学園ハプニング 3
カレーを食べ終えて、おススメされた杏仁豆腐を食べてみた。白くて、ぷるぷるのそれは口に含むと甘い。とろりと溶けて舌のうえ、頬が緩んだ。
「けど、陰陽科なんだねー」
「あの、その、陰陽科とか、どういう風に区別してるんですか?」
どうして、みんな、ぱっと見ただけでわかるのだ?
「リボンの色よ。ほら、アタシ、紫色でしょ? これが憑神科の色なの。そっちは赤色じゃん。それが陰陽科。科学科は白なんだー」
言われて視線を向けると、私の胸のリボンと、紺様のは違う。確かにこれを見れば一発だ。
「男子は、ほら、胸の名札。あれが同じく色違いでしょ? それで分けてるの。まぁ学科によって制服のデザインもそれぞれ違うから? わかりやすいんだよね。えへへ。そういえばオタク、名前は? 苗字は、うげ、あの鬼教官と同じなのぉ」
「あ、はい。たぶん、その鬼教官と一緒です」
いやそうにのけぞる紺ちゃんの目が見ているのは、私のリボンの横についている左胸の名札である。これも赤色なのだ。
「下は?」
と伊吹がぶっきらぼうに問いかける。
わたしが口を開けて躊躇っていると
「あれ、小日向さん」
などと軽い声が聞こえてきたのに振り返ると、あの鼠事件のときの……我が家にきた反町様が立っていた。
「おにぃ」
「あれ、紺、お前なにしてるの」
反町様がにこにこと笑ってわたしの横に腰かける。誰も、座ってくださいとも何も言ってないのに。図々しいことこの上ないが本人は全く気にする様子はない。
「ここではおにぃは禁止。反町教官だろう? 藤嶺教官に見つかると怖いぞー。かくいうおにぃもな、見つかっためっちゃ怒られた。あははは」
軽い。
第一印象からして軽いと思ったが、風で軽く、ひらひらと飛ぶ蒲公英の綿毛のような軽さである。
「あの、紺様と反町様はご兄弟なんですか」
「そうですよ。自分と紺は母親違い。ちなみに自分が愛人の子なんですよー。っても、みんな仲良く暮らしてるんですけどね。小日向さんは、ああ、そっか。道満様の勉強ですね、それは大変だ。進みました? あ、ここのカレーおいしいですよね」
息する暇もない勢いで質問責めにされてわたしは驚いてしまう。
「ちょっと、知り合いなの? 知り合いなのなのおにぃ?」
紺様と伊吹の視線を受け、説明するにもどうしたらいいのかと困っているそっと耳元で
「藤嶺教官と夫婦っていうのはちゃんと秘密にしますよ。自分、口はかたいから安心してください」
なにをどう安心したらいいのだ。この場合は? しかし、こういうときのはぐらかし方を知らないわたしがおろおろしているのにたいして、反町様は詐欺師よろしくどんっと構えている。なんだ、こいつと呆れるほどの剛に入った態度で、さらさらと語り始める。
「うん。そう。昨日、憑神の騒動あってさ、それを収めたのがこの人なの。で、そのとき、一目惚れしたの。応援してなって、なんだよ、その目は、紺」
「いや、だめでしょ。こんな若い子に手ぇだしたら犯罪だよ、おにぃ」
「だからおにぃは禁止って。だって小さく可愛いの好きだし、まだ二十代だよ? 犯罪じゃないよ」
聞き捨てならないことを言われた気がする。わたしはちびでない。決してちびではない。ただ小柄なだけである。しかし、ここで下手に口を開いたら危険なので黙っていると、伊吹の黒い瞳と視線があった。なにかを探るとは違う、なにも考えていないような眼だ。
「なぁ、神様騒動収めたってことは、不思議なことが起こったとき、神がしたか人がしたか見抜けたりするのか」
伊吹の突然の問いにわたしは唖然とする。藪から棒になんなのだ。
わたしが困っていると反町様が昨日のことをかいつまんで――やや誇張しているところはあるが――主にわたしが大変ちびというところやら可憐というところやら出会ったとき花が咲いたとかいうが、わたしはただ小柄なだけだし、反町様と出会ったとき運命なんぞ感じていないし、花も咲いていない。
この人は、そろそろお医者さまにかかったほうがいいと思っているとがしっと両手を握られた。
「いつでも、この反町、あなたが言うのでしたら全力で好意にお答えしますから、あ、もちろん、俺になびいたというのもぜんぜんオッケイです」
だったら今すぐにその手を離していただきたい。
わたしには李介さんがいる! 李介さんみたいにがっしりとした男らしい頼りになる優しい男性でなくてはなびくこともない。いや、たとえいたとしても李介さん以外の異性になびいたりしないもん!
「そんな子猫みたいに怯えた態度もまた初々しくて可愛らしくて、ああ、もう、本当に可愛い、小さくて可愛い」
「おにぃ、本気で怯えられてるよ。やめてよ、身内の恥だし、ってか、今日、昼の見回りあるんじゃなかったの?」
「あ、やばい。今日、藤嶺上官とだった。あー」
ぴんぽーんと軽快なチャイム音が流れてきたと思うと
『反町教官、反町教官、至急、門へとおこしください』
ものすごく低くて、とっても怒っているような声は、くぐもっているが李介さんの声にとてもよく似ている。
『昼からの巡回のお時間です。大至急、正門におこしください』
ぴんぽんとまたチャイムの音がして、静かになった。
「わーわー、校内放送とかあの人、怖い。怖いよ。あれ、怒ってるよ。行ったら絶対に殴られるよー。紺、どうしよう」
「潔く殴られてこい、おにぃ」
「早くいかないともっと怒られますよ」
紺様と伊吹の言葉に、反町様ははぁと深くため息をついてすでに空の食器しかのらない盆を持って立ち上がった。この人、いつの間に食べたのだ? ずっとしゃべっていたのに。
「うう。潔く怒られてくるよ! あ、じゃあ、小日向さん、今度はもっとお話しましょうね! では」
嵐のような男だった。勝手に訪れ、勝手に去っていく。もうわたし自身は怒ったり焦ったりとなぎ倒された木々を見る農家の気分である。疲れた。どっと疲れた。
「ごめんね、うちのおにぃ、こう、小さくて、かわいいものが」
「わたしはちびではありません。小柄なのです」
ここだけは訂正しておきたい。
わたしが睨むと紺様が、あはははと笑って
「うんうん。そうね。小柄ね。小柄。いい、わかった。小柄ね。まぁ、小日向ちゃんみたいな人が好みなのよ。ごめんね」
「いいですけど」
なぁと伊吹の声が耳に顔をあげると、先ほどの、やはり感情の読めない瞳でわたしのことを睨んでいる。いや、やや釣り目なせいで睨まれていると思うだけで彼としてはなんら思うことはないのだろう。
「先の質問。アンタは神様とかのことわかるのか。なにか変なことがあるとかあれば原因とか探ったりして、それが神なのか、人なのかって」
「……ものによると思う。そういうの直接、見ないと、判断とか出来ない。ほとんど感覚とかカンみたいなものだから、絶対じゃないし」
伊吹に見つけられてわたしは落ち着かなくて、視線を俯けて、空っぽのお皿を見つめてぽつぽつと言葉を漏らした。
「そっか。なら信用できる。こいつは嘘は言わない、紺」
「え、なに、なに。急に」
「こいつ、混ぜてみたらどうだ」
「え? えー……あー……確かに」
紺様と伊吹が見つめあって何か事か語り合う。
紺様は驚いた顔をしているが、どこか納得したという表情でわたしのことを見つめてくる。な、なに?
「あのさ、このあと時間とかある?」
「じ、じかんですか?」
正直に言えば、わたしとしては急いで帰ってお家のことをしたい。
「実は相談したいことがあるの。アタシたち、このあと授業ないんだけどさ」
「は、はぁ。まぁ、なんとか、けど、その、いいんですか? わたし、ほとんど初対面ですし」
「大丈夫。それは俺が保証する」
きっぱりと伊吹が断言するのにわたしは目をぱちくりさせた。ふっと唇が緩む。はじめて見る、伊吹の笑みだ。大口を開けて笑うでも控えめでもなく、ただ少しだけ力を緩めただけで歳相応の幼さと男らしい精悍さがある。
つい、目が彼を見てしまう、秘めた魅力がある男だ。
「俺は、嘘つきとか見抜くのは得意なんだ。アンタは嘘はつかない、出来ないことは出来ないっていう」
わたしはぽかんと口を開けた。
「伊吹ってそういうの、獣並みにカンがいいもんねぇ。アタシも、朝の助けてくれたのもあるし、信用できるかなって思ってる。だから、これも何かの縁ってことで、どうかな?」
伺うよな視線を向けられて、わたしは舌で下唇を嘗めた。
家に帰って洗濯と、お掃除をしたいと思うのに、つい頷いていた。ごめんなさい、李介さん。
二人に連れてこられたのは一番上の階の、奥だった。
この学校、共有スペースに食堂、図書館、共有学科があるのだが、その共有学科教室が二階に存在し、一番上にあたる三階に図書館スペースが存在する。そこはみんな共有で使えるのだが、その図書館の前にも通路がある。あるのは物置のような部屋と階段。もうこの上は屋上しかないと思われそうだが、なんと部屋があるのだ。
まさかここまで階段を延々と登ると思わなかったわたしは息も絶え絶えである。鍛え方が足りない。
「ここ、どうしてあるのか不明なんだけど、たぶん、予備部屋ってところね。まぁ、手前に屋上にいく扉があるけど、そこ、鍵がかかってるから」
「はぁ。それで、ここは」
「ずばり、新聞部よ!」
紺様が扉を指さして口にする。
一つしかない扉にちゃんと手書き新聞部と書かれた張り紙がある。
紺様が扉を開けると、机が二つ、そして椅子が六つにあとは四方を壁――いや、唯一南向きに小さな窓がある。そこから差し込む明りといくつもの本。さらに一人、学生服の男の子がいる。
「あっれー、千ちゃん? いたの」
「いたのじゃねーよー。お前が放課後集まれって。うう……くそ、説教されちまった。お前らなんだよ、そのちんちくりん」
かちーんとわたしの頭上にハンマーが落ちる音がする。だれがちんちくりでんですか! わたしにとってちびは禁句である。
わかっている紺様がしまったという顔をしているがわたしはイノシシのごとくたてついた。
ずんずんと無言で迫ってきたわたしに鬼瓦が、あ、という声をあげる。
「お前様こそ、鬼瓦みたいな面をしてなんですか! 誰がちんちくりですか? わたしは小柄なだけですっ! 初対面の娘様にちんちくりんとは! 軟弱貧弱、礼儀知らずめ! 貴様はそれでも誇り高い日本男児ですか!」
「ひゃ、あ、はい。すいませんでした!」
わたしの腹からの怒声がびりびりと狭い部屋いっぱいに響く。鬼瓦が慌てて立ち上がってびくびくしているが、わたしは睨み上げる。
「ひぇ、こわ、こわすぎ。藤嶺教官と同じ位こわい」
「あれは、千が悪い」
背中から紺様と伊吹の声が聞こえてくるがわたしは未だにぷりぷりと怒ったままである。
「うんうん、今のは千ちゃんが悪い。女の子相手に」
「ほらぁ、千ちゃん、口と顔は悪いけど、いい子なんだよぉ」
紺様とも伊吹とも違う若い娘と男のからからと笑う声。
空気が揺れて、声が落ちてきたそれにわたしは視線を彷徨わせた。わたしのまえでは鬼瓦がやや俯きがちに震えているが、とくにその右肩から匂いがした。それに鬼瓦の頭のうえからも。
「……獣臭い。お前様たち、狐ですか。姿を出してほしいのです。見えないまま語られるのはこう、座りが悪いのです。頭と右肩にいるなら姿を出してほしいのです」
「あらぁ、ばれちゃった」
「見つかったぁ」
瞬いた刹那、鬼瓦の頭のうえに薄っすらと青い毛並みの狐と、右肩には赤い毛の狐がのしかかっている。あれはさぞ重かろう。
「アタイ、千ちゃんの憑神。名前は雨恵だよ」
「ボクは、吉照。弟だよぉ」
宵闇色の狐が姉で、薄っすらと白朱色の狐が弟らしい。鬼瓦の上にのったまま挨拶してくるのでわたしも頭をさげた。
「千ちゃん、口と顔は悪いけど、いい子なんだ、許してあげてよ」
「姉ちゃん、それ、庇えてないよ! 千ちゃんは顔も口も頭も悪いけど、遊んでくれるいいやつなんだ」
「お前らぁ……」
けらけらとやりとりする姉弟狐に、鬼瓦がぷるぷると震えて嘆いている。
わたしははぁとため息をついた。すぐに床に降りて、主の足元にすりよっている狐たちの様子を見れば言葉に悪意はなく。大変好かれているようだ。
「ちんちくりんと言ったら許さないですよ。えっと」
「大門千里よ。みんな、千ちゃんって呼んでるの。あ、千ちゃん、こっちはね、藤嶺小日向さん」
「ふじ、みね……」
紺様がわたしと鬼瓦こと、千里様の間にはいって交互の紹介してくれる。わたしの苗字に千里様が顔を険しくさせる。怖い顔がなおのこと、怖くなっている。どうもわたしの苗字に恐怖があるらしい。先ほど食堂で話していた怖い教官のせいらしい。
「ちなみに、うちの新しい部員だから喧嘩しないでよ、千ちゃん」
「おうって。は? 部員ってなんだよ。新しいって、それに、こいつ、陰陽科じゃねーかよっ」
指刺されたのにわたしがむすっとしていると、紺様がすかさず
「またぁ。うちの新聞部、いろいろとやばいじゃない? やばすぎ。だからこそ、ここは他の科にも応援を呼び、一発逆転するのよ」
「あのなぁ、紺、一発逆転って、お前……そもそも、俺らだってお前が無理やり集めたメンツだしよ」
呆れてため息をつく千里様が椅子に腰かける。その横に紺様が、そして伊吹。わたしが困っていると、伊吹が椅子を示してくれた。
「ここ、座って」
おずおずと腰かける。机の上には食べかけのみたらし団子がある。うまそうである。
「アンタ、また買ってきたの。みたらし団子、好きよね。いただきまーす。うまい。ほら、小日向ちゃんも食べて」
すすめられたので、わたしもちゃっかりいただく。ああ、弾力がある餅に甘辛いたれがおいしい。
「俺のみたらし団子を勝手に」
「いいじゃないか。千ちゃん、先まで泣きべそだったんだよねぇ。怖い先生に絞られて」
「そうそう。怒られたのを、これ、食べて癒してんだよなぁ。泣きべそかきながら」
二匹に暴露されて、うるせーと千里様が怒っている。なんだろう。この制御しきれていないかんじは。
「あははは。まぁわかるわ。藤嶺教官怖いからさ。ええっとね、まず、うちの部はのっけからやばいのよ。ものすごくやばいの。小日向ちゃん」
「は、はあ」
やばいといわれてもイメージがわかないが、ずいぶんと掃除もされててなくて、埃ぽい部屋でなんとも片隅に追いやられているのはわかる。
「実は、部として成立もしてないの」
「はい?」
「うちの学校、部として成立するには最低六人いるのよ! 部じゃないと予算とかもらえないし、部室とかももらえないの。で、いまのところ、わたし、千ちゃん、伊吹、あとここにはいないけど、二人いるの。で、五人で、あと一人なのよ」
うむうむ? 話の流れがなんとなく危険な方向に向いてないか。これは。
「小日向ちゃんがはいってくれたら最低人数になるのよ」
がしっと手を握られた。あ、これ逃げられないやつだ。
「アタシたちの仲じゃない? 今朝、友達になった仲、よしみとしてお願い、部員になって! このとーり!」
だんっと勢いよく頭をさげる紺様にわたしはあわわっと声にならない声を漏らした。
そんな頭をさげられても困る。
部活……というものがいかなるものかわからないが、時間を束縛されるというのはわたしには出来ないことだ。
「あの、わたし」
「入ってくれる? ありがとうー、ありがとー。さすが親友! よっ、命の恩人。さ、ここに名前をね、ちょいちょいと書くだけよ」
まったくわたしの話を聞いてない!
「あの、あのですね、紺様」
「だめ! 友達なら、ちゃんづけ、ちゃんづけ。ほら」
真顔で言い負かされてしまう。この勢いと力は見習いたいものだ。わたしはゆっくりと口を開いた。
「……紺、ちゃん?」
「なぁに、小日向ちゃん」
にこりと可愛く、上機嫌に笑って返事されてしまった。




