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今、部屋には生きている人間はひとりもいない。
「不登校ってやつか」
ザクロが静かに話し出した。葵が出ていったドアのほうを見つめている。
「そういうことです。彼女、今年に入ってからほとんど授業に出ていないみたいです。最近になってようやく、保健室登校ではありますけど、なんとか学校には行けてるみたいですね」
白砂が神妙な面持ちで、ザクロに語りかける。口調からして、白砂はこのことを知っていたようだ。
「確かに、体調不良で保健室にいるとしたら、本屋に寄ったりなんかして、元気だなとは思ったよ。にしても、不登校か……。これも、プントに加算するべきなのか?」
そう言いながらザクロは、白砂から渡された白い紙をひらひらとさせている。悪いことをしたらこの紙に書き記すということだったが、ザクロにはまだ、いまいちその基準がわかっていなかった。
「もちろんそれは、ザクロさん次第ですよ。前にも言いましたけど、プントの計算はベールに一任されているので。もし、ザクロさんがこれは悪いことだなと思ったなら、その紙に書き込むべきです」
珍しく、少し強い口調で白砂が言う。心なしか、悲しそうな顔をしているようだ。葵が不登校だったことがショックだったのだろうか。しかし、白砂はこのことを知っていたような口ぶりだったが。そんなことを考えたザクロだったが、到底答えにはたどり着けそうになく、たどり着く必要性も感じなかったので、すぐに考えるのをやめた。ザクロにとって、他人の思考を理解しようとする行為は、非常に煩わしくて無意味なものであった。
「とりあえず、あいつを追いかけるか。たぶん、2階の部屋にいるだろ」
「そうですね。ここにいても、仕方ないですし」
ザクロは結局、紙になにも書き込むことなく、ポケットにしまった。そして葵を追って、白砂とふたりで2階へと上がっていった。
葵の部屋は、広さこそあまりないが、その部屋に足を踏み入れたものは皆、壁一面に張り巡らされた本棚に目を奪われることだろう。6畳ほどの図書館、と形容しても決して言い過ぎではないだろう。この部屋では完全に本たちが主役となっている。本棚以外には小さな勉強机とベッドが置いてあるだけだ。ベッドがなければ、書斎と勘違いしてしまいそうだ。
この部屋をみるだけで、葵がかなりの読書家だということがうかがえる。
そして今、葵の手によって、この小さな図書館に新たな仲間が加わった。さきほど富士山書店で買った、3冊の小説たちだ。どうやら葵は、買った本はとりあえず本棚に並べておくタイプのようだ。
「学校なんて、行っても無意味じゃない。あんなところ」
葵が突然、強い口調で言い放った。やはり、その目には涙が浮かんでいる。
「あんな授業なんて受けなくても、教科書を読むだけで勉強はできるじゃない。それならもう、学校に行く意味はない。そう判断したまでよ」
ややヒステリック気味に独り言を解き放った葵は、そのままベッドに倒れこんだ。しばらくすると、寝息が聞こえてきた。どうやら、制服すら脱がないまま眠りに落ちてしまったようだ。
「うーむ……。どうやら、いじめられているとか、そういったことはなさそうですね。少し、安心です」
白砂が胸をなでおろしてつぶやく。どうやら、不登校になった理由までは知らなかったようだ。
「随分と頭がいいみたいだな、こいつは。でも、授業を受けなくても勉強はできるからって、学校に行かないなんてな。別に学校は授業を受けるためだけにある場所でもないだろ」
「あ、ザクロさん珍しくいいこと言いましたね。もしかして、部活か何かやってたんですか?」
白砂がにやにやしながらザクロに問いかける。
「いや、なにもやってないよ。おれも別に学校なんて行く必要なんてないと思ってたけど、休んで親にうだうだ言われるのもめんどくさいからな。だから、行ってた」
「おお、なんともザクロさんらしい理由ですね……」
半ば呆れたような口調の白砂だが、どこか可笑しそうでもあった。
「今日はもう、こんなものでいいんじゃないか。どうせこの後は、飯食って寝るだけだろ。そろそろ引き上げよう」
もう飽きてしまったのか、ザクロはどこか気怠そうだ。この男の場合、飽きてしまう以前に、興味があったのかも怪しいところだが。
「んー、そうですね。大体、仕事の流れはわかったでしょうし、今日のところはこの辺で切り上げますか。明日からも、また頑張りましょうね」
そう言うと、白砂は右手の中指にはめている指輪に手をかけた。これが、転送装置になっているらしい。白砂が指輪を真上にかかげると、白い光がふたりを包んだ。
気付くと、ザクロと白砂は、もといたアパートの部屋へと戻ってきていた。