第三話 大賢者と女剣士
疾風の剣士リディア。
彼女の特徴はなんと言っても、繊細で正確無比な剣捌きであろう。
鎧の繋ぎ目を突くなどお手のもので、金属の留め金、飛来する矢の鏃ですら一本の剣で打ち砕くことができた。
また、身のこなしも超人的であった。
相手が構える前にリディアは抜き打ちを浴びせる事が出来たのだ。
正確無比な斬撃に超スピード。
その神業を前にしたならば、人型の敵はもちろん、あらゆる獣型の魔物も急所を打たれる運命にあった。
だが、喉元過ぎればなんとやら。
戦後には熱狂も称賛も時間と共に薄れゆき、かつての英雄は過去の人となった。
そんな最中に王都近くに腰を据えたフロウとは違い、彼女は大陸のいずこかへと消えた。
気まぐれで向こうからやってくる以外に会うこともなく、ワシとも長らく顔を会わせていない。
今どこで何をしているのかを、知る術は無い。
「また失敗か!」
今日も今日とて研究に明け暮れる。
ワシの足元には見所すらない失敗作が転がっていた。
亀裂の入った水晶石。
それが無造作に床を埋め尽くしている。
「クソ……、現状では吸収率は申し分ない! だが十分な分散が出来ぬ!」
理屈では通るのに、実際に試すと上手くいかぬ歯がゆさ。
これが芸術であれば愉しむゆとりも生まれようが、生憎そんな心境からはほど遠い。
ともかく時間が残されていないのだ。
「早く完成させなくては、復活に間に合わん!」
その時だ。
ガタガタッと外が騒がしくなった。
酔っぱらいが木箱でも崩したのだろうか。
酒場に近い為に日常茶飯事だが、こんな夜には腹も立つものだ。
「ライトニング」
ワシは片手に照明魔法を宿し、裏手側から家を出た。
深夜の裏路地である。
文句のひとつも言ってやろうと、崩れた木箱に倒れ込む人物を見た。
「お主、そこで寝られては敵わん。早く家に帰るのだ」
「うぅ……」
「木箱も直しておけ。大飲は勝手だが、人に迷惑をかけるのは感心せんぞ」
「あぁ、うぅ」
しわがれてはいるが女の声であった。
こんな夜更けに女人の一人歩きなど危険過ぎやしないか。
ましてやかなり深酒をしている。
なんとも危機感の無い輩であろうか。
飽きれ半分で眺めていると、その老婆が体を起こした。
そしてワシと視線が合うなり、半開きの寝ぼけた眼がクワと見開かれた。
「クラスト! あんた、クラストだろ?」
「うむ、相違無い。だが、それがどうしたと……」
「アタシだよ、リディアだ! この顔を忘れちまったのかい?!」
かつての友人と老婆の容貌は相当にかけ離れていた。
似ているような気もするし、赤の他人にも思える。
それもウン十年と顔を合わせていないせいだが、ぼやくだけ無駄である。
口調と腰に差した剣は確かに一致するものであるが、何とも返答に困る問いだと感じた。
「……真にリディアなのか?」
「なんだ、疑うのかい? 証拠をみせたげようか?」
「まさか、その剣の事ではあるまいな? そのようなものは取り繕い様はいくらでも……」
「あれは魔王城に乗り込んだときだねぇ。アンタの荷物から『今日から魔族っ子ハーレム☆』なんて本が出てきたっけ。みんなには黙ってたけど、まさか澄まし顔の大賢者様が下心全開のエロス賢人だったなんて……」
「リディア、疑って悪かった! 正真正銘本人であるな!」
若気の至りとは言えど、流石に官能小説を持ち歩いたのはまずかった。
さらに言えば、お気に入りの巻が『魔族の女どもを取っ替え引っ替え』などというテーマであり、我ながら酷いと思う。
こればかりは旧い友のフロウですら知らない、まさに秘中の秘。
リディアには何故か知られていたが。
「それにしてもお主、こんな夜更けに一人とは何事であるか?」
「ハンッ。そんなのアタシの勝手だろ? 金ならあるんだ、好きに飲み食いさせとくれ」
「まぁ。そうであるな。無駄口であった」
リディアには死相が出ていた。
頬も老人にしても痩けすぎている。
老いれば持病の一つや二つあるものだが、これは大病なのかもしれない。
そうだとしたら、飲み方に難癖つけるのは無粋というものだ。
「して、この街へは何用で来た。お主の居は王都にはあるまい」
「用事? 大したもんじゃないよ。クラストがモウロクしてないか見に来てやったんだよ。酒の一杯でもひっかけてから行こうと思ってたら、飲みすぎちまったけどさ」
「珍しいこともあるもんだ。王都が嫌いで、なかなか寄り付かなかったであろう」
「そうだよ、アタシは嫌いだね。どいつもこいつも上品ぶってさ。腹の中真っ黒にさせつつも、表面ばかりは綺麗にしちゃって。気味悪いったら無いよ」
リディアの言いたいことはわからんでもない。
人々の本音と建前。
通りの裏と表通り。
貴族どもの思惑と方便。
ここでは面白いくらいに使い分けられていた。
直情型のリディアとは相性が悪いことだろう。
「なぁクラスト。2、3日で良いから泊めとくれよ。アンタも独り身なんだから、構いやしないだろ?」
「それは……うむ。良かろう」
断ろうかとも思ったが、止めた。
お互い老い先短い身の上だ。
もしかすると今生の別れとなるかもしれない。
最後の会合が路地裏での立ち話では、余りにも虚しい。
「だったらボサッとしてないでさ、手を貸しとくれ。立てないんだよ」
「世話の焼ける。掴まれ」
「アイタタタ。腰、腰が!」
疾風の剣士の称号の断末魔が聞こえる気がした。
歳を取りたくないとは言うだけ野暮か。
不老不死の研究もすべきであったと、自嘲混じりの戯れ言が頭によぎった。