桃色タイフーン 4
家庭科室が使える上、予想の斜め上の資金を手に入れたしまったことを口にすると紺ちゃんがぎゅっと抱きしめてくれた。
「でかした。小日向ちゃん! 料理する場所、どうしようかと迷っていたのよね! ラッキー。そうよね、家庭科室とか使えばいいのよ!」
「うん。けど、いいの? 道満様とか参加しても」
今回、わたしが勝手に参加者を増やしてしまったことも告げている。
「え? んー、ぶっちゃけ、陰陽科のことはわかんないけど、いいんじゃない?」
拳を作って言い切る。さすが紺ちゃん。細かいことは気にしない!
ちらりと伊吹たちを見ると、同じく興味がないという反応だ。それに対して案ちゃんと雨甲斐先輩が少しばかり神妙な顔をしている。
「やはり勝手に人数増やしたの怒ってますか?」
「いや、ただ……道満先生って、どんな専門の先生だったかなって」
さすがにわたしも、陰陽科の校長です、とは言えない。先生と口にしたら、違う科ならば曖昧にしておけばばれまいと思ったのだが、この男は鋭いようだ。
わたしは曖昧に笑って濁しておくことに決めた。
買い出しは千ちゃんと雨甲斐先輩、伊吹とわたし、紺ちゃん、案ちゃんに分かれた。近江様と歌穂は学校で家庭科室をおさえてもらう。
「おにぎり、どうしようか。お米も買わなくちゃいけないけどさ」
「具が大切ですよね。なかの具!」
「それそれ~。あ、案ちゃんはなにがしたいことある?」
紺ちゃんがさりげなく黙っている案ちゃんにも声をかける。挨拶をしてからあまり話していないので、この娘様の考えていることがわたしにはいまいちわからない。
「私は、別に……料理はあんまり得意じゃないから力仕事くらいならできると思うけど」
「だめだめ、案ちゃんもなにかしたいことあれば言わなくちゃ」
「うん。けど、小日向ちゃんや紺ちゃんが決めたのでいいかなって」
遠慮がちに申される。どうも遠慮深い子らしい。それに紺ちゃんはぷりぷりしてつっこんでいく。どうもこういうやりとりがいいかんじで二人には合っている。
お米屋に来て、問題は全員でどれくらいの量を食べるかということになった。
「男子は一人一合食べると思ったほうがいいわよ? うちの兄貴とか弟とか本当によく食べるのよ!」
真顔の紺ちゃんが言い切る。
「私もわりと食べるほうかも」
と案ちゃん
「わたしも食べる、かも……?」
ここの米屋はグラム単位をはかりではかって売ってくれるそうだが、どう考えてもこのメンツだとばかみたいに食べることが予想され、五合購入することにした。おにぎりなら余っても持って帰ればいいのだ。
五合のお米を受け取ると、なかなかに重いと思ったとき、横からぬっと腕が伸びてわたしの両手のお米が浮いた。
太い腕に目を丸めて視線をそちらへと向けると男が立っていた。
こいつ、神だ。
ひと目でそう直感したのは、その見た目だ。日本では珍しい褐色の肌に赤い瞳。銀の細い糸のような髪を一つに束ねている。さらに逞しい体を惜しげもなく晒して、上半身は全裸ともいえる。救いなのはズボンはちゃんと着用していることか。暖かくなってきたが、今の季節にその姿は中々に寒いはずだが、そんなことを一向に感じさせない。
「いきなり出してごめんなさい。私の憑神の周黎よ」
「……」
恐縮する案ちゃんにたいして、周黎様に鋭い目で見下されてしまった。
「ごめんなさい、周黎はあまりしゃべるのが得意じゃないの」
案ちゃんがそう口にするが、わたしはなんと反応していいのかわからないので見つめあう。
「ああ、睨みあっちゃった~。確かに始めてみるとインパクトあるもんねぇ~」
「声をかけてから呼ぶべきだったわね」
「小日向ちゃん、そんなまじまじ見ないのー。荷物持ちしてくれるんだし」
唖然としていたわたしの背中を紺ちゃんが押してくれた。でなければわたしはずっとこの上半身全裸男と睨みあっていた。
お米を買いながらおにぎりの具をどうするのかということになったが、すぐに思いつかないので米屋から出て、道路に出るといくつもの店が軒を連ねている。
「梅干しとかかしら? だったら漬物屋に」
二人の真剣な言葉にわたしは、ふと悪戯心が芽生えるのがわかった。
「いろんなものをいれちゃえばいいのよ!」
わたしの提案を話すと紺ちゃんは目を輝かせ、案ちゃんは少しだけ神妙な顔をした。しかし、二人とも買い物の手は緩めなかった。
大変話がわかる女の子の友達というのはいいものだ。
学校に戻り、家庭科室に向かう廊下の途中、通路に佐野先生がぽつんと一人で立っていた。
また何か見ている。
掲示板……を見ているようだ。
なにがそのように気になるのだろう?
何か気にしたようにため息をついたあと、わたしたちに気が付いたようだ。放置も出来ないのに「アタシら先に行くね」と言われてわたしが置いていかれた。
「君たち、どうしたんだ? 先ほどの荷物といい」
驚いた顔をされたので、花見について説明すると
「花見を、するのか。それに、その場所は私たちと同じ場所で」
佐野先生がそわそわしている。
はて。
「そ、それで顧問は決まったのか?」
「いいえ。まだー」
わたしは苦笑いする。
「そ、そうなのか!」
目がきらきらしている。
「もしかして」
「うん?」
わたしはぐいっと身を乗り出した。
「もしかして顧問になってくれる人いましたか?」
「……あ、う、うん」
ぎくしゃぐと頷かれてしまった。どうなのだ。
「花見、楽しめ」
それだけ言って行ってしまった。なんなのだ。
わたしたちが学校の家庭科室に入ると、すでに伊吹と千ちゃんたちがなにかしている。
「千、そっち」
「あー、はいはい。なんだ、これ。お、いい匂い」
「おいしそうだねぇ」
「伊吹の作ったもの、おいしそう」
と二匹の狐たちがよだれをたらさんばかりであるが、主である千ちゃんも物欲しそうな目をしている。
「食うなよ」
伊吹がさりげなく釘をさしている。
「味見はいるだろう」
「そうだよ、伊吹!」
「味見だ。味見」
一人と二柱が己の欲望に負けようとしているところに
「ちょっとまったぁあああ! 味見ったら、アタシらも混ぜてもらおうか!」
紺ちゃんが勢いよくドアを開けた。
「げ。紺」
「げってなによ。げって! ちょっと千ちゃん、あんたね、一人で先につまもうとか抜け駆けじゃない? あ、これ、おいしー。おにしめ。うまいっ」
「てめ、紺、つまんでんじゃねぇかよ」
「うっさい。あ、人参、うまーい」
紺ちゃん、なんたかんだいってひょいひょいとつまんでいる。それに千ちゃんも手を出そうとするが、伊吹がささっと蓋をしてしまった。
「あー、俺の分は!」
「明日の弁当の分がなくなる。お前ら、買い出ししてきたのか?」
伊吹が胡乱な目で千ちゃんを見たあと、わたしたちへと視線を向けてきた。
わたしはにこりと笑う。
ばっちり買い物はしてきた。
「よーし、朝一でここにきて、おにぎりは握るとして、下準備ね。ちょっと、千ちゃん、手動かして」
「うへぇ。俺かよ」
「あんたしか暇してる人いないんだもん。あれ、雨甲斐先輩は?」
「用事があるとかで抜けちまった」
「ふぅん、まぁ、いっか。ほらほら、鍋の準備して」
「……お前らおにぎり作るのに、なんかいろいろとものが多くないか?」
「具に決まってるじゃない! 案ちゃんはフライパンの用意して」
「わかったわ」
紺ちゃんがてきぱきと指示をして、千ちゃんと案ちゃんを動かしている。わたしは暇になってしまった。伊吹は手伝う必要がないくらい一人で黙々と作っているし。
ふと、気が付いた。
「あら、近江様たちも何か作ってるんですか」
端っこのあいているテーブルで近江様がせっせっと手を動かしている。見ると、テーブルには緑色の濃い草餅が並んでいる。
「裏の山でよもぎを集めてきました。歌穂が山のなかでよもぎがとれる場所があるというので手に入りました。花見に参加するのでなにか用意しようかと」
「まぁ、歌穂が?」
近江様の肩に止っている歌穂は羽を少しばかり膨らませて、胸を張っている。
「ちぴ、裏山、あたち、よく、いくで、ち」
歌穂は基本的にわたしがいるときはそばから離れない。それが式神としてのお役目だともいいだけに。
外に出ていってもいいのよ、と口にするが、歌穂は飛べないのだ。その羽はひどく傷ついていて――人間の手で羽の健が切れているのだ。そのうえ、他の鳥のように高く鳴くこともできない。舌が切れていて普通の鳥よりもずっと舌が小さいせいだ。しゃべるときもどうもどもっているような、舌たらずになるのはそのせいだ。
周りが怖くて、いつもびくびくしている歌穂が外へと出ていく、ということに驚いた。そのわたしの驚きを怒りと勘違いした歌穂が羽を縮めて、しょんぼりと俯いた。
「ぴちぃ、ご、ごめんなしゃい、御主人しゃま」
「いいのよ? 歌穂がいろいろとお外に出ることは悪いことじゃないとわたしは思うわ」
「ほんとうでち?」
「うん、本当。けど、いつからお外に出るようになったの?」
「ちょっと、だけ前でち。。ひなちゃん、お迎えにきてくれる、でち」
「ひな、ちゃん?」
知らない名前が出てきたのにわたしは目をぱちくりさせる。
「はいでち。ひなちゃん、まもって、くれた、でち」
歌穂が羽を震わせながら教えてくれるひなちゃんなる人物――実は歌穂は近江様と学校の巡回を一緒にしていたそうだ。
歌穂の引きこもりを見かねた道満様が近江様に一緒にいろいろと行くようにと命令したそうだ。
二柱はわたしの帰った後に一緒に行動していたそうだ。しかし、歌穂は見た目のように小さいため近江様の肩を転がり落ちてしまい、人々の足に蹴られて転がっていたのを助けてくれたのがひなちゃんなる人物だそうだ。
そのあとひなちゃんは毎日、決まった場所、時刻に歌穂を迎えにきてくれ、――どうやらそのひなちゃんなる人物は正義感の強い、世話焼きで、歌穂のことを気に入ったらしく一緒に外に出て、一時間たらすだが遊んでくれているようだ。
その遊び場所が裏山で、自然と詳しくなったそうだ。
そして。
歌穂はそのひなちゃんなる人物に大変ご執心らしいことは話を聞いていてわかった。
「ひなちゃんは、とってぉもぉおっきでち、たくまちぃ、やさしくて、りりしくてでち」
「うんうん」
なんだかいつの間にかひなちゃん自慢になっている。
「きれいなおっぽに、おはねがあるでち。ひなちゃん、ひなちゃん、お野菜、すき、でち」
「ほぉ」
「御饅頭、食べてくれる、でちか」
「……持っていきたいの?」
こくんと歌穂が頷く。
「ひなちゃん、たべて、ほしい、でち」
問題はそのひなちゃんなる人物、いまいちイメージがわかないのだが話を聞く限りだと鳥のようだ……普通の鳥が歌穂をただの鳥だと思って相手しているのなら失恋決定だ。
「けど、せっかくなら手で丸めないとね。食べてほしい人のために料理しないと」
「りょう、り」
「そう。といっても、歌穂には」
わたしは目を丸めた。
なんということか、歌穂が目の前で人間の娘になったのだ。
見た目は十六くらいの丸みのある頬があどけない、娘は黒に近い茶色の無地の着物を身に着け、真剣な顔でわたしのことを見つめてくる。
わたしは思わず近江様を見た。
近江様も珍しく動きを停止して驚いている。あ、これ、わたしだけの見ている幻ではないみたい。
「これ、これで、まるまる、できる、でちか?」
「あ、うん。歌穂、いつからそんな特技を身に着けたの?」
「ちぃ?」
歌穂はよくわからないといいたげに首を傾げている。そのあと自分の姿を見て、おろおろしはじめた。
自分でもいまいちわかってないのか、この子?
「あう、あう、じぶん、で、なりたい、っておもった、でち、そしたら、なれちゃった、みたいでち」
「ほぉ」
「ひな、ちゃん、ぎゅう、したい、って、おもって」
真っ赤になって俯く歌穂にわたしもつられて赤くなってしまいそうだ。つまり、歌穂はこうして人になるのは何度か体験したあとらしい。その原因が歌穂のご執心のひなちゃんらしい。
何か強くやりたい、と願うとき、こういうことがあるそうだ。
かくも恋心とは強い。
「式神が形を変えるってよくあるんですか?」
「……私もいくつかの形状はあり、変化はできますが」
なんだ、珍しいことではないのか。だったら歌穂のことも珍しい現象ではないらしい。
近江様が口ごもっているが、そこまで心配することはないらしいのでほっとした。
「お団子まるめる?」
「は、はい、でち」
歌穂はすぐに手を洗い――水が顔にかかってびちゃびちゃになり、二回ほどこけて額をぶつけたりしていたが、よろよろと歩いて団子を丸め始めた。
潰してしまいそうになりながら一生懸命、丸めた、一つ目を横で見ているわたしに差し出してきた。
「ご主人様、はじめ、でち。たべて、ほしいでち」
「わたし?」
「はいでち! ご主人様は大切な人でち」
いい子だ。
ひなちゃんには悪いが、はじめの一個はわたしがちょうだいした。甘さ控えめだが、餡子もほどよく口のなかで溶けて、ほっとする安心感のある甘さだ。
「ど、どうでちか?」
「おいしい。がんばろうね」
「は、はいでち!」
歌穂が嬉しそうに丸め始める。コツをつかんだらしく、ひとつひとつ、形がきれいになったと思ったら、ついうっかり潰している。大丈夫かとはらはらしてしまった。
問題は、明日、ひなちゃんが歌穂のところに連日通っているように明日もきてくれるかだ。もし来なかったらわたしがもらう!
仕込みを終えて、家に帰り、李介さんを出迎え二人で食事をして、一日なにがあったのかを話す。
といってもわたしがただひたすらに李介さんにあれがあった、これがあったと話すばかりでそれをひたすらに聞いてもらう。
李介さんは聞き上手で黙って聞いてくれて、程よいときに、それで、と合いの手をいてくれる。話をきちんと聞いてくれるので楽しい。
かわりにわたしも李介さんになにがあったのか聞くのだが、それにたいしては曖昧に濁した言葉ばかりかえってくる。もっといっぱいお話してくれたらいいのに、と思うのに。どうも李介さんは口下手らしく、自分がしゃべる立場になるととたんに口の動きが悪いのだ。
それでも明日の日曜日が楽しみですねと、話を終えて片付けをして雨戸を閉めようとすると、甘い匂いが鼻をくすぐった。もう庭の梅は散ってしまい、松がぽつぽつと緑を広めている。
風で乗った甘い桜の香りが舌に落ちる。嘗めたらきっと甘いだろうに。
目に見えない甘さを味わう。
李介さんと二人でお花を見たかったな、とわたしは思って小さな息を、しじまの広がる夜の闇に零した。




