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そらのそこのくに せかいのおわり vol,10 < Chapter 06 >

 コニラヤがホイップクリームモンスターになって三十分以上が経過した。コニラヤは自力で何かをできる状態でないらしく、地面を溶かしながらどんどん深く潜っている。穴の深さは五十メートル以上あるだろう。

 俺は駅の外に集まった治安維持部隊の現場責任者に声をかけ、『テロリストが使用したのは不完全な錬金分解水のようだ』と伝えた。支部長には『魔法学研究所の人間が到着するまで誰も入れないように指示されている』と伝えたので、少なくとも四、五時間は稼げたことになる。

 さて、それではその稼いだ時間で何ができるかと言えば――。

「こことここ、あと、奥の柱のところ。もう少し補強しておこうか」

「ナイル、こっちにもゴーレム四体頼むわ。ここのレンガ壁、柱がねえからヤバそうだ」

「お兄チャーン、レクター。こっち側は大丈夫そうジャ~ン!」

「分かった! じゃあ、上戻ろうぜ」

「ナイル、あとはよろしく」

 肩に乗せた小型ゴーレムにそう言うと、小型ゴーレムはナイルの声で面倒くさそうに返事をする。

「てっきり戦闘になると思ってたのに、土木作業だなんてなぁ~」

「そう言うなよ。俺たちだって専門外なんだから」

「はいはい、分かってま~すよ~」

 やる気なさげに声を上げつつも、天才ゴーレムマスターは次々とステルスゴーレムを送り込んでくる。小型のスパイゴーレムが複数枚の呪符を抱えて現場入りし、現地で大型ゴーレムを出現させる手法だ。

 スパイゴーレムからばらまかれた呪符は次々と起動し、身長三メートルを超える大型作業用ゴーレムが五十体ほど現れる。

「総員、配置に着け!」

 ゴーレムたちはナイルの指示に従い、穴の周囲の柱や壁にしがみつく。建物の構造に頓着することなく地上から地下階を貫通する大穴を開けてしまったため、駅舎を支える重要な柱がいくつかなくなってしまったのだ。ゴーレムたちはその柱の代わりに、仮支柱として配置されている。

 アル=マハやグレナシンが応援に来てくれるにしても、まずは自分たちの足場を固めねば、戦うことも、その他の対処法を選択することもできない。俺たちは建物の補強という物理的な対策を終えると、駅の外に闇の影響が漏れ出さないよう、大掛かりな《遮断結界》の構築を始めた。これは床や壁に直接呪陣を書いて発動させるものなので、戦闘中に使用する《防御結界》より効果が強く、長く効き続けてくれる。

「えーと、これでOK……だよな?」

 呪陣作成用の極太マーカーで床に線を引きながら、俺はふと、どうでもいいことを考える。

 俺以外の三人は、いずれも『天才』と呼ばれる人間たちだ。専門外のことはよくわからん、などと言いながらも、最低限必要なことは確実に、ためらいなく実行していく。彼らの思考から決断、行動までの速度は、凡人にはついていくのもようやくといったレベルだ。

 格闘の天才・エリック兄さんは、良くも悪くも人や物の『弱点』を見抜く。どこがどう崩れやすいか、理屈よりも直感で気付けるらしい。

 無欠の天才・アスターは、兄さんとは方向性の違う格闘の達人だ。飛びぬけた長所を持たない代わりに、『弱点』というものがない。兄さんが『攻撃したら一発で崩れそうな場所』を探しているのに対し、『二度、三度の攻撃に耐えられるか』という受け身の考え方をしているのが分かる。

 天才ゴーレムマスター・手品師ナイルは、スパイゴーレムによる包囲網構築、トラップ設置、戦闘用ゴーレムを使った奇襲・強襲など、相手と自分が直接やり合わない戦い方を得意とする。日頃から壊しやすい場所、隠れやすい場所、カメラを設置しやすい場所を探しているせいか、やたらと目端が利く。

 それなら俺は? と考えると、いささか気落ちする結果になる。

(なあセト? 俺の長所って何かな?)

 心の声で問いかけると、レタス畑の優しい守護神は苦笑交じりにこう答える。

(大天才に囲まれていても腐らず、嫉妬せず、かといって向上心を捨てることもなく、自分のペースを保って歩みを進めていけること……だと思うがね?)

(凡人を極めし者、みたいな雰囲気だな、それ)

(みたいな、ではなく、そのものだ)

(そりゃあすごい)

 神にも認められるほどの凡人とは、逆に凄いのではなかろうか。いや、凄い。それはおそらく、ものすごく珍しいタイプの才能だ。自信を持てよ、レクター・メリルラント。それはそれで、ある意味かなりの天才だぞ。

 自分の心に妙な激励を試みて、俺は兄さんたちと合流する。

 そう、どんな天才に囲まれていても、腐る理由も嫉妬する必要もないのだ。俺自身がどれだけ凡庸だろうと、俺には生まれた時から最高のバディがついている。それだけは、胸を張って自慢できるのだから。




 コニラヤの液化から四十五分。待ちに待った援軍が到着した。

 が、しかし。想像していたより数が多い。

「……セレン、援軍連れて来すぎジャン?」

「何台来るんだよ……」

「あ、都バスだ。あれ、前に地球行ったとき乗ったよねー……」

 駅構内、吹き抜けの大ホールに次々と現れる大型バス。ぞろぞろと降りてくる着物姿の神々は一目見て大和神族であると分かる。ほぼ全員が未成年のような外見をしているが、誰もが個性的な装飾品を身に着け、頭上に光の冠を戴いている。

 神々は床に開いた大穴を覗き込み、混乱した様子であれこれと話し合う。

「八重垣で斬れるか? 液体に刃物は通用しないだろう?」

「梓弓で射貫いたほうが効きそうじゃない?」

「まずは鏑矢の一斉射撃で邪気祓いじゃないかしら?」

「てゆーか、薄暗いね? よく見えないよ」

「お~い、神宮球場の付喪神~っ! 来てるか~っ!?」

「はい! ここにおりますよ!」

「穴の底を照らしてくれ、このままじゃ見づらい」

「なら僕も!」

「私も手伝いますよ~」

 神宮球場、花園ラグビー場、国立競技場の付喪神たちがナイター照明で穴の底を照らすと、眩しい光に驚いたのか、コニラヤは大きく体を震わせた。

「おお、ただの光でもダメージがあるようだぞ?」

「東京タワー! 都庁! レインボーブリッジ! みんなで光を食らわせろ!」

「OKまかせてバッチコイなのだよ!」

「つーか国技館は命令すんなよ! ライティング暗い分際で!」

「ケンカしないで! ついてこなかった武道館君より全然ましでしょ!?」

「あーあのクソ! 思い出しただけでマジでクソ! 何が『好きなアイドルのコンサートがあるから』だ!」

「玉ねぎ野郎はチョベリバなのだよ!」

「電気配線ショートして火事になればいいのにねー」

「あのクソ野郎マジでクソ古いからワンチャンあるな」

「こらこら君たち、あまり本気で呪詛らないようにねー。言霊乗せると本当に火事になっちゃうから」

「はーい」

「分かったよパパー」

「ごめんなさーい」

 ツクヨミに諫められ、付喪神たちは言霊のこもらない謝罪の言葉を口にする。この生意気な態度はタケミカヅチと同類である。

 俺たちにはセレンから説明があった。この神々が元は道具や乗り物、建物であること。原宿で合流したザラキエルもついでに連れてきたこと。ベイカーたちは子供の体であるため、戦力として勘定に入れられないことなど。

 一通りの事情は理解したが、それでも分からないことがある。


 なぜ、アル=マハとヘファイストスは完全に分離した状態なのだろう。


 アル=マハはバスから降りてこない。両手で顔を押さえ、肩を震わせている。

 数柱の付喪神たちが彼を取り囲み、ヘファイストスが近づけないように結界を構築しているらしい。バスの屋根の上に陣取ったヘファイストスは不貞腐れた顔で腕組みしている。

 目だけで説明を求めてみるが、人間たちには事情が分からないようだ。

 セレンに代わり、ツクヨミがヒョイと肩をすくめ、こう言う。

「誘拐犯の洗脳が完全に解けてしまったんだ。立ち直るまで、少し待ってあげてくれ」

「洗脳……?」

 アル=マハも俺と同じく、生まれながらに『神の器』として生きてきた人間だ。俺がセトを『最高のバディ』と思っているように、ヘファイストスに全幅の信頼を寄せているものと考えていたのだが――。

(なあ、セト? そういえばあいつ、もともと地球人なんだよな? 自分の意志でこっちに来たわけじゃないとか言ってたけど……)

(ああ。アーク君の言い分を信じるとするならば、彼らの間にあるのは見せかけだけの薄っぺらな信頼関係だ。そこに愛はない)

(愛?)

(ヘファイストスはアーク君を連れ去り、両親も知人も誰ひとりいないこちらの世界に連れてきた。そんな環境の中でただ一人、聞けば何でも教えてくれ、助けを乞えば手を差し伸べてくれ、さみしいと言えば抱きしめてくれる神がいた。頼れる者がいない孤独な子供にとっては、それは非常に優しく、頼もしい相手に思えたことであろうな)

(……でも、そもそもヘファイストスが何もしなければ、アル=マハは何一つ失わずに済んだ……ってことだよな?)

(その通り。だからこちらの世界に連れ去られる以前の、本当に愛されていた頃を思い出してしまえば……)

(……ああなるわけか……)

 小学生くらいの付喪神たちが、何かをずっと話しかけている。アル=マハは俯いたまま、その言葉に頷き続ける。

 両手の指の間から涙が滴り落ちている。

 泣いているのは間違いないのに、彼の口元は、とても嬉しそうに笑う。

 それは今まで一度も見たことがない、心の底から湧き出たような自然な笑みで――。

(……アル=マハは、もうヘファイストスの力は使えなくなるのか? あいつの火力、無いと困るんだけど……)

(さて、どうであろうか。偽りの信頼が壊れてもなお、この関係を続けるか。それとも別の何かになるのか。それは彼自身の心の問題だ)

(……そうか……)

 同じく『神の器』であると言っても、それぞれ事情は異なるようだ。

 俺は赤ん坊のころ、ひどい事故の中、たった一人無傷で生き残った。あとになって現場の写真を見て、セトが全力で守ってくれたのだと理解した。それは作られた信頼でもなんでもなく、ごく自然な、当たり前の感謝だった。


 守ってくれてありがとう。


 二人の間にある、最も根本的な感情。その気持ちが裏切られたとしたら、俺はそこから立ち直れるだろうか。

 きっと無理だろう。

 泣きながらセトを罵って、当てつけのようにひどい死に方をしてみせるに違いない。

(……あいつ、大丈夫かな?)

 セトは答えない。

 この神は気休めを言わない。だから、おそらく立ち直ることは不可能だと思っているのだろう。

(……おい、セト。神の癖に希望を捨てるなよな、この馬鹿野郎。行くぞ)

 セトの返事を待つことなく、俺は勝手に穴へと近づく。

 付喪神たちは光でダメージを与えた気になっているが、コニラヤは眩しがっているだけだ。いいかげんこの不快な光を遮断しようと、闇を噴出させる頃合いだろう。

 なぜそんなことが分かるかと言えば、俺自身が『闇』の属性を持てるからで――。

「絶対に守れよ、セト」

「まったく……つくづく君は世話が焼ける」

 俺が何をするつもりか、セトには通じている。

 だから安心して飛び込める。


 俺が床を蹴ったのと、コニラヤが黒い霧を吐き出したのとは完全に同時だった。


 全身を闇に包まれ、ほんの一瞬意識が飛ぶ。しかし次の瞬間、自分の中でスイッチが切り替わるのが分かった。

 闇を吸い上げ、力に変える。

 コニラヤの吐き出した闇が穴の縁、大和の神々のところに到達するより早く、丸ごと全部吸い尽くし、反撃を試みる。

「はあああぁぁぁっ!」

 闇と雷とをミックスした最強攻撃、《無明雷》。本来この世界に存在しない闇色の雷撃は、錬金分解水でも溶解不能の『未知なる現象』に属するようだ。

 全弾命中。ホイップクリームモンスターと化したコニラヤに大打撃を与えることに成功する。

「兄さん! アスター! 俺と同じタイミングで! 同時攻撃なら錬金分解は作用しないはず!」

「分かってらあ!」

「やってやろうジャン!」

 あいにく俺は天才ではない。しかし俺の兄弟は俺の想像をはるかに超越した大天才たちだ。俺が針の穴程度の突破口を開けば、確実にそこを突いてくれる。

「ゥオラオラオラオラオラオラアアアァァァーッ!」

「レクターにばっかり任せておけないジャン!」

「大和の神々よ、もっと光を! 攻撃を受けた闇堕ちは、さらなる闇を吐き出して我らを退けようとするはずだ!」

 セトの言うとおり、コニラヤは攻撃を受けるたびに新たな闇を吐き出し、穴の底をどす黒く染めていった。そしてクリームのようにふわふわしていた体は、闇を吐き出すたび、徐々に収縮してゆく。

 黒い霧と雷の攻防は五分ほど続いただろうか。そのころにはコニラヤも元のお子様体型に戻り、しっかりと『固体』と呼べる形状に落ち着いていたのだが――。

「あれ、コニラヤじゃねえよな!?」

「なんか変な生き物ジャン!?」

 体の大きさは六歳児。しかしその顔立ちはコニラヤとも堕天使サハリエルとも異なる。

 太い首と大きな牙はイノシシのようで、つぶれた鼻と太い腕はゴリラに近い。背中の黒い翼は堕天使由来のようだが、下半身はタコかイカに似た触手状で――。

「セト! なんかあれ、嫌な感じにミックスされてないか!?」

「最悪だ。なんという……」

 暗黒合成獣と化したコニラヤは、ゆらりと首を動かす。


 目が合った。


 俺は本能的に退いた。

 そう、確かに後ろに下がったはずなのだ。けれども気が付いた時には、俺はコニラヤのほうに向かって突き進んでいた。

 道案内の天使サハリエル。彼女の能力で人間の方向感覚を操作できることを思い出したのは、一撃を食らった後だった。

「従弟!」

「レクター! ぁ痛っ!」

「うっわ!? なんだこりゃあ!」

 腹に強烈なパンチをねじ込まれたが、セトの防御が間に合った。それほど効いてはいない。しかし、穴の底に叩き落された体勢から起き上がれない。上下左右の感覚が全くつかめないのだ。

 兄さんとアスターも俺と同じ状態に陥ったようだ。空中で衝突し、二人で抱き合ったまま動けずにいる。床に降りようとしても、体が想定外の方向に移動してしまうのだろう。

 二人がいるのは穴の縁付近。つまり、五十メートルも上。コニラヤの触手がどれだけ自在に動くと言っても、そんなに先まで届かない。コニラヤから狙える位置にいる標的は俺一人だ。

 兄弟は安全圏にいる。それが分かった瞬間、俺の次の行動が決まった。

「セト」

「承知した」

 説明なんかいらない。天使の能力が人間の方向感覚をおかしくするなら、五感のすべてを神に委ねてしまえばいい。

 体の制御権をセトに明け渡した瞬間、胸に浮かび上がる紋章。これはずっと昔、子供のころからちょくちょく出現している。これが何を意味するかは分からない。けれど、これだけは分かる。


 この状態なら、セトと俺は百パーセント以上の力を発揮できる。


「ヴォオオオオオォォォォォーイッ!」

 地を震わす咆哮。ビリビリと振動する大気の中で、農耕神セトは軍神セトへと姿を変える。

 セトはコニラヤの触手を『氣』だけで跳ね返し、そのまま悠然と歩み寄る。

「我に小細工は通用せんぞ? さあ、来なさい。相手をしてやろう」

「……おまえ、むかつく……」

 言い終わったころには、すでに十七発の攻撃が打ち込まれている。いずれも触手による打撃技。セトはそれを難なくいなし、コニラヤとの距離をさらに詰めている。


 黒い霧は効かない。

 方向感覚の攪乱も通用しない。

 打撃技は防がれて、相手の全力は未知数。


 そのような状況で次に繰り出す攻撃は、何が通用するかを試す『探り』の一手だろう。

「……ふむ、そうきたか」

 穴の底に水が溜まっていく。

 ここは深さ五十メートルの竪穴の最深部である。地盤調整や水抜きなど行われていない。地下水脈と呼べるほどの層はぶち抜かなかったようだが、このあたりの土にはそれなりの保水量がある。これだけの水分があれば、水を操るシーデビルには何の不都合も存在しないらしい。

 たった十数秒で水位は腰の高さを超えた。水中移動に特化したシーデビル相手に、この環境では不利になる。

 セトは指先を天へと向け、こう言った。

「農耕神セトが命ずる。水よ、天へと昇りなさい。そしていつの日か雨となり、田畑を潤しなさい」

 コニラヤが水を集めるのと同じかそれ以上の速度で、農耕神が水を蒸発させていく。

 いくら水を集めても、もうこれ以上は溜まらない。コニラヤは苛立ちを隠しもせず、次の術を使う。

「これだけあれば、じゅうぶん……」

 穴の底に溜まった水が消えた。

 いや、消えたのではなく、どうやらコニラヤに吸われたらしい。コニラヤの下半身は不格好に膨れ上がり、水風船のようにブヨブヨ、タプタプと揺れている。

「しね」

 言葉が聞こえた時には、もう攻撃は始まっている。

 シーデビルは吸い込んだ水を触手の先端から発射し、武器として利用するらしい。触手を構えて下半身の筋肉に力を入れるまでの一連の動作は、軍神の眼にしっかり捉えられている。俺とセトはそれを『水鉄砲のような攻撃』と判断し、回避を選択した。水に消化液を混ぜているかもしれないと考えたからだ。

 しかし、実際にはそれ以上の攻撃だった。水鉄砲のようなものと思った攻撃は、『飛び道具』の範疇には収まらない代物だったのだ。

(セト! これ……っ!)

(ああ、想定外だな!)

 二十四本の触手から絶え間なく放たれる攻撃。それはさながら工業用ウォーターカッターのようだった。さすがは神というべきか、その切れ味は工作機械の比ではない。地面も壁も関係なく、触れる物すべてをズバズバと切り刻んでいく。万が一にも『受け止める』などという選択肢を選んでいたら、俺の体は真っ二つにされていたことだろう。

「水圧の剣とは面白い。だが、しかし!」

 ここは地の底。基本が農耕神のセトは、軍神と化しても地属性であることは変わらない。コニラヤのウォーターカッターで切り崩された土や岩をうまく使い、身を隠しながらスイスイと攻撃を避ける。

 水属性、土属性、どちらにも同程度の優位性が存在する戦場で、闇を纏う二柱の神は闘牛士と雄牛のごとく立ち回る。穴の直径はどれだけ大きく見積もっても三十メートルもない。神と神とが力のすべてをぶつけ合うにはあまりに狭い戦場だ。

 次第に水と土とが混ざり合い、穴の底は泥で満たされてくる。こうなると水と土両方の性質を持った物質となるため、より多くの力を注ぎこんだ神が制御権を取れるようになる。実に分かりやすいパワーバトルである。

「はあああぁぁぁーっ!」

「このおおおぉぉぉーっ!」

 泥にまみれた穴の底には大和の神々の光も届かない。闇堕ちとなったコニラヤ、闇属性と化した俺。双方の闇の力が干渉・増幅し、穴の中は非常に危険な濃度となっていた。

(まずいぞセト! これ、そろそろ闇モンスターとかマガツヒとか自然発生するレベルじゃないか!?)

(分かっている。しかし、コニラヤは思った以上に手ごわいな……!)

(でも、早く何とかしないと……)

 俺たちがそんな会話をしている時だった。

 ドチャッと湿った音を立て、俺の真後ろに何かが落ちてきた。振り向く余裕はない。気配だけでそれが何かを探った俺たちは、予想外の人物の登場に青ざめた。

「ヘファイストス!?」

「まだるっこしい! 俺にやらせろ」

「え、ちょ、まって! なんで!?」

「うるさい!」

 ヘファイストスは炎の『氣』を放ち、穴の中の水分を一瞬にして乾燥させてしまう。セトが防御してくれなかったら俺まで焼け死んでいたところだ。この神は相も変わらず『チームワーク』というコマンドを持たない。

「俺が! 俺こそが! 最強の神だあああぁぁぁ!」

 ヘファイストスの最強魔法、《可鍛の豪焔》。

 この魔法を食らって生きていられる自分がいかに異常な存在か再認識しつつ、俺とセトは防御に専念する。闇のエネルギーと土の壁なら、ちょっとした耐火シェルターくらい簡単に構築できる。俺たちは体を縮こまらせ、極小サイズのピラミッドの中に納まった。

「あいつ、ちょっとムキになりすぎてないか? イイトコ見せたいのは分かるけど……」

「アーク君との今後がかかっているからな。致し方あるまい」

「炎だけでコニラヤに勝てると思うか?」

「不可能だ」

「だよな」

 そう、どう考えても不可能なのだ。土と闇のエネルギーで耐火防壁を作れるということは、水と闇でも同じことができる。俺たちの予想通り、コニラヤも水の壁を作ってヘファイストスの隙を窺っているようだった。

 爆発的火力はそう長くは続かない。火炎系魔法は火力に斑がある。これが一週間以上燃え続ける炎だとしても、着火時に上がる炎と数時間後の炎とでは大きさがまるで違ってくる。

「……三分経過。そろそろ火力が落ち着くな」

「衝撃に備えなさい。コニラヤが到着後最初の攻撃にガソリンによる爆発を選択したことを考えると、あの神は魔法攻撃より物理技を好むはずだ」

「え? いや、いくら何でもここで」

 それはないだろう、という言葉は口の外には出ていかなかった。

 コニラヤは体内に残った水分を触手の先から噴射させ、ペットボトルロケットのような挙動で自分の体を『発射』した。

 音速を超える高速移動で体当たりを食らわす。

 今のコニラヤの上半身はモリイノシシとゴリラの要素が強い。はじめから『突進』に最適化した形状である。衝突で大ダメージを受けるのはヘファイストスのほうだと思うのだが――。

「フン、少しは役に立つようだな」

 衝撃で巻き上がった土埃の中、ヘファイストスは平然と立っていた。

 それがなぜかは、考える必要もなかった。

「あの盾は……」

 ヘファイストスの左手には黄金の盾。そこから感じる魔力は女神ユヴェントゥスのものである。

「あっ! そうか! ここは十七年前の世界だから……!」

「なるほど。ヘファイストスは捕えた女神の力を自在に引き出せる状態か。……いや、待て。それにしては力が強すぎる……?」

「それにこの魔力、ユヴェントゥスだけじゃなくて……?」

「これは……タケミカヅチの! そうか! 彼は今『アルテミス神殿』の中から……!」

 俺たちは気付いた。


 ベイカーにタケミカヅチが憑いていなかったのは、女神たちの監禁部屋として使用されている『アルテミス神殿』に向かっていたからだ。


 ゴリラの腕で高速連打されるパンチを難なくいなしていくヘファイストス。その動作は暗器の扱いを得意とする軍神・ミカハヤヒそのものである。

「その程度か? そんな攻撃が俺に当たるとでも!?」

 突き出された手のひらから迸る黄金の光。それは女神ルキナの祝福の光だ。

「ぐっ!?」

 ほんの一瞬弱まった闇の力。そこにねじ込むように射られた光の矢は、飛び道具を得意とする軍神・ヒハヤヒの攻撃である。

「あああぁぁぁーっ!」

 コニラヤから闇の塊が剥がれ落ち、ぱぁんと弾けて光の粒になった。それは粉雪のようにさらさらと降り積むと、人の手の形に変わっていく。

「あの緑のネイルアート……サハリエルか?」

「いかん! せっかく浄化されたのに!」

 地面に転がる天使の腕に、周囲の闇が一斉に群がる。このまま放っておいたら、またあの不気味なモンスターになってしまう。

「レクター!」

「ああ!」

 俺たちはミニピラミッドから飛び出し、闇のエネルギーを吸収することにした。

「ヘファイストス! 周囲の闇は我らに任せよ!」

「心置きなく戦ってくれ!」

「うるさい! 俺に指図するな!」

 やれやれ、本当にチームワークというコマンドが存在しないようだ。

 しかし、あちらも戦うだけで精一杯なのだろう。狙いを定めない大技は使用せず、ミカ、ヒハヤ、ユヴェントゥス、ルキナの能力で確実に打撃を入れている。

 ぼとり、ぼとりと闇の塊が剥がれ落ちるたび、コニラヤは少しずつ原型を取り戻していく。

 そしてサハリエルの腕も、降り積む光が増えるほどに大きくなっていった。肘から上、肩、胸、腹、首と、徐々に天使の姿ができあがっていく。

 だが、穴の底に充満する闇が多すぎる。

「レクター、大丈夫か?」

「正直に言っていいか? 言うぞ? ダメ! 無理! もう勘弁して!」

「だろうな。さて、どうするか……」

 闇の吸いすぎで正気が保てそうにない。コニラヤとサハリエルが元に戻っても、これでは俺とセトが闇堕ちになってしまう。

 大和の神々も、穴の上からありったけの光を注ぎ込んでくれている。けれども、それでも浄化も吸収もしきれない。それだけサハリエルの抱えていた闇が深く、大きかったということだろう。

「あー……クソ……意識が……」

 視界がぶれ始めた。

 頭の中がざわざわする。

 意味もなくイラついて、世の中の誰もかれもが俺を馬鹿にしている気がする。

 体はすごく熱いのに、心はどんどん冷えていって――。


 なにもかも、ぶち壊してしまいたい。


 ふっと、心の底に翳が差す。

 その時だった。

「あとは任せろ」

 誰の声だろうか。

 いや、声は分かる。

 この甲高い子供の声は、子供時代のマルコ王子のものだ。

 しかし、王子はこんな話し方をしただろうか――?

「遅れてすまない。よく頑張ったな」

 ふらついた俺の体を、誰かが後ろから抱き止めた。

 ホーネット隊長だ。

 それは分かったのだが、なぜここに彼がいるのか、理由が分からない。

 考えることがひどく難しい。

「隊長……なんで……」

「話すと長いのだが、俺は天使のバディとして認められたらしい。あとは俺と王子に任せて、お前は上で休んでいろ」

「え、あの、王子って、中身は……?」

「ちょっと! 動くんじゃないわよ!」

「セレン!?」

「今は八割くらいツクヨミのほうよ!」

「どっちでもいいけどこれ何!?」

 いつの間にかそばにいたセレンに、何やら固定具のようなものを装着されていく。互いの胴を安全帯で結んで固定し、そこにロープの端の金具を取り付けるのだが――。

「うっわあああぁぁぁーっ!?」

 いきなり真上に引き上げられた。

 上を見れば、真っ赤なヘリコプターがいる。明らかに地球から持ち込まれたものである。

「かわいいでしょ? さっき生まれたばっかりの消防ヘリの付喪神ちゃん。闇属性化したアンタに直接触れるのって、同じ闇属性か真逆の光属性だけなのよね。こうでもしないと引き上げられなくって」

「って、その、あの……うわ~……ヘリでピックアップされるの、はじめてなんだけど……」

「けど、何よ?」

「駅舎の中とか飛べるんだ?」

「まあ、付喪神だからね。物理的にギリギリ収まるサイズなら、なんとか飛べちゃうのよ」

「はあ……そういうものなんだ……?」

 この瞬間、ゴーレムで駅舎を補強しておいてよかったと心の底から思った。

 俺が引き上げられていく最中にも、ヘファイストスとコニラヤの攻防は続いている。

 腕力でゴリ押ししているように見せながらも、コニラヤは時折、意表を突くような魔法を織り交ぜてくる。今は防壁を張るように見せかけて、実は頭上に『足場』を作っていた。

 コニラヤの下半身はタコかイカのような触手。吸盤もしっかりついている。頭上に出現させた魔法の壁をさかさまに歩くことも可能なのだ。

 対するヘファイストスは足に障害を抱えている。立つことも歩くことも可能だが、それは非常にゆっくりとした速度でのこと。天地の区別なく自在に跳ね回る暗黒合成獣とは機動力が違いすぎる。

 一度は押していたヘファイストスが、今は一方的に攻め込まれる状況になっている。

「あははははは! しね! しね! しね!」

 無邪気な子供の声で高笑うコニラヤ。その攻撃速度は落ちるどころか、どんどん上がっている。

 マルコ王子の防御とホーネット隊長の加勢があっても、それでも形勢は不利なままだ。

「……余計な闇がそぎ落とされた分、体が軽くなっているようだな」

「溜め込んだ水を吐きつくしたってのもあるんじゃないか?」

 完全に闇が消えれば攻撃本能も収まるのだが、中途半端に堕ちた状態が一番怖い。さっきの俺がまさにそれだ。マルコ王子の声があと数秒遅れていたら、俺はあのまま破壊衝動に押し流されていた。

 しかし、王子の中に入っている神はいったい誰なのだろう。

 てっきりザラキエルと思っていたのだが、ピンク色の天使は床に寝かされた俺の体に手をかざし、キャパシティを超えた闇を引き受けてくれている。

「人間の体にずいぶんと無茶をさせるものだ。私だったら、美麻にこんな真似はさせないぞ」

「君のバディは女の子だからな。レクターと同等に扱ったらすぐに壊れてしまうだろう」

「性別など些細な問題だ。人間は脆い。どんなに大切にしていても、すぐに死んでしまう。君も、失ってからでは遅いのだ。もっと大切に扱ってやれ」

「と、いうことのようだが、どうだねレクター。今後は壊れ物を扱うように、優しく丁寧に可愛がってやろうか?」

 おいおいやめてくれよ、そんなの気持ち悪すぎて蕁麻疹が出るぞ。

 心の声で返した言葉に、セトはくつくつと笑う。

「だろうな、君はそういう人間だ。すまないザラキエル。忠告はありがたいが、人間のほうからお断りされてしまった」

「そうか。本人がそれでいいというのなら、私が口出しすることではないな」

「さて、いい加減説明してもらおうか? ザラキエル、君はこの時間軸へのジャンプについて、何か知っているね?」

「なぜそう思う?」

「君が異様なまでに落ち着いているからさ。それに、闇をつかさどる戦いの天使がこの場で剣を抜かないというのもおかしな話だ。君はこの時間軸で何をするつもりだ?」

 セトの問いに、ザラキエルは答えない。

 視線を落とし、ただ静かに溜息を吐く。


 言ったら君は止めると思う。


 俺とセトには、そんなセリフが聞こえた気がした。

「……まあいいさ。今の君は堕天する以前の状態だ。自分のバディのことも、本来の役割も忘れてはいない。その君が何を為すとしても、それは創造主の意に反することではなかろう。我らは君を信じよう」

「すまない。感謝する」

 そう言うと、ザラキエルは何かを誤魔化すように話を変える。

「もうこのくらいで大丈夫だろう? 立てるか?」

「ありがとう」

 俺はザラキエルの手を借りて立ち上がり、大和の神々と一緒に穴の中を覗き込む。

 コニラヤの戦闘能力は相変わらず馬鹿みたいに高いが、マルコ王子とホーネット隊長の連携が効き始めたようだ。それぞれの特性を把握して補い合うように戦っている。

 しかし分からない。マルコ王子の中に納まっている神は誰なのか。あたりを見回してみても王子と面識がありそうな神と天使はみんな穴の外にいる。

「ザラキエル、マルコ王子の中にいるのは誰だ? あと、ホーネット隊長の後ろについている天使も……」

「ん? ああ、マルコの中にいるのは白虎だ」

「えっ!?」

「私とタケミカヅチとゼウスは、お前たちより三日前の時点に戻されていた。あと、ピーコックもな。ピーコックとゼウスはピジョンズキャニオンの白虎と青龍、造成地の玄武とデカラビアを『戦力』として使える状態にする役目を負っていた。タケミカヅチはアルテミス神殿に囚われている女神たちに力を分け与え、ヘファイストスが全力で戦える状況を整えた。私は……現時点では詳しくは言えないが、最後の仕上げ係のようなものだ」

「はあ……そう……っていうか……え?! ピーコックの奴、三日も前からこの時代に来てたの!? 青龍と玄武もいるのに、なんで王子に白虎が!?」

「四神の能力を思い出せ。命の入れ物を青龍が創り、朱雀が魂を吹き込み、白虎が進化と成長と適応能力を与えた。最後に生まれた玄武がその『完成品』の量産を請け負っていた。四神の中で最も臨機応変に戦時対応できるのは白虎だ」

「え、いや、その、そうじゃなくてさ。そんなにポンポン入れ代わり立ち代わり……」

「魔力の適性の問題か? それなら気にする必要はない。四神は兄弟神だ。誰が憑いても、魔力の質に大した違いはない」

「……あ、そうか。俺たちも兄弟で合わせ技使うもんな……?」

「そういうことだ。玄武と青龍を受け入れることができるなら、あとの二柱ともリンク可能なんだ。少なくとも、理論上ではな」

「なるほど……」

 俺は子供のような言動の玄武と、玄武よりさらに幼い子供のようなサラしか知らない。ここは青龍がサラとして生まれ直すことなく、玄武と白虎が半堕ちの状態から救済され、三柱そろってマルコ王子に味方することになった世界なのだ。

 今この時点でも十分すぎるほど歴史が変わっている。ザラキエルは、この上何を変える役目を任されているのだろうか。

「……なあ、お前はさ、いったい何を目指してるんだ?」

 ずいぶんざっくりとした質問だと自分でも呆れてしまうが、幸い、天使には意図が正しく伝わっていた。ザラキエルは苦笑交じりに応えてくれる。

「決まっているだろう。天使として最も正しい選択肢を選び、未来を創ることだ」

「それは、その、なんだ。天使として、とかじゃなくて、お前自身が本当に心の底からやりたいと思うことなのか?」

「その問いには答えられない。私は選択を違えた世界を知っている。私の運命には、もう君たちほど多くの分岐点は存在しない。選びたいかどうかなんて話じゃないんだ。選んではいけない選択肢を除外し続けた結果が、今回のリセットということになる」

「……そうか……」

「私のことなんかより、下の連中を応援してやれ。にわかチームにもほどがあるが、ほかに使える神もいないからな……」

 ホーネット隊長と天使は連携攻撃を行わない。というか、あの天使は戦闘に適した属性ではないようだ。ホーネット隊長が闇に汚染されないよう光の鎧を纏わせているだけで、戦闘に参加する気配はない。恐ろしいことに、ホーネット隊長は自身の身体能力のみで神と渡り合っているのだ。雀蜂族の戦士だけは絶対に敵に回したくない。

 白虎は王子の体の使い勝手を把握しきれていないようで、コニラヤの攻撃に対し、非常に大げさな回避行動をとっている。王子の《銀の鎧》ならば強行突破しても何の問題もないのだが、思い切った大技に踏み切るには互いの信頼が浅すぎるようだ。

 そしてヘファイストスは――。

「あいつにチームワークってコマンドはないのかよ!」

「あるわけなかろう。無駄な望みは捨てろ」

「ヘファイストスさえまともに動けば、簡単に倒せそうなのに……!」

 コニラヤの触手を王子の《緊縛》が絡めとり、白虎が《衝撃波》を叩き込む。間髪入れずにホーネット隊長の超速斬撃。しかし人間の攻撃力で傷付けられるのはせいぜい皮膚表面のみ。ここであと一撃、ヘファイストスが貫通力と浄化作用のあるヒハヤヒの《破魔矢》を射込んでくれればクリティカルヒットするはずなのだが――。

「そこで火炎攻撃!?」

「ホーネットまで殺す気か!?」

 作戦とか、連携とか、その後につなげる布石とか、そういう基本的概念から欠如しているに違いない。十七年後の世界では一応リーダーっぽいこともしていたのに、なぜこうまで頑なに、一人で戦おうとするのだろうか。

「……良い格好したいだけ、ってワケじゃなさそうだよな……?」

「そんな理由で戦う者に、タケミカヅチが力を貸すと思うかね?」

「まあ、それもそうだよな……ん? この気配……《遮断結界》が破られた!?」

 外部に闇の影響が漏れ出さないよう、兄弟三人がかりで張ったあの結界だ。並の術者では破れないはずなのだが——。

「よし! 入れたぞ! 間に合ったか!?」

「誰だよ! こんなに強固な遮断結界を張りやがったのは!」

「ヘファイストスが戦っているのか!? 器もなしに!?」

「そんな馬鹿な!」

 騒々しく現れたのは天空神ハロエリス、オジロスナギツネ、オニプレートトカゲ、ライオンである。彼らは到着早々、一斉にアル=マハに殺到する。

「アーク! なぜ共に戦わない!」

「ヘファイストスは満足に歩けないんだぞ! お前の体がなかったら何にもできないじゃないか!」

「アーク! 答えろ!」

「……あれ? お前、もしかして、泣いてるのか……?」

 アル=マハは誰にも顔を見せないように、うつむいたまま涙を拭う。そしてゆっくりと立ち上がり、バスから降りてくる。

 真っ赤に腫れた目も、泣き顔のまま鼻をすする様子も、とても戦える状態とは思えない。今の彼は、大人の保護が必要な十代の少年でしかなかった。

「……アーク……?」

 人間の情動に疎いハロエリスも、さすがに何かおかしいと察してくれたようだ。

 うろたえるようにアル=マハの頭上を旋回し、それからそっと伸ばされたツクヨミの腕に舞い降りた。

「何があった?」

 大まかに状況を説明したいところだが、アル=マハとヘファイストスの間に発生中の問題について、勝手にコメントできる神はこの場にいない。

 ツクヨミは軽く肩をすくめ、必要最小限の発言にとどめる。

「アーク君は戦力外です。少なくとも、今は」

「そうなのか」

 困惑するエチオピアの神々は、ひとまず大和の神々と共に穴の底に光を送り込む役につくことにしたらしい。ハロエリスはもう一度飛び立つと、穴の真上に陣取った。

「天空神ハロエリスの名において、この地に光をもたらさん!」

 彼は光と闇、二つの属性を併せ持つ神である。闇の力を効率的に抑え込めるため、付喪神より浄化能力が高い。

 サハリエルに群がる闇の浄化を引き受けていたデカラビアは、ハロエリスの姿を見て浄化をやめた。

 その瞬間、ホーネット隊長の剣が白く輝き始める。

 斬りつける力は変わっていないが、一撃ごとのダメージは確実に上がっているようだ。

「なるほど。力を分散させなければ、攻撃力の上積みも可能ということか」

「なあセト? あの天使、デカラビアだよな? なんで天使になってるんだ?」

「詳しい事情は分からないが、おそらく奇跡だ」

「そっかー、奇跡かー……」

 俺のバディはけっこういい加減なところがあるので、あまり深く考えてはいけない。これ以上何を聞いても無駄だろうから、俺は話題を変える。

「攻撃力は上がったけど、いまいち押し切れてないよな? コニラヤのほうも強くなってる気がするんだけど……」

「ああ。コニラヤ・ヴィラコチャという神は、戦えば戦うほどこちらの手に応じて自身を進化させていくようだ。半堕ちの状態で何の不都合もなく行動していた点からみても、我らと同じく闇のエネルギーを利用しているのだろうが……」

「白虎もコニラヤと似たような進化の力持ってるんだろ? だったら王子様も俺たちと同じように属性チェンジできるんじゃないか?」

「そうかもしれない。だが、白虎が王子の体を勝手に改造できると思うかね?」

「あー……無理か……」

 白虎は相変わらず大げさな回避動作を見せている。

 セトが俺を乱暴に扱っているように見えるのは体の限界を熟知しているためだ。決して無理なことはせず、能力の最大値で戦いに臨んでいる。しかし、白虎にとってマルコ王子の体ははじめて使う肉体。それもこの時代の王子はたったの七歳だ。どこまで耐えられるか判断しかねて、必要以上に過保護に扱っている。胎児のころから一緒にいて互いの限界を知ったうえで闇属性を上書きした俺たちとは、前提条件が違いすぎるのだ。

 今のところ若干優勢ではあるのだが、決定打に欠く。このまま長引けば、全力で光を放ち続けている大和の神々の体力が底をついてしまうだろう。

「しょうがないな。セト、もう一度俺たちが行こう」

「駄目だ。我々はもう戦える状態ではない」

「でも、このままじゃ埒が明かないだろう?」

「それでも駄目だ。今度こそ君が堕ちる」

「いや、でもさあ!」

 俺が食い下がろうとした時だ。

 後ろから肩を掴まれた。

「レクター、そこをどけ。俺が行く」

「え?」

「大丈夫なのかね?」

 後ろにいたのはアル=マハだった。

 彼は真っ赤に腫れた目を細め、悲しそうな顔で答える。

「大丈夫なんかじゃない。あいつは俺の記憶を書き換えていやがった。最悪な気分だ……」

「その……やめとけよ。ええと、俺にはお前んとこの事情はよく分からないけど、もうこれ以上ヘファイストスのわがままにお前が付き合ってやる義理は無いだろう? お前はもう自由になったんだから、あんな馬鹿野郎に体を貸してやる必要は……」

 無いんだぞ、と続けたかったのだが、それより先に殴られた。

「おい! なにすんだよ!」

「やめろ! 俺のヘファイストスを悪く言うな!」

「はあっ!?」

「あいつは俺を逃がしてくれたんだ! 最低最悪な学校から! 糞みたいな世界から! あいつは俺の、たった一人の理解者なんだよ!」

「……え? 何が、どういう……?」

「いいからどけ!」

「うわっ!?」

 アル=マハに突き飛ばされ、よろけた俺はセレンにぶつかった。

 というより、セレンは初めから俺を支えるつもりで隣に来たらしい。なめらかすぎる動作で俺の背中に手を添えると、ため息交じりにこう言った。

「つまり、そういう『洗脳』だったわけだよ」

「え? あ、今はツクヨミのほう? そういうって、どういう……?」

「さきほど付喪神たちから聞いたところによると、彼は小学校で酷いイジメに遭っていたようだ」

「は? マジで?」

「彼は日本人とギリシャ人のハーフだからね。見た目が異なるという理由で、事あるごとにからかわれたり、馬鹿にされたり、仲間外れにされていたそうなんだ。ヘファイストスはアーク君本人から頼まれて、彼をこちらの世界に移住させた。そして彼の幸せを願って、つらい記憶を一切合切書き換えた、と。記憶の整合性を保つために、自分が『誘拐犯』の汚名を着てまでね……」

「えーと……? え? じゃあ、ヘファイストスは、ひょっとして……」

「女神たちに対しては暴虐の限りを尽くす監禁強姦魔だが、アーク君に対しては嘘偽りなく、本物の愛と敬意を持って接していたようだ」

「……嘘だろ……?」

「嘘だと思うなら見てごらん」

 付喪神たちの制止を振り切り、アル=マハは穴へと飛び降りた。

 セトの『神の眼』で、穴の中の様子もつぶさに見て取れる。アル=マハの体を優しく受け止めたヘファイストスは、炎でコニラヤの触手を退けながら、顔をゆがめて呟く。

「なぜ来た? お前は戦わなくていい」

「勝手に決めるな、馬鹿野郎!」

「つらい過去など、忘れていればよかったものを……」

「忘れてたまるかよ! 生まれた時からずっと一緒だったのに! ほら! なんか俺に言うことあるだろ?!」

「……共に戦ってくれるか?」

「当たり前だ、馬鹿! この大馬鹿野郎! お前が嫌だって言っても、絶対離れてやらないからな!」

 泣きながら抱きしめたヘファイストスの体が、フッと掻き消える。

 と、同時に輝く胸の紋章。その輝きは俺とセト、セレンとツクヨミよりも、ずっとずっと純度の高い『純白』の光で――。

「……なあ、セト? あれって……」

「完全同調を超えた……だと?」

 アル=マハの胸の紋章から炎があふれ出し、ホーネット隊長とマルコ王子を包み込む。

 あれが物理法則に適った存在でないことは、この場の誰もが理解していた。


 これは、命を吹き込む『神の火』だ。


 炎の中で白虎が吠えた。

 光の天使が高笑う。

 それぞれのバディが、憑代とした人間が、炎の中で進化を遂げる。

 王子は青年の姿となり、白虎の能力を完全に引き出せるよう、体が半分獣人化した。これまでの守りの姿勢が嘘のように、一気に攻勢に出た。

 ホーネット隊長は幾分か――いや、かなり若返って、十代後半くらいの姿になった。それ以外の変化は何もないが、三十七歳の中年の体から自在に動き回れる高校生の体に変わったのだ。腕試しとばかりに斬り込んだ切っ先は、速度も狙いも桁違いに鋭い。

「結局自分の力だけで戦うのか、あの人は!」

「あの人間とだけは絶対に戦いたくないな!」

 セトにまでそう言われてしまうホーネット隊長は、ひょっとしたら人類史上最強の戦士なのかもしれない。

 アル=マハはあふれ出す炎を制御しきれないようで、地面に膝をつき、全身を掻き毟るように見悶えている。

 炎はコニラヤと、ほぼ完全体に近いサハリエルにも届いている。けれど、闇に汚染されているはずのコニラヤに苦しむ素振りはない。

「浄化の炎じゃないのか?」

「ふむ……? いや、困ったね、これは。まさかとは思うが……ツクヨミ、どう思う?」

 セレンの体に入ったまま、ツクヨミは首を横に振る。

「まさかの事態だ。この火はもしかしなくとも、『プロメテウスの火』ではないかと……」

 なんだそれ? と、俺が訊くより先にセトが心の声で教えてくれた。

 遠い昔、創造主は人間に火を与え、文明の発達を促進したことがある。その伝道者として選ばれた者の名がプロメテウス。彼によって伝道された『火』とは物体の燃焼現象のことではなく、人が文明を発展させるのに必要な熱意や情熱といった精神的なものであるという。

 その火を浴びると誰でももれなく『やる気』と『自信』に満ち溢れ、苦難に立ち向かえる丈夫な身体に作り変えられるのだというが――。

「え? ただハイになるんじゃなくて、実際に体も変化すんの? なんだよ、その迷惑ヤンキー量産プログラム……」

「同種の炎は某宗教の使徒らにも使われたのだが、まあ、とにかく無駄に行動力が向上する。おそらくコニラヤも……」

 と、言っているそばから大暴走が始まった。

 ゴリラとモリイノシシを取り込んだ状態のコニラヤは『神の火』を浴びて急速進化した。体はぐっと大きくなって四メートルほど、触手の長さは軽く二十メートルはあるだろうか。ゴリラの両腕はより厳つく、イノシシの牙はより長く鋭く、わずかに残っていた堕天使の翼は一気に大きくなって自在に空を飛べるサイズになった。

 大きく羽ばたき、コニラヤは宙へと舞い上がる。

「のわあああーっ!?」

 風圧で俺もセレンも、穴の周囲の付喪神らも吹き飛ばされる。重量のある観光バスでさえ横倒しになってしまった。

 コニラヤは《遮断結界》も駅舎の屋根も突き破り、外へと飛び出した。

「く……みんな、無事か!?」

 ツクヨミの声に、付喪神たちはいっせいに状況を報告していく。俺とセトも子供の姿のベイカーたちを助け起こしていくのだが、どこを探しても幾人かが見つからない。

「デニスは!? あいつらどこ行った!?」

「トカゲとスナギツネがいない!」

「レインボーブリッジ君と東京タワー君がいません!」

「国技館もいないぞ!?」

「児童公園のジャングルジムもいないよ!?」

「嘘だろ!? おい、まさか、みんな……!」

 誰もが最悪の事態を予想した。

 そしてこういう嫌な予想ほど、もれなく的中してしまうものなのだ。


 天を目指すコニラヤは、その触手に神々を絡めとっていた。


 コニラヤの視線の先にあるのは、フォルトゥーナの能力で出現した歯車、『ホイール・オブ・フォーチュン』である。

「あいつ、何する気だ!?」

「何って、そりゃあぶち壊すに決まってんだろ?」

「だって闇堕ちジャン?」

 いつの間にか近づいていたエリック兄さんとアスターは、俺の背中をバァンと叩き、不敵に笑う。

「行くぜ、従弟!」

「ぶちかましてやろうジャン!」

「行くったって、方向感覚狂わされるんだよ!? カミサマ憑いてないと、まともに動けないのに……」

「心配すんな! 大丈夫だって!」

「俺たちと相性のいいカミサマ、見つかったジャン!」

「え?」

 そう言う兄さんとアスターの後ろから、大和の軍神ヒハヤヒとミカハヤヒが姿を現す。

 いつもの着物ではない。二人はツクヨミの『戦時特装』と同類の衣装を身に着けている。

「ヘファイストスが僕たちを解放したんだ。アーク君が『神の火』で進化させてくれたから、全力で戦える」

「ほら、行くぜ! もたもたすんな!」

「軍神が後れを取るわけにはいかないでしょ、セト?」

 エリック兄さんとミカハヤヒがそう言っている間に、アスターとヒハヤヒはすでに攻撃を開始している。

「《雷霆》!」

「香取式勝矢射法、《鬼蜻蜓》!」

 雷撃と神の矢が同時に放たれ、いずれもコニラヤの黒い翼にヒットする。

 コニラヤはわずかに体勢を崩したが、飛翔能力を奪うほどのダメージは与えられなかったようだ。

「遠すぎるジャン!」

「掴まれ。飛ぶぞ」

 ヒハヤヒとアスターはガシッと手を握り合い、コニラヤを追って飛び立ってしまう。

 飛翔能力のある神々もすでに宙にあり、ヒハヤヒと同時に解放されたユヴェントゥスとボナ・デアもキールの手を取って地を蹴っている。パークスとリベルタスはロドニーを、鳥之石楠船神と精霊サマナスはベイカーを連れてキールの後を追う。

「セト! チビッコと女の子たちには負けていられないぞ!」

「土属性のままでしか戦えないが?」

「それで十分だ!」

 俺とセトも後を追う。

 だが、俺たちを追い越すように四本の光の柱が立ち昇った。

「ほわっ!?」

「なんだ!?」

 気配で正体は分かっている。しかし、それでも「なんだ」と叫ばずにいられない圧倒的存在感を放つ者たち。

 光の柱の正体は白虎、ツクヨミ、ヘファイストス、デカラビアである。

「完全同調突破者が四人も!?」

「さっきも言ってたけど、それ何!?」

「創造主の設定した『神の限界値』を超える力を持つ者だ。古いシステムを更新するには、この突破者が現存するシステムの外から手を加える必要がある。マガツヒという不具合を抱えた現状のシステムを書き換える唯一の手段と考えられる。胸の紋章はその証だ」

「だったら俺たちもそれじゃないのか? 結構頻繁に限界超えてるし、胸の紋章、赤ん坊のころから出てるよな?」

「我もそんな気はしていたが、自分で言うのも憚られるではないか……」

「なんだその奥ゆかしさ!?」

「レタスの守護神が第一突破者ではまずい気がしたのだ。神にも上下関係とか、横の付き合いとか、場の空気といったものが色々あるわけで……」

「もしかして農耕神ってかなり下のほう?」

「農耕神にもいろいろあるのだ。いっそド底辺であったなら、どれだけ楽な思いができたことか。主食となる穀物神ほど上でもなく、ほぼ雑草扱いの山野草の守護神ほど下でもなく……ランチプレートの主役になれないレタスの立場と言ったら……」

「あ、うん、ごめん……レタスの立場は考えたことがなかった……」

 俺の力量では突っ込みもフォローもまったくもって間に合わないが、確かに妙な腰の低さは感じていた。

 しかしセトの遠慮と裏腹に、俺の胸の紋章は白虎たちと呼応するように輝き始める。

「えーと……もうこうなったら、あの四人と一緒にトップアイドル枠に収まるしかないんじゃないかな?」

「わ……我には無理だ……レタスにはレタスの限界というものが……」

「そんなこと言ったって……おい、来たぞ!」

 白虎とデカラビアの猛攻、ツクヨミとヘファイストスの絶妙な進路妨害、ミカとヒハヤの援護射撃が効き、コニラヤは『上昇』から『邪魔者の排除』に思考を切り替えたようだ。

 だが、まあ、それで最初に狙われるということは――。

「俺がドンケツ扱いかよ! おいセト! やるぞ!」

「ああ! コニラヤ・ヴィラコチャ! 我が器、レクター・メリルラントを甘く見たことを後悔するがいい!」

 体への負荷が大きいため、もう闇属性化はできない。セトはコニラヤに向かって《防鳥ネット》と《有機肥料スプラッシュ》をお見舞いする。


 平たく言えば、『雁字搦めウンコ攻撃』だ。


 まさかの攻撃法にその他の神々が一斉に距離を置くが、この際それは好都合である。続く攻撃技は家畜の排泄物以上にひどい。

「食い散らせ! 分解せよ! 我が畑野の養分となれ!」

 微生物や菌類の活動を活発化させ、土壌を改良する技である。これをウンコをぶっかけた神相手に使うのだから、やられるほうはたまったものではない。

「ひぎ……ぐ……があああああぁぁぁぁぁーっ!?」

 生きたまま微生物に食い荒らされていく体。張り巡らされていく菌糸。振りほどいて逃げようとしても、防鳥ネットが邪魔でうまく動けない。

「ギャハハハハハ! 最高だぜ従弟! マジで悪魔の所業! オラ! ボーっとしてねえでガンガン撃てよミカハヤヒ!」

「え、あ、うん、その……これ、神的にアリなのかな!?」

「ほら、ヒハやんも早く! 今なら攻撃当て放題ジャン!? ウンコリンチ最強!」

「なんか嫌! 汚い! これだから農耕神は!」

 そう言いながらも、ミカとヒハヤは手裏剣と矢で攻撃を続ける。コニラヤは大ダメージを受け、触手が一本ちぎれて落ちた。

 咄嗟にユヴェントゥスがシールドを構築して受け止めたのだが、当然のことながら、触手に絡めとられていた付喪神もウンコまみれである。

「大丈夫かい!? 抱きしめてあげたいのはやまやまだが、パパは今忙しいんだ! ごめん! ヘファイストスのおじちゃんに助けてもらってね!」

「なぜ俺に振る!?」

「我らは四神と王子という高貴な組み合わせである故、このような場面では、その……デカラビア!」

「白虎!? その投げ方、ひどくないか!?」

「ちょ、あの、これ、誰も素手でキャッチしに行かない時点で神的にアリ!? 本当に大丈夫!? 誰か東京タワー君から触手剥がしてあげたほうが……」

「誰かって誰!? 僕、触りたくないっ! 汚いっ! ミカちんだってキャッチする気ゼロじゃない! 他人に押し付けないでよ!」

 なかなかひどい神々である。ウンコをぶっかけた本人がノーコメントを貫いているのが何よりもひどい。これだから農耕神は、と言われてしまうのもよくわかる。

「ぐぎいいいぃぃぃーっ!?」

 微生物分解された触手が次々に落ちてゆく。

 ボナ・デア、パークス、リベルタス、鳥之石楠船神、精霊サマナスも、ユヴェントゥスと同じようにシールドを構築し、触手に捕えられた神々を受け止めていく。

 しかし、どこを探してもデニスがいない。

 デニスだけは人間である。付喪神やエチオピアの神々と比べれば、非常に脆い身体構造をしているのだ。


 まさか、ウンコと一緒に分解されてしまったのか。


 誰もがそんな表情でこちらを見ている。

「……セト?」

「だから……だから我にアイドル枠は無理だと言ったのだ……!」

「えっ!? お、おい、嘘だろ!? 本当に分解しちゃったのか!?」

「そんなわけがあるか! 我が言っているのはアレのことだ!」

「ふぇっ!?」

 セトが指差す先、コニラヤが目指していた天頂の歯車が勢いよく回り出し、天の国の門が開かれた。

 そこから現れたのは、二羽の巨鳥に牽かれた黄金の戦車である。

「イヤッホーウ! お待たせしましたマルコさん! 空中戦と言ったら、やっぱりこれでしょう!? どうぞ!」

「デニスさん!? あ、あの、もしかして、最初から!?」

「僕は捕まってませんよ! 創造主のところに行って、僕の車を出させてもらってたんです! さあマルコさん! 皆さんも! 乗ってください! 止めを刺しに行きましょう!」

「は……はい!」

 デニスの胸にはアル=マハ以上の明るさで輝く紋章がある。その光は、誰が見ても最高レベルの同調率であろう。

「あ、ヤバい! 切れた!」

 防鳥ネットを引きちぎり、コニラヤは激しく身震いする。

 と、コニラヤはほんの一瞬のうちにすべての触手を自切し、体を液化させて微生物と菌類を振るい落としてしまった。

 そして再構築された体は、十七年後の世界で見慣れた二十代のレインそっくりの姿である。背中に残る堕天使の翼で、まだサハリエルと融合状態であることが分かる。

 身軽になったコニラヤは神々の攻撃を掻い潜り、再び天頂を目指す。

「あーあ……まあ、ウンコで止めは刺せないもんな……」

「分かっただろう? レタスには、レタスなりの生き方があるのだ……」

「だな……」

 黄金の巨鳥・鳳凰が牽く天翔ける戦車に乗り込み、王子らはコニラヤを追いかける。

 ミカ、ヒハヤ、エリック兄さん、アスターの一分の隙も無い雷撃ラッシュ。

 コニラヤからの魔法攻撃はツクヨミのシールドで防ぎ、コニラヤの飛翔速度が落ちたところで白虎の《衝撃波》。ほんの一瞬動きが止まったコニラヤの周りにマルコ王子が《魔鏡の迷宮》を構築、そこにアル=マハが火炎攻撃を放つ。

 無限に魔法を跳ね返す《魔鏡の迷宮》に、完全同調を突破した最大火力の《可鍛の豪焔》が放り込まれたのだ。この攻撃を受けて無事でいられる者など、この世のどこにも存在しない。

 コニラヤを追い越しざま、光の大剣を掲げてホーネット隊長が飛び降りる。

「はあああああぁぁぁぁぁーっ!」

 ドン、と鈍い音が響いた。

 魔鏡もろとも刺し貫かれたコニラヤが、傷口から闇を垂れ流しながら落下してくる。

 落下点にいるのは俺とザラキエルである。

 二人がかりでコニラヤの体を受け止め、これにて一件落着――と、思ったのだが。

「ウッホオオォォォーッ!?」

「ブギョオオオォォォーッ!?」

「えっ!? ちょっ!?」

「ゴリラとイノシシまで!?」

 コニラヤと分離した二柱の神まで落ちてきたものだから、俺たちの力では支えきれず、みんなで無様に団子状態で落下する羽目になった。

 それを受け止めてくれたのは、下で待機していたユヴェントゥスやリベルタスたちなのだが――。

「ぎゃあああぁぁぁー! このシールド! さっきのぉぉぉーっ!?」

「女神たちよ! 使い回しか!? ここでこれを使い回すか!?」

「自分で出したウンコでしょ~?」

「受け止めてもらえただけでも感謝してもらいたいんだなー」

「自業自得ですわ」

「最低の攻撃技ですものね……」

「おい! セトとその器! 私までウンコまみれになってしまったではないか!」

「痛! ちょ、痛いってザラキエル! 天使の癖に人間殴るなよ!」

「うるさーいっ!」

「イッテエェェェーッ!」

 ザラキエルが俺に暴力をふるっても、主から裁きの雷は下らない。やはり、ウンコ攻撃はよろしくなかったようである。

「セト! お前のせいだぞ!」

「地属性のままでいいかと確認しただろう!? 空中戦で使える地属性魔法は有機肥料か微生物分解しかない!」

「それは分かってるけどさあああぁぁぁーっ!」

 こんな時でも胸の紋章は消えてくれないのだから、これはこれで忌々しい。

「あー、もう、これだからセトは……終わったよな?」

「ああ、そのようだ」

 コニラヤから流れ出た闇は神々の光によって浄化され、光の粒となって落ちてゆく。

 穴の開いた駅舎の屋根から、地の底に横たわるサハリエルへ。

 欠損していた最後のパーツ、天使の翼が再生されると、サハリエルはゆっくりと目を覚ました。

「……僕は……これまで、何を……?」

 サハリエルは傍らに座る女神に問いかける。

「君は?」

 そこにいるのは、ヘファイストスの監禁から解かれたフォルトゥーナである。彼女は優しく微笑むと、サハリエルを抱き起しながらこう言った。

「天使サハリエル、あなたは悪い夢を見ていたのだ」

「夢?」

「そう、悪い夢だ。あなたのバディがあなたを裏切り、これから生まれるはずだった人の子の運命を消してしまうという、ひどい夢……」

「それは……本当に夢? 僕はカイジと一緒にいたくて……カイジが望むことなら、何でもしてあげようと思って……」

「理由も聞かずに時空間移動を手伝っていたのか?」

「……カイジを信じていたから……」

「まだ、二階堂を恨んでいるか?」

「……ううん。なんでだろう。カイジを好きな気持ちは変わっていないのに、どうしてあんなに、カイジに執着していたのか、よくわからないや……」

「嫉妬していたのではないか?」

「嫉妬?」

「彼の気持ちを正確に理解できる、『人間』という存在に」

「……うん。たぶん、そう。僕には、どうしたってカイジの気持ちが分からないんだもん。あんなに好きって言ってくれてたのに、なんで、急によそよそしくなっちゃったんだろう……」

「理由は本人から直接聞くといい」

「カイジは死んだよ? 僕が天に召されるのを邪魔して……堕天使になった僕がカイジを殺したんだよ? あの亜空間の中で……」

「この時点ではな。しかし、彼の人格はシステムの誤作動によって消滅せずに残っている」

「え?」

「不幸中の幸いだ。よくあの亜空間で凶行に及んでくれたな。おかげで二階堂カイジというイレギュラー存在が誕生し、私たちの最後の切り札となった。詳しい話はあとでゆっくり聞かせてやろう。さあ、まずは主のもとへ。言うべきことがあるだろう?」

「……うん……」

 サハリエルとフォルトゥーナは手を取り合い、ふわりと宙へと舞い上がる。

 天頂の歯車は先ほどとは別の門を開き、光の梯子で二人を包む。

「未鶴、俺も行かねばならない。犯した罪の分だけ、罰は受けねば……」

「俺も行っていいか? 俺を守るためにやらかした分は、俺も一緒に裁かれるのが筋だ」

「……すまない」

 ヘファイストスはアル=マハを抱き上げ、天頂の門を見上げる。

 サアッと降り注いだ純白の光がヘファイストスとアル=マハを包み込み、次の瞬間には、二人の姿はなかった。

 終わったのだ。

 俺たちは結局、フォルトゥーナの手のひらの上で踊らされていたにすぎないのだろう。突然過去に飛ばされて、本来の歴史にはなかった『ル・パロムでの対堕天使戦』に動員され、ろくな説明もないままに元の時間軸に戻されるようだ。

 天頂の歯車はカタカタ、ガラガラと大きな音を立て始め、世界の『何か』が組み変わる。

 一人、また一人と姿が消えていく。

「兄さん! アスター!」

「おう! じゃあな!」

「十七年後でまた会おうジャン!」

 軽く手を上げて笑顔を交わし、俺たちはそれぞれ『元の場所』に戻された。


 何の実感もわかない、ほんの一瞬の出来事。


 ハッとした時には、俺たちは王立騎士団本部、特務部隊宿舎の中にいた。

 まだ引っ越しの段ボール箱を片付け終えていない部屋の中、壁に掛けられたカレンダーで『現在』の日時を確認する。

「新暦552年8月5日……。セト、俺たち、本当に帰ってきたんだよな?」

「洗面所で鏡を見るといい。間違いなく、四十代の君と目が合うだろう」

「あー……二十四歳からいきなり四十一歳かぁ……」

「君とこうしていられるのも、あと何年間だろうな。時の流れはかくも無情なものか……」

「ま、エリック兄さんよりは長生きするんじゃないかな? 俺は酒も煙草もやらないし」

「我が守護せし神聖なるレタスで、食物繊維も摂取しているからな!」

「でも、レタスに含まれる栄養素って実はそれほどでもないっていうよな? 本当に体にいいのか?」

「……君は本当に正直者だな……」

「あ、うん、その……なんかごめん……」

 微妙だ。微妙すぎるぞ、レタスの神。

 セトはツチブタの姿に変化して、不貞腐れたようにソファーで丸まってしまう。

 時計を見れば時刻は午後八時過ぎ。部屋の片づけは後回しにして、今夜はセトと二人、のんびり過ごすことにした。




 そう、この時の俺たちはそれでいいと思っていたんだ。

 まさか『元の場所』に戻されたのが、兄弟の中で俺だけとは思っていなかったから――。


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