恋文メランコリック 5
伊吹と少しはやめに学校の門をくぐり、別れたあとわたしは昨日訪れた道満様のお部屋に直行したが、鍵がかかっている。はて? どういうことかと思っていると、扉が開いた。顔をあげると近江様かいた。
「今日、道満様は来ません」
「え、どうして」
「国からの呼び出しです」
「……わたしのお勉強はなし、ということですか」
「そうなります」
これでは学校に来た意味がないではないか!
宿題を投げた次の日にはその教師がいないとはなんたることか。
しかし、わたしは両手をあげて喜んでいた。
「では、好き勝手してよろしいんですね」
「駄目です。道満様がいない間は私めがあなたの教師ということになります」
……あ、はい。
わたしの喜びは一瞬にして萎れてしまった。
「……私めは、あなたに宿題をしていただくと命令されています」
「宿題とは、式神作りですか」
「はい」
大真面目に頷かれてしまった。昨日はあれこれとやっていて何一つ進展していないのだ。いや、基礎を教えるということでいただいた紙に命令をしたためればいいのだが……文字も書けないわたしに酷な宿題を出す。いや、無理に文字にしなくても、命令を刻めばいいのか。
「……わかりました。式神作りのためにも、図書室に行きましょう」
「承認しました」
近江様の返事にわたしは、ふぅと息を吐いて一歩を踏み出した。
昼間は授業の時間で人がいない。静寂に包まれた図書室の扉を開けると、近江様となかにはいり、わたしはきょろきょろと視線を巡らせた。
人の気配はあるが、掴みきれない。
「出てきてくださいませ! 手紙を忍ばせたのはあなた様ですよねっ!」
わたしが声をあげると、手前の棚から本がぱらぱらと床に落ちる。
そして、ひらりとわたしの前に落ちてきた一枚の紙。
「図書室では静かに」
「……顔も出さずに、説教ですか」
わたしが怒るのに、また本がぱらぱらと落ちる。
そして、ひらりと紙が一枚。
「どういったご用件でしょうと。……図書の旭司書は、大変内気な性格で、図書室からほぼ出ないと聞きます」
「それ、どうやって生きてるんですか」
ひらりと紙が落ちてきた。
「この空間と異空間を融合させているそうです。つまり、学校の図書室と自分の家の空間をくっつけ、行き来していると……食事などは事前に食堂のおばちゃんに言って配達して頂いていると」
なんという徹底した姿勢だろうか。ある意味感心してしまう。
「道満様もその御姿は見たことがないと、聞きます。戦争中もほぼ姿を出さなかったと」
「それは、また……すごいですね。えーと、こほん。そこまで徹底しているのはすごいですが、昨日のあの手紙、あれは、どう考えても偶然が過ぎます。あなた様がしたのでしょう?」
伊吹と図書室に忍び込んだときのことを思い出すと、あれは誘導されている気がしてならない。だってあそこで手紙を見つけるなんて、かなり出来すぎている。
だったら誰がなんのためにやったのかと言えばおのずと人物は絞られてくる。
図書室のことは図書室の先生が一番知っている、ということだ。
ひらりとまた一枚、紙が落ちてきた。
「あ、気が付いた? だそうです」
「……気が付きました! それで目的はなんですか。あの手紙になにかしこみましたか?」
また紙。いちいち紙を落とさないと会話できないとはめんどくさい。
「夢渡りの術を使ったと、夢にそのものの記憶を見せるものですが」
ああ、やっぱり、とわたしは納得した。
「それで伊吹は男の記憶。わたしは女の記憶を見たというのですか」
あわててまた紙が一枚、二枚と落とされる。
「え、なにそれ。昨日、男のは見せたけど、女は知らないよ、だそうです」
わたしは目をぱちくりさせる。伊吹にずっと訴えていた女が今度はわたしにということか。
なんてことだ!
「どうして昨日みたいなまどろっこしいことをなさったのですか?」
紙が落ちてきたので近江様が口にする。
「人としゃべるのが恥ずかしくて、だそうです」
恥ずかしいわりにやることが大胆すぎないかと思うのだが、そんなことをつっこんではいけない気がしてきた。
つらつらと落とされる紙。そして近江様が読んで教えてくれるには、図書室の本はすべてこの旭様が一冊、一冊確認を行っているのだそうだ。誰が借りたとか、誰が持ちだしたかなど、旭様は自分の空間で行われたことはすべて把握している。
学校の司書になってから悩みの種が本のなかにはさまれているものである。
一番がこの手紙だったそうだ。
誰かが置いたらしいが、誰なのかは特定できない。昨日、わたしたちが騒いでいることを小耳にはさんだ旭様はもしかしたらと術を使ったらしい。ただし、自分とばれないように。恥ずかしいから。
いや、ばっちりばれているんだけど。
「源一ノ介は既に死亡してます」
「え。待ってください。どうして、それを先に教えてくださらなかったんですか」
「……聞かれなかったので……サーチの結果報告義務は生じていませんでした」
わたしは唖然とした。ショックを受けて膝から崩れ落ちそうになる。式神という奴はこういう些細な所がだめらしい。
思わず声を荒らげてしまう。
「報告は必要です! じゃあ、婚約者などの情報は?」
「……検索済みです」
「それです。それがいるのです!」
わたしは声を荒らげていた。
また本がどさどさと落ちる。わたしの声に驚いたらしい。なんと軟弱なのか。わたしはため息をついて、とりあえず本の片付けをしておく。
だいたいの整理整頓を終えたころにはすでに昼近くになっていたのでわたしは食堂へと近江様と一緒に来た。きょろきょろと視線を巡らせて、すぐに伊吹を見つけた。
「伊吹っ」
「ん?」
伊吹の腕をしっかりと掴んで、伊吹の顔を見つめる。
「お願いがあるの」
「……なんだ」
「一緒に来てほしいところがあるの」
「いつ」
「早ければ早いほうがいいの」
「飯は食べたのか」
「……食べてない」
「そっか」
わたしはじっと伊吹を見つめる。まだ授業が残っているから当然放課後と言われることを覚悟していたが
「おにぎりを貰ってくる。千と紺に、言い訳頼んでくる」
「え、あ、伊吹?」
「腹減ってまた倒れられたら困る。食堂のおばちゃん、お願いしたら握ってくれるんだ。俺らみたいなのは腹をいつもすかせているから」
「う、うん。じゃなくて、あの、あのね、いいの? 今からいってくれるの? 授業は?」
「ある。けど、そういうのアンタ、わかっていて声かけたんだろう」
「うん」
「なら、まぁ、仕方ない」
伊吹の言葉にわたしはぎゅっと手を握りしめた。なんでそんな短い言葉のなかに大切なものをすべて詰め込んでしまえるんだろう?
わたしが立ち尽くしているのに、伊吹はてきぱきとおにぎりを自分とわたしのぶんを用意して、紺ちゃんたちに何事かを言づけている。
ものの十分ほどでだいたいのことを終わらせた伊吹は
「行くぞ」
わたしは少しばかりびっくりして立ち尽くしていると、先を行く伊吹が立ち止まり、怪訝な顔をして振り返った。
「行かないのか?」
「う、ううん。行く。行くけど、どこに行くのかわかってるの?」
「昨日の家だろう」
察しがいい。
「……どうして俺なんだ」
伊吹が歩きながら尋ねてくるのにその横を歩いてついていくわたしは答えた。
「だって、伊吹だから」
「……わかった」
その言葉だけでいいらしい。
伊吹って、ときどき、へんなの。
「ほら、行儀を悪いけど、食べながら行くぞ」
投げられたのはアルミホイルに包まれたおにぎりは、まだあたたかい。白い粒のおにぎりにかじると塩鮭の味がした。ほくほく、塩辛い。気持ちが引き締まる。
「あの、近江様も」
「私めは必要ありません」
式神って食べたり、飲んだりしない、のかしら? わたしはせっかくだし、と自分のおにぎりのひとつを近江様に持たせた。
「共犯ってことで」
「……承知しました」
「ほら、こっち。表門は見張りの教員がいるから、裏から行くぞ」
なんとも手馴れている伊吹にわたしは少しだけ笑ってしまった。だから目をつけられちゃうのよ。
わたしと伊吹が訪れたのに、芳恵様は驚いた顔をしたが、それでも居間に通してくれた。
「これを届けにきました」
伊吹が差し出したのは、持っていた手紙だ。
「あなたですよね、手紙を送ったのは」
伊吹の真っすぐな言葉に芳恵様は沈黙を守ろうとして、失敗して、笑った。
「昨日、違うと言うったのに……よく、わかりましたね」
あっさりと観念してくれた。
強情をもっと張るかと思ったが、そうではないらしい。
「なんなく、そう思ったんです。ほぼカンです」
「まぁ」
くすくすと芳恵様が品よく笑う。本当は調べるために図書室に向かったり、変な夢を見たりと大変だったのだ。
「昨日は、驚いてしまい……申し訳ございません。源様は、わたしの……憧れの人でした。あの頃は、まだ神様がおられない時代で、戦争がはじまったばかりでした」
机の上の手紙を見たまま芳恵様はつらつらと語り始める。
神様のいない時代……ただの人と人の争いの時代のことか? しかし。
「あの人は……満州での暗殺事件にかかわっておりました」
「満州の暗殺とは……まさか、張作霖のことですか?」
わたしは思わず尋ねていた。
「はい。あのあとから経済が破綻し、どんどん大変な時代へとなりました。それから戦争が続き、日本が敗退し」
「神が降りてきた」
伊吹が言葉を奪うように告げた。
「度重なる敗戦に、疲弊した日本人を哀れんで国のあらゆるところから神が降臨し、戦争を勝ち進んでいった。だから俺たちは勝利したんだ」
「勝利を、した?」
わたしはとんでもないことを聞いてしまった気がして、息を飲み、低く吐いた。かみさま、どうしよう、ここは。
この話がもし本当だとしたら。
いいや、はじめからそう口にしていた。
戦争のとき神が現れた。けど、その戦争というのは――
「今じゃ、歴史の教科書に載ってる。第二次世界大戦だ」
鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けたわたしは倒れずに薄く、薄く、息を吐いた。なにかいろんなものがちぐはぐで、どこかがおかしく、ズレていると感じていたのは、このせいだ。
けれど、今、そんなことを気にしている暇はない。
「ごめんない。話が逸れましたね? お願いです、文の話をしてください」
「はい。隣の家の、きりっとした若者で……本が好きな人でした。言葉を愛する人でした。お国のために、戦うといって、もう会えませんと……そのころは、国のために戦う方に生き残ってというのはいけない言葉でした。だから」
「絵手紙を残したのですか?」
ついわたしが尋ねた。
「はい。絵手紙です。絵に思いをのせたんです……返事、書いてくださっていたのね」
手紙の中身を見ることもなく、ぎゅっと抱きしめる。わたしはそれを見て浮かんだ物語を口にしようとして、大きな音に邪魔されて首をそちらへと向けた。外から聞こえる怒声と罵言の主は昨日の男たちだとわかる。わたしのなかでかっと火が燃えた。畳に手をついて立ち上がろうとして、肩を伊吹に掴まれた。
「俺が行く」
「伊吹」
「追い払うだけならいける」
伊吹がそう口にするのであとは任せるしかない。なんといってもわたしはか弱いので、こういう荒事には向いていない。
玄関へと出て、門を見れば昨日のやくざ者だ。
「やめろ」
伊吹が低い声で吐き捨てる。
「昨日のガキかっ!」
「怖がることはねぇ! こっちには今日は先生がついてるんだからな」
やくざ者たちが強気の声で言うが、その先生というのが誰なのか。わたしの目には男二人しかいない。どこかに隠れているのかと視線を巡らせるが、やはり見えない。ただいやな予感が胸を押す。なにか、ひどくいやなものが迫ってきている、気がする。
「……やめないなら、実力行使で止める。朱雛」
伊吹の片手に炎が集まり、刀の形をとる。
姿は見えなくとも――いる。
伊吹の殺気に男たちが一瞬たじろいだ。
「民間への脅迫は法律において禁じられています。あなたがたを逮捕する権利を駆使しますが、よろしいですか?」
無表情に近江様が告げる。
男たちはいよいよ立場があやういとわかったのだろう、後ろに下がろうとして動きをとめた。ふっと目に色がなくなる。
だからんと体から力が抜けて、操られた人形のように立ち尽くし、よだれをたらす口が――嗤った。
伊吹が刀を構えて後ろに下がって、わたしのことを庇ってくれた。男の一人が小刀を握り切りこんできたのだ。
「こいつら、気配がおかしいっ!」
「……操られているのでしょう」
近江様が伊吹の肩を掴んで、庇うように前に出ると、小刀を持って切り込む男の一撃をぎりぎりで回避し、掌打をみぞうちに叩き込み、問答無用で倒してしまった。
その隙をついて襲い掛かるもう一人の男を伊吹が刀の柄で叩き倒した。
あっけないと思ったとき。
にちゃ、り。




