恋文メランコリック 2
街行く人の視線を感じてわたしは苦虫を奥歯で思いっきり噛む。
わたしと、伊吹と、そして同行している式神の近江様は紺ちゃんに言われた南南西に向けていた。学校を抜けて煉瓦作りの路地を歩いていくと、だんだんと平屋の家が増えてきた。
「目立ってる、よね?」
「ここらへんは庶民区だからな。特に人型は高級だから目立つ」
「庶民区? 人型?」
わたしが理解できないという顔に、今までほとんど顔色を変えない伊吹が瞠目し、少し、驚いた顔をする。
ものすごく世間知らずなことをわたしは口にしたらしいが、この際、知ったかぶりをしても仕方ないので大人しく白状した。
「知らないんだもん」
「……東京の基礎は、皇居がある日佐守区を基本として結界が張られてる。俺たちの学校は永田町。あと御茶ノ水、霞ヶ関と、それぞれ国会議事堂と軍事施設をおいてる。なんでも四方に中心をわけておくと結界の強力性が増すんだと。そこらへんは街の中心で、さらに外に出ると庶民区って一般の人の生活するところで、継代区は古い建物が戦後に残っていたり、戦争で家が無くなった人が住むために団地とか多いんだ。最近、大きめの道を作るって」
わたしの知っている東京とあまり違ってないような気がするが、微妙なところで少しずつズレを感じる。
今あげられた単語のどれもまったくわからない。継代区とか……ちゃんと地図を見て確認しなきゃ。
平屋が多く、行きかう人々の活気がある顔を見るとわたしはほっとする。
「先も言ったが、団地が多いし、川辺には仕事にあぶれたやつとかが集まった、ドガがある。ここらへんは、荒くれ者も多いから、気を付けたほうがいい」
「絡まれたら守ってくれる?」
伊吹が足を止めて不思議そうにわたしのことを見る。
「アンタ、戦えないのか」
「これでもか弱さには自信があります」
胸を張って言い返すとはぁと伊吹がため息をついた。
「あと、人型が珍しいってなに。ええっと、近江様みたいなの珍しいの?」
「珍しい。俺も、学校ではじめてみた」
式神はわりと多いと思っていたのだが、違うのだろうか?
「戦争が終わってから、陰陽師がいくつかの術を生活用途に使えないかってあれこれとしてるけど、式神はそのなかでも一番使い勝手がいい」
「ん? それってつまり?」
「つまり、軽式術は一般的には売られてる」
軽式術というものが、わたしにはそもそもわからない。伊吹もなんと説明していいのか少し困ったように口ごもっている。
わたしはちらりと近江様を見た。
「教えてもらってもいいですか」
「承認。軽式術とは、本来の手順を飛ばしたものです。術式を先に完成させ、最後の命令する部分のみ空欄としておく。そうしておけば、簡単な用事を命じれば、その通りに式神が動くというものです。基本的にそういうものは形を紙としています。見た目ものはあまりこだわりません。戦闘をするわけでもないので強度も必要ないのです」
わたしのところに問答無用で学校の荷物を届けにきたまっしろいのっぺらぼうのことを思い出した。あれのことか。
「陰陽には一般用と軍用があります。一般用は一般家庭においての生活用途の仕様を目的として攻撃性のない、目的達成型です。軍用は戦闘などを基本任務としているので術式がそもそも異なります。私はそのどちらでもありません」
「どっちでもないんですか」
「道満様が個人的にお作りになった式神です。この世に存在する精霊、神といった存在を陰陽師は己の力によって使役し、従わせる。純粋型と言われています」
「精霊、神様ってことは、伊吹たちと同じ、ではないんですか?」
「異なります。彼らは自分の意思で降臨し、人を選びます。我々は選べません」
なんとも難しい話になってきたぞ。
「そして、われわれの見た目はある程度、主の望むものに寄り添います。この姿も、道満様のお望みになった姿と、与えてくださった力による部分が大きいのです。しかし、神生たちは神そのものを持つだけで、神になにかしらの力を付与することはできません。ただし、憑神持ちはその神の力を引き出し、命じて制御することとなります」
つまりは、伊吹たち、憑神持ちは神様に選ばれて、その力を使用するように促したりできる。たいして陰陽師は自分から神や精霊を選び使役して、自分の力を付与して強化できる……ということか。
だめだ。これ以上は頭がついていかない。さらに話しそうな近江様を見てわたしは首を横に振った。もういい。もうこれ以上の説明は今はいいです。
「本来、軽式型の式神はその式を作る「術式」を理解し、準備すれば発動はそこまで難しくありませんが」
「……つまり、わたしの宿題は、教科書をめくって、その術式を書けばよいということですか?」
「その問いには対する返答は不明。道満様のお考えはわかりませんが、あの方は実践あるのみ、とおっしゃっておりましたが」
確か、ある程度の術式は書いてるとか言っていたので、実はこれは命令を書いたら発動するというものだったりするのでは?
難しいことなんてなにもない。ただ式神というものはこういうものだと道満様なりに教えようとしてくださったのか。
わたしはようやくいろいろと腑に落ちて、がっくりと肩を落とした。自分で難しいと思い込んでいただけなのか。
わたしは懐に仕舞っていた紙を取り出す。
「つまり、これは、命令を書けば具現化するんですか」
「確認します……この紙は軽式です。命を記載し、呪を口にすれば、ある程度の命令を聞く式神を作れます……道満様自身の自筆で、かなり高度なものと判断できます」
わたしはますますがっくりと肩を落とした。それならそうとはじめから言ってくださればいいのに。いや、ここまで理解することが宿題だったのか。
わたしははぁとため息をついて懐に紙を戻した。
「宿題、どうにかなりそうなのか」
「うん。ものすごく、意地悪な宿題だった。今頃、絶対に笑ってるわ。あの人」
「とにかく、宿題、終わってよかったな」
伊吹の言葉にわたしは頷いた。
大変遠回りしたが、この知恵を手に入れるためにも必要な努力だったと思えば……ただひどく疲れた。
「帰るか?」
「……帰らない。伊吹に付き合うって、決めたことだし。こうして外を見るのは大切だわ」
わたしは無知すぎる。そのことは今まで何度も痛感していた。
学校に通うのはいろいろと制限があるが、この世界を知るには貴重な情報源だ。それに関わる人とのやりとも。
「そういえば、伊吹、伊吹の神様は?」
「朱雛は、たぶん、そこらへんにいる」
そこらへんと言われてわたしは四方を見回すが、それらしいものがいない。
「アイツ、俺の傍にあんまりいたがらないんだ」
「そういうのもいるのね」
憑神と人間の関係は中々に複雑みたいだ。朧月様と李介さんの関係を思ったら、あまり一緒にいなくてもいいのだろうか?
「アンタさ、それわざとなのか」
「なにが」
「俺のこと、ずっと呼び捨てにしてる」
指摘を受けたわたしは驚いて目を瞬かせる。別にわたし自身が意識したわけではないが、気が付いたら呼び捨てにしていた。
「えっと、ごめんなさい。だめかしら」
「いや、堅苦しいのは俺も苦手だから、そのままがいい。ただ、どうしてかなって」
「わかんない」
わたしは素直に答えた。
「ただ、伊吹は伊吹でいいかなって」
「なんだよ、それ」
肩を揺すって笑う伊吹にわたしは目尻を緩めた。
理由は、本当に特にない。ただ彼相手にそこまで格式張ることはないと判断してしまった。わたしもまだまだだ。
「きゃあ」
悲鳴が聞こえたのにわたしは視線をそちらへと向けた。伊吹もわたしが足を止めたのに、同じ方向に視線を向けてくれる。
道の端にある家にごろつきと思わしき男が二人、立っている。その手にあるバケツにわたしは目を向けて鼻白んだ。まだ一キロほど距離があるが臭い。どぶ川の腐ったものの匂いだ。それを家の庭にわざと投げ入れたらしい。
それにおろおろとしている白髪の年取った女性はなんら対応が出来ないようだ。
今日で二度目だ。
こういう下品で男らしくないクズを見るのは。
「地上げ屋だな。ここらへんの土地を買ってなにかするのかも、ん」
「伊吹、ほら行って」
わたしが背中を押すと伊吹が驚いてわたしのことを見ている。
「ほら、行く!」
「俺が?」
「そう、伊吹が」
「……我儘」
「伊吹のお願いに付き合ってるんだから、行く!」
わたしが再度強く背中を叩くと伊吹が
「そのうえ勝手だ」
ぽつりと文句を漏らしたが、わたしは生憎とか弱い娘なのだ。こういう荒事は男の仕事だ。
「おい」
伊吹が男二人に近づいて、声をかける。なんだか気だるげな、昼寝あとの猫みたいだ。
「なんだよ」
「てめぇ」
明らかに暴力に慣れ親しんだ男たちの恫喝を伊吹は肩を竦めて受け流す。
「ここのばーさん困ってるだろう、あいた」
わたしが靴を投げて伊吹の背中にぶつけたのだ。ちゃんと靴は転がってわたしのもとに帰ってきたので履いておく。
「女の人にばーさんと言わない!」
「……お前ら、その人、困ってるだろう。さっさと消えてくれ」
わたしと伊吹のやり取りを見て、男二人が唖然としたあと、失笑した。
「女のケツに敷かれた青二才が、かっこけてると怪我するぞ」
「まったくだぜ」
失礼な、わたしは伊吹をお尻で敷いてなんていない。そのことについて伊吹は反論せずに
「消えてくれたら、痛い思いしないで済む」
あくまで話し合いで解決しようと試みる伊吹のその態度が悪かったのか、いかつい男の一人が大きく肩を怒らせて近づくと、拳をいきなり落としてきた。
あっと思ったときには伊吹は男の懐に飛び込み、胸倉を掴む。片足が地面を踏みしめ、力いっぱい男を投げた。見事な一本背負いだ。きれいに決まったのは男が伊吹相手に完全に油断していたせいだろう。
ごろつきの片方は唖然としている。
「てめぇ!」
「もう一度言う。それで懲りて消えろ。今度は本気でいく」
伊吹は粘り強く声をかけるが、それは相手の怒りを煽るしかなかったようだ。倒れた男が首をふりながら起き上がり、獰猛な犬よろしく牙を剥く。わたしの横にいる近江様が一歩、踏み出そうと構える。
肌にぴりっとした、辛子みたいな張り詰めた心地の良い刺激が広がる。しかし、先に動いたのは誰でもない。
空だ。
どすっと音をたてて、二人の男たちの間に落ちてきたのは、刀――わたしは目を見開く。
男たちもいきなり刃物が落ちてきたことに度肝を抜かれたらしい。
唯一驚いていないのは伊吹だけだ。
「楽しそうなことしてるなぁ、伊吹」
「朱雛」
呼ばれて空から降りてきたのは鳥のような男だ。――違う、鳥が人の男の姿に似ているのだ。
両手が赤い羽で、ひらひらと風になびく炎のように美しい。燃える松明の紅ではない、沈む太陽よりなお赤い。血だ。人を殺して、すすった刃物の血の紅色に似ている。
伊吹の横に降り立つと、その赤が散った。人の手を持ったその鳥は、まるで人間のように声をあげる。
「そういうときは、俺チャン呼ばないとだめだろう? で、まだやるのか、雑魚」
人の顔といわれる部分――目の所にかけた面は道化た鳥の顔を思わせる。
派手だが、それは猛禽類を思わせる面だ。また、その男の口元に浮かべる笑みは弱い生き物をいたぶることを楽しんでいるときのものだ。目を細め、嘴を鳴らし、足で踏みつけ、骨を砕き、肉を抉り、悲鳴をあげさせることを面白がる、そんな笑みだ。
力の差がはっきりとわかったのだろう。男二人が蜘蛛の子のように逃げていくのに伊吹は片手をひらひらと振った。
「ちぇ」
赤い鳥がつまらなさそうに吐き捨てる。
わたしは伊吹に近づいた。
「ご苦労様なのですよ、伊吹」
「……うん」
何か言いたげであるがわたしはしれっとしておく。ちらりと伊吹の横にいる、その鳥に視線を向ける。
「伊吹、このちんちくりんなんだ」
「ちん……っ! 誰がちびですか! わたしは小柄なだけですっ」
「お、威勢良く噛みついてきたな。伊吹、これ面白いな」
「これではないのです!」
なんだ、失礼な赤い鳥め!
「やめろ。朱雛は俺の憑神、こっちは藤嶺小日向で……巻き込まれたし、巻き込んだ」
「ふーん」
朱雛と言われた神がわたしのことを見下ろしてくる。口元のにやにや笑いがいかにもちびと語っているようだが、ここで怒ってはいけない。必死に怒りを抑え込んでわたしは息を吐く。
ちらりと先ほど刀が落ちてきたところを見ると、瞬時に燃える炎が刀を包み込み、霧散し、一枚の羽と変わった。
「朱雛は武器が作れるんだ。……すいません。騒がしくさせて」
伊吹が助けた初老の女性に頭をさげる。
そして、あ、と声をあげた。
わたしも彼女を見てぎょっとした。
あの黒髪の女の霊に良く似ていた。




