恋文メランコリック
「これが机のなかにはいってるんだ」
図書室の広い空間に均等に置かれたテーブルの一つでわたしは、伊吹から手紙を差し出されて眉を寄せる。手にとると、なかなか古い手紙のようだ。封はなんと、されていない。
伊吹以外の好奇心の目が四つ。
紙を広げたわたしは、あっと言葉を漏らす。
そこにはつらつらと書かれた文字……なにかを書いているのかはわからないが、その細い文字は女のもので、何を切実に訴えているのはわかる。
紙の端っこに描かれた絵に一升ますに松……わたしは下唇を噛む。
「恋文ね、これ」
同じくわたしと手紙を見ていた紺ちゃんがびっくりしたようにわたしのことを見る。
「え、え、どうして? これってお仕事がんばってくださいっていう御手紙じゃない?」
「女から男に向けたモンだから恋文か?」
図書室では静かに、という貼りだしがあるので、さすがに狐たちは姿を隠して口を閉ざしているが、千ちゃんのつっこみは容赦ない。
「極端なこと言わないの。ねぇ小日向ちゃん」
紺ちゃんと千ちゃんが言い合いをするなか、伊吹だけが顔色を変えずに
「探し出せるか?」
「無茶言わないで」
それは手紙の主なのか、それともこの手紙を受け取るべき相手をなのかは聞かない。どっちにしろ無理だからだ。
伊吹の無茶な提案にわたしはにべもなく言い返す。陰陽師というやつはいろいろと出来るらしいが、わたしには無理だ。
「この手紙はどうしたの?」
「教室の机にはいってた」
「あー、今年って新入生そこそこ多くて、机を奥の旧棟から出してきたからね。じゃあ、これ、戦時中のなんだね」
伊吹の言葉に紺ちゃんが続いて腕組みした千ちゃんが渋い顔をしている。手紙の内容はそういう類のものらしい。読めないわたしにはさっぱりわからないけど。
わたしが不思議そうにしていると、紺ちゃんが笑って教えてくれた。
「ここって、ちょっと他の学校と違って、九月はじまりなのよ」
九月に入学式があり、ぐるりと一年を巡る行事がある。ただし卒業式だけは三月に存在する。
理由としては、戦争終結後に学校をたててはじめるにあたり時期がずれて九月はじまりとするしかなかったそうだ。また陰陽科と科学科は希望者を集めればよいが、神憑きはそうはいかない。神に憑かれるのに規則がないため、いつ何時、誰に憑くかも不明だ。
今のところは戦中にあらわれた神は、はじめについて人間の一族の人々に憑いているが、未だに新しい神が降臨することもある。その場合憑かれた者が若者であったり、年寄であるかは、その神の選択次第――神は若い者を好むそうだが、例外もある。
憑神は本人が望む、望まないにしても憑かれたならばその制御を学ぶよう法で定められている。
そのため突然に転入する者は珍しくないそうだ。ただし、学校に入る前にある程度の制御方法は学ぶ必要があり、学校に通う前の前段階があり、そこが九月にあわせているそうだ。
伊吹たちは、去年の九月に入学式を終えてのまだ一年だという。九月はじまりで、年末の十二月下旬に冬休みがはじまり、一月上旬に二学期のはじまり、なのだそうだ。
二学期はじまりで転入生が二人増えて、それに合わせて机を増やしたりしたそうだ。
「そのときにこの手紙が入ってた。それから夢見が悪い」
「夢見が?」
紺ちゃんが伊吹に尋ねる。
「女が、いつも泣いてる。黒髪の長い、袴姿の……女子学生ぽいのが」
「それ助平っていうんじゃないの」
「違う。いつも女が泣いてるんだ」
紺ちゃんが茶化すが、伊吹のぶっきらぼうな言葉に切実さをわたしは覚えて目を見開いたとき、はっとした。伊吹の頭上で女が――桃色の袴姿の、黒髪の長い娘さんが悲し気な顔をして透け消えた。
これは間違いなく、憑かれている。
「そう、らしいわね」
「え、なになに何か見えてるの」
「おい、やめろよ。そういうの」
紺ちゃんと千ちゃんが顔を青くさせて言うのだが、神様はよくて、幽霊はだめなのか。なんなのだ。
「この手紙を返したい。ここの名前のやつは探したけど、見つからなかった」
「誰に?」
「源一ノ介」
わたしはきょとんとすると、伊吹が手紙のある行を指さす。
「ここに、名前がある唯一のやつだ。けど、それだけだと、見つからない」
「わたしも、無理よ。そんな知らない相手を探せって言われても」
手紙を手にとるが、古すぎてそこに残る想いだけしかわたしには感じられない。その書き手のことも、誰に宛てたものなのかも、はっきりとは見てとれない。
こういうのは李介さんと、朧月様が適任だと思うのだけどお忙しいお二人の手を煩わせるのもいかがなものか。うーん。
「よーし、任せなさい!」
紺ちゃんが腰に手をあてて胸を張る。
わたしは意味がわからないが、何かを察した伊吹と千ちゃんが強張っている。
「おい、アレするのか」
「紺、お前」
「さすがにここはまずいわよね? よし、部屋に戻ろう」
十分な大声ですでに数名から睨まれているが紺ちゃんは気にしない。わたしの手を掴み、ついでに伊吹たちの首根っこを掴んで先ほどの部室に戻ると
「いくわよーー! くだちゃん」
「くだぁーん!」
紺ちゃんの声とともに机の上に二頭身の――牛?
それも二足で立って、前足にあたる、右足には振り鈴を持っている。動くたびにしゃんらん、しゃらんと音がする。
ぶさいくでかわいいような、気もする。
「占うわよー!」
「いくだぁーん」
件というのは確か、牛の姿で予言をする……え、まって。
ぐいっと片腕がとられて、机の下に引っ張られた。伊吹の胸に引き寄せられてぎゅっと抱きしめられる。
そのとたん、どーんっ! と先ほどの二頭身のぶさいくでかわいい生き物の声がして、ぐしゃあと何かの潰れる音がした。
わたしが視線をそろそろと壁に向けると、赤い、血糊がついている。
「占いおわったよー」
紺ちゃんの声にわたしは伊吹の腕からそっと顔を出すと、硬直した。
部屋いっぱいに広がった臓物。
机の上で、千切れたがぴくぴく震えている牛もどき。
紺ちゃんは真っ赤に血塗られて、ひどい有様だが、にやりと笑っている。
「占いの結果! 探し物は、南南東! 伊吹は女難の相! 以上」
「い、いじょうって、紺ちゃん、これ」
悲惨なことになっているのにわたしは言葉もない。しかし、伊吹と千ちゃんは慣れた顔である。
「今日はいつもより血が散ってねぇか」
「うーん。なんか災い率が高いのかも。気を付けてね? 伊吹」
「……わかった」
などと千ちゃん、紺ちゃん、伊吹がやりとりをしている。
飛び散っち血や内臓の破片が、ぴく、ぴくと這い動く内臓はずるずると音をたててちぎれた二頭身の牛もどきに集まっていく。あまりにもグロテスクで見れたものではない絵面である。
「小日向ちゃんははじめてだよねー。アタシね、占いが得意なのは。相棒の憑神が件っていう予言の神様でね! 探索とかそういうのがうまいってことなの。どうどうすごいっしょ?」
「うん、すごい」
言葉もなくなるくらいに。
「くだーぁん!」
肉と血が戻って、二頭身の牛もどきこと件が叫ぶ。一部目をそむけたくなる絵面だったけども、戻っている。完璧に。
「件ってね、予言のたびに内臓飛び出しちゃうんだぁ。あ、予言が悪いやつだと、そのぶん悲惨に飛び散るんだ」
「……うん」
「いやぁ、今日はめっちゃくちゃ飛び散ったからすごい災いがあるかも、あるかも!」
紺ちゃん、目を輝かせて言うことじゃないと思う。それ。
「よろしくだん!」
出会いがしらに内臓飛び散らかして死ぬという恐ろしいことをした件はにこりと笑って前足を差し出してきたのにわたしは迷った末に、片手を出して握手をかわした。
あんまり、仲良くしたくないと思うのはわたしの心が狭すぎるせいだ。決して内臓、はみ出してるせいじゃない。はず。
件と挨拶を交わしたすぐに紺ちゃんは「やばい、やばい。家のことあるんだったー」と叫び、千ちゃんが「俺、教官から出された補習のプリントがある」と、すぐに部室を出ることになった。
門まで四人で向かうのは決していやではなかった。
建物のなかはだいぶ人が減って静寂と硝子から差し込む明りの優しさに心が和んだ。
「ねぇねぇ、小日向ちゃん、部活が難しいのってさ、もしかして、いろいろとお家の人が厳しいとか? ほら、そこそこ身分のあるお嬢様とかだと、未だにお家がだめっていうことあるじゃない?」
「う、うん?」
「やっぱりー? だったらね、いい方法があるの。アタシ、これでいつもパパにおねだりしてるんだ」
背中越しに紺ちゃんが我儘を成功させる必勝方法をこっそりと耳打ちしてくれたのにわたしは予想外の方法に真っ赤になってどきまぎしてしまった。そんな方法があるのか!
「うちのパパはこれでイチコロだからやってみるといいよ!」
片目を閉じてにやりと笑う紺ちゃんの逞しさにわたしはこくんこくんと頷いた。
このままどさくさにまぎれて帰宅しようと思ったのだが
「じゃあね! せっかくだし、占いの場所いってみたら? 伊吹と小日向ちゃんで」
紺ちゃんがそう申す。
ちらりと伊吹と視線が合った。
なにを考えているのか、本当にわからない。しかし、伊吹の手にはわたしの借りた本があるのだ。ぐ、ぐぬぬ。
わたしと伊吹が二人で残された。
「行くの、伊吹」
「行く」
きっぱりと伊吹が断言する。
「伊吹」
わたしがたまらず声をかける。
「その、手紙を届けたら伊吹は満足するの? 相手のため? 自分のため?」
「……考えたことない」
ぽつりと吐き捨てるように伊吹が言う。
「ただそこにある、だから、どうにかしたい、それに誰かのためとか理由がいるのか?」
「いるわ。人が動くのには理由がいる」
「じゃあ、俺は、ただ、静かに眠りたいんだ」
なんの感情も感じさせない言葉にわたしは呆れを通り越して彼はこういう人なのだとなんだか不思議な納得感に襲われた。
「わかったけど、わたし、遅くになると困るわよ」
「わかった。切り上げる時間は、四時ならどうだ」
四時か……掃除と洗濯は明日にまわそう。
「いいわ。前にここに案内してもらったお礼もあるから付き合う……あれ?」
真っ白い服を身に着けた、短く切り込んだ白い髪の女性が近づいてきた。一目でそれが人でないことがわかるのは、足がカモシカだ。それに手が鉄で覆われている。
「お捜しました。小日向様」
わたしの前で止まって、声をかけてきた。
「わたし、ですか」
そろそろ、一日に会ってお話する人間の限界値を越えそうなわたしは疲れ果てて顔が強張る。
「はい。わたくしは、道満様の式神、零式壱番です。道満様が、教科書を忘れておるぞ、と」
差し出された教科書はわたしのものだ。道満様のみっちり、ねっちょりの三時間勉強コースに疲れ果ててしまったわたしはついうっかり教科書を忘れていたらしい。いや、たぶん、本能が見ることを拒絶したのかもしれない。
「これから家へは帰宅せず、お出かけですか」
無機質ななかに咎めの意志をかぎ取ったわたしは教科書を手にしたまま、伺い見る。
「えーと、えーと、寄り道はだめなんですか」
「原則として校則違反です。それに、そちらは神生の者ですか」
伊吹が頭だけさげる。
式神零式は虚ろな瞳をわたしに向けている。これは真っすぐに家に帰れと語っているようだ。
わたしは頭を必死に動かして、ここでの最善の策を検討する。
このまま帰宅するのはいいのだが、伊吹は一人でも行ってしまいそうだし。そうすると図書館の本が手に入らない。けれど、この式神の目をかいくぐり逃げるのは難題だ。つまりは無駄な体力の浪費をおさえて、なおかつ平和的に解決したい。ようはもういい加減にものすごくめんどくさいことから逃げたいのである。
「式神零式様」
「式神は通称ですので、壱番、または近江と」
「では、近江様」
「はい。小日向様、帰宅するのでしたら寄り道などなく」
「いえ。これは、わたしの式神作りのために必要なことなんです。どうぞ、お力をお貸しください」
「式神作りに必要」近江様がわたしの言葉を繰り返す。
「そうです。道満様から出された宿題、式神作りにおいてわたしは知恵がないので模索している最中なのです。近江様、道満様の宿題と校則はどちらが大事なのですか」
「それは」
言い淀んだらしめたものだ。
「陰陽というものはただ知恵を頭に詰め込むことにあらず、模索し、自ら行動し、勝ち取るものとわたしは思います。そのためにもこの寄り道は必要なことなのです。道満様の教えを守るためなんです。ですのでお見逃しくださいっ」
「……教えを守るため、必要……校則と主の命は」
大変真面目な方らしく、わたしの言葉をぶつぶつと口のなかでなんべんも繰り返している。
「おい」
「嘘はついてませんもん。何事も経験することが血肉としてついていくんですから」
伊吹の言葉にわたしはもっともな言葉で返す。
まぁ、この場合は後付け、ともいえるが、ただこの真面目な式神が納得して、寄り道を許してくれればいいのだ。
「……承認しました」
よし。これで大手をふって
「ただ確認のため、私も同行を要求します」
わたしは目をぱちくりさせた。
「校則違反を許可するだけの行動があるのか、この目でみて道満様に報告する義務が存在します」
そうきたか。とわたしはがくりと肩を落とした。




