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攻防するハニィ 2

「ええ。けど、短いのも、似合っています」

 李介さんの手が、わたしの頭から髪先に落ちる。わたしの髪の毛は首に触れるか、触れないかくらいの長さしかない。

 何か口にしようとする前に、李介さんがお湯を頭にかけると言うので黙った。気持ちよく髪の毛を洗い流されて、さっぱりとした。

「さぁ、お湯につかりましょうか」

 李介さんが先にはいって、わたしはその端っこに座らせてもらえたらと思ったが予想していたよりもお風呂が狭くて小さい。この風呂はもともと大人を二人もいれる構造をしていない。

 わたしは困った末に、李介さんが、どうぞ、と口にするのでお膝のうえに乗ってしまった。

「あたたかいです」

「そうですね」

「……李介さん、李介さん」

「そうですね」

「わたしのこと、愛してますか?」

「そうですねって、なに言ってるんですか」

「ふふ。上の空の李介さんが悪い」

 わたしがちょっと得意げに笑って見上げると、李介さんの微笑むと目が合う。

「反論が出来ませんね」

「ふふ。李介さんは、ときどき、やわいのです」

 わたしがわざと背中の力を抜いてよりかかると、ぐっと支えられた。李介さんの太い腕がおなかにまわって、包まれる。潰されないかと不安よりも、安堵が広がった。

 はぁと熱のこもった息とともにわたしの肩に李介さんの頭が寄りかかってくる。

「……あなたのせいですよ。まさか、風呂場にこうして来るなんて思わなかった」

「びっくりしましたか? ふふ、これこそ作戦通りというやつですね」

「……こういうことをするときは事前に言ってください」

「事前に言っては奇襲になりませんよ。驚かせて、その隙をつくんです」

「……じゃあ、俺も、このあとのことは言いません」

 少し顔をあげて言い返される。意地の悪い、なにかあると含みのある目にわたしはきょどった。

「え、なんですか。なんですか。なにかあるんですか」

「言ったら奇襲にならないだろう? だから……言いません」

「ケチ。ケチケチですよ。李介さん」

「ケチで大いに結構」

「……口調も最近、砕けてきましたね」

「こんなことされたら……俺だって動揺する」

 ぽつり、ぽつりと文句みたいに口にする言葉にわたしがにんまりと笑うと、ほっぺたをつままれた。この人は、こうしてなんだかわたしのことをはかっている気がする。

「こっちの気も知らないで……そろそろのぼせそうなので先に出ますよ?」

「あい」

「ちゃんとぬくもって出てくださいね?」

「体拭くの手伝いましょうか?」

「……結構です」

 ぴしゃりと言われて李介さんがいそいそと湯舟から出てしまうと、とたんに広くなってしまった。わたしは言われたのでちゃんと体を温めるためにも肩まで湯に浸した。

「髪の毛のこと、はじめて言われた」

 短い髪先を指でつまんで、吐き捨てていた。


 しっかりタオルで体を拭いて、居間に戻ると李介さんがいない。はて、と思っていると、李介さんが書斎から出てきて手招きしてくる。近づいていくと、部屋のなかに招かれて文机の前に座るように言われた。

「どうぞ」

 差し出されたものにわたしは目をぱちくりさせる。

「これ」

「同僚に頼んで譲ってもらった教科書です。もう、その同僚の子は小学校は卒業しているそうですから、好きに使っていいと」

「ほぉ」

 わたしの手のなかにあるのは、薄いがしっかりとした作りの本である。しげしげと眺めて李介さんを見る。

「これ、なんの本ですか」

「こくご、ですよ」

「こくご」

 わたしは繰り返す。

「文字の勉強だと、これが一番いいので……あと、これも」

 差し出された本。それを手にとる。

「ノートです。これで書き取りもできるでしょう?」

「書き取り」

「……俺は、一応、教師をしているので……教えるなら、あなたに合う教材を用意すれば教えれるかと思って」

 わたしはぎゅっと教科書、ノートを胸の中に抱きしめる。あっかたい気がする。

「え、えへへ。うれしいです」

「……今日から少しずつ、やりましょうか? 文字が書けない、読めないままだと、困るでしょう?」

「はい。お手柔らかにお願いします。あと、その、書く道具は」

「用意してますよ。ん?」

 わたしはいそいそと文机の上の、それを探して視線を向けていると、ちび妖怪たちが現れて、その子をこっそりと端っこに置いてくれた。わたしはそれを手にとる。

「その、万年筆は」

「はい。この子、この子がいいです。李介さん! ……李介さん?」

 李介さんが難しい顔をしているのにわたしは失敗したのかと不安になった。

「あ、いや……それを使いたいんですか? インクが漏れたりするし」

「だめですか?」

 この子で書いた文字は本当にきれいで、心惹かれた。だからこの子を使いたい。もしかしたらまた書いてくれるかもしれない。わたしも、この子みたいな文字が書けるかもしれない。そんな憧れだ。

「……それは父のものなんです」

「え」

「父が死んだときに持っていたもので、それを俺は譲り受けた。それで、俺は……朧月に攫われるようにして、あいつの神域に招かれて……泣きながら名前を書いた。地べたに座ったまま、必死に震える手で、汚い文字だと言われながら」

 李介さんになんて言えばいいのだろう。迷っていると、はぁと深い李介さんがため息をついた。

「そういう思い出ばかりの万年筆を、まさかあなたが選ぶとは」

「あの、あの、これ、そんな大切なものと思わず、李介さん」

 ごめんなさいと言おうとするが、それを遮るように先に李介さんが笑って、告げてくれた。

「使ってください。それをそのまま腐らせるのも世知辛いと思ってました。実は前にしっかりときれいにしたので、インク漏れはだいぶマシになったと思います」

「いいんですか?」

「俺は仕事用にもう新しいのは買いましたから。あなたがよかったら使ってください」

 その言葉にわたしは、ぱっと笑ってしまった。嬉しいと顔に描いてしまう。それに李介さんも笑いかけてくれる。

 李介さんがすぐにわたしのための机――折り畳みのそれを広げてくれた。

「じゃあ、教科書とノートを広げて」

「はい」

 言われてノートと教科書を広げる。

「まずは名前ですね。藤嶺と」

「ふじみね」

「手本を書きますから、それをみて真似をしましょうか」

 李介さんが机の端にたててある筆立てからペンを一つとって、さらさらとふじみねと書く。そのあと漢字も書いてくれる。わたしは口のなかに言葉をもらして、目をきらきらさせる。指を伸ばしてなぞる。

「ふじみね。紫色の、藤の、うつくしく、咲く嶺」

「……」

「李介さんの名前は?」

 李介さんがさらさらと名前を続けて書いてくれる。これでりすけ。りすけと二回繰り返す。

「これはすももの文字ですよね? 甘い名前がかかわってくる、甘い男ですね」

 わたしがそう告げると李介さんが驚いた顔をしている。はて。どうしたのだろうかと見つめていると

「そう、口にした人がいた気がします。誰だったのか……かみ……かみ、しばい……そう、紙芝居師と名乗っていた気がします」

 その名にわたしは瞠目し、口をぽかんとあけてしまった。慌てて手で押さえた。

 覚えていたのか? あのときのことを。

「ああ、すいません、関係のないことを……勉強の続きをしましょうか。ほら、お箸を持つように持つんですよ」

「二本ないのに?」

「なくても。そして、背筋を伸ばして、まず、ひらがなを書いてみましょうか」

 むむ。なかなかに難しいぞ。これは。言われるがままひらがなを書こうとすると、背筋が悪い、持ち方が悪いと言われ、文字にも手順があると言われてわたしは混乱する。それでも李介さんは一文字、一文字を丁寧に教えてくれた。

 歪んでぐらぐらだけども、ちゃんと「ふじみね、りすけ」とかいたあと、「こひな」とも書けた。その文字を書けたとき、嬉しいと思うと同時に、少しばかりの空しさを覚えた。

 この名をわたしはあと何度くらい書くのだろう。

 とりあえず、これで部活の提出用紙に名前が書ける。



「予想以上に可愛い式神だな」

 道満様の言葉にわたしは手のひらの上の歌穂と、視線を見合わせた。

 学校に少しばかり早めに来たわたしは、道満様の部屋に鳥かごがあるのを見つけた。そこには歌穂がいてわたしを見ると羽をばさばさと震わせて喜んでくれた。

 ぢゅ、ぢゅ!

 わたしが鳥かごに手を入れると、手のひらにちょこんと駆け寄って――ころんでいたが、それでも必死に手の平にやってきた。

「あたち、歌穂、といいますでち。ご主人ちゃま!」

 なんとも可愛らしい。

 わたしの式神として道満様に宿題として提供すると口にしたら

「ぢゅう! 歌穂は、歌穂はいらない子ですかぁああああ!」

 ものすごく叫ばれて泣かれてしまったが。慌てて宥めていると道満様が近江様を連れてやってきたのだ。


 どのようにして歌穂を使役したのかについてもかいつまんでお話をした。それは道満様の式神である近江様が見ていたので、今さらかなぁとも思ったが。その話を渋顔を作って聞いていた道満様は、近江様が間違いないと断言するとはぁとため息をついた。どうしてため息なのだ!

 道満様がわたしの前に来ると、歌穂のほっぺたを指でつつく。

 歌穂がぢゅう、ぢゅうと声をあげている。

「道満様、あんまりつつくと、せくはら、といわれますよ」

「またハイカラなことを言うじゃないか。性能を見てるんだよ、わしは……うむうむ。ここまでちゃんとした式神が出来るなら十分だ」

「宿題おわりですね? あーよかったです」

「ぢゅう、ご主人様、おめでとうござい、でち」

 つい歌穂と一緒に喜んでしまった。歌穂は羽を開いて踊るように喜んでいる。

「問題はあるがな」

「え、問題ですかっ」

 うう、道満様は鬼なのだろうか? わたしにこれ以上なんの宿題を出すつもりなのだ。

「阿呆め。式神っーのは術者の手足になるものだと言っただろうが? 先ほど調べたが、鳥なのに飛べないうえ、こけるし、戦闘能力もほぼ皆無。能力だけいったら、歌穂は低霊以下だぞ」

「か、可愛いでしょう」

「ぢゅう」

 二人そろって道満様に言い返す。

 そうだ、たとえ長く飛べなくても、こけたとしても、戦闘能力ないにしても、歌穂は可愛いのだ。

「あのなぁ、式神はペットじゃないんだぞぉ」

 などと言いながら道満様の手が歌穂を抱えてよしよしと撫でている。言っていることとやっていることが微妙に合ってません。道満様!

「あっ、あっ、お、おそうじ、と、とくいで、でち」

「……うちの建物の掃除でもさせるか? しかし、この姿じゃなぁ」

 たぶん、きっと、一か月かかってもこの広い部屋を歌穂は掃除できまい。歌穂一羽に掃除なんぞさせたら動物虐待である。愛護団体に訴えてやる。

「まぁ、いいか。それにいろいろと気になるし、よし、今日から小間使いだな。とりあえず可愛くしていろ。一日いっぺん撫でまわさせろ。なんだ、このふわふわ、可愛いじゃねぇか」

「道満様、あまり撫でるとせくはらです」

 はぁとため息をついて道満様が折れた。可愛さは最強である。やった! あと近江様が歌穂ばかり構うから、ずっとジト目で睨んでいる――気がする。近江様だって昨日いろいろと大変だったのだから誉めてあげてほしい。まったく。

 仕事が与えられて消えなくて済む歌穂は大喜びで尾を震わせているのにわたしは胸の中に抱きしめた。よかった、よかったね。

 はしゃいでいるわたしの耳に道満様の痛みを耐えるような呟きが、そっと入って来た。


「屍と動物の命、呪詛を絡めた式神なんぞ、俺は見たことがないぞ。まったく問題だろうよ。これじゃあ、神の業じゃねーかよ」

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