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そらのそこのくに せかいのおわり vol,10 < Chapter 07 >

 何もない純白の世界の中に、ポツンと置かれた医療用ベッド。そこに寝かされているのはザラキエルと同じ顔をした十代の少女で、長い睫毛に縁取られた眼は固く閉ざされている。

 傍らにはふたつの人影がある。一人は鬼怒川バネという名の少年で、時空神クロノスの憑代として使われている。もう一人は阿久津始鶴という名の少女で、今は不動明王・アチャラナータに守護されている。

 二人はこの世界に現れた者たちに、氷の視線を投げかける。

「はじめまして……でもないわよね? エリック・メリルラント、アスター・メリルラント。あなたたちとは、何度か顔を合わせていたはずだけれど」

「ああ。旧本部で、だよな? 阿久津始鶴、もう一人のお嬢ちゃんはどうした?」

「愛花のこと? 愛花の運命は、まだこの場所とは接続されていないわ」

「接続?」

「ええ。ここは運命の分岐点なの。瀬田川美麻っていう女の子が生きる世界と、死んでしまう世界との」

「へえ? で? そんな分岐点に、どうして俺とアスターが呼ばれちまったのかな?」

「あなたの医療用ゴーレムが美麻の正確なスキャンデータを持っているからよ」

「スキャン……ああ、そういや、治療のために……それがどうした?」

「あのゴーレムは、今どこ?」

「ねえよ。っていうか、あの時間軸とこの時間軸は繋がってねえだろ? 今ここにいるこの俺は、いつの間にかゴーレムをなくしてそのままになってるエリック・メリルラントだ。別の並行世界での俺はどうだか知らねえけどな」

「そう? それなら、この『エリック・メリルラント』に用はないかしら?」

「っ!?」

 ノーモーションで浴びせられた火炎放射に、さすがのエリックも反応しきれなかった。シールドは間に合わず、全身にやけどを負って倒れ込む。

「お兄チャン!?」

 咄嗟に攻撃態勢に入るアスターに、始鶴は淡々と告げる。

「いいの? 私に攻撃している間に、その人死ぬわよ? 医療用ゴーレムで治してあげたほうがいいんじゃないかしら」

「……っ!」

 アスターはわずかに逡巡し、医療用ゴーレムではなく治癒魔法を使った。仲間から『無欠の天才』と称されるだけあり、攻撃魔法以外も一通り使用可能である。

「へえ? あなた、そういう魔法も使えたの?」

 そう言う始鶴の指先はエリックに向けられている。これは『意に添わぬ行動があれば攻撃する』という明確な意思表示である。

「……何を企んでる? 俺にゴーレムを出させて、何がしたい?」

「さっきも言ったでしょ? 私たちは美麻が生き残る世界の可能性を探しているだけ。そのために、あなたのゴーレムが必要かもしれないの」

「俺の? その子のスキャンデータを持ってるのは兄貴のゴーレムだぞ?」

「本当にそうかしら。あなたたち兄弟は必ず一緒に出動する。だから並行世界のほうでは、医療用ゴーレムを使ったのがあなたということもあるのよ。あなたにゴーレムを使った自覚がなくても、それは世界の整合性を保つために操作された記憶かもしれない」

「……俺の記憶が?」

「兄弟がもう一人いることも忘れてたんでしょ? ゴーレムの一体や二体、忘れていてもおかしくないんじゃない?」

「……それは……」

「美麻を治療したゴーレムは、本当にエリック・メリルラントのゴーレムだったの? 現場で発動させたのがお兄さんのほうでも、所有者は別の人間だったんじゃないかしら? 兄弟間で呪符の貸し借りとか、日常的にやってるんでしょ?」

「アークから、色々聞いているみたいだな?」

「そういうものでしょ、兄妹って」

「ああ……そういうものかもな……」

 アスターはポケットをまさぐる。

 そこにあるのは三枚の呪符だった。

「……え? なんで……?」

 三枚とも、医療用ゴーレムの呪符である。そのうち一枚はナイルに頼んでカスタマイズしてもらった特注品だが、あとの二枚は――。

「……どうして、兄貴の呪符を俺が……あっ!?」

 アスターはとても大切なことを思い出した。

 というより、たった今、この場で『並行世界との接続』が確立したというべきか。

 十七年前の世界で堕天使化したサハリエルを完全に浄化したことと、ヘファイストスに監禁されていた神々が解放されたこと。それによってあの時点から先の歴史が大きく塗り替えられた。騎士団に入るまで出会うはずのなかった面々が十七年前の時点で『仲間』となったことも非常に大きな変化である。なにより、あの時点でマルコやホーネットが完全同調状態になっていたということは――。

「……なんだ、これ。同じ時間の記憶が何パターンもある……」

 本来の歴史の記憶はそのままに。それに加えて並行世界での自分の記憶も『別のバージョン』として参照可能な状態になっている。それはまるで、データベースから特定キーワードに関連する情報を探し出すような感覚であった。項目によっては別バージョンがないものも、十以上もあるものも、『本来の歴史』が設定されていない状態のものもある。

 アスターはそれらの『並行世界の記憶』から、始鶴の要求するものに最も近い記憶を探り当てる。

「……俺たちは十七年前の時点で『闇堕ち』という存在を知っていた。だからあの日、属性チェンジできるレクターだけが単独行動で……そうだ。この世界の記憶なら、俺たち兄弟は誰も死んでいない。レクターがその子を治療した後、全員合流して、ゴーレムは回収されて……」

 アスターは顔を上げて三枚の呪符のうち、一枚を起動させる。

「……すぐに無茶するレクターと考え無しに突っ込んでいく兄貴にこんなの持たせても絶対に使わないから、俺が預かることになったんだ……」

 カチンと、何かが噛み合う音がした。

 続けて鳴り響く何かの駆動音。巨大な歯車が鎖を巻き上げていくようなガラゴロという音は、これまでにも幾度か耳にしている。

 アスターがその記憶を『本来の歴史』として選択したことで美麻の運命が確定し、分岐点を超えたのだ。

「……世界ってヤツは、こうやってつながってやがったのか……?」

「お兄チャン! まだ寝ててよ! 無理しちゃ駄目ジャン!」

「馬鹿野郎、こんな状況で寝てられるかよ……くっ……」

 これまでじっと話を聞いていたエリックも、体を起こして辺りを見回す。マルコの治癒魔法と違い、アスターの魔法で完治はできない。現場で最低限必要な処置を施したに過ぎず、無理をすれば命を落とす危険もある。

 始鶴は呆れたように一つ息を吐くと、エリックに向けていた指を引っ込める。

「ミッションクリア。いきなり攻撃してごめんなさいね。あなたが元気な状態だと、こっちの身の安全が保障されないと思ったのよ。ほら、私、か弱い乙女だから」

「クソアマが。本当に弱い女が自分でそんなセリフ吐くと思ってんのか?」

「弱いのは事実よ。私はただの人間だもの。あなたたちと違って自分では剣も魔法も使えない。正直、そっちの世界の人間とは関わりたくないの。ただの人間として、ごく普通に暮らしていきたいだけなのよ」

「人に火炎放射食らわせておいて、よくもぬけぬけと……」

「あら、私が使ったように見えた?」

「なに? ……まさか、そっちの坊やか?」

 始鶴の後ろに、影のようにひっそりと控える少年。エリックは少年に探るような目を向けるが、どうにも分からない。


 彼には気配がない。


 同じ空間にいるはずなのに、何も感じ取れないのである。

「……お前は何だ?」

 少年、鬼怒川バネはわずかに首をかしげる。

「鬼怒川バネ、高校三年生。美術系専門学校に進学希望のごく普通のインドア派。クロノスの憑代ではあるけれど、特に何かができるわけでもない」

「……どうして気配がない?」

「俺がこの分岐点に存在しないからだよ。俺は美麻の運命を決める分岐には関わることができない。でも、自分のカノジョのことだから。クロノスに無理言って、強引に見届けさせてもらってる」

「はあ?」

「あなたが見ているのはクロノスが投影した幻に過ぎない。本物の俺は近所のコンビニ前にいて、スマホで通話するふりして一人でしゃべってる」

「……あ? じゃあ何か? お前は無関係なのに、この場にいるってことなんだな?」

「そうだよ」

「じゃあ、さっきの火炎放射はお前じゃないんだな?」

「違うね。僕とクロノスにできるのは時空間ジャンプだけ。ジャンプした先で戦うことも、運命操作することもできない。全部ほかのカミサマ頼みになる」

「ってことは……おいコラクソアマ。やっぱてめえじゃねえか……」

「私じゃないわよ。ニケがやったの」

「あぁ?」

「十七年前の世界で何があったか思い出しなさいよ。ヘファイストスに捕らえられていた神々は解放された。でも、ニケとカリストは初めから捕まってなんかいない。二人は監禁場所として亜空間上のアルテミス神殿を提供していただけ。さあ、思い出せるかしら? 女神たちの解放後、向こうの世界で何があったか……」

「……マジかよ、おい……」

 アスターと同じく、エリックの中にも『並行世界の記憶』が無数に存在していた。その中でもニケとカリストに関することは『本来の歴史』と差し替えられる形で別のバージョンが『本来の歴史』に設定されていた。

 その歴史では、ピジョンズキャニオンでの白虎戦は存在しない。しかし雨季の長雨によって川が増水し、堤防が決壊、町が洪水に見舞われる出来事は発生している。

 貴族の令嬢がイメクラで働かされているという情報をもとに調査に訪れていたロドニー、マルコ、デニス。彼らがその場に居合わせ、あとから駆け付けた仲間とともに人命救助に当たるのだが――。

「……そうか。十七年前の時点で、ヘファイストスは罪を認めて神々に許されていたから……」

「現場には阿久津未鶴……じゃなくて、そっちでの名前はアル=マハよね? 彼とヘファイストス、エチオピアの神々も駆け付けて、みんなで町の人を救助してハッピーエンド。そういうことになってるでしょ?」

「この歴史では、俺たちは、これまで一度も出会っていないんだな?」

「そうよ。ニケとカリストは一度も地球を離れていない。でも、こうして互いを認識できている。これってすごい矛盾よね」

「つまり、この矛盾を矛盾でなくすために、並行世界の記憶がそっくり全部並列保存されたってことだな?」

「そうなるわね。普通の人間は世界が何回もやり直されていることには気づけない。だから神的存在と接触した人間の『記憶の保存方法』を切り替えるだけで、何もかもが『それもアリ』みたいな状態にできるのよ」

「ほー、そういうことかよ。人間の小娘が妙にペラペラ喋りやがると思ったら、道理で」

「気付くのが遅いわよ、エリック・メリルラント」

 ヒョイと肩をすくめる始鶴。その姿は変わっていない。制服を身につけた長身の少女のままだ。だが、気配が変わった。

「……ニケ、お前、ベイカーと出会っていないってことは、魔剣で斬られることも、生まれ変わることもなかったんだな……?」

「ええ。私は始鶴で、始鶴は私。完全同調状態の神と器のままよ。でも、平井駅でアチャラナータとコニラヤ、天使サマエルと共闘し、始鶴がアチャラナータの加護を得る出来事に変化はない。コニラヤたちが地球に来た理由は、多少変わっているけどね」

「ああ……クソが。いくら何でもクソ過ぎるだろ。なんで『そんな理由』に代わってんだよ……」

「私に聞かれても分からないわ。ともかく、現時点ではこれが『本来の歴史』に設定されているの。ここから先の未来はまだ確定していない。エリック・メリルラント、アスター・メリルラント。わかるでしょう? あなたたちの仲間を救うためにも、さっさと美麻を治してあげてちょうだい。美麻がどれだけ重要な『戦力』になるか、あなたたちに分からないはずがないでしょう?」

「……本当にクソだぜ、この性格ブス……」

「ゲイに何言われても女神の美貌に傷はつかないわ! 私のニケは宇宙一の美人なんだから!」

「どっちが喋ってんだよ! ややこしいな!」

 完全同調状態のグレナシンも近い状態にはなるのだが、瞳の色に変化があるため区別は容易である。が、ニケと始鶴の場合、外見的な変化が全くない。神と人間、どちらの発言か判断するのはなかなか骨が折れそうだった。

「あー、クソ。調子狂うぜ……おい、弟」

 エリックは手の動きで指示を出す。アスターは頷くと、ゴーレムに瀬田川美麻の治療を開始させた。

「……なあ、この子が世界に『復帰』したら、俺たちは一緒に『あれ』と戦うことになるんだよな?」

「そうね。きっとそうなるわ」

「約束してくれ。何があっても、奴に止めは刺さねえって」

「あら、どうして? 彼は自ら望んで、全員分のバッドエンドを引き受けてくれたのよ? 並行世界の記憶が統合された今なら、あなたにも分るでしょう? 彼が引き受けてくれなければ、別の誰かがそうなるだけよ」

「ああ、そうだろうな。それは分かってる。分かってんだけど……だからこそ、最後の止めは俺にやらせろ。これは俺の仕事だ」

「私怨でもあるのかしら?」

「ああ、あるぜ。そりゃあもうとんでもない数の恨みつらみが超絶特盛で。でもな、それ以上に恩のほうが多いんだよ。あのクソ野郎の情報と裏工作のおかげで、何度命を救われたことか分かったもんじゃねえ。あの野郎は、そういうことはいちいち教えちゃくれねえからな……」

「なによ。仲良しなんじゃない」

「そうでもねえ。つーか、仲良くはしたくねえんだよ。認めちゃいるけども」

「ふぅん? 面倒くさいのね、男って」

「おう、面倒くせえんだ。だから止めはこっちに譲れ。いいな」

「わかったわ。絶対とは約束できないけど、可能な限りはそっちに譲る」

「サンキューな。ニケ」

「今は始鶴よ?」

「いや、わかんねーって!」

「冗談に決まってるじゃない。ニケよ」

「おいコラこのドブス! ぶん殴るぞ!」

 女神にからかわれる兄を横目に、アスターは考えていた。

 世界の歴史が大幅に書き換えられた今、彼が『そちら側』に回ることはどうあっても回避できそうにない。なにしろ騎士団本部には光の天使となったデカラビアと悔い改めたヘファイストス、エチオピアの神々、ローマや大和の神々、四神やマヤ、インカの神が大集結しているのだ。彼らの前で、闇に呑まれて無残に死んでいく命が見過ごされるはずもなかった。

 そう、『本来の歴史』では死ぬはずの人物が、この世界では死んでいないのだ。


 今、この世界にピーコックというコードネームの情報部員は存在しない。


 バンデットヴァイパーの前所有者は死亡していない。天使サマエルのバディとして地球に赴いたのは、ピーコックではなく、そちらの人物となっている。

 ケイン・バアルはバンデットヴァイパーを移植されていないどころか、前任者の健康状態に問題が発生しなかったことから、予備人員として特務部隊に昇進するチャンスすらも失った。

 それではこの世界での彼は何をしているかというと――。

「おい、弟。大丈夫か?」

「……ダメ。全っ……然、ダメ。なんかもう、頭ン中ぐっちゃぐちゃジャン……」

「俺も。あいつのこういうところ、本当にムカつくんだよな」

「ムカつくとかムカつかないとか、もう全然そういうレベルじゃないジャン?」

「ああ……笑えねえよな……」

 エリックは空を見た。

 何もない空間の、何もない空だ。それが天井なのか、別の何かなのか、それすら分からない白い空。いくら見つめても答えなど降ってくるはずもない空に、エリックは問いかける。

「……なあ、なんでだよ……」

 コードネーム、ピーコック。本名ケイン・バアル。情報部エースとしてあれだけ太々しく振舞っていた男は、この世界では不慮の事故により死亡し、中央市内の公営墓地に埋葬されている。

 どの並行世界の記憶を読み込んでも、彼は必ず死んでいる。天使のバディでも何でもなくなった彼は、もう世界という名の『輪』から完全に除外されているのである。

 十七年前の世界で彼が寄越した《雲雀》の意味が、いまさら胸に圧し掛かる。

 あの時間軸へのジャンプと歴史改変を計画したのはクロノスなのか、フォルトゥーナなのか、それとも別の神なのか。エリックにそれを知る術はない。けれどもピーコックは、間違いなくその計画を知っていた。そしてあれが最期の別れになると分かった上で、メリルラント兄弟に『無言の挨拶』を残していったのだ。

 道化の笑みで、彼の残像が語る。


 うっわ~、この程度の嘘に騙されちゃってんのぉ~? 俺が死ぬはずないでしょ~?


 幻覚魔法を解除して、ヒョイと姿を現して――いつも通りの軽い足取りで、自分の後ろに灰色の猫がいる。反射的に繰り出す拳は彼には絶対に当たらない。出現した次の瞬間には姿を消して、別の場所に移動しているからだ。

 そう、あれは絶対に捕まえられない猫なのだ。こんなあっけなく死ぬはずがない。今もどこかで、自分たちの反応を見て笑いをこらえているに違いない。

 そんなことを一瞬でも期待してしまった。

 しかし、ピーコックはどこにもいない。


 あきらめるしかないのだろうか。


 エリックは眉間に深いしわを寄せ、考える。

 あの猫が簡単に命を投げ出すとは思えない。それに、何をどう好意的に解釈したとしても、最後の別れを言う相手に自分たちを選択するとは思えない。

 まさか瀬田川美麻のように、『生き残る可能性』をどこかの並行世界に残してきているのだろうか。もしも自分たちに、その可能性を拾って来いと言っているのだとしたら――。

「チッ……やってやろうじゃねえか、クソが……」

 口の中だけで小さくつぶやき、決意を固める。

 そんなエリックの前で、美麻の睫毛が微かに震えた。

 蝋のように白かった顔に少しずつ赤みが差し、桜色の唇が小さく開かれる。

「……ん……」

 身を乗り出して美麻の顔を覗き込む始鶴と鬼怒川。

 数秒後、美麻の瞼はゆっくりと開かれていった。

「……えーと……ここ……は?」

「美麻!」

 ベッドの上で身じろぎする少女に視線が集まる。

 電車に飛び込んでズタズタになっていた皮膚も、欠損していた指も、つぶれていた眼球も、一度ちぎれて縫い合わされた手足も、医療用ゴーレムに保存された全身のスキャンデータをもとに綺麗に復元されている。

 元通り、五体満足な瀬田川美麻の出来上がりである。

「美麻! よかった! 私と鬼怒川君のこと、ちゃんと分かる? 記憶ある?」

「始鶴……私……ああ、そっか。そうだよ……私、電車に飛び込んで……うん! 思い出した!」

 美麻は勢い良く上体を起こすと、飛びつくように始鶴を抱き締めた。

「会いたかったよ、始鶴! 思い出してくれたんだね!」

「ごめんね! 美麻のこと、ずっと忘れてて、ごめん……!」

「ううん。いいんだ。そうなるかもって、ザラキエルにも言われてたし……でも、結果オーライだろう? 私もギリギリ死なずに済んだみたいだし、始鶴もちゃんと思い出してくれたし……あれ? ザラキエルは?」

「彼の運命は、まだここと繋がっていないの。もう少ししたら彼も来ると思うわ」

「そうなのか? ザラキエル、私がついてないとかなり天然なのに。大丈夫かな……」

 と、女子二人が会話している間、鬼怒川少年は謎の踊りを踊っていた。正確には喜びのあまり言葉が出て来ず、「あー」とか「うー」とか言いながら訳の分からない動作を見せていただけなのだが、メリルラント兄弟を笑わせるには十分だった。

 二人は鬼怒川を指差して馬鹿笑いしたのち、始鶴に向かって言った。

「そんじゃ、俺たちはもう帰っていいんだよな?」

「ええ、そうね。お帰りはあちらからどうぞ」

「礼の一つも言えねえのかよ、この性格ブスは」

「最後の止めを譲ってあげるって言ってんのよ? 貸し借り無しでしょ?」

「馬鹿か。その程度で火炎放射ぶっ放した分がチャラになるはずねえだろ」

「ま、それもそうね。それなら、これあげるわ」

「これ?」

 始鶴はベッドの下に置いた学校指定カバンから手帳のようなものを取り出し、エリックに投げつけた。

「……何だこの手帳? 変なサインとスタンプが……?」

「御朱印帳よ。アチャラナータが仏神たちの同意を取り付けてくれたの。必要なページを開いて名前を呼べば、召喚呪陣として使えるわ」

「え? マジかよ。いいのか?」

「ええ、最初からそっちの世界の人にあげるつもりだったし。ま、せいぜい頑張りなさいよ。それ全部使っても、あなたが生き残れる可能性は五分以下なんだから」

「はっ! 馬鹿か! 俺は死なねえ! あいつがエースなら、こっちはキングだぜ!」

「ふぅん? ま、いいけど」

 さっさと行きなさいよ、とでも言いたげに手を振る始鶴。その隣でザラキエルと同じ顔の少女は慌ててベッドから立ち上がり、頭を下げる。

「あの、ありがとうございました! 今度、きちんとお礼をさせてください!」

「あ? 気にすんなって。じゃあな」

 そしてメリルラント兄弟は、空間の裂け目に溶けるように吸い込まれていった。

 残された始鶴と美麻は、改めて、きつく抱きしめ合った。

「あー、あの、えっと、俺も……美麻?」

「だって鬼怒川君、実体ないし」

「あ……」

 しょぼんと項垂れる鬼怒川に、呆れた声で始鶴が言う。

「本体はコンビニの前なんでしょ? そろそろ愛花の運命も接続される頃だと思うから、なんかお菓子とジュース買っといてよ。私のうちで美麻のおかえりパーティーしましょ」

「あ、うん! そうだね! じゃあ、美麻、あとで!」

「うん、あとで」

 鬼怒川の幻影は年齢よりもずっと幼いしぐさでブンブンと手を振り、そのままフッと掻き消えた。

 真っ白な世界の中、二人きりになった少女たちは、なんとも言えない顔で見つめ合う。

「……なんだか、大変なことになったな……」

「ええ。大誤算だわ。私、こういう魔法少女モドキな活動は十代限定だと思ってたのよ。だって、漫画とかでもだいたいそういう設定になってるじゃない?」

「私も。ザラキエルに聞いても『先のことは分からない』としか言わないから、大人になったら普通に天使が見えなくなると思ってたのに……」

「あの人たち、四十代なのよね。それでもまだ兄弟そろってスーパーヒーローじみたことを続けているってことは……」

「私たち、魔法少女から魔法熟女になって、最終的に魔女のおばあちゃんになるのかな?」

「なんていうか、その……ニケと一緒に闇堕ち狩りをするのはいいんだけど……」

「ザラキエルと一緒に『ラジエルの書』を回収するのは楽しいけど……」

 美麻と始鶴は言葉を切って、泣きそうな顔で言った。

「おばあちゃんになってまで続けたくないわよ!」

「ホントそれ!」

 二人の溜息は、世界に響く歯車の駆動音にかき消された。

 瀬田川美麻の復帰により、地球の歴史も大幅に書き換えられている。二人の脳内に次々と追加されていく並行世界の記憶と、それに伴う能力値の変動。心と体が同時に作り変えられていく負荷に、二人はベッドに倒れ込む。

「始鶴ぅ……体痛いよぉ……」

「私も頭痛いよ、美麻ぁ……」

 つないだ手から伝わる体温に、互いの命を確認し合う。

 歴史は変わった。彼女らはもう『無力な女子高生』ではいられなくなったのだ。


 真っ白な世界に、これまで以上の音量で響き渡る駆動音。


 何もなかった世界に次々と現れ、開かれていく扉。

 扉をくぐって出てくるのは、それぞれ別の並行世界からやってきた神々である。これはあらゆる時間、あらゆる現場において最も『良かった結果』だけをつなぎ合わせ、『限りなく理想に近い世界』を作ろうという計画なのだが――。

「ミカハヤヒはどうした?」

「ヒハヤヒもいないわね?」

 ハロエリスとルキナに問われ、ツクヨミは首を横に振る。

「ここに至るまでの経緯が『確定』できないようです。彼らはポール・イースターの誕生前に監禁を解かれましたが、あの少年とは仕方なく手を組んだにすぎません。彼を『器』とするつもりはなかったのですが、未来のほうが先に『確定』しているようでして。何をどうしても、最終的には彼を憑代にするしかない状況に追い込まれるそうで……」

「あら、それは困ったわね。憑代がひとつで神様が二人だなんて、動きづらいでしょうに……」

「しかし、変更が効かないのであればやむをえまい。はじめから『神の器』にしておいたほうが能力値も高い。ほかの器を探すことはあきらめて、あの少年で妥協したらどうだ?」

「ええ、私としてもその方向でアドバイスしているのですが……」

 ツクヨミはパンとひとつ柏手を打つ。と、空中にいくつものホログラムが浮かび上がった。それは並行世界のポールの記憶を可視化したものである。五十以上もあるそれらの中から、最も理想的な並行世界を選ばねばならないのだが――。

「どうです? ひどいものでしょう?」

「こ、これは……?」

「……何がどうしてそうなるのよ……」

 ハロエリスとルキナ以外の神々も一斉に天を仰ぎ、世界は溜息の大合唱となった。

 ポール・イースターは自他ともに認める同性愛者である。それも本気でベイカーの尻を狙っている真正の『タチ』だ。可愛い子供の外見で誤魔化されがちだが、エルフ族の性的成熟は早く、十歳前後で生殖行為が可能となる。映し出された並行世界のベイカーは、ほぼ確実にポールのオモチャになっていた。

「な……なるほど……。軍神二柱分の力を持つ『神の器』であれば、確かにタケミカヅチの器を力でねじ伏せることも可能であろうな……」

「えーと……ああ、違うパターンもあるのね……って、何よこの世界! もっと凶悪なことになってるじゃない!?」

「ええ、そちらの世界では王子とロドニー君も掘られていて……というか、騎士団本部が丸ごとオモチャにされている感じでして。オジサンたちが喜んで掘られた上にお小遣いまで渡している最も残念な世界です……」

「あの子、どんだけ性欲持て余してんの!?」

「まあ、サイト君とポール君は赤の他人ですから、当人同士がそれでいいというのなら別に構わないのですが。二人に憑いているうちの子たちは血の繋がった兄弟ですので、その……ねえ?」

「はー……パパも大変ねー……」

「どれがいいと思われます?」

「どれ……が、いいのかしら?」

「どれ……も、何ひとつ救いがない気がするが……」

「あ、これは? ポール君を胎児のうちに性転換させてるのよね!? ポール君が女の子として生まれていれば、少なくともサイトがオカマ掘られる可能性は排除できるわよ!?」

「駄目だルキナ! それが一番危険な可能性だ!」

「え?」

「ええ、ハロエリス殿の言う通り、それはサイト君が未成年者に対する性的暴行で社会的に死亡するパターンで……十歳やそこらの女の子が妊娠したら、さすがに隠しきれないでしょう?」

「あぁ……そうね、法律の問題を忘れていたわ。となると、性欲が大暴走しているクソガキ様を鎮める方法を探すしかないのかしら……」

「難しいだろうな。軍神二柱分のパワーを人の体に収めるとなると、どれだけ修業を積んだ人格者でも性欲を持て余すことになる」

「ん~……それを第二次性徴真っ盛りの思春期少年一人で受け止めろっていうのが、そもそも無理な話よね? ミカもヒハヤも、ポール君を双子にすることは試さなかったの? 体が一つしかなくて困るなら、最初の細胞分裂の時に二人に分ければいいんじゃないかしら? もしくは、受精卵をもう一個増やしちゃうとか……」

「双子? たしかに、それを試した並行世界はなさそうな……?」

 神々はそれぞれ手近なホログラムを覗き込み、それらしい世界を探す。するとやはり、『ポール・イースターを双子にした世界』はどこを探しても存在しなかった。

 神々は無言で頷き合う。


 解決策は見つかった。


 一斉に行動を開始する神々。生命の祝福を与えるルキナは無論のこと、母胎環境を整えるため青龍と癒しの女神ボナ・デアが。分裂した細胞がそれぞれ独立した人間として育つために進化や成長の力を持つ白虎とコニラヤが過去へとジャンプした。少しでも理知的な性格になるように法と秩序の女神パークス、自由の女神リベルタス、天空神ハロエリスも同行する気合の入れようである。

 神々のやり取りを間近で眺めていた美麻と始鶴は、小声でささやき合う。

「何アレすごい。無修正3D-AV……」

「あんたが好きそうな絵面だったわね」

「もしかしてあっちの世界の人って、平均サイズ大きいのかな?」

「え? それ、比較対象は鬼怒川君だったりする?」

「うん」

「外人さんと比べるのはかわいそうなんじゃない?」

「でもあの子、どう見ても小学生くらいだったよ?」

「そう……よね? まだ成長中で、あのサイズ……?」

「待って。ヤバい。魔法の国のポテンシャルがヤバすぎて死ぬ」

「てゆーかあんた知らないと思うけど、さっきのオジサンたちゲイよ。兄弟そろってゲイ」

「ハア!? ちょっとちょっと! 始鶴! なんでもっと早く言ってくれなかったんだ!? 四十代完熟BLなんて最高すぎだろう!? どっちがタチでどっちがネコだ!? つーかイケオジ兄弟カプ実写版とか、単語レベルで死ねるんだが!?」

「ウッソ、マジで? 生身のオッサン同士の絡みの何が面白いのよ。ギリ許容範囲は二次元の女装子でしょ?」

「それは始鶴が百合だからだ! 極めた腐女子はどんどん濃ゆい方向に向かっていくんだぞ! 毛とか筋肉とか中高年カプとか!」

「ヤッダキモイィ~。私絶対無理ぃ~」

「むしろエロなしほのぼの百合カプ本で満足できる始鶴が分からない!」

「え、なんで!? 女の子同士のキャッキャウフフな空気を察しただけでティータイムがロイヤルな感じになるでしょ!?」

「ロイヤルな感じとは!?」

 いくら小声で話していても、神の耳にはすべて丸聞こえである。

 この場に残っていた月神ツクヨミとトウモロコシの神ヤム・カァシュは、心の声を交わし合う。

(これが彼氏持ち腐女子とガチレズ女子高生の会話か……。君が鬼怒川君を守護していた時も、こんな感じだったのかい?)

(あんときは、も一人愛花ちゃんさ居たかんナァ? 愛花ちゃんはどっちの趣味もなかったから……)

(ああ、それなら、愛花ちゃんが入ればもう少しまともな会話になるのだね?)

(いンやァ、そったらことねェべよォ? あの子はあの子で、ケモナーだ)

(けも……?)

(獣人キャラが異常に好きな人のことだべヨ。愛花ちゃんはコーギー犬のお尻サ見せっと、理性が吹っ飛んでたナァ? イヌ派のケモナーだべ)

(……とすると、さらにひどいことに?)

(ンだす)

(ウワァ、なんてこった……)

 両手で顔を覆うツクヨミは、心の底から嘆いていた。

 地球側の歴史も大幅に改変され、今の彼女らは『自分で魔法を使える体』に作り変えられている。ただの人間であるはずのアル=マハが魔法を使えるのも、それが必要な措置であると創造主が判断したからだ。

 今後は彼女らを『戦力』としてあてにすることも増えると思われるが――。

(せっかく魔法少女的なセーラー服の女子高生がいるのに、ガチレズと彼氏持ち腐女子と獣好きとは……アイドル要素isどこ!?)

(キッツイべなァ……)

 涙目になる二柱に、足元を歩き回る玄武とオオカミナオシが言う。

「面白い子たちだね!」

「元気な娘たちではないか。何か問題でも?」

 エチオピアの神々と鳳凰も、何が問題なのか分からない、という顔をしている。

 ホモサピエンスのオスと限りなく近い身体構造の神々は、曖昧な笑みで肩を叩き合う。


 がんばろうな。

 ンだ。がんばんべ。


 月神とトウモロコシの神の心がどのような理由で通じ合っているのか、神獣たちには分からない。しかし、それでよいのだ。女子高生に夢を見すぎるのはアホなオジサンだけでいい。ピュアなハートの動物さんたちに、この無念さを理解させる必要などないのだから。

 ほかの神々が戻ってくるまで、彼らは腐女子とレズの本気の討論、『女装子AVは脱がせた時点でただのゲイビ問題』を聞かされる破目になった。のちに語ったところによると彼女らのAV視聴経験は五十代の独身・童貞男性に匹敵し、戦闘力は53万を超えるらしい。が、戦闘力の測定方法についての詳細は不明である。


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