そらのそこのくに せかいのおわり vol,10 < Chapter 02 >
メリルラント兄弟が列車に乗り込んだのとほぼ同時刻、中央市内のブルーベルタウンでのこと。中央市の観光名所にもなっているハドソン伯爵邸、通称『ブラックキャッスル』の前庭部分に、特務部隊の面々が集まっていた。
とはいえ、全員十七年前の姿である。ハドソン伯爵邸のお隣、ベイカー男爵邸からやってきたサイト・ベイカーはこの時点で八歳。同年代の子供よりずっと小柄な彼は身長百十センチほどで、当然のことながら剣も銃も持っていない。
この場に集まったのはベイカーを含め五人。同じく八歳のキールと、一つ年下のロドニーとマルコ、もう一つ年下のデニスという顔ぶれである。
「う~む……なぜだ? 誰かが世界をリセットしたのは間違いなさそうなのだが……?」
「問題は、なんでそれで十七年も前の時点に戻されるのか、ってことですよね?」
「ああ。いくら何でも戻し過ぎだろう? 何の目的でこんなリセットが行われたのかを知るためにも、まずはこの時点で中央市にいる連中と接触したい。あとは誰が中央市にいたかな?」
「ええと、年齢引く十七だから……副隊長が高二の頃ですよね? 情報部の連中は地方支部配属時代ですかね……?」
「グレナシン副隊長が、まだオカマじゃなかったころか……」
「ノンケの副隊長……?」
「想像できんな……?」
「そうですね……?」
首を傾げるベイカーとロドニー。その横でキールとデニスはマルコに問う。
「それはそうと、マルコ、よくここまで来られたな? 七歳のころはクエンティン子爵家の屋敷に暮らしていたはずだろう?」
「あ、そうですよね! マルコさん、中央育ちじゃないはずですよね?」
この日、この会話をしている時点での世界標準時刻は535年の8月5日。月曜日ではあるが、小学校は夏季休暇の真っただ中。小学生の彼らにこれといった大きな予定はない。ここが『十七年前の世界』だと気付いた瞬間、キールとデニスは自宅を飛び出し、まっすぐブルーベルタウンを目指していた。ここに来ればロドニーがいる。運が良ければベイカーも中央の屋敷に滞在しているかもしれない。
その判断は正しく、二人は無事に仲間と合流することが出来た。家を出てから到着まで子供の足で一時間少々。同じ市内の移動でもそれだけの時間が掛かってしまうのだ。クエンティン子爵領のマルコの家からでは、どれだけ急いでも半日近く掛かるはずなのだが――。
「今日は父と兄が知人のパーティーに招待されていて、私も昨夜から中央に来ていました。私は愛人の子ですので、パーティーには招待されておりません。ですので、今日は執事と二人で中央博物館を見学していて……」
「ん? その執事はどこだ?」
「面倒なことになると思いましたので、撒いてきました。お手洗いに行くふりをして一人で博物館を出て……」
「ということは、今頃捜索願が出ているな」
「でしょうね。貴族案件ということで、特務部隊に連絡が回っているはずです」
「先輩方に十七年後の記憶があればすぐに合流できるな。いい判断だ」
「ありがとうございます」
キールに褒められていつも通りの仕草で頭を下げるマルコだが、デニスは一歩下がったところからそれを見て、慌てて二人に耳打ちする。
「駄目ですよキールさん、マルコさん! 僕たち、今は八歳、七歳、六歳なんですよ⁉ まだ騎士団入団前なんだから、キールさんのほうが『先輩』っていう関係になってません! 貴族のお坊ちゃまがジャム屋の倅に頭下げてたら何事かと思われます!」
「あ、そうか。なるほど。この時点では赤の他人だったからな……」
「ええと、では、このくらいの年齢の子供らしい仕草と言葉遣いを意識しながら行動する必要があるということでしょうか……?」
「おいサイト! 今デニスに言われたんだが、子供らしく会話しないと怪しまれるぞ!」
「うん? 子供らしく? ……はて? 俺は子供のころ、どんな感じだったか……?」
「俺の場合、昔からずっと変わってないと思うんですけど?」
「ああ、ロドニーは昔から言葉遣いも行動も変わっていない気がするな。大人になって風俗店に出入りするようになっただけで……」
「隊長もほぼそのまんまだったような……」
「あ! ハドソンさん、それです、それ!」
「それ?」
「『隊長』って呼び名! 子供にそんな役職はありませんって!」
「あっ! そうだ、この頃は隊長じゃなくて『サイト兄ちゃん』だ!」
「おお! そうだったな! いや、だったらこの際、全員子供らしく名前で呼び合ったほうが良いのではないか? 普通、苗字にさん付けでよそよそしく呼び合ったりしないだろう? あと、全員タメ語で馴れ馴れしく行こう。いいな?」
「いいぜ!」
「そうだな!」
「わ、分かったよ……?」
「さーんせーい!」
一番ナチュラルに子供らしいリアクションを返したデニスに、全員、自然と拍手を送ってしまう。
「あ、いきなりオッサンリアクション!」
「ん? ……こういうのは、小学生はやらんか……?」
「体だけ小学生に戻っても、中身は二十五歳だからな……」
「大丈夫かな、俺ら……」
「駄目そうですね……」
一斉にうなだれる四人だが、デニスはさらなる問題を提起する。
「ところで僕たち、どうやって移動するの⁉」
「どう……と、申されますと……?」
「貴族の子供が保護者無しでその辺うろつくわけにいかないでしょ⁉」
「そう言われますと、確かに……」
「マルコ、お前よくここまで無事だったな。ダウンタウンだったら十秒で誘拐されてるぜ?」
「あ、ええと、その、一応は治安の良いエリアを抜けて参りましたので……」
「馬車……は、ダメか。誰も免許を取れる年ではないな……」
「ロドニーは自分ちの庭先だから一人でもいいとして、サイト? ベイカー家には子守り役の執事見習いがいたはずだよな? 何度かうちに買い物に来ていたと思ったが……」
「え? ……あー……自分が八歳児であるという自覚が足りていなかったようだな……」
しまった、やってしまった――そんな言葉を顔中に貼り付けて、ベイカーは門のほうを見た。するとその視線の先には、大慌てで駆けてくる青年の姿があった。
「坊ちゃま! お隣に遊びに行かれる際はお声をおかけくださいと、あれほど……っ!」
ベイカーが無事であったことにホッとする気持ちが三割、いい加減にしやがれこのクソガキという気持ちが七割といったところだろうか。執事服の青年はつかつかと歩み寄ると、ベイカーの頭を遠慮なく引っ叩いた。
びっくりして目を真ん丸にするマルコに、ロドニーがそっと耳打ちする。
「この人、隊長の母方の従兄なんだ。隊長のママから『ぶん殴ってでもちゃんと躾けろ』って命令されてるんだよ」
「あ、なるほど。だからお顔が……」
青年の顔は普段見ているベイカーの顔をもう少し男らしくしたような雰囲気で、基本的な目鼻立ちはほぼ同じだ。兄弟と言っても誰も疑わないほどよく似た二人だが、二人には決定的に異なることがある。
彼らは身分が違うのだ。
ベイカーの母は商家の娘であるため、母方の親類は貴族ではない。ベイカーとこの執事は血の繋がった従兄弟同士でありながら、一方は貴族で一方は市民階級である。その辺の事情もすべて理解した上で、ロドニーは青年に声を掛ける。
「ダージリン兄ちゃん、怒んないでくれよ! サイト兄ちゃんは悪くねえんだよ! 俺が『友達紹介したいからすぐに来てくれ』って言ったから……」
そう言いながらロドニーはマルコの手を引く。
マルコも話を合わせ、子供らしい口調で自己紹介する。
「は、はじめまして! マルコ・ファレル・クエンティンと申します!」
セーラーカラーの可愛らしい外出着を着せられたマルコは、見た目だけでは性別が分からない。青年は『マルコ』という男性名を名乗られて、はじめて男の子であると気付いたようだ。
「はじめまして、マルコ様。ベイカー家執事見習のダージリンと申します。大変お見苦しいところをお見せいたしました。クエンティン子爵の御子息様でしょうか?」
「はい! 父はルイ・クエンティンと申します! ベイカー家のサイト様とお友達になれて、大変うれしく思います!」
必死に子供っぽい口調を意識して答えたマルコだが、ダージリンは非常に渋い顔でこう訊いた。
「マルコ様? 御付きの方はどちらに?」
「そ、その……ロドニー君と遊ぶのに邪魔だったので、博物館に置いてきました!」
「ロドニー様? そちらのお二人は?」
「王室御用達ジャム屋のキール君と、ロットン博士の息子のデニス君!」
「お二人とも? お父様とお母様に、ここに遊びに来ることを言ってきましたか?」
キールとデニスは顔を見合わせ、悪ガキの誤魔化し笑いで首を横に振る。
「……やっぱり……」
勝手に家を抜け出してきた悪ガキ二人と、御付きの使用人を撒いて逃走中のお坊ちゃまだ。それぞれの家に連絡を入れて謝罪したうえで、迎えに来てもらうか、こちらから送り届けるか。そして自分が仕えるベイカー男爵より格上のハドソン伯爵に一連の経緯を説明して、ロドニーを注意してもらう必要もあるだろう。それらの『面倒臭すぎるタスク』を考えただけで気が遠くなる気持ちは分かる。見た目は八歳、七歳、六歳でも、ここにいる五人の中身は成人男性なのだ。申し訳なさで大変心苦しい思いに駆られながらも、五人は子供の仕草で言い募る。
「な、なあダージリン兄ちゃん! 俺たち、これから王立高校の見学に行きたいんだ!」
「僕たち、大きくなったら騎士団に入りたいんです!」
「騎士団本部は社会科見学で見に行ったから、騎士団員養成科のほうも見たくなって……」
「なあ、ダージリン? いいだろう? 子供だけで行っても入れてもらえないだろうから一緒に来てもらいたいのだが……」
「保護者の方の同伴が必要なんです……」
グレナシンと合流するには王立高校の敷地内に立ち入る必要がある。騎士団員養成科に夏季休暇は無い。今日も通常通りの授業が行われているはずだ。学校見学を申し込むにも、通常授業日に当日連絡では入れてもらえるとも思えないのだが――。
「いったいぜんたい、どんな流れで学校見学なんてお話に? どうしても今日でなくてはいけませんか?」
「うん! だって、マルコは明日には子爵領に帰ってしまうから……今日じゃないと……」
ねえ、お願い! と上目遣いで甘えて見せるベイカー。大人になっても可愛い彼は、この頃は子供特有のナチュラルな愛らしさを全開にしている。自分の容姿の使いどころを心得た大人が美少年時代の自分の体に収まっているのだ。ハッキリ言って、並みの大人に勝ち目はない。
「……仕方がありませんね。今回だけですよ……」
学校見学には煩雑な事前申請が必要である。が、しかし。何事にも特例というものがある。ある程度以上の身分の貴族が見学を申し込めば、当日連絡でもあっさり入れてもらえたりするのだ。国内最大の金鉱脈を所有するベイカー家からの見学申し込みならば、学長は絶対に断らない。ベイカー家の男子が入学するとなれば、一桁も二桁も違う寄付金が転がり込むことになるからだ。それはダージリンも分かっているので、はじめから断られる可能性は考えていない。
「ええと……では、まずはそれぞれのお家に連絡をして、ご両親の許可をいただきましょう。ひとまず、全員うちにいらしてください。坊ちゃま? 私が王立高校に連絡を入れている間、お友達を旦那様にご紹介なさってくださいね?」
「お父様にぃ~?」
「面倒くさがらず!」
「はぁ~い」
この頃の自分の言動を思い出しつつ、従う気があるのかないのか判然としない『クソガキ対応』で答えた。
ダージリンはそんなベイカーの襟首を乱暴に掴み、半ば引き摺るような形で屋敷に連れ帰る。四人はその後ろをぞろぞろとついていくのだが、誰もがその顔に同じ表情を浮かべていた。
クソガキが片手で持ち運ばれているのを見るのは、なかなか小気味良いものである。