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牢獄前にて  作者: 方舟
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咎人の目

 あれきり、直方は火葬場でも、初七日の法要でも、精進落としの会席の時も、一言も口を開かなくなった。もっとも、葬儀には来るだろうと思われていた直方の同級生の姿もなく、スタッフの方が多いのではと思うような葬儀で、口を開くのはもっぱら喪主代理の高濱と、司会進行のスタッフくらいのもので、口を開くことすらはばかられるような状況だっただけに、すべての行程が終了し、スタッフたちが掃除を始めたところで直方を捕まえるまで、小谷夫妻は互いに何かを話し合うようなことさえなかった。


「なおちゃん!」


 少ないながらも供えられた生花のやり場を高濱と話し合っていたのか、大人たちの去っていった後で花を抱えて立ちすくんでいた直方を呼び止める。振り返った直方は、どこかほっとしたように、ようやく笑みを浮かべて見せた。


「おじさん、おばさん。……ありがとう、今日来てくれんかったら、ちょっと僕いろいろ大変だったかもしれん。迷惑かけて、ごめんなさい」


 花を抱えて呟くようにいう直方の髪を夫が撫でつけるのを見て、絹子はその腕を静かにとる。


「いいて。なおちゃんに迷惑なんてかけられとらせんのやから」

「それよりも、なお、これからどうするんや」


 直方が何か言い出すよりも先に、佳久が灰色の髪をなでながら問いかける。返答に困ったように、直方は抱えた花を抱き直した。

 通常なら、忌が明けるまで遺族の家には祭壇が置かれ、納骨を待つ遺骨が安置される。宗旨によっても変わるが、今回の葬儀に駆けつけた寺の宗旨から考えて、おそらくそうなることは間違いなかった。


「……僕だけでは忌明けまでお勤めできんもんで」


 ややあって、小さな声で直方は答える。


「お寺さんがお骨を預かってくれるって。忌明けの法要も、僕と高濱さんがお寺さんに行って、お経上げてもらって、終わりって」


 守る遺族がまだ幼いため、今回遺骨は寺院の方で永代供養ができるように取りはからうという。うつむいた直方の腕をさすって、絹子はそう、と相づちを打った。しかし、絹子が聞きたいのは、そして佳久が聞こうとしていたのは、おそらくそこだけではない。


「家でお位牌とお骨守る必要はないんやね? それなら……。

 家におるの辛いなら、しばらくおばさんたちのとこ、くる?」


 控えめに問いかけてみたが、直方は小さく首を振ってそれを固辞した。


「気持ちはありがたいんやけど。でも、いろいろやらないかんことあるし。それにそもそも、しばらくあの部屋、警察の人が出入りしとるから立ち入り禁止やもん」

「無理はしたらいかんぞ」


 無言でうなずく直方の髪をなでる佳久の手に力がこもる。それを見ながら、絹子は眉をひそめて溜息をついた。無理をするなと言ったって、直方は無理をするに違いないのだ。それがわからないほど、絹子も佳久も直方のことを見ていないわけではなかった。それに、今回のようなことが家の中で起きないとも限らない。


 本当ならば、無理矢理にでも直方をつれて帰りたいところだった。けれど頑固な直方の性格を考えてみれば、それをしても強引に出ていってしまうかもしれない。その想像も容易についた。


「本当に、辛なったらいつでも来んのやぞ。遠慮もいらんし、気遣いもいらん。おじさんらはな、手の届かんところでなおが苦しい思いをする方が嫌なんや。わかるな?」


 直方は佳久の言葉に、また無言でうなずく。それを了承と受け取ったのか、佳久はもう一度直方の髪をなでて、手を離した。直方はその手を視線で追いかけ、それから溜息をつく。うつむいたその表情はわからないが、聞こえてきた声は沈んでいた。


「今日ね、何度も思ったん。もしも僕が、おじさんとおばさんとこの子やったらって。そしたら、こんな僕にならずに済んだんやろうか、って」


 こんな僕。


 絹子はその言葉に引っかかりを覚えた。なぜ直方は、自分の不幸な境遇ではなく、自分自身を悔いたのだろう。あの斎場での騒ぎのことをよほど気にしているのだろうか。


 ……そうではない、気がする。


 だが、思い当たってしまったものを信じるのはあまりにも辛すぎて、絹子は頭を振り、直方の顔をのぞき込んだ。それから、半ば本気のつもりでささやく。


「今からでも遅くないんやない? 本当におばさんたちの子になってまおうか」


 絹子、と窘める夫の声を、絹子は無視した。大学だとか今の直方の境遇だとか、そんなことは些細な問題だ。大学は奨学金だって推薦だってあるし、勉強は諦めなければ再開できる。それよりも、今の直方の心の傷を、自分を傷つけることにすら感覚が麻痺し始めているのかもしれない直方の心の傷を、自分たちが親になることで癒せると直方自身が言うのなら、それを叶えてやりたい。


 直方は驚いた顔で絹子を見返していたが、すぐにどこか泣き笑いにも近い複雑な表情を浮かべ、口を開いた。


「おばさん、今日はエイプリルフールと違うよ」

「誰が嘘なんか言っとるの!」


 絹子は冗談めかした直方の返事に、その腕をつかんで反論する。対して、苦笑とも、泣き笑いとも言えるような表情のまま、直方は頭を振った。


「本当やったらどれだけ良いかって思うよ。……でもだめなん。だって僕……」


 言い掛けたことを、直方は飲み込む。それが何であったのか、その時おそらく、絹子は気づいていたのかもしれない。それを認めたくないと言う気持ちが強すぎて、気づきたくなかったという気持ちが強すぎて、絹子は結局、首を傾げることしかできなかった。


 対して、直方はその表情に何かを悟ったかもしれない。そして、二人を見ていた佳久も。しかし結局二人ともそのことについて話にも言わず、直方は深呼吸をしてから、とぎれてしまった言葉を続けた。


「だって、僕まだ……『お父さん』がおるもん」




「なお……あいつ何か隠しとるな」


 帰宅早々、礼服をハンガーに掛けながら佳久がボソリと呟くのを、絹子は黙って聞いていた。真珠のイヤリングとネックレスを箱に収めて棚にしまい、二つ分の数珠の箱を取り出す。それから、とってつけたように返した。


「ああ……あの高濱さん、なおちゃんに自分が父親やって名乗ったらしいわ」

「それは隠し事やないやろ」


 すぐに言い返され、言葉に詰まる。絹子が気づきたくないと耳をふさいでいたことを夫が指摘しようとしているのが、よくわかった。


「なお、もしかして両親が殺されたことについて何か知っとるんと違うか」


 おまえは何か聞いとらんのか、と問われ、絹子は溜息をついて頭を振るしかない。


「聞いとったら、ちゃんと警察に話しに行くように説得しとります」


 そうやな、と呟く佳久の声は低く沈んでいる。数珠を片づけながら、絹子はまた溜息をついた。


「なおちゃん……本当に一人で大丈夫やろうか」


 返事を期待したが、夫からは何も返ってこなかった。おそらく、それを問いたいのは佳久も同じなのだろう。


「なんだか……嫌な感じがするん。なおちゃんは頭がいい子やから、そんなことはないと思うんやけど」


 それこそめったなことやわ、と、これには怒ったような声で夫が返してきた。


「なおの両親のことでなおが何か間違いを起こしとったとしても、あの子の中でちゃんと整理がついたら俺たちにちゃんと話に来よる。俺たちにはそれ以上何もできんかもしれんが、相談に来たときにちゃんと相談に乗ったればええやろ」


 絹子は溜息をつき、そうやね、と呟く以外になかった。

 直方は幼いが、きちんとこちらに相談してくれるはずだ。もう彼を押さえ込む者は何もないはずなのだから。そしてだからこそ、自分たちはそうして直方が来たときに、きちんと相談に乗ってやるしかない。


「やっぱり、それ以外に、私たちに出来ることってないんやね」


 ぽそりと口をついてでた言葉は、自分でもうんざりするほどに寂しい声をしていた。


 しかし、それから一週間ほど、直方からの音信はぱったりととだえたのである。




 一週間。

 一週間、小谷夫妻は直方の声を聞いていない。それは二人にとって、直方に出会ってからほとんど始めてのことだった。今まで一週間以上、直方がこの総菜屋へ来ないことなど、ほとんどなかったのだ。絹子などは心配になって何度か直方の家へ電話をかけたが、すべて留守電が応えた。


「今日も……こーへんかったわね」


 閉店後、店の片づけをしながら、絹子はそういって厨房をのぞき込んだ。中の掃除をしている夫が不機嫌に鼻を鳴らすのを見て、こちらも溜息をつく。二人とも心配で仕方ないのだ。


「今日も、唐揚げ売れ残ってまったね」

「……」

「あの子来たら食べさせたろうと思って、多めにつくっとるのに」

「……」


 溜息混じりの絹子の声にも、佳久は応えない。絹子はまた、今日何度目になるかわからない溜息をついて、テーブルの拭き掃除に戻った。余ってしまっているのは、実は唐揚げだけではないのだ。


 この一週間の間に、直方は17歳になった。絹子は佳久に許可をもらい、直方のためにプレゼントを用意した。色合いもデザインも、直方に似合うに違いないと思ったものだ。


 だがそれも、本人が来ないのでは意味がない。


 一通りの掃除を終え、売場の電気を消そうと絹子は顔を上げる。そこで、彼女は一週間ぶりの懐かしい顔を認めた。


「なおちゃん!」

「なに、本当か!?」


 絹子の声を聞いて、佳久も驚いて顔を出す。閉店のプレートがかかったガラス扉の向こうから、遠慮がちにのぞき込んでいた灰色の瞳が、驚いたように見開かれた。


「どうしとったの今まで! 心配しとったのよ!」


 言いながら、絹子は飛び出し、扉を開ける。それから、直方がいつもの学生鞄ではなく、手ぶらであることに気がついた。勉強をしに来たわけではないのか。


「おばさん、あ、その……」

「ともかく、あがり。ごめんね、お店閉まってまっとって、驚いたんでしょう」


 言いよどむ直方を怪訝に思いながらもその背後を何げなしにのぞき、絹子は直方がここに来た理由を悟った。


「今日はご挨拶に参りました。……先日申し上げたとおり、直方を引き取ることになりましたので」


 直方の背後から現れた灰色の髪の男は、葬儀の時と同じく慇懃無礼に一礼し、能面のようにほほえんだ。




 直方に、なんと言って声をかけたらいいのかわからず、絹子と、慌てて厨房から飛び出してきた佳久は、言葉に詰まってうつむいた直方を見返す。


「……本当、なんか」


 ようやくそれだけ絞り出すことが出来たのは、佳久だった。直方の肩をたたいて、視線を合わせる。その瞳を遠慮がちに見返した直方は、困ったような、今にも泣き出しそうな顔で、小さくうなずいた。


「……だから、もう、おじさんの唐揚げ、食べに来られん。

 ……ごめんなさい」


 その謝罪をする理由など何もないというのに、直方は小さく頭まで下げてしまう。頭を振った佳久は、まっとれ、とだけいうと、すぐに厨房へ飛び込んでいってしまった。


「おばさんも……ごめんなさい」


 絹子も頭を下げられ、ただただ頭を振るしかない。佳久の代わりにその腕をつかみ、緩く振ってやった。


「何を言っとるの。……うん、寂しいけど、なおちゃんがそうと決めたんやったら、おばさんたちは何も言わんで応援するわ。

 ……あ、でも、おばさんの方もちょっとまっとってね」


 言って、きびすを返す。直方が高濱のところへ引き取られていくというのなら、あのパーカーを渡せるタイミングはもう今しかない。


 店へ絹子が入るのと入れ違いに、多めに唐揚げを詰めたタッパーを抱えた佳久が出て行く。……考えることは二人とも同じである。

 こんな時だというのに、内心で笑いをこらえつつ、絹子は奥にあるテーブルからプレゼント用の包装をされた袋を取り上げる。そのまま店の方へサンダルを突っかけて飛び出し、戻ってきた。顔を上げれば、困ったように両手にまだ暖かな唐揚げを抱えて立ちすくんでいる直方と目が合う。


「おばさん……」


 助けを求めるような目で見つめられたが、今日ばかりは直方をもっと困らせてやることになりそうだ。絹子は後ろ手に袋を隠して直方の正面までやってくると、さっとそれを差し出した。とたん、直方の助けを求める目が非難する目に変わる。


「もう、おばさんまで!」

「だって誕生日だったでしょう、こないだの水曜日!」


 言うと、直方は驚いたような顔をした。自分の誕生日を忘れたわけではあるまいから、いつものように遠慮がちなものではないプレゼントに驚いたのかもしれない。


「もう、遊びに来られんかもしれんのでしょう? なら、これもらったって」


 言いながら、直方の手にその袋を押しつける。ますます困った顔をして、直方はされるがままにそれを抱き抱えた。


「……直方、そろそろ」


 時計を見た高濱が、直方の肩に手をおく。振り返ってうなずくと、直方はもう一度静かに頭を下げた。


「はい。……それじゃ、おじさん、おばさん」

「まあその……なんや、風邪を引くなよ」

「落ち着いたら、連絡ちょうだいね」


 高濱がきびすを返す。小谷夫妻の言葉に応えて何度もうなずいていた直方は、一度強く目を閉じた。


 ああ、この目が開いたら、きっとこの子は別れの挨拶を言うのだ。


 そう思って、絹子はその瞬間を待つ。しかし、その瞬間は来なかった。

 彼は意を決したように目を開く。ただそこにあるのは、なぜか今まで見たこともないような強くて暗い意志の色だ。


「……ごめんなさい、おじさん、おばさん。

 でもやっぱりこのプレゼント、僕が受け取るわけにいかんよ」


 そういって、直方は突然二人にもらったものを突き返す。驚いて言葉もなくそれらと直方を交互に見比べる夫を見上げ、絹子は頭を振って諭した。


「こんな時まで遠慮なんかしんといて? おばさんたちの気持ちなんやから」

「ありがとう。でもそれなら、なおのこと受け取れんよ」


 強引に、直方は一度受け取ったはずのものを二人の手に押しつけ返した。


「直方? 何をして」


 異変に気づいた高濱が直方の肩に手をかける。直方はそれを、強く振り払った。そして二人を見つめ、声を低めてささやく。


「僕は、こんなにもよくしてもらっとって、しかもそれに応えもせんで。ずっと二人に甘えてきた。でも本当の僕は、そうやって甘える資格なんて最初からなかったのに!」


「なおちゃん、なにを……」


 こんなに声を荒げる直方は初めてみる。絹子の胸に大きな不安が膨らんでいった。よみがえる、葬儀の時の直方のせりふ。


――……おばさんは、本当の僕が、おばさんやおじさんの思うような『イイ子』じゃなかったとしたら。そうしたら、すぐに嫌いやって、そういったってね――


 あれはどういうことなのか。いま、直方はその真意を口にしようとしているのではないか。

 ききたくない、と耳をふさぎたくなるのに、体が動かない。直方の真意を悟って制止しようとしている高濱を強引にふりほどき、直方はきっぱりとした口調で言い切った。


「警察を呼んでください。

 ――僕が、両親を殺した犯人です」

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