~」
「……伸びますね」
「うーうー」
つままれたうえ、伸ばされた。
「どこまで伸びるかな?」
「うーうー。わたしのほっぺはおもちじゃないです!」
「失敬。触れやすかったので、いってきます」
「いってらっしゃいませ」
本日も口吸いはしたくれなかった。けちである。
わたしは仕方なくいつものように着物に着替えて学校に向かった。
今日は日曜日で、遊びにいくので着物もそれに合わせた。李介さんのお母様の着物のなかでも白と桃色の花が無数に散ったもの、帯は逆に落ち着いた白に近いものに鮮やかな葉っぱの柄。留めは着物に合わせて濃い紅色にしてみた。真ん中に花をあしらった飾りが、なんとも乙女色である。
学校の門をくぐろうとすると、ちょうどそこに伊吹の姿を見つけた。
片手をあげて挨拶すると、伊吹も小さく片手をあげてくれた。伊吹はシンプルなジーンズのズボンに無地のシャツだ。その上に青色の上着を羽織っている。つつきようのない無個性だ。
「つまんないの、もっとおもしろいのであればつつけるのに」
「アンタにつつかれるために服を決めるわけじゃない……着物」
「わたし、普段は着物だもの」
頭の先から足の先まで見つめた伊吹は
「似合う」
「ありがとう。これ、人から譲っていただいたものなんだけど、素敵でしょう」
「へぇ。あ、千と紺、案もいる」
指さす方向を見れば、千ちゃんと紺ちゃんがなにか言い合いをして、案ちゃんがそんな二人をはらはら見ている。
千ちゃんも伊吹と同じくシンプルなズボンとシャツに上着姿なのだが、なんとなくあか抜けないかんじなの彼自身の雰囲気のせいか。
紺ちゃんは白のひらひらとしたフリルの上着に、下には青と白の縦じまのシャツ。派手過ぎることを押さえた茶の小さなコート。襟首には白のリースがついている。スカートもばっちり白できめている。
案ちゃんは動きやすさ重視らしい白いシャツに、ジーパン姿だ。
「小日向ちゃん、着物なんだー」
「はい。いつも着物なのですよ」
「そうなんだ。もう、案ちゃん、今日くらいスカート穿けばいいのに」
「私、そういうのは苦手で」
紺ちゃんと案ちゃんが話している横では千ちゃんが御菓子を買っ詰めた袋を伊吹に渡して話している。
「あ、そうだ。雨甲斐先輩が飲み物用意したってさ。場所とりして待ってるはずだし、はやく準備していこう」
ここにいない雨甲斐様は昨日お願いした場所とりに勤しんでくださっているようだ。
あまり待たせてはいけないので、わたしたちは急いで近江様の開けてくれた扉からなかにはいり、家庭科室に行く。お米の炊けたいい匂いがする。
わたしたちは急いで握り始めるが、なかなかに熱い。紺ちゃんはあつ、あつと叫び、なかなか握れない。案ちゃんは手に握ったはいいがほろほろと落ちている。わたしはぎゅっと俵に握り、お弁当に詰める。その横では伊吹が一人でせっせっと三角を握っている。素早い。
「お前な、握り飯くらい作れるようになれよ」
「うっさい。千ちゃんこそ、手を動かせっ」
紺ちゃんと千ちゃんは言い合いが絶えない。仲が悪いのかと思えば別にそうではなくて、二人ともつかず離れずでよい関係らしい。
「難しいわね、これ」
「しっかりと握ってあげるといいんですよ、案ちゃん」
「……どうしても崩れるんだけど」
「たぶん、力が入りすぎなんですよ」
わたしがそう口にすると、今度はいびつなりにも形を保っているおにぎりが出来たことに案ちゃんが無表情に感動している。
近江様と歌穂にいたっては昨日のお団子でもそうだが、こういう細やかな作業に慣れているのか、せっせっと作っていく。
おにぎりを弁当に詰め終え、わたしたちは花見へと出発した。
晴れた天気の心地よさ微睡に誘われてしまう。つい欠伸が漏れる。
「ちゅう」
わたしの肩にいる歌穂も眠たげだ。
喧嘩をしながら歩く紺ちゃんと千ちゃんが先行し、案ちゃんがそのあとに続く。ふと見れば弁当を持つ伊吹がうとうととしている。
「伊吹、平気?」
「ん。少し眠い」
「どうしたの? 今日の花見が楽しみで眠れなかったの?」
「……夢見が悪かった。あの女が出てくる夢だ」
おかしい。恋文はちゃんと渡したのに、どうしてそんな夢を見るのだ。
「ン.もう泣いてはないんだが、いつも俺のことを見てるんだ」
「自意識過剰?」
「おい」
「うそうそ。それで、気になるの」
「何か言いたげにしてるんだ。俺が声をかけたところで目が覚める」
わたしは伊吹の頭上に視線を向けるが、いまはなにも見ない。それともいないのか。
口を開こうとしたとき、強い甘味にはっとした。前へと視線を向けて、息を飲む。淡い桃色の花びらがいくつも開き、風になびく。芳醇なうるおいのある香り。満開の桜がいくつもの開いて、歌っている。
言葉もない感動に浸る。
ずっと昔、わたしたちは季節を追いながら旅をした。違う。めぐる土地で見る桜のひとつ、ひとつに美しさを見出した。あのときは、ただ美しかったけど、いまのわたしにはこの一枚の絵のような世界に胸を震わせられる。語彙は少ないながら、こんなにも見事で、儚いものがあることに喜びを覚えられる。
季節と、追いかけっこ、ですね。かみさま。
わたしが心の激しい揺さぶりに動けないでいると、手を引かれた。
「呼んでる」
伊吹に言われて、紺ちゃんたちが笑顔で手招いてくれているのにわたしも手を振る。
――ずるい
低く、拗ねた声がしたのにわたしはぎくりとする。視線を向けると、伊吹の頭上に黒髪の娘がいて、わたしのことを睨んでいる。
――手を繋ぐなんて、ずるい、です!
なぬ!
娘はじっとわたしのことを見ている。恨みがましい、いや、羨まし気な視線はわたしと伊吹の繋いだ手に集中している。
手を離すべきか、と迷ったときには伊吹にひっぱられた。その半透明な娘はなりそこないだ。
まだ年月が浅いため変化出来ていないのだ。あともう数年もすれば立派な憑き物となるだろうが、まだ意識だけがふわふわと飛んでいる有様だ。普通、なりそこないは微睡んだ赤ん坊と同じでここまで活発ではないはずなのだが……この娘はずいぶんと動きが激しい。
そして、この娘の見た目はあの先日の恋文事件の女性に良くて似ていた。
伊吹は彼女の夢を見て、文の相手を探しはじめたというが……この娘は一体なんなのだ。
明らかに文の原因の一旦のはず。
あれは文を通じあえて解決したのではないのか。
大混乱しているわたしは伊吹によって花見の場所に連れてこられた。大きな木の下に雨甲斐様は場所をとってくれていたので、絶景である。
淡いピンクの花びらがひらひらと舞っている。
「いい場所がとれたんっすね」
「そりゃあ、いいところで花を楽しみたいじゃないか。ほら、飲み物、みんな手にとれ」
伊吹の言葉に、雨甲斐様はうさんくさい笑顔でそのようなことを口にする。
わたしたちは弁当を広げ、飲み物を各自が持つ。あとは乾杯というところで
「すまん、すまん、遅れたか?」
誰だ。この美青年……きらきらと輝く濡れ羽のような黒髪に、優しげな眼をした青年が溢れるほどの笑顔で走ってきた。
「えっと」
紺ちゃんが困惑している。
「わしか? わしは、芦屋道満と申す。この小日向の同僚じゃ」
わたしはあまりのことに持っていた飲み物の入った缶を落としかけた。ちらりと近江様を見ると、真剣な顔で頷いている。
あ、これ、本物だ。
「あー、そうなんだ。話聞いてるよー。どうぞー」
道満様はにこにこと笑ってわたしの横に腰を下ろして、ちゃっかりと飲み物の缶を手にとる。
「うむ。よろしく頼む!」
出来たらよろしくしてほしくない。
「あの、どうしてそんな姿なんですか」
こっそりとわたしは道満様に声をかける。
「そのままの姿できたらさすがに困るので、霊体だけ切り離してきた」
「……えっと、それは」
「肉体はくそつまらん花見の席でぼんやりしておるわ。わしの霊体の、意識のある場所を切り離してな。紙で式神の肉体を作るであろう? その方法を利用してこのような美青年にわしの魂魄をいれて肉体を得ておるのじゃよ。おかげさまで食べれるし、飲めるぞ。ふふ。天才陰陽師、道満をなめるでないぞ。まぁ、肉体は転寝状態じゃが、式神を連れておるので、そいつらにフォローをさせておる」
そんな使い方でいいのだろうか、その才能。
「まぁ、いいですが」
「ふふ、ここらへんの空間に干渉を感じるのぉ。旭のやつも来ておるな?」
よくわからないが、旭様に言われたとおり、札を木の根元に貼ったせいだろうか? ちゃんとこの花見を楽しんでいるならいいや。
「樹の根本に酒の一本も置いて……ああ、ここ、成人はおらんのか」
「失礼な、わたしは成人済みですよ」
わたしの言葉に道満様は言葉を失い、じっと見つめてくる。
「まじか」
「な」
「……あー、そういえばお前さん、あれの妻だものな。いくつじゃ」
しまった。小日向はいくつだっけ……と混乱する。すこし考えて、笑顔でごまかしてみせた。
「女に歳を聞くものではありません」
「書類には年齢書いてるじゃろうが、まあよい宴の席であるしな」
よし。なんとか誤魔化すことには成功した。
 




