上
短編にしようか悩みましたが、書き始めたら長くなったので、分割して投稿します。
一万字~一万五千字の番外編になります。
一日~二日で完結です。
「ハイネ様! 見てください。ポルチーニ茸ですわ!」
「お~。食った事はあるけど、生えてるのは初めて見るな」
十月下旬、ハイネはジルと共に帝都近くの森までキノコ狩りに来ている。
紅葉した森の中を、恋人と二人で一つの籠を持ち、のんびり歩くのはとても穏やかな気持ちになり、別に収穫物が無くてもいいかな、と適当な気持ちだった。
だけど、彼女は目敏くも、キノコを発見した。
ジルが指さす方を向くと、赤や黄色の枯葉の隙間からニョキっと存在を主張する丸っこいキノコが生えていた。
それをチラっと眺め、すぐに彼女に視線を戻す――――正直キノコは大して興味を持っておらず、出来る限りジルを見ていたいのだ。
ベージュのデイドレスに、緑と黒が組み合わされたチェックのショールを羽織り、プラチナブロンドの髪を三つ編みにした姿は、素朴で可愛い。
それでいて、顔は人目を惹くくらい丹精なので、全く貧乏くさい感じではない。
森での作業の為に汚れてもいい服装にしているのだろう。彼女のこういう所が、その辺の令嬢と一線を画す。
「ポルチーニ茸のリゾットなんてどうでしょう? 辛くないから、ハイネ様も美味しく召し上がれると思いますわ!」
「今日アンタが作ってくれるって事?」
「はい!」
「へぇ、楽しみだな」
ピョンと、弾みを付けて腰を下ろした彼女の手元を見ようと、木の根元を覗き込む。
手に持っていた籠は、作業しやすいようにキノコのすぐそばに置いてやる。
ジルは慎重な手つきで、キノコの根元をグラグラと揺らし、一つ一つ丁寧に採取する。
作業を見るつもりか、やっぱりジル自身の姿に興味が移り、彼女の豊かな胸に視線が吸い寄せられた。
そこには、先日渡した婚約指輪がプラチナのチェーンに吊るされ、揺れている。
キノコを摘む際に汚れてしまわないように、指ではなく、首に下げる事にしたらしい。
(汚れなんか、拭いたら綺麗になるのに……)
できれば左手の薬指に着けてほしいのだが、それを口にし、余裕の無い男だと思われたくもない。
でもまぁ、彼女なりに大事にしていると考えれば悪い気はしない。
「このくらいあれば充分ですわ!」
ジルは木の根元をアチコチ回り、ポルチーニ茸を採取し、籠の中は既にそれなりの量になっていた。
無駄に多く採っていって、廃棄するよりは、少しでも多くの人間の腹に入る方がいいだろう。
ハイネは、彼女に頷いてみせ、立ち上がる。
「じゃあ、そろそろ戻るか。アンタの家に行く?」
「はい! ハイネ様をお招きしようと、昨日の夜、栗のタルトを作ってみたのですわ!」
「へぇ、それは楽しみだな」
「とは言っても、タルト生地に使ったクッキーと、上に乗っけた栗のグラッセは、街で売られていた物を使っちゃったのですけどね。その分味は確かだと思うんです」
「良く分かんないけど、タルトの組み立てをアンタがやったんなら、何でもいいよ」
クッキーやグラッセを作ったのが、汚いオッサンだとしても、完成品を作ったのが彼女なら、きっと美味しく感じられるだろう。
ハイネの返事を彼女は気に入った様で、嬉しそうに笑う。
籠を二人で持ち、馬を停めている場所に歩みを進める。
――ゴロゴロゴロ……
遠くの方で、雷が鳴るのが聞こえてきた。上空を見上げると黒い雲に覆われていた。先程まで晴れていたのだが、キノコを収穫している間に雷雲が流れて来たのだろう。
「雨が降るかもしれませんわね」
「ああ。ちょっと急ごう」
「はい!」
二人で馬に乗りクライネルト家に着いた時には、既に雹や大粒の雨に打たれ、髪や衣服が濡れてしまった。
「ちょっとだけ、待ってて下さい! 使用人にタオルを持って来させますから!」
ジルはハイネをエントランスに残し、屋敷の奥へと走って行った。その背に、「急がなくていいから 走るな! 転ぶぞ!」と声をかけると、少し遠くの方から「は~い」と呑気な声色の返事が返ってくる。
さほど、待たずにこの家の使用人が現れ、ハイネは彼女からリネンのタオルを手渡され、サロンへと案内してもらった。室内は悪天候という事もあり、薄暗い。
離宮でも見かけた事のある使用人の女性は、少しだけ考えるそぶりを見せる。
「暖炉に火を入れておきますね。それとラグを持ってまいります。ジル様と暖まっていただければと」
「ああ、助かる」
幸薄そうに見える中年の彼女は、「火種を用意します」と言い、一度サロンから出て行った。
(気が利く使用人を採用出来て良かったな)
常々この家のドタバタ加減を心配している身としては、地に足の着いた様なしっかりとした者がジルの傍に居る事を知れて、ホッとする。
(そういえば、今日は侍女や執事の姿が見えないな。もっと人を増やせばいいのに)
それとなく彼女に言ってみた事はあるが、やんわりと拒否されてしまい、それ以降は口を挟まない様にしている。雇い入れる金は充分あるだろうにそれをしないのは、この空気感を壊したくないからなのかもしれない。他所から人を雇い入れると、どこか異質な空気が漂うものなのだ。
(居心地がいいからこのままがいいけど、人手が足りない分、ジルが働くのは微妙だな……)
ほんの少しモヤモヤしながらも、自分も何か手伝おうと考える。
暖炉の傍には、良く乾いた薪が積まれている。そこから、二本手に取り、暖炉に慎重に並べる。
この上に、使用人が厨房から持ってくるであろう火種を置けば、機能するだろう。
しかし、火の付いていない暖炉をジッと見ているうちに、何だか不安な気持ちになってきた。
(そういえばこの家、長い間誰も住んでいなかったと思うけど、煙突とか大丈夫なのか??)
ハイネは一度も経験した事がないが、暖炉の煙が逆流する等のハプニングを耳にした事があり、心配になってくる。
だから念のため、窓を薄っすらと開け、万が一何かが起こっても煙が室内に籠らない様にしておく。
(これで良し!)
もう一度使用人が来たら濡れた上着を預け、乾かしてもらおうと、脱いでいると、遠くの方で稲妻が走るのが目に入る。
(スコールかと思ったけど、長引きそうなのか、これ?)
帰るのを遅らせる理由に出来そうだなと、ニマニマしながら、タオルで濡れた髪を拭く。
何度目かの稲妻の後、ドアの向こうから楽し気な声が聞こえて来た。
サロンに入って来たのは、ジルと使用人だ。
「ハイネ様、お待たせしてすいません」
ジルは柔らかそうな素材のワンピースドレスに着替えていて、両手に何か布の様な物を抱えていた。
濡れた状態になっていた彼女の身体をコッソリ心配していたハイネは、その姿に安心する。
「着替えてきたんだな。良かった」
「寒さに耐えられなかったのですわ。あの、イグナーツの服でも良ければ、ハイネ様も着替えませんか?」
彼女はここに来るまでの間、この家の執事イグナーツの部屋に入り、服を調達して来たらしい。
しかし残念ながら、ハイネはイグナーツを苦手としているため、その衣服を着用するなんて事はしないのだ。
「やめとく。暖炉に火を入れてくれるみたいだからすぐ乾くだろ」
ジルと共にこの部屋に入って来た使用人の方を向くと、ちょうど暖炉に火種を入れたところだった。
その前には、白い毛皮のラグが敷かれている。
彼女の作業の早さにコッソリ感心した。
「じゃあ上着を貸してください。お帰りになるまでの間、吊るしておきますから」
「ん、有難う」
上着はジルの手から、使用人の手に渡る。そして、部屋の外へと運ばれて行った。
「暖炉の前に行きましょう」
温かい手がハイネの手をやんわりと握り、引っ張られる。
暖炉の中では、使用人が持って来た火種により、薪が勢いよく燃えていて、その前は暑すぎるくらいだ。
敷かれたラグを後方に動かす。
「とても暖かいですわ! 実はこの家の暖炉に火が入るのを始めて見たんですのよ。何だか嬉しくなっちゃいます」
「煙突の煤払い、ちゃんとやってたんだな。問題無く暖房の役割を果たしてるみたいだ」
煙が逆流してないのを確認し、ホッとする。
窓は開けっぱなしだが、少しの隙間だから、換気の為にもそのままでいいだろう。
「引っ越し前に業者に掃除してもらいましたの。抜かりはありませんわ!」
「へー、偉い偉い」
ドヤ顔が可愛くて、その形のいい頭部を撫でてやる。
彼女は猫か何かの様に俊敏に飛びのき、ハイネを睨む。真っ赤に染まったそんな顔じゃ全く怖くない……。
「うぅ……。私、お昼の準備をして来ますわ! ハイネ様はそこでヌクヌクしててくださいませ!」
早口で言葉を紡ぎ、逃げて行く後ろ姿。ハイネはコミカルな彼女の動きに吹き出してしまった。